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(2)

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ねえ、起きて──
女に呼ばれ、ゆるゆると肩が揺すられる。
しかしまだ眠気が強くて抵抗をすると、途端にガクッと衝撃がきた。
「ちょっと。起きてっていってるの」
低く不機嫌な声が降ってきて丈が目蓋を開けば、手錠代わりの鎖と腰のベルトを掴まれて、自身が宙ぶらりんであることがわかった。
「──人間って何食べるのかわからないから…」
適当に揃えたわ、と子供用のテーブルに調理パンやら菓子パンを山と重ねていく。
二人が休んだ部屋とはまた別の部屋に移動して、テーブルを挟んで丈と女は向かい合って座る。
「…顔を…」
「?」
「洗ってきたいんだが…」
きょとんとした女に水道の使える部屋を教わって眠気を醒ました丈が戻ると、女はまだそこにいた。
正座を横に崩した座り方をして、そわそわと視線を逸らす。
てっきり怒られると思っていた丈は女の向かいに腰を下ろして、迷った末におはようと声をかけた。
「…これは…、俺が食べても?」
「私が食べるわけないじゃない。人間は…たしか、朝昼晩って小刻みに"食事"をするんでしょ?」
よく知らないからわからないのっ、となぜか怒ったように顔をしかめる。
「なら有り難く…。いただきます」
「…どうぞ」
黙々と。もふもふと、調理パンを咀嚼する間、丈がちらりと目を向けると、女はパンの具と、そして丈の様子が気になるらしく首を傾げていた。
丈が二つ目に手を伸ばすと「美味しかった?」と窺う。
「…それなりに」
「ふぅん」
「…ただ」
「ただ?」
「パンばかりだと喉が乾くんだが…」
「これって喉が乾く食べ物なの?」
乾くというか…なんというか。
どう説明したら人間を喰らう喰種に伝わるかと、丈は口を閉ざした。
「あっ……ねえ、じゃあこれは好き?」
丈とは対照的になにかを思いついた女が、ぱっと表情を明るくする。
ガサガサ、コトン──…、
パンの山を掻きわけて二つの缶コーヒーをテーブルに置く。
「私用に買ったのだけど、仕方ないから一個あげるわ」
どっちがいい?と宝物を見せるように身を乗り出す。
片方を選んだ丈は、コーヒーでパンを呑み込みながら張り込みでもしているような気分になった。
ただ、通常業務と明らかに違うのは、調査対象が手を伸ばせば届く目の前にいるということ。
「…ちなみにだが。買い物をする現金はどうやって手に入れている?」
「それ、本当に聞きたいの?」
「…。いや」
人間を圧倒する喰種が目の前にいるということ。
三つ目を食したところで満腹になった丈はギブアップを宣言した。
パンはまだ残っている。
「有り難かったが、パンばかりでは少しキツいな…」
「他のものが食べたいってこと?」
「今ではなく、昼と夜は」
「…。人間は我が儘ね」
「これは明日の朝に頂こう」
「明日でも食べられるの?」
「消費期限が書いてある」
「しょうひきげん?」
知らない単語を聞いたと顔に出た女に、丈がパンの表示を指さして説明をすると、女の顔が手元に寄る。
難しいものを学ぶとばかりに眉間がきゅと寄り、長い睫毛が伏せられる。
喰種に学校はあるのだろうか…などと、ふと頭に過った丈は、指でテーブルに一文字ずつを書き出してみせた。
「聞いたことはあるけど、書いたことはなかったわ」
丈の動きを真似て、見えない"消費期限"の4文字を完成させた女の顔が嬉しそうにほころぶ。

丈が昼食もパンでいいと告げると、女は、どうして?と訊ねた。
しかし丈が「それが世のためだ」とさらに返すと、女はそれ以上は訊かなかった。
窃盗。強請。恐喝。
正直なところ、女が金品を獲るためにとった手段の、明るい想像が丈にできなかったからだ。
「(………。着信記録も多いな…)」
日が沈みつつある夕刻。
濃紺に包まれる廃ビルの屋上で携帯の電源を入れた丈は、こちらでも胃もたれを起こしそうだった。
通話ではなくメッセージを送ると、三秒と経たずに既読が着いた。
通話は可能かと倉元からのメッセージが届く。
「──倉元か?平子だが…」
[タケさんんんっ!無事ですかっ!?喰われたりしてないっすか!オレ、自分の装備とっ、タケさんの予備クインケもバッチリ整えてますから──]
倉元の小さな大声に、丈は思わず電話を耳から離した。
[一応、局には風邪で通してあります。2、3日くらいは誤魔化せますけど…それ以上はやっぱ厳しいですよね]
「…そうだな」
[ウチの班と、他に呼んでおきますか…?]
