×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



郡の鬱(前)

.
「──す、聞いてますか、琥珀さ…君塚捜査官?」
「あ、えっと…」
はっと、意識を現実に戻した琥珀の前で、宇井の柳眉が僅かに上がる。
「聞いてなかったんですか」
「いいえっ、そんなことはないです──…」
「じゃあ貴女の返答を聞かせてください」
綺麗な顔に苛立ちを混じらせて、しかし琥珀が相手でも丁寧な口調を崩さない。
学校の先生みたいだと琥珀は思った。
で、話の内容はなんだったっけ。…そうだ、確か丈についてだ。
「あの…ええと〜…、善処しま、す?」
はぁ〜〜〜。
宇井のため息が長く吐き出される。
「…す、すみませ…。えっと、私がいると、丈兄──平子一等の立場が悪くなるっていうお話…ですよね…?」
明らかに宇井は「聞いてませんでしたよね」オーラを漂わせていたが、再び口を開いた。
「……そうです。丈さんと近い間柄だったから色々と気を使ってもらっているようですが。貴女は有馬さんの…所有物なんですから、必要以上に丈さんに近づくのはどうかと思います、と先ほど言ったんです」
ちくちくちく。
小さなトゲがちくちくと琥珀に刺さる。
「(でもまた最初から言ってくれるんだ…)」
宇井郡。彼は有馬班の期待の若手だ。
琥珀も丈から話は聞かされていた。仕事のできる新人が入った、と。
実際に会って行動を共にしてみて、その評価は正しかったと頷けた。
しかし仕事ができることもだが、それより印象に刻まれたのは彼のこの人柄だろうか。
「そもそも、丈さんは有馬さんと組んでいるせいで目立ちにくいですけど、同じ階級の捜査官と比べて遥かに実力があります。いつ昇進したっておかしくないぐらいの。それを貴女がいることで周りからの…、心象を悪くしかねないんですよ」
言い含めるように丁寧に説明する様は、どこか琥珀を説得するようでもある。
丈のことを思うなら距離を取れ、と宇井は言う。
この人は丈兄が好きなんだなぁと琥珀は感じた。丈を心配するが故の言葉だ。
同時に優しいのだ。
丈の幼馴染みの琥珀だから、丈に気を使ったものの言い方になる。
その気遣いが宇井の態度に見え隠れしている。
「ちょっと、琥珀さ──君塚捜査官、何ニヤニヤしているんですかっ」
「あれっ?あ、ごめんなさい」
「も〜〜〜………はぁ。ほんとにもう、何ですか、私がひょろいからですか、迫力が足りないからですか。だから話、聞いてないんですか…」
「そ、そんなことないです。宇井一等は間違ったこと言ってないですし。ただ、優しいな、って思って」
「はあ?…別に、貴女に優しくしてるつもりなんて少しもないですけど」
「そうですね。ごめんなさい」
謝っているわりには、ふわふわと気の抜けた笑顔を見せる琥珀。
宇井は自分で、苦虫を噛み潰したような顔をしているだろうと思った。
正直なところ、宇井は琥珀が得意ではなかった。
「(喰種相手に得意も何も……大体、優しいって何だよ)」
喰種でありながら処分されないというところが、まず心情として納得がいかない。
有用性を見出されたためとはいうが、今、命を繋いでいるのも、人間由来の化合物を局がわざわざ用意しているのだ。
「(おぞましい…)」
と。
思おうとする。
思おうとしているのに…。
行動を共にすればするほど、琥珀はまるで人間のようだった。笑いもするし、冗談も言う。
捜査で出会うような、狂暴な瞳で殺意と食欲を剥き出しにして襲い掛かってくる喰種とは少しも重ならなかった。
作戦の緊張の中にあっても、琥珀からは喰種としての、あの独特の禍禍しい存在感を感じたことがない。
むしろ、局に戻ってきた時に丈に見せる琥珀の表情など、まるで花がひらくように──
グシャ、
宇井の手の中で捜査資料が潰れた。
「げ」
提出用の資料が。
伸ばせば何とかなるだろうか、いややっぱり印刷し直さなければ見栄えが悪い。
デスクに戻らねば。
それもこれもすべて彼女のせいだ。
八つ当りかもしれないがそんなの知ったことじゃない。
「私は宇井一等のこと嫌いじゃないですよ」
「……は?」
宇井の頭の中はこんななのに、琥珀は宇井の手元には気づかず正反対のことを言った。
「宇井一等、私のことを呼ぶ時に、名字じゃなくて名前が出てきますよね?実は…ふふ、ちょっと嬉しかったりします」
「…そのニヤケ顔、腹が立つのでやめてください。言い間違えるのは有馬さんと丈さんにつられただけですよ。次からは徹底します」
「私も二人につられて、実は間違えそうになることが多くて。なので私も一等のことを"郡さん"と呼ばせていただこうと思います」
「…私の話聞いてました?」
「嫌いでも苦手でも、咄嗟に呼びやすいに越したことはないかなと」
「……私の方が年上なんですけど知ってました?」
「それに"郡"っていう響き、素敵じゃないですか」
…ああ、ほんとうに…。
貴女といると調子が狂って仕方がない…。
「………もう、勝手にしてください」


