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comic☆HERO.

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辞書を捲る紙の音。
卓袱台に広げたノートと辞書を見比べながら、シャーペンを持つ琥珀の指が、落ちてきた髪を耳に掛ける。
雑誌を捲る音。
丈が仕事の帰りに購入した雑誌のカラーページが、真新しいインクの匂いをさせてペリペリと剥がれた。
開けっぱなしのドア。
聞こえるけれど聞き取れないテレビの音声は一階の居間からだ。
恐らく祖母がテレビを見ていて、祖父は本でも読んでいるのだろう。
「琥珀」
「……んー?」
「コンビニに行ってくる」
「えっ?今?」
「ああ…腹が減った」
晩飯が少なかったかもしれないと言いながら、丈は既に立ち上がりながら財布をズボンのポケットに入れる。
何かついでに買ってくるか?と訪ねると、琥珀は顔を曇らせた。
「…夜だよ、危なくない?」
「…若い男はそうそう痴漢には襲われない」
「………。」
「………悪い、冗談だ」
「あのね、痴漢じゃなくて喰種っ。…いっつも私に言ってるでしょ」
琥珀はやや真剣な眼差しで丈を見上げ、丈のベッド脇に置かれたスーツケースを指差す。
クインケと呼ばれる対喰種の武器が収まっており、喰種捜査官となった者が所持を許され、各自で管理をすることとなっている。
春先より晴れて喰種捜査官となった丈も、自身専用のクインケを管理している。
「夜の一人歩き、危ないよ」
「…心配するな。この辺りでは喰種の目撃情報はない」
「でもっ、丈兄は捜査官だし恨みとかっ」
「まだ実績もない」
「…う〜…、じゃ、じゃあ何か夜食作るよ…!」
「…課題、期限間近で大変なんだろう?」
学校行事の委員会を任されてしまって授業の提出物が間に合わない、と焦る琥珀を見たのは数日前。
そして今、目の前。
「そうだけど……でもっ…」
やけに強く引き止める琥珀の頭に、丈は手を置いた。
「…どうした?コンビニなんてすぐそこだろう。いつも普通に行っている」
何か不都合でもあるのかと重ねて聞いたが、琥珀は「別に…ないけど」と、瞳を伏せた。
「…夜食なんて、太っちゃうんだから」
最後の抵抗とばかりの捨てゼリフに丈は嘆息した。
些か強めに琥珀の頭を撫でる。
「夜食と、お前のみやげも買ってくる。何がいい?」
「…マーブルチョコ…」
「……太るんじゃなかったのか」
「明日の学校のおやつ!」
料理はするくせに昔から食が細く、あまり菓子類も食べない琥珀だったが、学校では友達と授業の合間に食べるらしい。
よくそれで成長期の体が持つなと思うが…。
男と女では違いもあるのだろうと、丈は特に口にしなかった。
「行ってくる」
「うん。いってらっしゃい」
座ったまま手を振る琥珀に丈も手を上げて返し、部屋を出た。


居間でくつろぐ祖父母に出掛けることを伝えて、丈は玄関を出た。
夜の10時に近い時間。
家から歩いて数分の場所にあるコンビニの店内には数人の客の姿があった。
窓際で雑誌を立ち読みするサラリーマンと、フードを被ったパーカーの男。
冷蔵庫前にはビールかチューハイかで言い合う、すでに飲んでいるらしい様子の男女。
丈はまず菓子類の棚へ行き、琥珀のリクエストであるマーブルチョコを取る。
次に弁当コーナーへ。時間も時間なので棚には空きが多かったが、最低限という程度には弁当が残っていた。唐揚げ弁当、パスタ、おにぎり等。
そこでふと琥珀の言葉が頭に浮かぶ。
暴食でもしない限り太らないだろうが。食べるなら野菜の方が何となく体に良さそうな気がする…。
肉と野菜の入った、レンジで暖める系のスープを選ぶ。
「(…野菜か)」
思い立って、菓子類の棚に戻り、野菜チップスも手に取る。
「(OLのようだ…)」
レジで広げた品を眺める。
せめてもの抵抗に、レジのホットケースのコロッケを追加した。
支払いをして、暖められた弁当とコロッケ、お菓子の収まった袋を受け取る。
気の抜けた、ありがとうございまぁす、の声を聞きながら自動ドアをくぐる。
もう一度、背後で自動ドアが開閉する音と店員の気の抜けた声がして、こちらについてくる足音。
同じ方向へ行くのだろうと、然程気にせず歩きはじめた。
がさがさと、歩調に合わせて音を立てるレジ袋。
歩きながら腕時計に視線をやれば10時ちょうど。
琥珀の家には誰も帰ってこないので、今日は泊まると言っていた。そろそろ風呂にでも入っている頃だろうか。
褪せた色の街灯の下を通り過ぎ、文字盤も見づらくなって視線を上げた。
バス通りから住宅街に入ると静かなものだ。ぬるい風が吹く。
車の音は遠ざかり、人の気配も──、
「(…同じ方向だな…)」
コンビニからの帰り道のここまで、離れてはいたが丈の後ろをついてくる足音がある。
少し早歩きしてみた。
同じように足音が早まる。…──それから「ぐッ」と、くぐもった声のような音がした。
「?」
丈は振り返ったが、夜道には誰も居なかった。


