×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



白砂の心臓

.
「チッ、こんな距離で"聴こえる"だァ?飼い主に呼ばれた犬だって帰って来やしねェよ」
PM10:05.
護送車内のテーブルに広げられた見取り図。
喰種が待ち構える箇所に印を付けた琥珀は、唇に指を当てながら数をチェックし、丸手にペンを返した。
「信用するもしないも、判断はお任せします」
赫眼と焦げ茶の双眸が見取り図からモニターへ移る。
かつて営業が行われていたのは何年前だろうか。
22区郊外、国道沿いにあるそんな風体の、朽ちたボーリング場の入り口が映し出されている。
コンクリートの剥げて、所々に雑草の生える、だだっ広い駐車場。そこに数台の護送車が停まり、その内の一台がこの車だ。
他は裏手と、少し離れている左右の敷地の建物の陰に離れて停まっている。
中の喰種には気付かれているだろう。
重要なのは一体も逃さず殲滅すること。
「信用しねェとは言ってねェ。それでテメェは"ニイヨン"もやってきたんだろうが」
丸手はケッと悪態を付いた。
モニターを見上げる琥珀は、じっと一ヶ所を見ている。裏手に控える車両だ。
「(…平子の乗ってる車か)」
感覚器官が優れていようと、さすがに透視は出来るまい。
しかし琥珀の憂いを帯びた瞳があまりにも真っ直ぐで、真剣そのもので、丸手は心の中で舌打ちをした。
脳裏に、蘇る光景がある。
"人間"として会った琥珀の姿だ。


「唐揚げなんざどこ行ったってあんだろ。いーから黙ってコイツを食え」
「鮎ねぇ。旨いけど若い子には渋いだろ」
「旬モノを食えっつーハナシだよ」
どこ行ってもポテトと唐揚げばっか頼みやがって。
恨みにも似た偏見を丸手が繰り出せば、琥珀は困ったように笑い、遠慮がちに同意した。
「そうですね。唐揚げもポテトもみんなで食べやすいですから、つい頼んじゃってます」
「周りと合わせてばっかだとなァ、酒が美味く飲めなくなっちまうんだぞ。そりゃダメだ」
「だから、丸、琥珀ちゃんたちが行くの、そもそも呑み屋じゃないから」
琥珀に鮎の天ぷらの乗った皿を渡す丸手に、篠原が「そこんとこギャップあんの」とブレーキをかける。
本当なら塾帰りであった琥珀は、丈と二人で、飲み屋ではない場所で食事をしていたはずだった。
しかし駅で琥珀と待ち合わせをしていた丈が、会議帰りの丸手と篠原と有馬の三人に見つかり、この流れとなった。
最初は飲み屋以外の店を探したのだが、週末という混雑に加えて5人という人数もあり、慣れた店へ急遽予約を入れた。
個室の座敷席の、琥珀の隣では丈が有馬に追加注文を確認し終えて、店員を呼んでいる。
おしぼりで手を拭いた有馬が枝豆に手を伸ばす。
「俺もポテトは好きだけど。皮付きのやつとか」
「あ、有馬さんもですか。私も皮付き派です。もふもふした食感が好きで」
「あァ!?ったくお前らそうやって芋ばっか食いやがって」
「ばっかでもないでしょうが…。ちなみにヒラは何派?」
「俺はマック派です」
「あー細いヤツね。ウチの子供もそれだよ」
俺もそれだなーと、篠原がビールを飲む。
「イヤだねェ、ファストフード被れ共が」
「じゃあ丸は?芋なら何派なのよ?」
「大学芋だよ」
「反則でしょ」
「ふふ。丸手さんって甘党なんですね」
鮎の天ぷらにすだちを絞りながら、琥珀が楽しげに笑った。
他所に汁が飛ばないようにと、反対の手で覆う仕種が、歳のわりに落ち着いてるなと思ったのを覚えている。
丸手が眺めていると、気づいて視線を上げた。
琥珀は少しだけ緊張の解けた様子で、いただきます、と。


