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郡の鬱(後)

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花が、咲いている──。
地下空間の、コンクリートの無機質な広間の、柱の合間に咲き誇る曼珠沙華の赤い花たち。
捜査官が靴音大きく、通路を抜けて広間へ踏み込む。
遠目に見えた、疎らに茎を伸ばす何本もの花。
近付けば見上げるほどにそれは高く、大きく、そして──喰種だった。
己の血液でその身を赤く染め、動かない手足がだらりと垂れている。身体を貫いて内部から爆ぜた赫子が、まるで花びらのように捻れて伸びていた。
何本もの喰種の花が赫子の茎に支えられ、──を中心として咲いている。
「彼女、は…?」
あの中心で蠢く…赤黒い塊、は…?
一体…何だ…?
周囲の花よりも高さのやや低い位置に姿を成すそれは、まるで蕾だった。
花びらのように幾重にも重なっていた赫子がほどけてゆき、白く華奢な肩が覗く。
先ほど潰されて再生した、彼女の左側。
「琥珀。迎えに来た」
有馬の声にぴくりと動く。
「タケは置いてきた。お前が嫌がるだろうから」
くたり、と上半身が前へ倒れると、"彼女"を支える顎が、茎が、しおしおと萎んでゆく。周囲の"花"たちも同様だ。
花芯となった屍を床に残して、するすると──…見渡す限りの広間の床に張り巡らされた赫子の根が"彼女"の背中に戻り、或いは端から消失する。
"彼女"が顔を上げる。
平時と何ら変わりのない──破損した服はそのままだったが──掠り傷ひとつ見当たらない、まっさらな、琥珀。
「立てる?」
有馬の問いに、"琥珀"は桜色の唇で言葉を紡いだ。


合流地点で他班の戻りを待つ間、宇井は往復分の疲れで俯いていた。
この疲労が肉体的なものだけではないことも知っている。
「有馬さんは…この事態を見越して彼女をこの班に入れたんですか…?」
何をするでもなく地下通路の暗闇を見る有馬に問う。
「見越してたわけじゃない。ただこのくらいの深度にいる喰種なら、琥珀一人でも対応できると思っていたから。保険代わりに付けた」
手荷物のストラップの付け替え程度の簡単さ。
有馬にとって琥珀とはどの程度の認識なのだろうか。
喰種。CCGの捜査官。会話のできるクインケ。部下の恋人。19歳の少女。
「(…そうだ……彼女、まだ未成年なのか…)」
年下のくせに自分を名前で呼ぶ琥珀と言い合いをしたのは昨日?それとも一昨日だっけ…?
琥珀の力は確かに有用だった。
あれだけの力。組織の戦力として求められたのも分かる。
対して琥珀は。
彼女本人は…。
宇井の脳裏に甦る大きな蕾。
従える赫子に支えられて床に降りた琥珀。立てるかと問う有馬に、半ば夢を見ているような朦朧とした眼差しで、もちろん、と。
琥珀のあの様子。
共喰いを行う赫者は、赫子を使うほどに精神が不安定になると聞く。…そもそもの確認例が少ないため真偽は定かではないが。
頭を上げた宇井は琥珀を見る。
琥珀は今、二人とも他の捜査官とも離れた場所でひとり座り込んでいる。
"聴いて"いるのだそうだ。この付近で行われる捜査の音を。
通信機器の繋がりにくい地下で、捜査官らの動向を知るのに喰種の感覚器官は有効なのだという。
先ほどの戦いで、留めていた髪が落ちて横顔に掛かり、表情はわからなかった。
郡、と有馬の声が降ってくる。
「お前の判断は間違っていないよ」


それから数時間後、深部から戻った他班とも合流し、捜査官らは地上へ戻ってきた。
深夜2時を回って、人も車も通らない公道にCCGの搬送車両が二台。橙の街灯に照らされている。
