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通い路

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少しだけ、怖い気配。
ざわざわするの、その箱は。
私と同じ血が入っているから。
私と同じ細胞が外に出たいっていっているから。
「信号変わるぞ、琥珀」
「あ」
見上げれば幼馴染みのその人が、私の背中に手を添えていた。押される感覚を享受して、操られるように横断歩道を渡った。
白と黒とを私は小走りに、丈兄は少し大股で。
「春休み呆けでもしたか?」
「違う、よ。──丈兄のスーツ姿に見惚れたのっ」
電車の時間にはまだまだ余裕がある。
「…からかうな」
私たちは歩調を緩め、靴音のリズムも穏やかに戻った。
駅までの道を二人で歩く。
家を出る時間は日によってまちまちだけど、それでも可能な限りは一緒の通学。
丈兄は今日から通勤になった。
一緒の日には、私は制服を整えて丈兄の押すインターフォンの音を待つ。
きっとどちらかが面倒だといえばあっさり終わる習慣。
…私から言うつもりはないけど。
「クインケって、重たい?」
「…持ってみるか?」
「ううんっ…!遠慮しとく…」
私の背中から離れた手。反対の手にスーツケースが持ち変えられたことに、実は少しほっとしていた。
慣れない気配は数日前から。
丈兄が喰種捜査官になってから。
捜査官に…殺された喰種は、全部クインケになるのかな。磨り潰されたり、融かされたりして?
私の頭ではいまいちリアルには想像できなかった。
あのスーツケースから漂う落ち着かない感覚だけが、本物。
「丈兄」
「…ん」
「怪我、しないでね」
「…約束はできない」
駅前のロータリーに入る。次々にバスが到着して、スーツ姿と学生服が吐き出される。
彼らの波に混ざって、私は鞄から、丈兄は上着から定期を取り出す。
「丈兄」
「なんだ」
「…早く…帰ってきてほしい」
「…仕事だからわからないな」
「………」
改札を通り、歩きながら定期をしまおうとしていたら、後ろから急ぐサラリーマンに押されてよろめく。
「きゃ…」
バランスを崩す私を丈兄が支えてくれた。
けれど不意に接近した"それ"が、私の肌を粟立たせる。
硬直した私の背中を丈兄の手が再び押して、混雑から抜けるように、またも早足でホームへ進む。
無言のまま、まだ誰もいない先頭車両の位置まで来て私と丈兄は足を止めた。
乗り換えには少し遠い場所。だけと、乗り換え先の階段では結局混雑して待たされるから、いつもここって決めてる。
「琥珀」
「なに…」
「拗ねるな」
「拗ねてなんか…」
「…手」
「え、」
さっき驚いた勢いで思わず丈兄のスーツを握りしめていたようで、少しシワが残ってしまった。
ごめんなさいと、口の中で呟く。
私がもっと大人だったら、もっと素直に謝ることができるのかな。
もっと大人だったらなら、丈兄がこの仕事に就くことも、クインケと呼ばれるそれにも、こんなにもやもやしないで済むのかな。
「俺のことばかりだな」
嘆息混じりの丈兄の声が降ってくる。
「お前の方は。新しい学年はどうなんだ」
「…クラス替えも無かったから。教室が変わっただけだよ」
「慣れたクラスメートなら気も楽だろう」
「新鮮味が無いとも言うけど」
「…そろそろ機嫌を直せ」
「昨日から不安定な日なの」
一瞬、意味がわからないという間があって、それから呆れと困惑を混ぜた沈黙。
ちらりと表情を窺うと、今度こそ溜息を吐かれる。
「…そういうことは……あまり言わない方がいいんじゃないのか…」
「近くに丈兄しかいないもん…」
また沈黙。どう考えても子供な私が悪い。
生理なのは本当。
そのせいで慣れない気配に更に落ち着かないのも。
丈兄の傍に居たいなら…慣れないと。
むずむずするっていうだけで、害になるものじゃないだろうから。…私が喰種だとばれない限りは。
「……ごめんなさい」
丈兄の持つそのクインケがどんな形なのか、私はたぶん知っている。
「イライラしちゃって…あと、スーツの…シワも……」
「………」
新人っぽい喰種捜査官がよく持っているクインケ。
「…気にするな」