あの鮎の天ぷらは、きっとあのあと吐き出されたのだろう。


「(…クソつまんねェこと思い出しちまったな)」
煙草のひとつでも吸いたい気分だったが、生憎、精密機器の詰まった車内は常時禁煙だ。
琥珀は相変わらずモニターを見詰めたままで、丸手は鼻を鳴らす。
「人喰い虎が。猫の皮被りやがって」
長い睫を瞬かせて、琥珀が振り向いた。
丸手と琥珀が顔を合わせるのは一年以上ぶりだった。
ただ、一度しか面識も無く、あの飲み屋が唯一共通の記憶であるため、話はすぐに繋がる。
「…とってもドキドキしてました。ベテランの喰種捜査官が3人も一緒だったので。今考えたら、しかも皆さん、特等捜査官じゃないですか。命の計算が合いません」
「ハッ!ドキドキしててあの会話かよ。鼻の利く有馬を騙せてた時点でアカデミー賞もんだろうが」
丸手は皮肉を込めて嗤う。
「人を騙す気分てのはどんなだ。マヌケな捜査官共が、帰り際に気を付けて帰れよなんて声かけて、可笑しくて仕方なかったろ」
「………」
やや眉をひそめて口を閉ざす琥珀を見下ろす。
多少なりとも傷付いた表情を浮かべやがれ、と、丸手は大人気なくも、自分よりひと回り以上も歳の若い少女に期待した。
多くの人間が詐欺に対して、自分なら絶対に騙されないと、根拠の無い確信を持っているような感覚。
あれと同じで、丸手は一年ちょっと前に、自分が喰種に──琥珀に欺かれたことで少なからずのショックを受けた。
"ナイトメア"、と。
そう呼ばれる喰種を有馬が捕獲したと報告を受けて、まず好奇心が首をもたげた。
局が数年掛かりで追っていた喰種だった。
しかし蓋を開けてみれば、捜査官である平子の関係者で、捕まえた有馬、そして篠原と自分も面識があるときたもので。
「…正直なところ、気まずかったです」
「ハァ?」
何でテメェがソレを言うんだよ、と思いながら、つい声が出た。
「有馬さんはあんな感じなので……何とも…言いにくいんですが。篠原さんは色々と気を使ってくださって…。あのお食事の席では、私は騙すしか選択は無かったんですけど…今こうして顔を合わせることになって…申し訳なくて…」
傷付いた、という丸手が期待した表情ではなかったが、琥珀は顔を曇らせる。
「だから丸手さんのように、嫌味全開できていただけると、なんか、こう……安心します?」
「俺に聞くなッ!」
怒鳴られているはずなのに、どこかフワっフワした様子で、琥珀はうーんと首を傾げる。
嫌味って何だコラ。
丸手は機材をチェックしている捜査官を押し退けて、通信機のスイッチを入れた。
「…オイ平子、聞こえるか」
ザリザリと耳障りなノイズが流れ、それから回線が繋がる。
[────、…はい、何でしょうか]
「お前の妹、相当イイ根性してやがるな。何とかしろ」
[──………。はぁ、(…何とか?)]
丸手からの突然の通信、しかも事情を伝えないでの苦情に戸惑うのが当然だろう。
[──特等方には大分鍛えられたようですが、元々琥珀は…呑気な気質があるので]
直るものでもないかと。と。
丸手と琥珀という組み合わせから、多分こんなんだろうな、という答えを寄越した。
「……」
[──丸手特等]
「…あ"ぁ"?」
[──質問がそれだけなら、もう切っても宜しいでしょうか]
ブチッ──。
せめてもの腹いせに丸手は自分の方から通信を切ってやった。
「有馬といい平子といいお前といい、有馬班の連中は揃って可愛げがねェなチクショウ」
今回の作戦で有馬班から数人引っ張ってきていたが、作戦前から疲れて仕方がない。
琥珀に関しても、有馬の訓練でぴぃぴぃ泣かされていると噂で聞いていたのだが、この図太さ。
噂なんて嘘っぱちだと丸手は思う。
「では、私もそろそろ配置に戻ります」
「おー、行け行け。行ってとっとと喰種共を殲滅してこい」
ぞんざいに手を振る丸手に琥珀は小さく笑う。
「──丸手さん、」
「あ?」
「有馬さんは、やっぱり騙せなかったと思うんです」


