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信愛

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琥珀は喰種対策課のオフィスに戻ってきていた。
昼時で人影の少ない室内にほっとしながら、デスクへ向かう。
捜査官らは琥珀を視界に入れると緊張するため、琥珀は彼らを避ける癖がついていた。
いくら捜査官が喰種を狩るプロでも、これは猛獣が檻の外に居るようなもので。
ちゃんと躾けられてますよと言われたところで安心などできないのは仕方がないことだろう。
「(早く有馬さんのところに帰ろ)」
有馬は昼食を摂っているので早く戻る必要はないのだが、デスクには忘れ物を取りに来ただけなので、早々に踵を返す。
そんな琥珀は視界の端に、キャスター付きの椅子に乗ってくるくると回る子供の姿を見つけた。
明らかな待ちぼうけ。
琥珀はそんな姿に既視感を覚える。パートナーから待機を命じられて時間を持て余す、自分も微妙な立場上、昔はよくそういう状態だった。
…くるくる回ったりはしなかったけれども。
そんな退屈を持て余している彼は、確か──、
「鈴屋…什造君?」
声を掛ければ、回転の弾みをつけていた手が止まり、少年とも少女ともつかない、中性的な顔がこちらを向いた。
「誰か僕のこと呼んだですか〜?」
傍へとやって来た琥珀を見上げて首を傾げる。
近くで見れば見るほど、綺麗な顔立ちをしている少年だった。
白い肌に大きな瞳、鼻と口は小さく、ふわふわとやわらかな髪が後押しして、まるで西洋人形のようだ。
しかし、離れていては分からなかったが、その肌に模様のように飾られた赤い糸。
什造の傍に立った今、生々しい縫い目が一際の異彩を放つ。
有馬と同じく、和修常吉の計らいにより異例の扱いで入局したのだという。
身体能力がずば抜けており、ただ、共感能力に欠けると聞いた。
「はじめまして鈴屋三等。私は──」
「あーっ!待ってください、おねーさんのこと、僕、知ってます」
「私のことを?」
「はい〜」
「初対面だったと思うけど」
「会うのははじめましてです。でも、えーと〜…今お名前思い出しますので、しばしお待ちを〜」
おねーさんは〜…、と、什造はこめかみに人差し指を当てて記憶を引っ張り出す。
えーとえーと。
右にゆらゆら、左にゆらゆら、それから表情をぱっと明るくした。
「琥珀チャン!そうそう、君塚琥珀チャン、です」
「はい。君塚琥珀です。資料を見たのかな」
「はい。喰種だから、覚えました」
什造は無邪気な笑顔のまま、手品の如く鮮やかに取り出したナイフで琥珀の首を狙う。
目にも止まらぬ速さで迫るナイフ──クインケを、人差し指と親指でつまんで容易く止めた琥珀は首を振った。
「私も、君の事は資料で。…君のパートナーは篠原特等でしょう。同僚への挨拶の仕方は教わらなかったの?」
「なかったですねぇ〜。喰種を殺す方法なら知ってます」
「それも合格点には程遠いけど。不意討ちで失敗するなんて、クインケの持ち腐れです」
什造はむぅ〜と頬を膨らませる。
「そういう琥珀チャンだって、弱い喰種だったから捕まったんじゃないですかー。誰に、どうやって捕まったです?どうしてその場で殺されなかったのですか??」
一つ質問を思いつくと他にも思いついてしまい、什造は矢継ぎ早に並べていく。
同族を殺すのはどんな気分なのかとか。
仕事中に捜査官を食べたくならないのかとか。
大きな瞳を輝かせて訊ねる。
その勢いに押されて琥珀はやや身を引く。
しかしテンションの高い什造を相手に話を切り上げることもできず、結局一つ一つに答えていった。
什造には、他の捜査官の言葉に見え隠れするような皮肉や嫌悪がなく(先ほどの殺気は見事だったが)、純粋な好奇心であることも大きかった。
二人が話をするうちに、昼食を摂った局員らがちらほらとオフィスに戻ってくる。