「いや。…まだいい」
[でも準備するなら早い方が…]
「…少し様子を見たい」
[……、タケさんがそう言うなら…。ところであの喰種、今は平気なんすか?]
「用事があると出掛けた」
[そりゃ安心………いや、"食糧"調達…すかね?]
「かもしれない」
電話の向こうで倉元が呻く。
[…くれぐれも、喰われないでくださいよ…]
「……。ああ」
[………。タケさん、ほんとすみません。オレのせいで…]
「…気にするな」
通話が終わり手錠のかかった手で携帯の電源を再び消すと、背後から「不用心ね」と声がかけられた。
どこから帰ってきたのか、屋上の手摺に女が寄りかかっている。
「私が喰種だってこと、忘れてない?」
「…携帯を取り上げるか」
「いらないわよ」
意地を張るように、ふんと鼻を鳴らす。
「不用心だな」
「なによ。逃げる相談でもしていたの?」
「逃げようとすればバラバラにするのだろう」
「ええもちろん」
どこか怒ったようにつかつかと歩み寄ると、持っていたレジ袋を丈の胸に押しつける。
これは?と丈が問うと女は上目遣いで睨み、「"食糧"の調達をしてきたの」と答えた。
そのまま丈を通りすぎて屋内へ入ってしまった。
押しつけられた袋を開くと、ほかほかと良い匂いの立ちのぼるカツ丼と、缶コーヒーが2つ。
女が戻った部屋へ丈も足を向けた。
「──質問だが、これは俺が食べても?」
「きゃあ…っ!?っ、いいに決まってるでしょ!勝手に食べればっ!」
悲鳴とともにクッションが飛んできた。
顔で受けた丈は足元に落ちたそれを掴んで女に近づく。
「…な、なによ……」
「これは二人分の夕食ではないのか」
「コーヒーだけ返してもらうわ。あとはアナタのよ。…。まだなにかあるの」
「一人で食事をしても味気無い」
「………」
朝昼と同じく子供用のテーブルを挟んで向かい合う。
いや、女は膝を抱えて拗ねたように横を向いていた。時々ちらりと丈を窺う。
「…カツ丼っていう、それ。…好きなの?」
「ああ。…パンも悪くはないが、白米の方が好みだ…」
「はくまい?」
「米のことだ」
「ああ…、」
お米、白米、と女は言葉を馴染ませる。
日常生活に支障のない程度の知識は持っているものの、食べ物に疎いのは、喰種にとって不必要な知識だからだろうか…。
今度は丈が女の横顔を窺う。
化粧気のない顔は、局で働く同僚たちと比べるとだいぶ幼く映り、かたちの良い艶やかな唇は口紅を乗せなくとも目を惹いた。
「…どうするつもりだ」
プラスチック製のフタに貼ってある成分表を眺めていた女の瞳が丈を見る。
「俺はいつ、お前の"食事"になる予定だ」
「……。お腹が減ったら考えるわ。それまでは…観察対象よ」
「人間に興味があるのか」
「それなりに。だってここは人間の世界だもの。知識は備えておかないとね」
「…十分備えているように見えるが」
「"はくまい"も知らないのに?」
あと"しょうひきげん"もね、と女は小さく笑う。
「血の気の多い喰種もいるけど、私はただ静かに暮らしたいの。ここも…わりと気に入ってたし」
「………。コンビニも近い」
「重要だわ」
「缶コーヒー以外にも買うものがあるのか」
「日用品は大切でしょ。深夜でも買えるのはありがたいことなのよ」
一般人として遜色のない価値観を備えて胸を張る。
そんな姿を見ていると、女が喰種であることを忘れそうになる。
コロコロと転がるように機嫌を変え、それを映す表情には華やかさがある。
浮世離れした雰囲気もあれど、それも可愛気かもしれないと、つい惹き込まれそうになった丈は止まっていた箸を動かした。