会計を終えて店を出た時だった。
飲酒はぜずとも、学生服と飲み屋では外聞が良くないからと、出入りの際に琥珀は上着を羽織っていた。
丸手と篠原と丈の三人が前を歩き、有馬と琥珀がついて行く。
「いつも持ち歩いてるの、それ」
上着を指す有馬に琥珀は、「通学で電車に乗っていると冷房が寒くて」と答えた。
そう、と有間は頷く。それから、
「もっと明るい色にしたら?その方が似合う」
夜に紛れそうな黒じゃなくて、と。
見下ろす有馬の視線からは何も読み取れず、夜道を心配しての一般論のようでも、別の意味合いを含むようにも取れた。
「黒は…似合いませんか」
路地から出て駅に近付くにつれて、繁華街の電飾がいやに眩しく、ビルに設置されたモニターの音声や人混みの喧騒が煩いはずなのに。
その時の琥珀には、有馬の声がやけに鮮明に聴こえた。


「…有馬には訊いたのか」
「いいえ」
「そうだったら…どうすんだ」
「別に」
琥珀は視線を下げていた視線を丸手に移した。
「お前が捕まることになった元凶かもしれねェんだぞ」
「だとしても、有馬さんは仕事をしただけですし」
「物分かりが良すぎるな。油断させといて復讐でもすんのか」
半分が冗談、もう半分は本気だった。
悔しいが既に一度、琥珀には騙されている。喰種捜査官として、今回は見破らねば顔が立たない。
真意はどこにある、と、丸手は積もった恨みも含めて琥珀を睨む。
けれども琥珀は、特に気にした様子もなく、「丸手さんてばとってもコワイ顔してますよ」とすら、のたまう。
「…誤魔化すとまた怒られてしまうので、ちゃんと本心を言いますね」
何かしらの決め事でもあるのか、琥珀は前置きをして言った。
「私の望みは平子丈の傍にいることです。2番目も3番目も無くて。ただ、それだけです」
絶え間ない呼吸を日々繰り返すように。
当然のことを当然だと口にするように。
照れも迷いも気負いも一切、何もない。
「それじゃ、私もお仕事しに行ってきます」
「ってオイオイオイ待てこら──!…勝手に告って勝手に終わりにすんなっ!あーっ、…くそっ、なんだ…考えさせろ。整理する…」
「丸手さんに告白したわけじゃないですけど」
「知ってるわ!!」
丸手は頭を抱える。
この能天気娘、どうしたらいい…。
当の琥珀ときたら「もう作戦開始時間ですよ」と急かしてくる始末だ。
「軽く重たいこと言いやがって。お前な、もし──、……もし平子が死んだら、お前は…どうすんだよ」
苦虫を噛み潰したような丸手に対して、琥珀は唇に指を当てると、ほんの少しだけ考えた。
「命を…奪われたのなら、復讐します。でも…そうじゃないのなら──…。それこそ今言った通りですよ」
もう時間ですから、と言い残して、するりと車外へ身を滑らせた。
「今ってお前──、おい君塚っ…!」
ならばと思って車外を映すモニターに目を向ければ、軽やかな足取りで持ち場へ行く琥珀の姿が見えた。
闇夜に紛れる黒い戦闘服。
気を付けて帰れよと声を掛けた、あの制服姿と同じ細い肩が戦闘配置に向かう。
「…馬鹿娘が簡単に言いやがって」
毒づく丸手が画面を睨んでいると、琥珀がカメラを振り返った。
透視なんてできないだろうが、丸手をからかうように、にこりと笑ってひらひら手を振った。
その姿は、目を離せば体格の良い捜査官達に埋もれてしまい、すぐに見失いそうだ。
丸手はマイクを掴む。
「各捜査員に告ぐ。喰種共の配置は伝えた通りだ。マックスレートも変更なし。油断も手加減も一切するな。こんなド田舎だ、近隣住民の迷惑だなんて言い訳も一切聞かねェぞ。いいか、徹底的に掃除しろ」
但し、と一つ付け加える。
「喰種の配置情報に見逃しがあったら苦情を受け付けてやる。作戦終了後、俺じゃなく参加してる有馬班の連中に回せ」
即座に回線が繋がり「何ですか今のっ」「琥珀、暴れないで下さいっ」と声が入ったが無視。
PM10:30.
モニター上部のデジタル標示、そして腕時計を確認する。
「作戦開始だ。 狩ってこい」


160816
[ 31/225 ]
[もどる]