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甘露

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朝ごはんのメニュー。
一人は、白米、わかめとお豆腐のお味噌汁、だし巻き玉子、小松菜の煮浸し、昨晩の残りの筑前煮を少々、それと牛乳。
もう一人はホットコーヒー。砂糖はなし。ミルクもなし。
朝食に使われた食器をすべて洗って拭くと、一つ一つを棚に仕舞っていく。
擦りガラスの嵌め込まれた戸をガラガラと鳴らしてぴたりと閉める。
収まるものに和食器が多いのは、丈の祖母の好みだろう。
「ん。完璧」
台所を見回して仕舞い忘れがないかを確認した琥珀は、それから畳の間に顔を覗かせた。
半分ほど開いている襖に手を掛けてそのまま室内を、じ…、と見る。
正しくは、胡座をかいて卓袱台に広げた新聞を読む丈の猫背を。
「………」
「………」
パサリとページが捲られる。
見開き二面の宣伝広告だったようで、丈はさらにまた、パサリ、と捲った。
「………」
「………」
「……………。琥珀、入らないのか」
「わっ…、気づいてたの?」
琥珀は襖の間から身を滑り込ませて、丈の横に座った。
「…もうすぐ読み終わる」
「ん?…ううん、あとで読むからゆっくりでいいよ」
「……そうか」
「うん」
丈が再び新聞に視線を戻す。
この家の主である丈の祖父母は旅行中だ。自身の休みと日が重なったため、丈はマンションではなくこの実家に戻ってきていた。
琥珀を連れて。
琥珀にとって完全な"休み"とは、つまり外出許可となるのだが、頻度はそう多くない。
周囲の者たちがさり気無くを装って、丈の休みを合わせてくれた結果が、今日のような日だったりする。
筒抜けにも程がある職場事情で、嬉しいよりも恥ずかしさに勝る状態だ。
けれどその好意に甘えさせてもらっている。
琥珀はずりずりと丈の背後に移動すると、新聞を読み耽る猫背にぴたりと寄りかかった。
朝の涼しい室温にちょうど良い心地の熱を感じて瞳を閉じる。
「…どうした」
「こうすると、邪魔?」
「いや」
「…甘えてるの。久しぶりの丈兄だから、充電」
平子家の匂いも、畳の匂いも、丈の体温も、近所から聞こえてくる生活の音も。
何でもない時間がたまらなく幸福で、緊張を強いられる戦いから離れた安心感も重なって、琥珀はそのまま眠りの世界に落ちそうになる。
…先ほどまで眠っていたというのに。
「琥珀、寝るな」
「…見てないのに。どうして分かるの…」
「お前は放っておくと一日中寝るからな」
呆れられた琥珀は、そんなこと、と口ごもる。
けれども言い返せなくて、悔しい頭を丈の背中にぐいと押し付けた。
丈は新聞を諦めて振り返る。
「眠気を覚ましてほしいか?」
「どうやって?」
気だるげな眠気を纏う琥珀の瞳が期待に晴れる。
しかし、「動けば目が覚める」と言いながら畳に寝転ばせてくる丈に、焦る。
「夜…、さっきもしたけど」
「そうだな。声が嗄れている」
「…!」
嗄れてない…!と琥珀は抵抗するも、丈はちっとも気にせずに、首筋に口づけを落として琥珀を押さえる。
食むように唇でなぞってみたり、吸いついて、ちぅ、と音を立ててみたり。
琥珀はくすぐったいと身動ぎをしていたが、暫くすると、もー、と息をついて畳に頭を置いた。
「…襖が」
「ん…?」
寝転んだ体勢で、そちらを見上げるように首を反らせる琥珀。
「半分、空いてる」
畳に髪が広がり白いうなじが露になる。
「外からは見えない」
手が届かない無念を表すように薄桃色の爪が、かり、と畳をかく。
「琥珀、」
「なぁに?」
「…こっちを見ろ」
掛けられた声が思うよりも低く、琥珀の瞳が軽く見開いた。どうしたの?と微笑む。
その唇に口づけをして舌で開かせると、丈は喰らいつくように深く吸う。
「ん、…んぅっ…」
「……他所ばかり見るな」
声色はどこか怒っているようにも聞こえた。
琥珀の顔の左右に腕を置き、顔を手で包む。
「…丈兄、拗ねちゃった?」
珍しく優位に立てたことが嬉しいのか、琥珀はまるで宥めるような口調だ。
丈がしているように琥珀も丈の頬に手を当てると、優しく手を引いて口づけを誘う。
