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delta.△

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「ありま、さん」
「何?琥珀」
「わたし…いきてま、ますか…?」
天井と壁と床の区別がつかなかった。
すべて白くて、明るくて、再生途中の琥珀の眼球にはどれも光としか認識できなかった。
「ああ。ちゃんと生きてるよ」
有馬の声でさえ、上からなのか横からなのか。
近いのか遠いのかもわからない。これはまさか脳に損傷でもあるのではないだろうか?
とりあえず琥珀は、安静を第一に修復に努めようと決めた。
生きている。
丈兄。
自分。
この三つを見失わなければ大丈夫だと信じることにしていたからだ。
閉じる瞼も無くて、しばらくは眩しいままだろう。心の中でため息をつく。
琥珀は訓練の内容を思い出そうとして、やめた。
あんまりにもあんまりなハードモードのため自主規制だ。

次。

琥珀は有馬と行動を共にするため、ほとんどが実地訓練のようなものだったが、稀に有馬の予定が空いている時、局内で訓練をつけてもらうことがあった。
有馬との訓練はあんまりにも──以下略、なため琥珀は好きではなかった。
しかし喰種の知識も戦い方も、中途半端な自己流よりも、経験豊富な有馬に素直に教えを受けた方が効率的に学ぶことができる。
結局、喰種だとバレる前も今も、喰種としてやっていることはあまり変わらないな、と琥珀は思った。
「(丈兄のそばにいられるように。だれからもなにも言われないように。つよく──)」
尚且つ、CCGには危険視されないように。
目立たないに越したことはないのだ。
喰種の駆逐を目的とするこの組織で、自分は駆逐対象であるという矛盾。
同僚捜査官からの敵意もある。やっかみもある。
有馬がいくら優秀な捜査官でも組織に属している限り、組織に琥珀が拒絶されれば琥珀の存在は──、

次。

琥珀はそろそろ身体を意識してみようかと考える。
受けた傷も少しは回復してきたんじゃないだろうかと。
先ほどの会話以来、有馬がどこにいるのかはやっぱり分からなかったが、たぶん近くにいるはずだ。
そうでなければ、だって、わたしやだいたいいたいいたいいたいの死んじゃうあたまあたまこわれいたいいたいいたいいいいだいいたいいたいこわいいたいこわさないでわたしをこわさないでいたいいいたいいたいおかしくなってしまういたいいたいいだいおかしくいたいおかしいたいいたいあまいおかしいたいいいたいいたい

次。

「(丈兄にこんなぐちゃぐちゃなかお、ぜったいみられたくな、いなぁ…丈兄、お兄ちゃ……たけ、に──)」

つ、ぎ。

気の狂いそうな痛みの果て。
琥珀の意識が途切れた。


破損し欠如したRc細胞は修復と再生の課程でより強固な道筋を造り、流れる。
琥珀の赫子の能力も、性能も、まだまだ上書きされて上塗りされて伸びてゆく。
床に腰を下ろした有馬は、琥珀の髪を梳きながら血の気の失せた顔を見下ろした。
「琥珀?…意識が飛んだのかな」
片膝を立てて、反対の足は胡座をかくように曲げて琥珀の頭を乗せている。
琥珀が倒れてからずっとこの体勢だったのだが、琥珀はわからなかったようだ。
「すごいな。中身が全部見えてる」
他の傷は殆どが癒えた。
有馬の攻撃で破壊した琥珀の頭部も再生している。
しかし如何せん、右目周辺の傷は特に深かったために時間がかかっている。
己の行い故の琥珀のこの有り様だというのに、眺める有馬の目には痛ましさも罪悪感も浮かんではいない。
つくりの良い琥珀の顔であるために、一部のみに酷い傷を負った、美醜の混在する今の状態はどこか造りものめいた美しさがあった。
けれど琥珀は、琥珀には、"美しい"という言葉は似合わないような気がした。
追いかけて、手を伸ばして、微笑んで、泣いて、少し怒ってみたり、はにかんだり。
有馬の手元で人形のように動かない琥珀はなんだかとても、
「退屈だな」
額に張りついた髪をよけてやる。
有馬が眺めている間に頭部の怪我もだいぶ再生が進んだ。
眉を寄せて浅く繰り返していた呼吸も、いつしか安らかな寝息に変わっていた。
つるりとした琥珀のおでこ。
何となく撫でると迷惑そうに小さく呻いた。
有馬は口許を楽しげに緩めると、そのまま指で弾いた。
「琥珀。お前が起きないと午後の会議は遅刻になってしまう」


