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おひるね

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一仕事を終えたと思ったら、急遽入った隣接区からの救援要請。
今の状況をサラリーマン風に表すなら夜勤明けだろうか。さらに事後整理の業務も二件分をこなしたおかげで半日経った。
帰路に着いた今の時刻は昼を回り午後三時。日差しの差し込む電車の車両に乗る客は数えるほど。幼い子供を連れた母、スーツ姿で居眠りをする男、携帯をいじる若者。平和だ。
電車を降りて駅から歩いて十数分。
自宅にたどり着いた安堵から、抑え込んでいた眠気が首をもたげる。
熱い風呂に入りたい。空腹も感じている。鍵はどこだ…。
取り敢えず、寝たい。眠い。
重い瞼を必死に開いて玄関を開ける。ひんやりとした玄関の空気が肌を撫でた。
「丈兄!お帰りなさいっ。こんな時間に帰ってくるなんてどうしたの?」
廊下の奥から顔を出す琥珀の幻覚が見える。
「幻覚じゃなくて本物だよ。丈兄、昨日帰ってこなかったから」
ぱたぱたと駆け寄る制服姿の琥珀。
「…昨日から残業でそのまま徹夜になった」
「えっ寝てないの!?それじゃ疲れてるでしょ…。幻覚とか言ってることが変なのはそのせいじゃない?」
緩慢な動きの丈から上着を剥ぎ取った琥珀は、「でも怪我がないみたいで良かった」と微笑む。
「おじいちゃんとおばあちゃん、今日から温泉旅行なの。だから私は昼間だけお留守番。あと丈兄のご飯と、雨戸の戸締り係」
「そうか…いつ帰るって?」
「二泊三日だから、明後日かな」
そうか、と丈は繰り返したが声にならない。
思考も体も泥のようだ。部屋まで持つだろうか。でなければ琥珀を潰してしまう──…。
「えっ?た、丈兄待って!ここで寝ちゃだめっ!せめて部屋まで歩いてくれないと私……!」
潰れちゃう──…
「きゃんっ…!」
べちゃり。
バランスを崩した丈と琥珀は廊下に倒れた。
「丈兄?…丈兄〜〜〜……」
琥珀が呼びかけても、すでに丈は寝息をたてている。その身体をやや強引に押し退けて這い出ても、起きる様子は少しもない。
「…もー……」
やろうと思えば、お姫様だっこをして丈の部屋のベッドまで運ぶこともできるのだが。
万が一、起きてしまったらと考えるとそれもマズい。
「力自慢の運動部設定だったら良かったのかなぁ」
そういうキャラ作りはしてこなかった。
丈には布団でゆっくり眠ってほしい。しかし"常識的"に考えると、女の子が成人男性を二階の部屋まで運んでしまうわけにはいかないだろう。
「はぁ…」
諦めた琥珀はよいしょと丈を背に負うと、その身体をずるずると引きずって畳の間へ向かった。
丈を畳に転がしたあと、上着をハンガーに通し、部屋から枕と毛布を持ってくる。
「丈兄ってば、ぐっすりー…。お仕事頑張ったんだもんね…」
口をうっすらと開いて眠る無防備な顔は少しだけ幼く見える。
「ふふふ。かわいい…」
きっと丈の同僚が聞いたなら、ざわついて引くところだろう。恋は盲目なのだ。
いたずら心が首を跨げた琥珀は、しばらく小声で、丈兄〜?と呼び掛けてみたり、頬を指でつついたりしていた。
「……私も宿題したら寝ようかなぁ」
琥珀は熟睡する丈の隣に横たわり、寝顔を眺める。
開け放った窓から、下校する子供たちの駆けてゆく靴音が聞こえる。
楽しげな声も。
彼らが通りすぎ、午後の住宅街は再び静かになる。
いつの間にか琥珀も寝息をたてていた。


布団の中で寝返りをうち、枕に頭を押し付ける。
心地よい微睡みが少しずつほどけていく。
伸びとあくびとを同時に行えば、慣れ親しんだ畳の匂いを吸い込んだ。
「…ぁ…っ〜〜〜………… ん…?」
背中がやや痛む。布団が固いせいかとも思ったが、そもそもここは床で、畳が敷かれている。
目を開けてすぐの視界は全てが滲んでいた。しかし"それ"はごく近くにいたため、すぐに分かった。
「………琥珀…?」
なぜお前も寝ているんだ。
のそりと起き上がった丈は、眠る琥珀を見下ろして頭をかく。
徹夜をして帰ってきたら琥珀がいた。
「本当に…夢じゃなかったんだな」
丈の部屋からわざわざ持ってこられた枕と毛布。台所の方からは煮物か何かの良い匂いがする。卓袱台の上には家の鍵が置かれ、脇には琥珀の鞄と丈の鞄が立て掛けてある。
すっかり世話を焼かせてしまった。
当人は制服のまま丸くなって、幸せそうに寝息をたてている。口が半開きだ。
「…制服が皺になるぞ」
丈が頬に掛かった髪を指で退けても眠ったままだ。
そういえば自分もスーツだったことを思い出したが、見回すと、上着はハンガーを通して鴨居に引っ掛けられていた。
「…嫁か」
帰ってきたらお帰りなさいと出迎えてくれて、暖かい食事と風呂も沸かして用意されている…
どれも普段、琥珀がやって来たときにしていることだ。今、改めて考えてみると。
制服にエプロンで幼妻。なんだこれは、エロ動画の検索ワードか。
並べていくと、実に夢の詰まった単語の羅列となり、丈は頭を抱えた。そんなつもりではない、そんなつもりではなかったのに──
眠る琥珀の身体に、つい目がいってしまう。自分が覆い被さったら小柄な琥珀は簡単に閉じ込められる……
良からぬ妄想が膨れてゆく。
「……風呂に入るか」
シャワーだけでも構わない、頭が冷えてさっぱりできればそれで良い。これ以上ここにいては色々とあんまり良くない。
自分の思考は未だに正常とは言い難い状態だと、それだけは感じる。
悶々とする丈の隣で琥珀が身動ぎをした。
「ぅ、…ん……」
丈の不埒な妄想など露知らず、何の心配も不安もない寝顔だ。
丈は自分に掛けられていた毛布を琥珀に掛けると、再びごろりと横になった。
琥珀の隣でもう一眠りしてしまおう、と。
足りない睡眠を補えば、きっと起きた時には元通りになっているはずだ。
…たぶん。
……恐らく。
琥珀のふっくらした柔らかい頬に触れている内に、遠ざかっていた眠気を思い出す。
眠りに落ちるその時、丈が琥珀をその腕に閉じ込めていたのは殆ど無意識だった。


夕方、眠りから覚めて起き上がった丈に琥珀が声を掛ける。
丈兄起きたー?と。
「私、そろそろ帰るね。ご飯は温めて食べて。あと、お風呂は沸かしといたから、いつでも入れるから」
ぱたぱたと、布巾を手にした琥珀が丈のもとへとやって来てちょこんと座る。
寝癖ついてる、と丈の短い髪をつまんで笑った。
「(……やっぱり嫁だ…)」
やっぱり駄目だった。


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