「……お前は、」
「ん」
「…局でも多くの同僚と話す」
「うん」
「…倉元や、郡や……有馬さんと」
「うん」
「…仕事でも人間関係は大切だと思う…」
「…うん。私の…仕事を見て、ちゃんと評価をしてくれるの」
「そうだとしても──…、妬ける」
熱を孕んだ丈の視線が真っ直ぐに琥珀を見詰める。
琥珀は少し驚いて、それから隠しきれない嬉しさを滲ませた困り顔をする。
私、嫉妬されちゃったんだ、と。
丈からすると、琥珀は少し無防備なのではないのかと心配になるのだ。
琥珀は、自身が喰種であることを第一に考えて、まず他人ありきの行動をとる。自分の考えも希望も後回しにして、まず周りを優先させる。
任務中でもデスクでも、その様子は変わらない。
悪く言うと自主性が薄い。
良く言えば控えめなその態度は、男社会の濃い現場にあって特に目立つ。
…要するに庇護欲をそそられる。
もちろん琥珀は喰種なのだから、戦いで自分達が守る出番など無いほどに強い。
しかしそこをひけらかさず、どんな命令にも忠実に従ってきた。
下された指示が成功しても、失敗しても、相手を立てる一歩引いたその態度に気分を良くする男は少なくない。
こう分析してみると…
「(…男は単純だな…)」
そうして、琥珀が喰種であるという壁を越えた者たちが親しげに話しかけてくる。
もちろん琥珀が局で辛い思いをすることが減ったのは良いことだ。
しかしそれを大きく踏み越えてくる者が増えたのは、丈にとって捨て置けない問題だ。
「…お前が他の男と話をしている姿を見かけると、その場から拐いたくなる…」
琥珀は優しく丈の頬に手を当てたまま、丈の言葉に喜びと照れの綯交ぜとなった視線を泳がせた。
しかし丈と視線が合うと、今度こそ頬を染める。
「…丈兄がそんな風に思っててくれたなんて……知らなかった」
丈自身も、琥珀を前にしてこんなに嫉妬深い自分を見せることになるなんて思いもよらなかった。
「…嫉妬深い男は嫌いか…?」
だが言ってしまったのだから仕方がない。
丈の感情の表れは相変わらず薄い。
薄いながらも、不安が見え隠れする。
答えを期待しながら躊躇する自信のない丈の表情は、幼ささえ感じさせた。
琥珀は、自身を押し倒しているという丈の行動を理解しながらも、胸がときめいた。
こんなに可愛いことを言うなんて、と。
自分より6つも年上の、部下からも上司からも信頼される、そして琥珀が辛い時には必ず傍にいてくれる。
その丈が。今は琥珀の返答が無いことに不安を膨らませて、目を伏せている。
琥珀は言葉で答える代わりに、丈の背中に腕を回して、ぎゅ、と抱き寄せた。
思いっきり抱き締めては琥珀は丈を傷付けてしまう。だからそっと、互いの身体がぴたりと合わさるように。
優しく、けれども愛しい気持ちがちゃんと伝わるように。
この年上の幼馴染みの恋人を、思いきり、甘えて、甘やかしてあげたいと思った。
嫌いじゃないよ、と耳許で囁く。
二人で畳に寝転がるような体勢に落ち着いて、琥珀は気持ちの一つひとつを丈に伝えられるように、ゆっくり呼吸をして、唇を舌で湿らせる。
「…私だって嫉妬深くて……丈兄よりずっと欲張りだもん」
嫉妬してほしい。束縛だって丈にされるのなら喜びなのだから。他の人間を見るなと丈が言うのなら、その通りにする。だって、
「私が見てるのは丈兄だけだもの。私を見てほしいと思うのも。…私だって、局で丈兄を見つけた時は傍に行きたくて、ずっとうずうずしてるんだから」
知らないでしょ、と琥珀はいたずらっ子が秘密を教えるように笑う。
「他の人に言ったら怒られちゃうから内緒にしてね?」
声を潜めて、きらきらと瞳を煌めかせる琥珀。
丈もまた口許を緩めた。
「…告げ口が心配なら塞いでみたらどうだ。塞がれたなら、話せない」
心からの幸福を表情に表した琥珀が、丈の頬に手を添えて口づける。
甘えるように。愛おしむように。焦がれるように。
「心配。…だから、話さないって約束してくれるまで、私も丈兄のこと離してあげない」
宣言する琥珀の腰を、丈の手が引き寄せた。
言われずとも、丈の方とて簡単に音を上げてやるつもりなど更々なかった。


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