「ありま、さん…」
「何?琥珀」
「午後…会議って言ってませんでした…?」
「琥珀が気持ち良さそうに寝てたから。起こしたら可哀想かと思って」
「そんなの!転がしとけば良いんです!」
「枕がないと首が痛くなる」
「私は枕がなくても寝られますから!…て、ちがーう!…も〜〜〜!」
訓練室で目を覚ました琥珀は、自分を見下ろす有馬と数秒間見つめ合い、「何時ですか」と開口一番。
先ほどのやり取りをして立ちあがると、呑気に腕時計を見る有馬を立たせて「行かないと、会議っ」と腕を引いた。けれど、
「その格好で?」
「私は着替えてここで待ってます。一人じゃ出歩けないですから」
「なら着替えが終わるのを待つよ」
「遅くなっちゃいますよ」
「どっちにしろ遅刻だから大丈夫」
どっちにしろ大丈夫じゃないですと琥珀は思ったが、暖簾に腕押しとはこのことだ。
有馬のマイペースにもだんだん馴れてきた琥珀は、自分が早く動けば良いのだとすぐに切り替えた。
ロッカーで着替え、デスクへ立ち寄り、会議室へと有馬の腕を抱えて向かう。
少し悔しいのは、琥珀が多少の小走りになっても、有馬はコンパスの違いで余裕の早歩きというところだ。
「…有馬さん、また怒られちゃう…。大切な会議なんでしょう?」
「琥珀も一緒に怒られてくれれば半分で済む」
どこまでが本気かわからないが、人をだしに使わないでほしい。
焦って(いるのは琥珀だけだが)早足で、局員の行き交うエレベーターホールを横断する。
そこで琥珀はふと丈の姿を見つけた。
ほとんど条件反射で、丈兄、と口から漏れる。
距離もあったために、その声が聞こえたわけではないだろうが、気づいた丈がこちらに目を向けた。
つい足が止まってしまい、有馬に「琥珀」と呼ばれてはっとした。
「あ、すみませんっ。急がないと──」
「行っておいで」
「えっ?あ、…でも…」
言葉を続けようとして琥珀は口ごもった。
首を傾げた有馬は、琥珀の前髪を指で掬うと額を覗き込む。
「綺麗に治っているよ?」
琥珀はそこを心配したのではなかったのだが…。
それはそれで複雑な思いがある。
けれど何より、乙女心を慮った有馬というのがなんだか面白くて琥珀は「ありがとうございます」と、はにかんだ。
「…遅刻のお叱り、半分こできなくなっちゃいますよ?」
「いつものことだし」
「…。次はちゃんとお供させていただきます」
そう言うと琥珀は、ぺこりと頭を下げると丈の元へ向かった。
小走りで、丈兄、と。
有馬と琥珀を見ていた丈は別れた二人に軽く驚きながら、走り寄る琥珀を待った。
「丈兄っ、……どうしたの?」
「………。いや、何でもない…」
「?」
丈が視線を有馬の方へ向けたので、琥珀も振り返る。
しかし有馬は既に立ち去った後だった。
「…琥珀」
「なに?」
「俺に何か…できることはあるか?……してほしいことでも良い」
「え?え?どうしたの?突然」
「訓練…していたんだろう?」
「ん…。うん…、ぼろぼろに負けちゃったけどね」
有馬さん強すぎ、と困ったように琥珀は言う。
さらりと揺れるその前髪に丈が指を伸ばすと、琥珀は不思議そうに瞬きをした。
「どうしたの?…私のおでこ、へん?」
「いや………」
何でもない、と琥珀の額を丈は指で撫でる。
ゆっくりゆっくりと、心のもやを消すように。
琥珀の今の生活は、訓練と雑務、終われば与えられた部屋へ戻される。
外へ出られたとしても目的は任務、それだけだ。
立場を思えば仕方がないが、CCGからの外出には制限がある。
そんな琥珀のために、丈は何かをしてやりたいと思った。
自分よりも、今では有馬の方が琥珀の傍にいるという事実もまた、丈の気持ちを焦らす一因だったが…。
丈が琥珀の言葉を待って撫で続けていると、琥珀はちらちらと周囲の目を気にするように視線を動かした。
こっち、とホールから人気のない廊下へ、丈の袖を引く。
廊下の角を曲がり、更には観葉植物の鉢植えの影になる位置に回り込む。
「あのね…」
遠慮がちに口を開き、しかしすぐに閉じる。
「あの……」
俯いて黙り込んでしまった。
顔が少し赤いような気がする。
それでも丈が黙って琥珀の言葉を待ち続けると、琥珀はようやく口を開いた。
「…ぎゅって、してほしい…な…」
言ったものの、自分の言葉を恥ずかしく思い、胸で組んだ両手を握り締めてますます俯く。
丈から見える琥珀の頭も、てっぺんを通り過ぎて後頭部になっていた。
「あの…、ほんと、今じゃなくていいからっ…今度でもいいの…だからっ──」
ぎゅぅ、と、それはもう息が詰まるぐらいに。
小さな頭も肩も腕も背中も。
丈は、琥珀のすべてをしっかりと腕の中に包み込んだ。
「たっ…たけ、に…っ…」
体温が上がって脳がゆだってしまったのか、それとも強く包み込まれているせいで難しいのか、琥珀は不器用に呼吸をする。
「も、もう、いいよっ…ありがと、丈兄」
しかし丈は琥珀を抱く腕を緩めない。
もぞもぞと、琥珀はどうにか頭を動かして丈を見ようとする。
丈は琥珀の頭に顔を寄せたままだ。
「丈兄…?」
琥珀に呼び掛けられても、丈は動かなかった。
有馬との訓練が、どのような内容なのか丈は知らない。
ただ先程のように何かしらの必要があって、有馬が琥珀に触れることも、顔を近づけることも珍しくはないのだろう。
そうされることに琥珀自身が慣れているようだった。
「(勘違い…を、しそうになった…)」
あの時、有馬と琥珀の顔が重なったものだから。
驚いて、硬直して、丈の元へやって来る琥珀の様子を見て、丈は心からほっとした。
そんな動揺もあって、自分にして欲しいことはあるかと尋ねれば。
琥珀は散々躊躇した挙げ句。顔を真っ赤に染め上げて、抱き締めてほしいなどといじましいことを言うものだから。
丈は琥珀の、そして自分の望みを叶えると共に、それはもう力一杯、目一杯の脱力感に見舞われていた。
…だというのに、自分の名を呼び続けるこの鈍感幼馴染みときたら──…
「もしかして…、寝ちゃった?」
「………寝るか」


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