さっき私の背中に添えられた丈兄の手も、必ずこれから喰種を殺す。
私が喰種だと知られてしまったら、丈兄の手で、私も──?…そうなることも有り得るのかな。
殺すとか、殺されるとか。
正直なところ、あまり現実味が無い。
テレビのニュースで外国の戦争の映像を見るような、そんな遠い気持ち。
たまに夜、赫子を使う練習で外に出て、怪我を負った捜査官とか喰種なら見てきたけれど…。
捜査官と対峙する喰種を見て、自分に家族がいて家があることが、とても幸せなことだって知った。
新鮮味が無いなんて言ったけど、学校に通わせてもらっていることも、危険だけれど、ありがたいこと。
この生活を続けるために、私が喰種だということは絶対に隠し通さなくちゃいけない。
私たちがいるホームの端っこにも、やって来る人が増えてきた。
ざわざわと、次第に人数を増やす電車待ちの人の列。
ホームのアナウンスに加えて、話し声や足音が混ざり合う。学生同士のお喋りなんかも。
「…琥珀」
「なに?」
「向こうの列の学生は…知り合いか…?」
突然丈兄に言われて、その視線の先に私も目を向ける。
同じホームの、離れた列にいる数人の男子高生がこちらを見て話をしている。
新学年になって見かけるようになった制服姿だった。たぶん私より一つ上の高一。
目が合ったけど、すぐに逸らされてしまって、何かの話で盛り上がってることくらいしか分からない。
「ううん、知らない。でもたまに同じ電車に乗ってると思う」
「…そうか」
「どうかしたの?」
「いや……何でもない」
見た感じは…普通に人間だから安心していいと思うけど。…何だろう、またこっち見てる。
「琥珀」
「なぁに?」
「…明日の朝も、迎えに行く」
なんて単純な私。
この一言でもやもやしていた全てが、軽くなって薄まって、煙みたいに消失する。
「…明日の朝も?…ほんと?」
「…絶対にとは言えないが……無理そうなら連絡する」
返事をしながら、私は髪を直すふりをして俯いた。自然と緩んでしまう頬を手で隠して。
うれしかった。
この言葉だけで、心がじんわりとあったかくなる。
丈兄は、絶対じゃないって言ったけど。
来られないならそれでも構わない。
明日の約束をしてくれる。
それだけで私の心が充ちていく。
間もなく独特の口調のアナウンスが響き、ホームに電車が入ってきた。
私は電車に乗ってすぐのドア横に収まり、丈兄も中側に立つ。後から乗り込む人が多くて、少し押されてしまう。
丈兄にくっついた際、スーツケースが足に当たり、ざわりとした寒気がさざ波のように皮膚を滑った。
身体が強張る。
「(…大丈夫…すぐに──すぐに私はこれに慣れる…、大丈夫……)」
鳥肌はすぐには治まらなかったけど、静かに呼吸を繰り返しながら、私は、自分と丈兄の靴の爪先をずっと見ていた。
幾つかの駅の停車と通過の後、乗り換え駅のホームのアナウンスが終わったとき、丈兄は「琥珀」と少しだけ言いにくそうにして、私の耳許に顔を寄せた。
「…体調、つらかったら休め」
電車のブレーキが利きはじめて、一定方向への重力の付加に流されそうになる。
平気だから。痛くないから。違うの丈兄。ごめんなさい。
私が丈兄に伝えたいのは、私のことじゃなくて──
ここから先は、私と丈兄は別方向。
だから急いで、私も丈兄の真似をする。
ドアが開く前に、背伸びをして、丈兄の耳許に唇を寄せる。
「行ってらっしゃい、丈兄。お仕事頑張って──」
ドアが開いて、私は押されるようにホームへ降りた。
振り返る余裕もなく、運ばれる荷物のように次の電車の待つホームへ流れる。
言いたいことは他にもあった。
気の利いたことが言えればと、小さな後悔も。
私が丈兄のように大人だったら、もっと──…
今になって、別れ際の丈兄の声と言葉が耳の奥で再生される。
私は今になって、ホームの列の一番後ろで、ひとり顔を赤くした。


その頃丈も、自身の目的地である別のホームに、琥珀と同じように辿り着いていた。
耳許に響いた琥珀の吐息混じりの声に、
そして、ほんの僅かばかり触れたやわらかな唇に、
丈も少しだけ赤い顔になっていたことを、しかし琥珀は知らない。


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