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オークション戦(前)

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吹き抜けの階下から仲間の声が響いてくる。
優勢か、それとも不利なのか、音を拾う。
指示の檄、赫子とクインケの衝突音、流れ弾で建造物の何処かが、何かが常に破損し続けている。
そこに混ざって武臣の名を呼ぶ倉元の切羽詰まった声が響く。
悲鳴ないし呻き声は…恐らく無い。──戦闘継続か、あるいは死亡か。
丈は、階下に気を取られた目の前の喰種の脇腹をクインケで突く。
ズブッ──…と肉に埋まる手応え。
どちらにせよ丈の立つ梁の位置からでは角度が悪く、誰の姿も確認できない。
「あー…。ガンボ、殺られちゃった」
遊んでもいいけど油断はするなっていったのに。
脇腹にクインケを突き立てられているというのに、小指で耳を掻きながら派手なスーツの喰種が丈を見た。
「まあ。言ってもちゃんと意味、理解するヤツでもなかったし」
ね?と同意を求めるように肩を竦めてみせる。
丈はクインケを抜いて距離をとると、睨み付けた。
ピエロマスク喰種集団・ノーフェイス。
出現の際、気ままに変わるそのマスク。今のものは丸い面に丸く穿たれた幾つかの穴と、面の中心から突き出て尖った鼻──あるいは嘴にも見える突起。
ピエロというよりも鳥を連想させた。
鳥、鴉、ペストマスク。
「(何でも良い──)」
マスクが違おうが同じだろうが、気分が悪いことに変わりはない。
「(…それよりも…邪魔だな…)」
左腕に捩じ込まれたままのナイフを取り払いたかった。
傷に関する痛みを差し引いても。腕を動かす際に生じる刃の摩擦の、これ以上の痛みは軽減させたい。
「(ナイフ四本刺しっぱなし…より…、抜けば失血するが戦いやすい…)」
上腕部から前腕までに合計四本。刺さりっぱなしのナイフは鈴屋のクインケだ。抜群の切れ味は、圧が掛かるだけでも肉を裂く。
となればきっと抜くことも容易いだろうなと考える。
丈がナイフを引き抜くタイミングを図っているとノーフェイスが、ねえ平子さん、と再度話し掛けてきた。
「そのナイフ、返しておいてなんだけど。抜いても良いよ?邪魔でしょ」
からかうような馴れ馴れしさは過去に戦った時からずっとだ。
気に障る軽い口調。だがこの程度なら受け流せる。
初めて対峙したのはいつだったか。
確か、有馬の元にいたころだ。その後の大規模な作戦でも顔を合わせている。
その時の作戦は一応の成功を納めた。
だがこのノーフェイスは捕らえられなかった。
その後も何度も、姿を現しては捕食と殺戮を繰り返し、捜査の手から易々と逃げおおせている。
幕間に姿を現し観客の目を引く、忌々しくも、道化師の名に相応しい──。
回避されたクインケを振り抜き、じわりと流れ伝う血で左手が滑った。
ほらやっぱりと、道化が嗤う。
「平子さんとは付き合いも長いし。待っててあげるからさ」
だがそれよりも、やはり痛みが響いていた。
無視しきれない高温。
まるで焼いた鉄棒を内に仕込んでいるようだ。
左腕の根本から先まで、全てが酷く熱い。
「あ。それともさっき押し込んだから、抜きにくくなっちゃったかのなあ?ゴメンネ平子さん?気付かなくて。だから僕が──」
抜いてあげるね。
這うような殺気が丈に向けられる。
しかしその時、それを上回る怒気が二人の間に割って入った。

