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所有者不明の廃ビルに喰種が棲みついている──
ふと耳にした不確かな目撃証言から、調査の下見へ、単独で向かったのが発端だ。
足元に転がるマスクを見て平子丈は視線をあげた。
「…彼を離しては貰えないだろうか」
「イヤよ。離せばアナタたちは仲間を連れてくるでしょう?私を駆逐するために」
「キミが安全にここを離れられる時間…くらいの報告の延長ならできるかもよ?」
「人質は黙ってて」
「…ハイ」
呻くように返事をした喰種捜査官の伊東倉元はコンクリートにうつ伏せており、その背中に座る女が赤黒い瞳を向ける。
女の体重程度なら、はね除けて起きることも出来ただろうが、あいにく倉元の身体は赫子によってぐるぐる巻きにされていた。
交戦後に口を利く余裕があるだけ幸いだろう。倉元からの連絡を受けて駆けつけたパートナーの丈はクインケを下ろす。
「怪我は無いようだな、倉元」
「ないっす。すみませんタケさん…下手打ちました」
「無事ならいい」
「コトの次第で無事じゃ済ませないけど」
「…返答次第では解放してくれるか」
「言った通り、これは人質。私がここで、これまで通りに暮らすためのね。わかったらアナタは帰ってちょうだい」
「そう言われて帰るわけにはいかない。…部下を解放してもらうにはどうすればいい?」
「彼を離して欲しいなら同じものと交換よ」
「同じものとは?」
女の指が丈を指す。
「そんな条件飲めるかよっ…!タケさん、オレに構わないでこの喰種を駆逐してくださいっ!」
「もうっ、いもむし男は黙ってなさいっ!」
怒った女がぎゅうと体重を押しつけるが、しかしそこは芋虫だろうと腐っても喰種捜査官だ。
さらに怒った倉元が全力で藻掻くと、上に乗った女はバランスを崩してひっくり返った。
「あっ…きゃあっ…!ちょっともう!暴れないでよ!」
「うるせー!ちょっと気持ちイイから我慢してたけど、タケさんはお前みたいな軽い喰種に負けるような捜査官じゃないんだっての!」
「っ──!?気持ちイイってなに!?このヘンタイ!」
もだもだと捻れまくる倉元に女の脚が絡まり、ごんごんと華奢な踵で蹴っ飛ばす。
こんがらがった二人を見兼ねた丈が女を抱えて立たせてやると、赫子に巻かれた倉元が少し引きずられた。
「た、タケさんっ、コンクリが地味に痛いんスけど…!」
「すまん」
「い、痛いっ、お尻がっ…!引っ張らないでっ!」
「…」
あまり引き離すと逆に不都合であることがわかった。
倉元を助け出すチャンスでも得られればと丈は思ったのだが、女の赫子は緩みもせず、また絞まりもしなかった。
二人が落ち着いたところで、お前の条件を飲もうと丈は女に言った。
「人質は交代だ。倉元を解放してやってくれ」
「タケさん!?」
「私はどっちが人質でも構わないけど。でも、もしここに捜査官が踏み込んできたら、腕をもいでアナタを盾にするからね」
「…。人質とはそういうことだろうな」
「そんなっ…!オレは──!」
「いい。倉元、局にはしばらく病欠と伝えておいてくれ」
倉元が言葉を詰まらせた時には、赫子はすでに丈の身体を拘束し、女の腰にかけて赤黒い尾をたゆませた。
「アナタは自由よ。挨拶が済んだら出ていって」
「タケさん……装備整えて戻ります…っ」
「もう一度忠告が必要?この近くに捜査官の気配を感じたら、アナタの先輩、千切れるわよ」
「…っ」
「倉元。今は退け」
悔しげに眉をしかめた倉元が丈に小さく頭を下げて身を引く。
蝶番の壊れたドアから出ると足音が遠ざかった。
丈の耳に聴こえなくなってからも、女はしばらくじっとしていた。
ビルの外へ倉元が到達するのを確かめていたのだろうか。
そうしてやっと女は丈から赫子を解いた。
室内に放置された廃材から鎖を持ってきて丈の両手首に巻きつける。
「クインケは預かるわ。私は部屋に戻って寝るけど、逃げようとしたら殺すから。私の眠りを妨げても殺すわ」
「…。随分と規則がゆるいんだな」
どこかに繋がれるものと思っていた丈は女を見下ろす。
両足など自由そのものだ。
「そう思うなら試してみたら。どの段階でアナタが死ぬか」
巻かれ終わった手を丈が下ろすと、じゃらりと重たい音がした。
女は、寝るわとあっさり告げると部屋を出て階段を上っていってしまった。
残された丈も階段を上る。
騒動があった部屋は、改装工事の途中で投げ出されたのか資材が隅に押しやられていた。
次の階は事務所か、学習塾か。ホワイトボードや折り畳み式の机などが見られた。
そして──
「……邪魔しないでって言ったでしょ」
さらに階を上がって開いたドアのむこう側に、女がいた。
赫眼の解けた大きな瞳が丈を睨む。
威圧感が消えたせいか、女の体躯は先ほどよりも線が細く、月明かりのみの薄暗い部屋に小さく映る。
「この部屋は…?」
「…私の住み処」
ため息とあくびの混ざる気だるい返事だ。
パステルカラーの組み合わせ式のマットが敷かれた部屋は、託児所として使われていたのだろう。
散歩や食事、昼寝などの一日の流れが記された可愛らしい予定表や、歯みがきや片づけをわかりやすく描いたイラストが壁に留まっている。
子供用の小さなテーブルや椅子は畳んで壁際に。
代わりに、部屋の半ばには敷かれた毛布とクッション、…もう一枚の毛布を手にした女が──…
「…ねえ」
「?」
「寝たいんだけど」
「俺を見える場所に置かなくていいのか」
「私、眠りは浅いのよ。…逃げようとしたらすぐに聴こえるもの」
わかったら、他所へいって。
これ以上の質問はお断りと言わんばかりにため息を吐く。
丈は部屋を出て、寝床を整えはじめた女の背中を仕舞うようにひっそりとドアを閉める。
自身もどこかで休もうと、手近な部屋──すぐ隣の部屋のドアノブを引く。
託児所の雰囲気を残しつつ、事務的な備品に囲まれる中、丈は椅子を並べて横になった。
手錠代わりの鎖は重たくて邪魔だったが、居心地を整える間、この一日を少し考えた。
昼近くの遅番で出局し、デスクワークを済ませて倉元と外へ出た。
そんな調査の途中で取った別行動で、倉元は情報を耳にして先にこのビルへ足を踏み入れたのだ。
局への言い訳は倉元に依頼しておいたが、自身がいつまで無事でいられるかは神のみぞ…いや、隣室の喰種のみぞ知る、だ。
狭い椅子の上で寝返りをうち、ポケットに入れた携帯の存在を思い出した丈は電源を切った。バッテリーも数日なら持つだろう。
隣で眠る女も丈を"食事"にするつもりはないらしい。
「………。」
丈を自由に歩き回らせることも。
荷物のチェックに関しても。
どこか不用心で大雑把で、狡猾とは程遠いあの姿は、家出娘か何かのようにすら思わせる。
ただその正体は、人間の胴体を簡単に捻り切ることのできる喰種なのだ。
明日への気がかりは山ほどあったが、丈は目を閉じた。
緊張と疲労とが眠りへ誘う。


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