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風ぐるま回り

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翌日の夜半より行われる「24区捜索」、通称"もぐら叩き"に備えて、この日の夕方から、本局ではミーティングが開かれていた。
「有馬さんもちゃんといるってゆーから、気合い入れてお化粧してぇ、会議中も寝ないように昨日の夜がっつり寝てきたのに…期待はずれぇ〜」
CCG本部ロビーの自動ドアを宇井と並んで出たハイルは、室内と外気との温度差に「まだ外暑いー」と顔をしかめた。
夏至もとうに過ぎたが、しかし夏という季節は終わらない。
昼間の熱を溜めた空気をオフィス街のコンクリートが包み込み、まるでぬるま湯にでも浸かっている様。
「気合いを入れる部分が根本的に間違ってる。明日の動きはちゃんと頭に入れておいてください」
「こぉり先輩ま〜じ〜め〜」
「そのためのミーティングなんですよ」
宇井も早々にスーツの上着を脱ぐと、駅方面へ足を向ける。
明日の任務までだが、久々の休みだ。
しかし、ミーティングで有馬に会えるとの期待が打ち砕かれたハイルの不満は収まらない。
例によって有馬は会議には不在だったのだ。
「もぉやぁーっ…!有馬さんいないし外は暑いしお腹も減ったしっテンション下がりっぱー。こうなったら郡先輩に晩ごはん奢ってもらわないとおうちに帰れません〜」
「…なんで私がハイルに奢らなきゃならないんです」
「えーだって。先輩とぉ」
ハイルが宇井を指差して、次に自分を指差す。
「カワイー後輩」
「ハイル、君が寝不足で寝言を言っていることはよくわかった。早く帰って寝てください」
「ひどっ」
空腹を訴えるわりには元気なハイルに、宇井は疑いの眼差しを向けた。
ついでに、そのピンクの頭の向こうに見知った二人組を見つけて、つい「あ」と声を漏らす。
「へっ?」
「ああ、いや何でもない──」
「あーっ、あれってもしかしてっ。琥珀〜〜〜ついでに平子上等〜」
ハイルのばか。
タケさんをついでとか言うなと宇井が思ったとき、ハイルはすでに二人の元へと駆け寄っていた。
「もしかしてこれからデートですかぁ〜?」などと地雷も踏んだ。
分かってるならほっといてやるのが大人だろう、と頭を抱えたくなる。
宇井も諦めて「お疲れ様です」と近づくと、丈が「ああ」と答え、琥珀も「郡さん、お疲れ様です」と笑顔を向けた。
「すみませんタケさん、すぐにハイル連れて帰ります」
「ええ〜なんでぇ〜??」
「…ハイル、察しろ?」
圧のある宇井の笑顔に琥珀が苦笑する。丈は特に変わりなし。
話を聞けば、二人はこれから夕食に行くのだという。
そんな空気に割り込めるか。
宇井はハイルの襟首を捕まえる。
もう──しばらく前になるが、丈が有馬のパートナーだった頃、仕事を終えた琥珀が丈と一緒に局を出る姿を、宇井は時折見かけていた。
だが丈が自分の班を持って以来、琥珀が仕事後に局外に出るのを殆ど見ていない。
やはり時間が合わないのだろう。
一度だけ、琥珀に訊ねてみたことがあった。最近会っているのかと。
少し寂しそうに笑った琥珀を覚えている。
「(…別に、私が聞くようなことでもないけれど…)」
「あの、郡さん──」
掴む手をべしべしと叩いてくるハイルを構わないでいる宇井に、琥珀が一枚の紙を取り出して見せた。
さっき貰ったんですけど、と。
「今日って練り歩きしてたみたいですよ。神社まで。それで、屋台なんかも出てるそうです」
見やすいように広げられたチラシには今日の日付け。ねじり鉢巻に揃いのはっぴで神輿を担ぐ男達の写真が印刷されている。
それを意識したからか、オフィス街と駅前を繋ぐ通りには、スーツに混ざって浴衣の人影や、親子連れなどの姿があることに気付く。
「お祭り、良かったら今から四人でどうですか?」
遠慮がちな瞳が宇井を窺う。
どうして琥珀の方が遠慮をしているんだと思う。
邪魔なのはこちらなのに。
宇井の捕まえるハイルは、すでにわたあめを夢見てときめいている。
この状態のハイルをどうやって引っ張って帰ろうかと宇井が考え始めたとき、郡、と丈の声が割って入った。
「無理にとは言わないが…。郡、祭りは嫌いか?」
尊敬する、それも寡黙で真面目な丈のその口から"祭"という意外な言葉が出てきた瞬間、
「ご一緒させてください」
宇井も帰るという選択肢を遠くへ投げ捨てた。


