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(6)

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「ウーさぁん、いるー?」
コツリ、コツリと細いヒールで床板を鳴らし、薄暗い照明が照らす店内を見渡す。
壁に掛かった数々のマスクの無言の歓迎を受ける中、イトリはこちらに背を向けたソファーの端から飛び出る脚を見つけた。
力なくだらりと下がる脚の主を上から覗き込む。
「その様子だともしかしてー…フラれちゃった?」
「………うん」
イトリはあちゃーと手を額に当てて、やや大仰なリアクションをする。
「ウーさんわくわくして出掛けたのにね。ふわふわの琥珀ちゃんを、懐柔?誘惑?するって言ってたのに」
「少し違う気もするけど。まあ失敗は失敗、だね」
「ウーさんが仕損じるなんてねぇ。アタシも会いたかったなぁー…あっ!ねえ、これからチョット見てきてもいい?琥珀ちゃん」
「うーん。イトリさんも目立つから」
渋い返事をするウタにイトリが「えー」と不満を漏らす。
しかし言葉の続きは、奥の部屋からやって来たニコが遮った。
手にボトルとグラスを携えて。
「はいはい、絡むのはそこまでにして。飲んで楽しく忘れちゃいましょ?」
ローテーブルにグラスを並べ、ねっとりと光る赤い液体を注ぐ。
濃い匂いが部屋に漂い、「おおっニコ姐さん、上モノ出してきたねぇ」とイトリが真っ先に手を伸ばすと、「主役を慰める会でしょうが」とニコが鼻を鳴らした。
「アンタが先に飲んでどうするのよ」
「わかってるってば。ウーさん、今日はアタシたちが愚痴に付き合ったげるから、のも?まだ夕方だけど」
ゆるりゆるりとグラスを回して赤色を楽しむ。
ソファーに寝っころがっていたウタも身体を起こしてグラスを取った。
左右のスプリングが沈み、イトリとニコが寛ぐ。
いつの間にかこれは失恋の残念会と題されて、熟成させた血酒が振る舞われている。
ウタからはまだ何も伝えてないのだけれど。
「ウタ。アナタ振られたことないから自覚してないかもしれないけどね。これは歴とした失恋よ」
ニコがグラスを煽ると、男らしい喉仏が上下してゴクリと液体を嚥下する。
ウタはそうなのかなぁと答えておく。
「なぁんにもする気が起きなくて、ソファーにごろごろしてたのがその証拠よ」
確かに何をする気にもなれなかった。
「頭の中がその子でいっぱいで、同じことばっかり考えたり」
確かに琥珀のことを考えていた。
「そうそう。だからね、失恋したウーさんは友人であるアタシらに甘えていーの」
さあこい。どんとこい。
そう云わんばかりにイトリが抱擁上等な構えで豊満な胸を張れば、その反対ではニコがどぎつい柄シャツのボタンを三つ外した胸元をアピールしつつ割れ顎を引いた。
「あぁ、うん。………悪夢?」
「極楽よッ!ヒトハダのぬくもりでしょうが!」
「ウーさん…さすが手強いわね…。魅惑の抱擁ニコ姐とマシュマロ&ボリューミーなイトリさんでも満足できないなんて…」
「…うーん。満足っていうか」
答えを求めるイトリとニコの左右からの圧迫感を気にせずに、ウタはグラスを気持ち稀薄に手遊ばせる。
求めていたものは別に肉体的なものではなかった。
隣に並んで同じ時間を過ごした。
気まぐれのように訪れる琥珀と共有する時間、その延長が欲しかった。
それがどれくらいの深さの欲だったのか。
物事に入れ込まない性質のウタにはぴんとこなかったが、確かに二人の言う通り、琥珀とはしばらく、あるいはもう会う機会は訪れないかもしれないと予感して凹んでいる。
はじめて琥珀の頬に触れ、ふっくらとした唇をなぞった。
抱き寄せた背中は思っていた以上に華奢で、おずおずと身を寄せてくるしぐさが可愛らしかった。
琥珀が瞳に映す自分は別の男の姿をしていたけれど。
「彼女はもっと慎ましい感じだったから」
ギャップが激しくてと、ウタが現実へ戻ってくると、馴染みの友人たちは瞠目した。
「つつましい…だと……?」
「奔放がアタシたちの合言葉じゃないのッ」
いつの間にそんな標語ついたんだろうとウタが首をひねる間にも、イトリとニコはやさぐれたようにボトルを傾ける。
結局自分たちが飲みたかっただけじゃないかというペースでグラスを満たしては空けてゆく。
「ニコ姐、一本じゃ足りないわ」
「追加しましょ。つまみも一緒に必要ね。…まったくもぅ、オトメゴコロのわからないオトコなんだから」
「………」
ふぅと切なくため息をついたニコが血酒とつまみを取りに部屋を後にする。
すでにボトルを独り占めしはじめたイトリは、勢いよく中身をグラスに注ぐ。ぐいっと煽れば零れた赤い滴が首から胸元へと伝う。
じっと眺めるウタの視線に気づいて瞳を細めた。
「おんやぁ…?ウーさん、欲情した?」
ウタは口許を緩め、やわらかな曲線を伝った芳醇な赤を指で拭ってぺろりと舐める。
「仕方のないひとだなぁって。つい手が、ね」
それ以上の接触はせずソファーに凭れて身体を沈ませる。
二人は特に付き合いの長い仲間だ。
ニコやイトリの考えていることも何となくわかる。
どう思い、また、想われているのかも。
「……大切かぁ…」
グラスにボトルの注ぎ口が当たって顔を顰めたイトリが、何か言った?と聞き返したが、ウタは静かに笑った。