早速、有馬ら班長格の捜査官が欠員の補充について話す声が聞こえてくる。
琥珀の姿を探した宇井は、やはり離れた場所にその姿を見つけた。
植え込みのブロックに膝を抱えて座って、集合の声が掛かるのを待っている。
意外にも丈と一緒ではない。
「丈さんのところへ行かないんですか?」
車両の傍で後輩と話をする丈の姿が見えた。
「…局に戻るまでが任務、と思っているので」
先程の疲労が抜けていないのか、琥珀の声にはどこか微睡むような浮遊感がある。
「琥珀は…今日の結果には満足ですか」
話の取っ掛かりにするにも事務的すぎる。
我ながらなおざりな質問に、宇井は自分のセンスに呆れた。
「満足…どうでしょう。捜査官を二人も亡くしてしまいましたから…」
宇井が問うた一瞬だけ、琥珀の瞳に憂いが掠めたような気がした。
街灯の光の加減のせいかもしれないが。
琥珀の働きは何も評価されない。記録に残るならば、琥珀が班員と行動を共にしていた間の班の討伐記録として記される程度だ。
何故言い返さない、と、先ほど投げつけた言葉を再び思い出す。
傷だらけになって戦うのは琥珀も同じであるのに。
喰種だからと、その一言で彼女はすべてを飲み込んでしまった。
しかし、次の琥珀の言葉で宇井の導火線にまた火が灯った。
「でも…班を全滅させずに済んだのは郡さんのお手柄ですよ。前に、私を殿に置いていくのは信用できないって、嫌がる捜査官もいたので」
「な…っ!?馬鹿にするなっ!私は手柄が欲しかった訳じゃない!」
突然の大声で琥珀が驚いた顔をしているが知らない。
「あんな真似が出来るなら最初からやっていれば良かったじゃないかっ!そうすれば二人目の犠牲を出さずに済んだかもしれない!あの場も撤退しないで切り抜けられた!」
言っていることが滅茶苦茶だということは分かっている。しかし止まらなかった。
「君一人を残さずに済んだ!あれだけのことが出来るくせにどうしてもっと──…!」
周囲の捜査官がこちらを注目しているのが分かった。
呼吸を荒くした宇井が言葉を飲み込む。
主張しないのか。求められるだけの働きはとうにしているというのに──。
宇井が落ち着くのを待って、琥珀が静かに口を開いた。
他の者には聞かせたくないというような、宇井に聞こえる程度の静かな声だった。
「精度が、低いんです。…あれになると私では抑えられなくて、喰種も味方も関係なく攻撃してしまう。郡さんも他の捜査官も、みんな襲って食べようとしちゃうんです」
だから一人で戦う方が良い。
この使われ方で正しいのだ、と。
しかし言った琥珀よりも、言われた宇井の方が表情を歪ませる。
そんな偽悪的な言葉を琥珀に吐かせたかったんじゃない。
何処かが欠けてしまって壊れたような。そんな顔をさせたかったのではないのに。
あの時、蕾から現れた琥珀の表情も──、
「(──何より殺したくないと思っているのは、)」
困ったように、申し訳ないです、と硝子玉のような瞳で微笑む琥珀は自分などより余程我慢強いと思った。
自分の扱いも、扱われ方も、すべてを受け入れて、他人の心を守ろうとするのか。
「丈さんは──…。有馬さんが、貴女が嫌がるから丈さんを置いてきた、と言ったのは…?」
宇井のその言葉で、初めて琥珀が表情を崩した。
大きな瞳が揺れる。
泣き出す寸前の怯える子供のようだった。
「…、そんな、こと……聞かれてない…、聞かないで…」
琥珀はずっと泣いていた。
柔らかく微笑んで本心を抑えて。喰種であることを盾にしてでも逃げようとした。
彼女の泣きどころは、やはり彼なのだ。
口をつぐむ琥珀の前に膝を着く。
「聞かせてください、琥珀…」
首を振る琥珀を、それでも待つと、「…だって」と言葉が零れた。