正確にはその斬撃は、回避するノーフェイスの肩を叩き割るように、肩から腹までを斬り裂いた。
ノーフェイスは衝撃の正体である折れたクインケを体に刺したまま、後方へ跳ぶ。
その位置に取って代わるように現れたのは小柄な影だった。
平子上等、ご無事ですか。と。
感情を抑えた声を発する。
「………ああ」
皆と大差無い装備だというのに、それが別物のように見える華奢な体躯。
「そっちは終わったんだな」
「…はい。移送車は無事に目的の場所へ。作戦を終了し、今現在は[オークション襲撃]支援に切り替わりました」
その背から発せられるのは純粋な怒り。
「…私は先にここへ。S3班も間もなく到着します」
丈を庇いながら、半ばからへし折れたクインケを放る。
「…自分ので狙えば良かった…汎用は脆すぎ…」
「熱くなるな。元々高レートの喰種相手に想定して造られていない」
絶好の機会を逃したこと。
そして到着する前の出来事とはいえ、丈が傷を負っていることに、悔しさと辛さを滲ませる。
「加勢というだけで十分だ。…助かる」
振り向くことはできなかったが、丈の言葉に唇を噛む。
駆けつけてすぐ、丈の腕に刺さるナイフを見た。
止まらない血が袖を真っ赤に染め、濡れていた。
そんな二人と、修復の済んだ己の肩とをノーフェイスは見比べる。
「ふぅん。やっぱり琥珀ちゃんって見かけによらないなぁ」
弾かれたように丈と琥珀の間に緊張が走る。
「でも、お仕事モードの今の雰囲気も嫌いじゃないよ」
名を呼ばれた琥珀自身も困惑する。
「…琥珀、知った個体か?」
「…いいえ…?ピエロでも……その喰種と戦った記憶は…多分ありません」
琥珀の言葉にノーフェイスが笑う気配がした。
「うん。戦ったことはないね。…分からないなら、その方がきっと良いよ」
琥珀はいつでも赫子を解放できるように上着を脱ぎ捨てる。
丈もナイフを抜き去るとクインケを握り直した。
「オークションの司会しててさ、僕好みの品は無いかなって思ってたけど」
コツ──、コツ──、と、ノーフェイスが二人に向かって歩を進める。
「目玉商品っていうのは──」
纏う空気が濃く変化する。
重く底の見えない深い闇。
「最後の最後に出品されるものだよね」
這い寄る、まるで蛇のように静かで冷たい気配。
「…っ」
「………」
じわりと膨れ上がる空気を破ったのは階下からの怒声だった。
続いて硬い物とガラスが激しく砕ける破壊音が、足場である梁を揺らす。
複数班が合同で当たっているとはいえ、"ピエロ"は個々の能力が高い。苦戦しているようだ。
「……琥珀、下の援護に行け」
「…た、っ!…っ上等、でも──…!」
「…ここはいい。行け」
丈の腕とて軽傷ではない。万全の状態ですら厳しい戦いなのに、この傷でノーフェイスを抑えるなど──…。
けれど言い渡された指示が下の班員の援護なら、下を有利な状態まで持ち込まなければ──それまでは、ここへは戻れない。
琥珀はせめてもの抵抗を込めて言葉を待つが、丈の決定は覆らない。
何かを、言葉を、紡ごうとして唇を開き、迷い、飲み込んだ。
拳を強く、握り締める。
「──…、どうか、気をつけて…」
一度ノーフェイスの仮面の穴を見据え、梁の下へと身を踊らせる。
琥珀は戦いから少し離れた場所に降り立った。
派手な音が続く階下のフロアでは捜査員の白いコートと、カラフルな衣装に身を包んだピエロマスクの喰種らが入り乱れての戦いが行われていた。
中でも動きが異様なのは、シャツを肌蹴させた動物面の喰種だ。
赫子を伸縮させて、向かってくる捜査員の相手をしたかと思えばすぐに逃走。逃げ様に別の喰種と戦う捜査員を気ままに襲撃したりもする。
遊んでいる──。
琥珀はフロアを素早く見渡し、動物面を追う倉元を見つけて傍へ寄った。
「うっそマジ、女神サマが見える」
「夢じゃないですよ。つねってみます?」
「ほっぺたを優しくお願いします」
倉元の軽口に少しだけ表情を緩める。
動物面は、壁の高所にある段差に腰掛けて、次はどうしようかな、と品定めをしている。
同じくやって来た下口は琥珀を見つけると、不機嫌に顔を歪めて舌打ちをした。
「同じ喰種のよしみで手心なんか加えるなよ」
「ちょっと下口上等、そーゆーこと言わない──」
倉元が止めに入るが、琥珀は下口に目を向けると、すぐに視線を戻して赫子を解放した。
「…上で戦う平子上等の…、見た限りでは失血が酷いです」
自然と低くなった琥珀の声に、倉元が表情を曇らせ、下口が黙る。
「手心なんて知らない言葉ですね」


「ふぅん。良い口実になったね」
ロマももうちょっと空気読んでくれたらなぁ。
琥珀の背中を追いかけていた視線が丈へと戻る。
「平子さんって琥珀ちゃんと仲良いんだ。いいな。僕も仲良くなりたいな」
迫る連撃を余裕の紙一重で躱しながら、ノーフェイスはどうしたら良いかな?と丈に訊ねる。
丈はクインケで斬りつけながら左腕の動作を確認しいた。ナイフを取り払ったお陰か、大分動かしやすい。
それでもしばらくは右手をメインに使うことにする。
「琥珀ちゃんが"白鳩"やってるのって、人間のためなんでしょ?」
放たれる手刀が丈の首を狙う。
「どうしてそんなことまで知ってるか、聞きたい?」
後退すれば即座に間を詰められる。
「左腕の傷が響いてるね。使ってないでしょ。添えてるだけで」
答えない丈に、まあいっか、と一人で完結させて再びノーフェイスの攻撃。しなやかに、そして速さのある上段蹴りを繰り出す。
「彼女が言う大切な人って誰だろう。平子さんは知ってる?」
丈は体勢を屈めて避ける。踏み込み、至近距離から横薙ぎを放つ。続けての刺突。
「普通の人かな?それとも──」
ノーフェイスは刃の軌道を、眺めて見送るような優雅さで避ける。
「"白鳩"かな」
振り下ろしたクインケをいよいよ掴まれた。
「──太刀筋、また粗くなったね」
仮面の奥の赫眼がこちらを見ている。
致命傷を瞬時に修復できる喰種の弱点など、想像もつかない。故に普通に考えた。最もダメージの大きそうな部位を。
丈は左の袖裏に隠した鈴屋のナイフを逆手に納め、ノーフェイスのこめかみに突き立てた。
「う、わ──」
よろめく身体の脳天を狙って真っ直ぐにクインケを振り下ろす。
速さも体重も十分に乗せた一撃だった。
しかしノーフェイスが寸前で体を捻り後退し、斬撃は脳天ではなく肩口から胸部を削ぐにとどまった。
そして──、
「…おや?」
ノーフェイスがバックステップを踏んだと思った先の梁には、続きが無かった。
大きく開いた傷口から噴き出す血と、自己治癒を行う赫子を覗かせながら落下していく。
「………」
仕留めるにはまだ足りなかった。
丈は、力の抜けた左手の先からポタポタと滴る血を見下ろす。
一撃に籠めた結果、出血が更に増したようだった。
しかしまだ自分は動ける。
意識がある。
丈はふらつきながら階段へと向かった。


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