わたあめ、くじ引き、かき氷。
宇井にとって"お祭り"というイベントは、あまり馴染みのないものだった。
けれど彼女にとってはそうでもないらしく。
「(意外だ…)」
屋台の暖簾に一文字ずつ。
区切られたその名前を読み上げては、懐かしいと瞳を輝かせる琥珀。
人間の自分よりも喰種の彼女の方がこの場に馴染んでいる不思議さ。そして食べられないはずのメニューにはしゃぐ様子を──
「(…浴衣なんかも着たりしていたんだろうか…)」
宇井は眺めて、
「チョコバナナが私を呼んでるんで〜、そのあいだどっかテキトーに見ててください。じゃっ」
ハイルの声で我に返る。
「待てハイル、テキトーって何です。はぐれるでしょう」
「じゃー郡先輩も買いましょーよー」
「いらない。それよりも私は食事っぽいのを探します」
「あ、ならあっちに焼きそばがあるみたいですよ、郡さん。丈兄も先にお食事系のほうが良い?」
「そうだな」
「私、ハイルちゃん待ってるから。先に行ってて」
琥珀が携帯を持った手を振る。
ハイルが反対の腕にくっつく。
「先輩方、行ってらっしゃいです。うふふ、美味しそーなのあったら私の分も買っといてくださぁい」
それじゃあ〜と、ひらひら手を揺らす。
ハイルは絶対自分達を先輩と思ってないなと宇井は思う。

腹の奥に響く大太鼓、弾む祭り囃子の中、人波に乗ってゆったりと移動しながら、宇井は丈に「すみません」と謝った。
「琥珀と過ごすの、かなり久し振りですよね。…琥珀とはよく話をするので、タケさんの話もするんですけど…」
本当なら落ち着いた店ででも食事をしていたはずなのに、自分とハイルのおまけつき。
その上、立ち食いをさせることになてしまった。
気まずさを漂わせる宇井に、しかし丈はさして気にした様子もなく答える。
「昔は地元の祭りに琥珀とよく出かけていた」
その視線が、通りすぎてゆく浴衣の親子を追いかける。
「いつもそれぞれの家族だったり、俺や琥珀の友達と一緒でな」
懐かしんでいるのは丈も同じようだった。
露天の行列に並びながら、琥珀とハイルを置いてきた方向を眺める。
空も夕闇に染まり、いよいよ混み合う祭りの人出は、先など少しも見通せない。
「礼を言う、郡。お前と伊丙が付き合ってくれて、あいつも喜んでいる」
代金を払い、焼きそばを二つ受け取って、丈は一つを宇井に渡す。
頼りないプラスチックの容器は、割り箸も一緒に挟んで輪ゴムで留められている。できたての熱を放つ焼きそばが、蓋を押し上げるほどに詰まっていた。
今になってやっと、緊張も遠慮も解けた宇井は、辺りを包むソースの焼ける良い匂いに気づいて自分が空腹であることを知った。
想像よりもボリュームがあって手に沈むパックを見下ろして、少し照れながら「いただきます」と頬を緩める。
「タケさん」
「ん?」
「実は私、屋台の焼きそばって食べるの初めてなんです」
宇井の言葉に丈は、そうか、と返し、たぶん旨いぞ、と付け足した。
そして、
「…伊丙の分を買い忘れたな」
律儀に買いに戻ろうとする丈を宇井は慌てて止めた。