「あとあと〜。他の捜査官にヤなこととか言われないですか?喰種のクセにーみたいな」
「ん〜」
「さあさあ。正直に言っておしまいなさい〜」
「どうかなぁ?…さすがに、ここでは言えないでしょう」
「ぶ〜〜〜」
「ふふっ」
什造のペースに巻き込まれ、琥珀の受け答えもだいぶ砕けたものになっていた。
「でも、私のことは仕方ないもん」
「…でも。琥珀は"ヤなヤツがいない"とは言ってないです」
むくれた表情をしていた什造は一変する。
「そんなムカつく捜査官は〜…殺しちゃえばいいんですよ」
大きな瞳に剣呑な光を宿して琥珀にじわりと迫る。
平素の口調で解決策を述べる。
「そしたら僕が琥珀を殺しても、僕は誰にも怒られません」
本気だろうか、冗談だろうか。あるいはどちらでもありそうな什造の声色。
道化を思わせ真意が見つからない。
琥珀はふっと笑った。
「什造君、怖いなぁ。そこに持ってくんだ」
「ユードージンモンです。成功しました?」
「してませーん」
ぺちっと什造のおでこを叩く。
「でもでも琥珀は〜」
「でもでも?」
「ガマン、してません?」
「ガマン、かぁ…」
言われて琥珀は、ふと下げた視線の先の自分のお腹に手を当てた。
以前、祖父や叔父が"食事"を用意してくれたのだが。
局で用意されるものは、人間の食べ物に例えるならば栄養補助食品とでもいうのだろうか。
加工が施されており、あまり美味しくない。
もう少し外にだって──
不満を言い出せばキリがない。
「……ガマン、してるよ?」
琥珀ははじめて什造の質問に肯定した。しかし、
「どんなガマンしてるですか?」
什造が身を乗り出す。
琥珀は苦笑した。
琥珀の考えるガマンとは什造が思うようなものではなかったから。
自分がここにいる目的は、良い食事をするためでも良い暮らしをするためでもないのだから。
「好きな人に、もっと、もっともっともーーーっと会いたくて、触りたくて、ぎゅーってしてほしい。けど、ガマン」
琥珀の今の状態を"生かされている"と言う者は多いだろう。
しかし琥珀はそれでも構わない。
──自分がここにいる目的、それはただ一人──
「私、そろそろ行かなきゃ」
だいぶ長居をしてしまった。琥珀は腕時計を見て立ち上がる。
しかしその袖が、くい、と引っ張られた。
「好きなヒト…琥珀の大切なヒトですか?」
什造への琥珀の答え。
それは蕾が花を咲かせるような、ふわりとした微笑みだった。
その眼差しはあたたかく穏やかで、あまりにも優しい。
什造の手に力が篭る。
喰種なのにどうしてそんな顔ができるのだろう。
自分は人間なのに大切なヒトなんていない。
血に塗れているのはおんなじなのに。
ムカつくヤツはたくさんいる。
丁寧な言葉を使って嗤い、こちらが背を向けると蔑みの視線を突き刺すのだ。
どうして。
どうして。
ズルいです、琥珀。と、什造の唇が動いた。
本人も無意識の呟きだったのだろう。琥珀を見上げる什造の黒い瞳は、瞬きもせず真っ直ぐだった。
けれど琥珀には、今にも泣いてしまいそうな子供のように見えた。
什造のふわふわの髪に手を伸ばす。
目元の赤い糸が、かさぶたが痛々しかった。
什造が痛みを感じていなくても傷が作られ血が流れるのだ。
琥珀は什造の過去を知らない。
什造がどうして痛みに疎いのか。自分に対しても他人に対しても。
どうしてそれほど、自分を蔑ろにしてしまうのか。大切にしないのか。
掴まれた袖をそのままに、琥珀は什造の前にしゃがんだ。
「私は…什造君に、自分を大切にしてもらいたいな」
「どうしてです」
「君が傷つくのは辛いから」
「どうしてです」
「君を心配しているから」
「どうしてです」
「私は、什造君に感謝してるから」
「どうして──」
傷が無いわけではないのだ。
「どうして琥珀は…僕に感謝なんかしてるです」
ただ什造が感じていないだけ。
「什造君、私を見てくれたでしょ?喰種としての私と捜査官としての私を、真っ直ぐに見てくれたから」
やがて血は固まり、皮膚も再生するだろう。けれど。
什造に、いつか気づいてほしい。
「私ね、嬉しかったんだ」
「僕は琥珀を殺そうとしましたケド」
「そうだね」
「次も殺そうとするかもです」
「ふふ、じゃあ殺されないように気をつけなきゃね」
「殺されるかもしれないのに、どうして笑うですか」
「それは什造君なら分かるんじゃないかな?」
「……僕のナイフは簡単に止められるってコトですか」
「違うよー」
だんだんと口を尖らせてきた什造の頭を、琥珀はぐしゃぐしゃぐしゃと楽しそうに撫で回す。
「後ろ指を指されるより、陰口を叩かれるより、正面からぶつかってこられたほうがずっといい、ってこと」
そうじゃない?
首を傾げる琥珀は、什造が最初に思ったよりも強かで図太い。
物分りの良いお姉さんなんかではない、挑発的な顔で笑う。
「君が私を狙うなら受けて立ちます」
今度こそ琥珀は什造の手を離して立ち上がる。
「でも、任務で一緒になった時は仲良くしてほしいかな?」
そうして、またね、と一言。
早足にオフィスを出ていった。
置いていかれた什造はぽかんと琥珀の姿を見送った。
命を狙われるというのに受けて立つだなんて、琥珀はおばかなのだろうか。
明るく軽やかに言い残して去った琥珀を什造は心配してしまう。
「…心配、してるですか?僕が──…?」
シンパイ、と。もう一度口に出してみる。
それは什造がはじめて使う言葉であり、はじめて自分の声で紡ぐ音だった。
どうしてだろう。
とても不思議な心地がする。
篠原が戻ってきたら聞いてみようと什造は思った。
君塚琥珀とは、どんなヒトなのか。


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