「──余所様の縄張りで狩りをするなって誰かに習わなかった?」

「私が女だから。子供だから。侮るのは勝手だけど」

「ここは私の縄張り。知らない?なら覚えて。じゃないと、あなたが消えたことが誰にもばれないように、あなたの存在を消してあげる。あなたがこの縄張りを知らなかったように。誰も知らないうちに」

「金輪際うちのシマ…じゃなくて、縄張りには近づかないことね──だって、あなたの骨、折れちゃうってみしみしいってる──」

できるだけ手慣れた風を装って。
高圧的に上から目線を崩さずに。
あくまで乱雑な扱いを心掛けて。(でも心の中で謝った)
怯えた様子で「分かった、分かったから離して…っ」 と、痛みと恐怖に喘ぐのは年若い喰種。
学校帰りの夕方に見かけて気になっていた。食事を物色するような不穏な目付き…。
コンビニを出た丈を狙っていた喰種の、パーカーの襟首を引っ掴んで近くのアパートの屋根上まで一気に跳んだ。
コンクリートに捩じ伏せて、耳許で囁いた。
──あなたの気配、覚えたから次見かけたら許さない──
そう脅しをかけて昏倒させた。
もちろん、本当に折るつもりなんてなかったけれど。
この辺りで喰種の目撃情報が出れば、きっと捜査員が派遣されてしまう。
どきどきする心臓に手を当てて、ふぅ、と息を吐く。
「…帰って課題やらなきゃ…!」


家に帰ると祖母はまだ居間のテレビの前にいた。祖父の姿がなく、こちらは風呂に入っているらしい。
丈が階段を上がり自室のドアを開けると、琥珀が卓袱台に突っ伏していた。
「…ただいま。…琥珀、寝てるのか?」
だるそうな様子で顔を上げた琥珀は、目を擦りながら丈を見た。
「ん?…ううん、おかえりなさい丈兄。わ、私、寝ちゃたってたみたい…?」
あはは、と呑気に笑う。
その傍らには丈が置いていった青年誌が開いた状態で床に置かれている。
長期連載の任侠漫画のページだ。
勉強に飽きて手を出したのだろうか。
「………」
「ちょ、ちょっとは進んだんだよ…課題っ、途中で脱線したけどっ、ちょっとは進んだ…と、思う…」
「…提出期限は?」
「………あしたのほうかご」
「居残りだな」
「ふ、ふぇーんっ…!」
来年は絶対委員なんて引き受けない、と今更の泣き言を言いながら、琥珀は再び卓袱台に向かった。
あー、とか、うー、とか。唸りながら課題を睨み付ける琥珀の前に、マーブルチョコと野菜チップスを並べて立てる。
「約束のみやげだ」
「これ…野菜チップスも?」
「…お前は食が細すぎる」
じゃがいも、にんじん、ごぼう、オクラetc…
「食わないと頭も働かないぞ」
色々と入っているらしいパッケージの野菜を読み上げて、琥珀が丈を見上げた。
「…ありがとう。明日…ふふっ、お昼に一緒に食べちゃおっかな」
しばらく嬉しそうにパッケージを見ていた琥珀は、チョコとチップスをいそいそと脇に置く。
丈もレジ袋から夜食とスプーンを取り出すと、包装を開けた。
卓袱台に並んだ丈の夜食を眺めて、琥珀が首を傾ける。
マーブルチョコと野菜チップスとポトフ。…あとコロッケ。
「丈兄、OLみたい」
「……そうだな」


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