…お恥ずかしい姿を──…
「お見せしました……」
感情の昂りも治まって、決まり悪さのみを残した琥珀が深々とウタに頭を下げる。
その向こうには丈の姿が見えたが会話に入るつもりはないらしく、屋上扉の横に佇んでいる。
「気にしなくていいんじゃない?もとはといえばぼくのせいだし」
ただ、こちらを眺める丈の何を考えているか読めない無表情は相変わらずだ。
琥珀への心配もあるだろうし、ウタへの反発もあるのだろうが、静かに沈めてウタを見送る琥珀についてきた。
「…。大事にされてるね」
ウタの視線につられて琥珀も顔をあげる。
丈と目が合うと琥珀は頬をゆるめ、すぐに戻るからと伝えるように微かに唇が動く。
「……ちゃんと丈さんにお話します。今まで…ウタさんと会ったり、お話ししてたこと。…なんでもっと早く言わなかったんだって、怒られちゃうかもしれないですけど…」
「二股じゃないって言っておかないとね」
「ふ──…っ!?」
慌てて琥珀は絶対に違います…!と首を振るが、すぐに勢いをなくした。
丈もわかってはいるだろうが、しかし恋人が別の男と二人きりで会っていたというのは、決して気分の良い話ではない。
「琥珀ちゃんが平子さんしか見てないことはわかるし」
琥珀の心のほとんどを丈の存在が占めているということも…ごちそうさまと言えるくらいに知っている。
大丈夫だよと安心させるウタに、琥珀はへたりと眉を下げて笑った。
「はじめてウタさんと会ってから…もう何年も経ちますね。私自身も…ものの見方とか、感じ方、考え方も……昔と比べて変わったと思います」
丈さんへの気持ちは変わらないけど──。
恥ずかしそうに、けれどはにかんだ表情で琥珀は語る。
「私は何も知らなくて…子供でした。自分の気持ちさえ確かなら…降り掛かる物事も越えられると思ってました。でも…、本当に守りたいのは自分じゃない……。大切なひと…大切な人たちでした」
考えながら、途切れ途切れに言葉を探す。
無邪気に、情熱的に、たった一人の人間のことだけを想っていた少女を面影に残して。
「私は人と関わるのが怖かったんです…。家族も友人も、私が近くにいたら迷惑をかけてしまうかもしれないって……」
囁くように零れた声を飲み込んで、焦げ茶の瞳が真っ直ぐにウタに向けられる。
「もう怖がらないで、ちゃんと関わりたい。彼らの助けになりたい。だから私はここを離れません」
陽の光のもとで見る琥珀はいつだって晴れやかで、この先に待つ何かへの期待を優しく抱く。
屋上に吹くビル風が髪を揺らす。
あたたかいようでまだ冷やかでもあり、 どこからか微かな花の香を運ぶ。
軽やかに渡る春先の空気だ。
そっか、と。ウタが呟くと幾重にも着けた装飾が重たげにじゃらりと鳴った。
どんな重りを着けたとしとも、どんな嘘で覆い隠したとしても。きっと琥珀は、この手からするりと逃げてゆくだろう。
「無理矢理にはお持ち帰り、できないし」
「お持ち帰られません…っ。でも、ウタさんは強そうだから。私たち二人掛かりでも負けちゃうかも」
「強くても儘ならないこともあるけどね」
琥珀を待つ丈はやはり主を待つ番犬のようにじっと佇んでいる。
しかしウタが目を向けると、ぼんやりと二人を見据えていた三白眼がウタ一人を捉える。
ウタが知る丈は大抵いつも無表情だ。
が、今に限ってはその変化のない顔でも言いたいことがはっきりと分かる。
まだ帰らないのか、だ。
「…まぁ、お別れくらい二人きりで、なんていうのはちょっと虫が良すぎるしね」
「お別れ、なんですか?」
「…?」
「私…ウタさんとは、その…お散歩友だち…だと思っていたので…。いつかまた…会えるのかな…って、勝手に……」
ごめんなさいと上目遣いに窺って口ごもる。
「……」
そうであるなら。それが可能なら。
今までのように気が向いた時に、顔を会わせて、言葉を交わして。
今までのような関係を続けられるのなら。
ウタが断る理由なんてない。
もちろん"黒山羊"やCCGの活動如何によって難しくはなるだろうけれども。
琥珀がそれを望んでくれるのなら。
…平子さんも大変だなぁとウタは感じた。
そう感じつつ、ふっと力を抜く──


ソファーに沈み、閉じていた目蓋を開くとそこには青空ではなく天井が。
部屋に漂う血の匂いは鼻腔を掠め、喉への催促をする。
忘れていた手の中のグラスを傾け潤いを迎えれば、ふわりふわりと心地好い酔いがウタの身体を巡る。
ため息のように声が漏れた。
「もっと…ぎゅって。しとけばよかったかなぁー」
隣に座るイトリがぴくりと眉を動かす。
優雅に組んだ長い脚を揺らして、ヒールの先でウタをつついた。
「こぉんなぐだぐだな姿、ウーさんに憧れる子たちが見たらガッカリしちゃうわよー」
「イトリさんだから言うんだよ」
「……あっそ」
「あとニコとか」
「はいはい」


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