「ところで…この外さない夕食はどうやって選んだんだ」
女の外見や価値観はともかく、昨日の壊滅的パン知識から比べると、この選択は丈も期待していなかったとはいえ、飛躍的進歩といえるだろう。
まさかコンビニ客からカツアゲでもしたのだろうかと心配になった本音もある。(決して"カツ丼だけに"という洒落ではない)
「そ、それは…その……訊いたのよ。コンビニの人間に」
パンの失敗があったため自信が持てなかったのだろう。
思い返す姿には意外にもしおらしさが漂う。
「どんな風に?」
「…"知り合いに夕食を頼まれたんだけど、なにを買ったら良いかわからないの。アナタなら…今夜なにを食べたい?"って」
「………」
「そしたら"きみがっ!"って言われて…でも私、"きみ"が何なのかわからなくて。結局……ええと、黄身?が美味しいカツ丼?を勧められたわ。私の訊き方、おかしかったかしら?」
迷いながら女は小首を傾げる。
きっとコンビニでもこの調子だったのだろうと思うと丈も密かにため息を吐いた。
「ねえ、"きみ"って何?」
「…カツ丼にかかっていた黄色いアレのことだ」
「美味しかった?」
「……絶品だった」
流れる半熟卵まで割り箸で食べきった丈は、プラスチック整の器を片づけにかかった。
がさがさと鳴るレジ袋に器を納める音に、手錠のじゃらじゃらという重たい音が加わる。
すると、なにを思ったのか女が立ちあがって丈の傍らに膝をついた。
近いほどに男女の体躯の違いが際立つ。
「手錠。外してあげる」
「…」
「何よ。嫌なの」
「いや。嬉しいが…人質を甘やかし過ぎではないか」
「かもね。でも満腹になったからって丸腰の人間が喰種に勝てると思ってるの?」
物理的には近い目線でも、精神的にはかなりの上から目線でものを言う。
ただ丈も、傘くらいあれば喰種を討伐できる人間もいるぞと思ったがそこは黙っておいた。
「言っておくけど、これ以上のサービスはしないから」
あれほど厳重に丈の両手を拘束していた鎖を、華奢な女の手が手品のように鮮やかに解く。
「クインケを返す気もないし。あれ、痛いから嫌いよ」
「…捜査官と戦ったことがあるのか」
鎖を置いた女が髪をかきあげてみせると、首と肩にかけての皮膚の引き攣りが現れる。
「喰種にも治らない傷ってあるのね」
さっぱりと言い放つ声も、痕を囲んで広がる白い肌も、潔く軽やかだ。
丈が無意識に手を伸ばそうとすると、触れる寸前で女の手がぱちっ!と叩き落とした。
「ちょっと、なに」
「……いや…」
「…鎖がまた欲しいみたいね」
「…それも良いかもしれないな」
「冗談よ。…なんなの、このSMプレイみたいな会話」
「SMは知っているのか」
「!?ばっかじゃないのっ」
ぽろりと漏れた丈の言葉を全力で罵倒した女は立ちあがる。
「ヘンタイの上司はやっぱりヘンタイなのねっ!」
昨日の倉元の件もコミコミの、聞き捨てならないレッテルを張りつけた。
「だいたいその鎖っ、アナタが寝返り打つたびにじゃらじゃら煩くて眠れないのよっ」
八つ当りも追加して、すべてを封印するようにバンッ!と強くドアを閉める。
本気ではないにしろ喰種の腕力に軋むドアに丈は同情した。
そして、ここを気に入っているのならもっと丁寧に扱ってやったらどうだとも。
「(……少し違うな…)」
"ただ静かに暮らしたいの。
ここも…わりと気に入ってたし"
この場所をもう過去形にした女の言葉が甦る。


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