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心配してるのご存じ?

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丈兄、と小声で呼んでみる。
返事はない。
今度は眠る肩に手を添えてもう一度、丈兄、と。
やはり返事はない。…休日なので早く起きる必要はないのだけれど。
少し前に目を覚ました琥珀は、朝の支度ももうすませてしまい、テーブルには新聞と朝食の食器が、ベランダには干された洗濯物が揺れていた。
開け放たれた窓の外からは、草野球のチームか何かだろうか、練習の声が聞こえるくらいの時間。
テレビもつけてみたけれど興味を引かれる番組もなく、すぐに消した。
そうして琥珀は寝室に戻り、丈の眠るベッドの横にふわりと座った。
「(さっきと寝相が違う…)」
琥珀が起きて、隣から抜け出したときには横向きだった丈の寝相。今は枕に半分顔を埋めて、俯せになっている。
「暑くない、のかな…?」
話しかけるわけではなく、小声でつぶやく。
時間も時間なので、寝室のカーテンは開けてしまった。
窓も開けたので、時折入る風がカーテンを揺らすが、陽射しも当たって室温もだんだんと上がってきた。
「…昨日は何時にお帰りになられたのですか?丈先輩?」
ベッドの端っこに両の手の指先を乗せて、やはり小声で訊ねる。
「他の班の方もご一緒の飲み会とお聞きしましたが、丈先輩は?お酒はどのくらい飲まれたのでしょう?」
昨日の深夜、丈が帰ってきたときに琥珀は先に眠っていた。
ベッドに丈が入ってきて、お帰りなさいと言った記憶はある。けれど他に覚えているのは風呂上がりの石鹸の匂いくらいで。
「他の班の方と、楽しいお話はできましたか?」
起きたときに抱き枕にされていたことを思い出して、琥珀は緩む頬を押さえた。
けれど、気になることもある。
「丈先輩が飲んでいたその場には……キレイな女性捜査官も同席されていたのでしょうか…?」
自分のいない場所で、丈はどんな様子だったのだろうと、つい考えてしまう。
琥珀は飲み会には参加しない。
飲み会のほとんどの部分が、喰種の琥珀にはそもそも楽しめるものではないし(ほかの捜査官と話をするのは別として)、琥珀が局で働いて月日も経ったが、琥珀を嫌がる者ももちろんいる。
同僚個人とであったり、よほど親しい者達とであれば別だが、局外での集まりに琥珀が参加することはほとんどなかった。
かといって、気になっていないわけではない。
たとえば、事務の誰ちゃんが可愛いとか。
受付の何々ちゃんが彼氏と別れてフリーだとか。
誰々さんの班に美人が配属されたとか。
「丈先輩は…美人捜査官さんともお話をされたのでしょうか…」
「……それは、真戸捜査官のご息女のことを指しているのか…」
自分の想像で勝手に落ち込んでいた琥珀に、枕と半分この丈が声をかける。
「あ、丈兄起きた」
「あれだけ独り言をしていればな」
「わ…」
どの辺りから聞かれていたんだろうと思い、琥珀は少し恥ずかしくなる。
最初は面白がってしゃべっていたが、だんだんと本心が漏れていた自覚がある。
あくびを噛み殺しつつベッドに起き上がった丈は、布団を捲って琥珀のすぐ横に足を下ろした。
「真戸二等とは少し話したが…。お前のことも聞かれたな」
「そうなの?」
「今日は来ないのかと聞かれたから、うちで寝ていると答えた」
「え、なにその答え」
「違ったか」
「…。寝てました」
その時間には。たぶんもう。ここで。
「真戸二等は驚いていたが、琥珀らしいなと言っていたぞ」
「そ、そうですか…」
「ああ──それからお幸せにと」
「ゃぁぁぁ〜っ…!」
アキラちゃん──!
琥珀が休みの日には丈の部屋に泊まっていることは周知の事実…ではあるのだが。
他人から口にされることに、琥珀は未だに慣れていない。
「あながち間違ってもいないだろう」
「へっ…え!?──あ、……はい…」
しかし、丈にはアキラの言葉すらも当然のことのように流されて、琥珀は頬を染めながら、こくり、こくりと頷いた。
二人は同じ職場で働いているのに。
二人が帰る場所もこの部屋なのに。
二人の帰る時が同じとは限らない。
寂しいことだが、そのお陰でいつも新鮮な感情でいられるのだろうか、と、琥珀の胸にふと過る。
けれど、そろそろ慣れても良いだろうか。
いや、ちゃんと慣れたいと思っている。
慣れることができたなら、丈の隣は自分の場所なのだと胸を張っていえるかも…しれないから。
「(丈兄はもう──慣れてるのかな。私が…。私でも、アキラちゃんの言うみたいな、関係って思われることに…)」
嬉しいような、締めつけられるような、困惑と充足感。
また少し体温が上がったような気がして、琥珀は丈にばれないように俯いた。
琥珀の試みは成功した。
丈は気づかずに、琥珀の頭に手を置いて立ち上がる。
日頃の疲れとアルコールが効いてだいぶ寝てしまったようだった。
昼にはまだ早いが、朝というには図々しい時間。
遠慮がちに開いていた窓を全開にすると、広々と晴れた空と、丁寧にシワを伸ばされてベランダに干された洗濯物が目に入った。
口許が緩み、丈はクローゼットへと部屋を横断する途中で琥珀の頭を撫でた。
「ん、どうしたの?」
「…何でもない」
丈を見上げる琥珀の頬はなぜか少し赤く、けれど視線が合うと表情をほころばせる。
きっと琥珀にとっては、それこそ何でもないことなのだろう。
その、あたたかく、何気ないひとつひとつが、琥珀を琥珀として形づくっている。
丈以外にも気づいている者は多いだろう。
琥珀の傍がどれほど心地好いか。
現に昨日だって、何人かの同僚らに訊ねられた。今日は琥珀は?顔を出さないのか?と。
彼らには、次は琥珀にも聞いておこうと返答しておいた。
飲み食いはできずとも、飲み会自体に参加するもしないも、その選択は琥珀の自由なのだから。…正直、気は進まないが。
年上の恋人として、男として、想う人の前では見栄を張っていたいものだ。
嫉妬も欲も、必要以上になくていい。
そう答えを出して、後でその話題も琥珀に振らなければなとクローゼットを開く。
それより、ひとつ思いだして、Tシャツを脱ぎながら琥珀にたずねる。
「…ところで琥珀」
「なぁに?」
「さっきの"丈先輩"というのはなんだ」
「あ。あれはね、」
枕の形をととのえていた琥珀が、立ち上がって薄手の布団をひきよせた。
「"飲み会に参加しなかった後輩が、丈先輩に話しかける感じ"っていうのを…イメージしてみたんだけど」
普段使わない呼び方は照れるね、と、琥珀が赤い頬のまま、はにかむ。
「こんな後輩はどうでしょう、丈先輩?」
「………………、それは、可愛い後輩だと思うぞ…」
「ほんとっ?…うれしいなぁ」
丈は、上機嫌でシーツのシワを伸ばしはじめた可愛い後輩をそのまま押し倒して二次会へともつれ込みたい衝動にかられたが… … …
頑張ってこらえた。


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