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浮き雲

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深夜、仕事から帰宅して玄関を開ける。
揃えられた女物の靴を見て住人の存在を知る。
しかしそれを目に入れなくとも、部屋に人がいないといるでは空気が違う。
必要最低限だが、照明を点けたままの明るい室内。
洗面所のコップには水滴が残っている。
湿り気を帯びた浴室。
居間に足を踏み入れると、ラップを被せた夜食がテーブルに並んでいた。
メモ用紙よりも付箋を使うのは学生時代からの名残だ。ひと言も添えられている。
上着と鞄を置くために、静かに寝室のドアを押し開けた。
布団にくるまれて琥珀が寝息をたてている。
風呂の支度を整えて先に浴室へ。
上がってからテーブルに着いた。
ラップを取り払うと、包まれていた夜食の匂いが立ち昇る。
箸を手に取る。
「いただきます」


──青く高く、澄み渡った空が広がっている。
なだらかな原っぱが遠くまで続いていて、果てなどないような気がした。
実家の犬を連れてきてやったら、跳ねるように駆けていくだろう。
それを追いかけてはしゃぐ琥珀の姿も、容易に想像できた。
くい、と袖を引っ張られる。
「丈お兄ちゃん」
リュックを背負った小さな琥珀が俺を見上げていた。
ああ、今日は遠足だったんだな。
「丈お兄ちゃん、キャラメルあげる」
琥珀の柔らかな手から白い紙に包まれたキャラメルを受け取った。
しゃがんで目線を合わせてやると、照れたようにはにかんだ顔がよく見える。
ふっくらとした頬と小さな唇。大きな瞳は陽の光を受けてきらきらとしていた。
「いいのか?」
「いいの。おかし、食べないから」
「そうか。…琥珀は食べられないからな」
「うん…。でも丈お兄ちゃんのおばあちゃんが作ったお弁当は食べるよ」
頭を撫でていた手を下ろすと、琥珀は背負っていたリュックを前に持ち直して、両手で大切に抱き抱える。
持たされた弁当が入っているのだろう。
「どうして、弁当は食べるんだ?」
食事は苦手だろう?
訊ねると琥珀はこくりと首を縦に振る。
そして、あのね、と。
「丈お兄ちゃんは、おばあちゃんのお料理がすきでしょう?だから、私も味をおぼえて、お料理するの」
そしたら丈お兄ちゃん、食べてくれる?
心配そうに見つめてくる瞳。
心配なんてする必要ないのにな、そう思って俺は少し笑った。
「──ああ、もちろんだ」


うっすらと目を開ける。
カーテンはまだ閉まっている。
こちらを向いて一緒の布団に入る琥珀も、まだ眠っている。
「ずっと──…、」
今日初めて出す声は枯れていて、呼吸のおまけであるように形を成さなかった。
しかし静寂に混ざった音に反応した琥珀が睫毛を震わせる。
ゆっくりと瞳か開いて俺を映す。
もぞ、と布団から手を出して俺の頬の輪郭を撫でた。
微睡みを絡めて漂う指を掴まえる。
「…ずっと、想っててくれたんだな…」
夢の中の同じ笑顔を、琥珀は浮かべた。
「…今だって…ずっと想ってるよ」
でも…もうちょっとだけ、ねててもいい……?
言葉を全て言い終わらないうちに、再び閉じ始めた瞼。
一瞬の幻だったように、琥珀の言葉は寝息に戻る。
しかしこちらが体を近付けて、琥珀を抱き寄せるように腕を回すと、琥珀は体温を求めて胸に頭を押し付けてきた。
二人が帯びる温度は思考を心地好くほどき、自然と瞼が下りた。


次に目を覚ました時、既にベッドに琥珀はいなかった。
着替えて部屋を出ると、キッチンで朝食の用意をする姿が目に入る。
「おはよ。今日の朝ごはんは洋食ですっ。あとは卵をつけようと思って」
何卵がいい?と。
「…卵に枕詞が付くのか…」
「ふふっ、寝惚けてるの?たとえば…えっと、ゆで卵とか、目玉焼きとか、卵焼きとか」
「…後の二つに違いがあるのか」
「あるよー。他にも、スクランブルエッグ、ポーチドエッグ──」
…呪文…?
「じゃあ、卵の美味しい何かを作るから、おまかせでいい?」
卵の何かとは妙に気になる言い回しだ。
だが琥珀が楽しそうにキッチンに立っているので、まぁいいかという気がしてくる。
しばらくして出来上がった朝食からは湯気が昇り、ちゃんと知っている卵料理の形状だった。そして旨そうな匂いをさせていた。
「これは卵焼きで、今日のはホウレン草が入ってるの」
「そうか」
「そうです。あ、あとね丈兄、私が寝てる時に何か言った?」
私、覚えてなくって。と。
「…夢を見た」
「ゆめ?良い夢だった?」
「ああ。──昔の、お前がいた」
テーブルの反対側にマグカップを置いて、琥珀が嬉しそうにはにかんだ。
向かい合って席に着く。
どちらからともなく──

「「いただきます」」


160909
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