「なんで私の焼きそばないんですかぁー」
「…そう言うわりには、色々買い込んでるじゃないか」
「えへへ」
合流したハイルの手には、焼き鳥とお好み焼きの入ったパックに、わたあめの袋が下げられている。
ちなみにチョコバナナはハイルの胃袋に早くも消えた。
隣に立つ琥珀も、人数分の飲み物を抱えながら、タコ焼きの舟も手にしている。
「ビールは聞いてからにしようと思って。とりあえずコーラが二本とお茶とお水、あとみんなで食べる用にタコ焼きも買いました」
「タケさんから聞いたところですけど…手際が良いな」
「ふふふっ。お祭りは任せてください」
どこか端っこで食べますかと、きょろきょろ見回した。
ふらりと揺れるその背に丈が手を回して、通行人との接触を避けながら移動する。
「(慣れてる…)」
人の少ない場所を見つけて琥珀と丈が歩くその後を着いていく。
「あの二人、もぉ夫婦でいーのに。そー思いません?先輩」
熱いってゆーか通り越してぬるいってゆーかもーつっこむ気も起きないですもんー。
ハイルが自分の前髪をふっーっと息で吹き上げながらまた「あつーい」とぼやく。両手が塞がっていて扇げない故の抵抗らしい。
「夫婦──っ…、そういうわけにはいかないだろう… 」
ハイルのだらけた様子にも、突然飛び出た言葉にも、宇井は溜め息をついた。
現在、公認のような、非公認の仲である丈と琥珀。
あの二人ならば周囲の冷評とて気にはしないだろうが。
本人達が気にしなくとも、本人達のその有り様が、反発を持つ者の感情を煽ることもある。
扱いを間違えればどうなるか──…。
「…ハイル」
「なんですかー?」
「今の言葉、他では言わないこと」
「えー、なんでー??」
「なんでもです」
分からない様子のハイルに念を押す。
例えば、この言葉ひとつでも噂と成り得る。
噂とは恐ろしいものだ。当事者の意図から変質し、歪曲して伝わる。
もしもこの夫婦云々の噂が琥珀が求めたものとして伝わりでもしたら。
琥珀の思いが何であれ、反発が生まれるだろう。「喰種の立場で」お前は求めるのかと。
もし、丈が琥珀の擁護をしようものなら。
「幼馴染みだから」「恋人だから」、琥珀を庇いたいのだと言われるだろう。
反対をする者は、とにかく否定をしたいのだ。
二人の求めるものの中身など、どうだっていい。
「郡先輩」
「…──なんです」
「上等にぃ、嫉妬してます?」
「…違う」
琥珀が喰種であることは変えようのない事実。
その中で、現状こそが最善であり、最良のバランスで保っている。…と、思っている。
自分達にできることといったら、せめて邪魔をしないことか、あるいは──…
「お二人共、飲み物何が良いですか?」
「私コーラっ」
「はい、どうぞハイルちゃん」
「ハイル、まずはタケさんに選んでもらうのが先だろうっ」
「俺は最後でいいぞ」
「なので郡さんも、お好きなの選んでください」
「…じゃあ、お茶を貰います」
琥珀はお茶を宇井に渡し、コーラを丈に渡した。
「琥珀琥珀〜、タコ焼き食べさえてぇ〜」
「うん、待ってね。紅しょうがは乗せる?」
「たっぷりー」
お好み焼きを食べながら途中でせがむハイルの口に、琥珀が紅しょうが特盛のタコ焼きを入れてやる。
幸せそうに頬張るハイル。それを見る琥珀も楽しそうに笑う。
周りの者と、全てが同じように出来ずとも、彼女はこうして祭を楽しんできたのだろう。
琥珀は次のタコ焼きを食べやすく整えながら宇井に訊ねた。
「郡さんは、タコ焼きはお好きですか?」
「え?ま、まあ普通には…」
「良かった。じゃあ、はい」
まさかと思う間に、あーん、と宇井に差し出されるたこ焼き。
「は、えっ…!?」
「うふ、センパイ。間接チューとあーん、どっちに照れてます〜?」
「なっ…!」
ハイルのにやにや顔が憎たらしい。
「あっ、郡さんは気にされる方ですか」
「それは別に…」
「じゃあ、はいっ。美味しいですよっ」
お店の人が言ってましたと、にこやかな琥珀が、箸で掴んだタコ焼きを宇井の口許に持ってくる。
お店の人が美味しいと勧めるのは普通だからと思いながら、やや照れながら、渋々口を開いた。
口の中で、パリッとした生地にソースとマヨネーズと紅しょうがが絡み、続いてむぐむぐとタコを噛み砕く。
「センパイ、間接チューのお味はいかがです?」
飲み込んだ宇井が半眼で言う。
「…この歳の男に何を言ってるんです。感慨の欠片も無いですよ」
「そーゆー可愛くないこと言う先輩には、お好み焼きあげないです」
「焼きそばもシェアしないです」
「えぇ〜!」
勿論貰えるものと思っていたハイルは悲鳴にも似た声を出した。
宇井は縋り付くハイルから焼きそばを守りながら、ちらりと丈と琥珀を見た。
丈も琥珀が口許に運んだタコ焼きを食べていた。
丈が咀嚼する間、琥珀は祭の人垣や店の様子を見ては楽しそうに話しかけている。
祭の雰囲気に溶け込んだ琥珀は、普段のそれよりもどこか奔放であどけない。
琥珀が指差す先を見て、丈は時折、言葉を返す。
それがきっと、本来の二人の距離だったのだろう。
「こ〜りセンパ〜イっ」
「はいはい、仕方ないな」
自分達は、そんな二人に気付かないふりをすることしかできないのだ。


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