一体倒してもまた一体、悪ければ数を増やして押し込められる。
地下道の薄暗い通路からの、更なる敵影はないかと宇井は何度も視線を走らせる。
「(この、ままでは…っ)」
戦う者は皆、傷を負っていた。
早々に当たった喰種は運悪く、手練れだった。その一体をリーダーとした数体に掛かるうちに、また仲間が現れ混戦となり、食い止めるのが精一杯という悪循環に陥った。
「(失敗だ)」
初手で戦力差を見誤った挙げ句、引き際を逃し、全滅──。
そんな言葉すら浮かぶ。しかしそうして命を落とした捜査官は数知れない。
自分もそうなるのかと、宇井は唇を噛み締めた。
今回のモグラ叩きで特別に編成されたチームのリーダーだった捜査官は現在、下半身のみとなって転がっている。戦闘開始直後にそうなった。
二番手として控えていた宇井は首が絞まるほどの勢いで後ろに引っぱられたために無事だったが、リーダーは掴まえた琥珀の腕ごと肉塊となった。
「(琥珀──)」
有馬から借り受けた戦力である琥珀は現在、負傷した二名を守りながらの戦いとなり反撃に出られない。
一人でも引き受けられれば攻撃のひとつも放てるかもしれなかったが、それだけの自信も腕も、悔しいが宇井は持ち併せてはいなかった。
守りの戦いは反撃の策がなければ意味がない。
「(いずれ消耗して……全滅する)」
撤退の動きを取れるチャンスが作れたとしても、一人、殿を残さねばならない。
逃げる捜査官らを守り、通路で文字通り"壁"となるために。
「(それが可能なのも一人だけ──)」
喉の奥に鉛を突っ込んだような不快で胸の悪くなる選択肢。
しかし他の者も薄々思っていることだろう。
それしか手が無いことに。
「思わぬタイミングで指揮官デビューですね、郡さん」
琥珀が声を弾ませて後退してきた。
幸い相対する喰種たちの中に羽赫はおらず、琥珀の羽赫による援護で仲間二人も下がってきていた。
「『22:00作戦開始。22:15喰種と遭遇。予測ポイントより早い襲撃により対応が遅れ、准特等・一名が死亡。その後の交戦で上等・一名が死亡。これ以上の戦闘は不可能と判断し後退。一等捜査官・三名が帰還』…ていう感じですか?」
残った一等捜査官・三名の内、席次では宇井が一番上となる。
「…立派なプレビューですけど、私はそれを清書する気はないですから」
「なぜ?」
こちらを窺う喰種らを牽制しながら、宇井には目も向けずに琥珀が問う。
宇井は苛立つ。
「なぜって──、その報告には貴女が入っていない」
つい口調が強くなってしまった。
他意など無い。単純に仲間を盾にするという選択が、自分の中で好ましくなかっただけだ。
好き嫌いを言えるような状況ではないことは頭で理解している。
自分が琥珀を苦手と思っていても。
琥珀が一番の戦力であるとしても。
琥珀を一人置き去りになど出来ない。
表情を険しくする宇井をちらと横目で見た琥珀は、やっぱり、と唇に笑みを乗せる。
「優しいですね」
「こんな時まで茶化さないでもらえます?不愉快です」
「茶化してなんかないですよ」
「いいえ茶化してます。前々から言おうと思っていたんです。琥珀、私は貴女が嫌いです。いつもいつもへらへらして。他の捜査官に陰で何て言われているかも気づいているくせにっ。貴女は有馬さんの元で十分な働きをしているのに、どうして何も言い返さない?反論しないんだ──!」
今だって策に反論してほしい。
この場で最も実戦経験も実力もある琥珀に、皆が助かる他の手立てを。
琥珀一人を犠牲にしないで済む代案を。
何か無いのか、何か──、
「ふふ。郡さん、やっと嫌いって言ってくれましたね。…それで、いいと思います」
やはり琥珀は微笑んだままだ。
それから、拗ねたように口を尖らせた。
「私も…陰で悪口を言ってくる人たちは嫌いです」
半身を引いて宇井を見た琥珀の右目は、赤く、黒かった。
でも間違えないでください、と。
そう、はっきり口にする。
「私は喰種です」
局にとって、惜しむ命ではないのだ。
琥珀がどれほど望んだって、琥珀の命に手が差し伸べられることはない。
琥珀がどれほど殺したって、使い捨て以上の立場を認めてはもらえない。
価値は戦えることを示し続けることのみ。
逃げる選択など、琥珀には存在しないのだ。
ぱきぱきと肥大化してゆく赫子の音に、琥珀の穏やかな声が重ねられた。
「宇井一等。指示を」
嫌いだと言ったのに。
宇井はこんな時にまで優しく微笑む琥珀が憎かった。
こんな時ばかり自分を、名前ではなく役職で呼ぶ彼女が、大嫌いだ。


160809
[ 27/227 ]
[もどる]