「……あんな姿、見せたくないから……もう、丈兄は知ってるけど…自分がどんどん違うものになってくの、見せたく、ないから──…」
心の不安定な今に付け込むようなやり方だったが、今、聞かなければ琥珀はまた押し込めてしまう。
琥珀の怯えが露になる。
大きな瞳には涙が滲んでいたが止める気はない。
「喰種なだけで十分化け物だって、わかってます… 私が喰種なのはどうしようもないことだって……でも……見せたく、ない…っ」
琥珀はここにいる自分すらも"見ないで"と、言っているようだった。
唇を噛み締めた琥珀は大きく呼吸をする。
溢れ出す心を静めるように。
「もう、良いですか…?これ以上郡さんと話してたら、私、どんどん愚痴っぽくなっちゃう──…」
強く胸を押さえて、呼吸を整えて。やっと平素の自分を思い出した琥珀が立ち上がる。
しかしその肩を宇井が押し留める。
押さえる手を畏れるように琥珀は涙目で宇井を見上げた。
けれど離してなどやるものか。
「……毎日がスプラッタ映画な喰種捜査官相手に、何を今更」
言うべき言葉を前に、息を大きく吸い込んだ。
「泣き虫の貴女なんかを一体誰が怖がるって言うんです?有馬さんですか、丈さんですか、篠原特等ですか。真戸上等なんて面白いクインケが造れると喜ぶところですよ。中二病で自意識過剰の笑えない冗談なんてやめてください」
宇井は一気に言い放った。
琥珀は泣くのも忘れてぽかんとする。
「君がどんなにグロくったってエグくたって、喰種だって、私たちはそんなのとっくに知ってる。
力があるなら誇れば良い。
君に助けられた者もいるのだろう?
泣きたいなら泣けばいい。
君が想う人は、君が、ちゃんと"琥珀"であることを知っている。
大人をナメるな。この甘ったれっ」
さすがに後半になると一呼吸とはいかなかったが。
しかし言いたいことは大体言えた。
宇井を見上げる琥珀のまなじりからポロリと涙が転がった。
けれど、眉を寄せて唇を噛んだ琥珀はもう泣き顔ではなかった。
「こ、郡さんは、いじわるです。っ意地が悪くて、苛めっ子です…っ」
「そんなこと。今頃気がついたんですか」
ふん、と鼻で笑いながら宇井自身も、あぁ自分も今頃気がついたんだ、と思った。
「人にあれだけ本心を吐露させておいて自分だけ逃げようなんて甘いんですよ。年下なら年下らしく、年上に甘えればいい。それを強がって無理するから、こんなややこしいことになるんです」
「………郡さんを、怒らせるような?」
「そうですよ。私は理性的な性格でいたいんですからね」
「…そのわりに郡さん、私と話すときいっつも怒ってます…」
「………」
ビシッ──!
「ぎゃんっ…!」
宇井のチョップが琥珀の頭を撃つ。細腕のくせに重量命の甲赫を扱う宇井の一撃だ。
頭を押さえて呻いた琥珀。喰種だってそれなりに痛いんですよ…!と再びの涙目になる。
宇井は上からふふんと笑う。
街灯に照らされる琥珀の顔。血の気が失せていた頬は興奮で赤くなっている。
「これに懲りたら、私にはつまらない意地を張らないことですね」
琥珀は赤い頬をいよいよ膨らませたが、丁度その時、皆への召集の声が掛かる。
宇井は立ち上がると、くるりと背を向けた。
郡さんだって意地っ張りなのに、とか琥珀が騒いでいるが、宇井は両手で耳を塞いで「何にも聞こえません」と取り合わない。
琥珀が宇井の手を離そうとしているが、くっつけたままで搬送車へ向かう。
そうだ、自分の意地が悪いのも、意地っ張りなのも知っている。
それから、
「(好きな子ほど、苛めたいっていうでしょう?)」
気がついた途端の失恋だったけれども。
彼女のことが大嫌いではないと知ることができて、良かったと──


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