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親愛

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──せ、くん。琲世君。琲世君。聞こえますか?

どこからか、よばれている。
あたたかで、とても良いにおいのものにつつまれている。
ここは?
ぼくは……?

「琲世君。聞こえる?」
「こ、は…」
「琲世君…思い出して……君の名前は佐々木琲世…」
大丈夫。ゆっくりでいいから。
やさしく背中をなでる手。
それとおなじくらい優しいこえで語りかけてくる。
「衝動に…呑まれないで……琲世君。……君は、君を思い出すの」
だんだんと輪郭をとりもどす、自分。
規則正しくならぶ蛍光灯。白い壁。訓練室?そうだ、ここは部屋のなか…。
腕に少し力が入った。
柔らかいものを僕は抱きしめている。
"彼女"が僕を抱きしめ返した。
「琲世君。琲世君はね…仕事が終わったら、コーヒーを飲むんだって。…缶コーヒーかな。それとも、お店に寄ったりするのかな…?一日終わったぞーって。気持ちを切り替えるんだって」
まだ外は寒いからホットのコーヒーを買おうって。
そういえば財布に小銭はあったっけ、って。さっき思ったんだ。
「シャトーに戻ったらあの子たちに晩ご飯を作ってあげるんだ、って」
皆はまだ育ち盛りだからバランスの良いものを食べさせてあげたくて。そうだ、スーパーにも、寄りたいな。
「皆にご飯を食べさせたらシャワーを浴びて…。部屋でゆっくり読書するんですよ、って」
そうなんです。でも遅くまで電気を点けてると、サッサンまだ起きてるのかよ、とか不知君がノックもしないで部屋に顔出したりして……。
「うん。だから、琲世君は帰らないと。……みんな、君の帰りを待ってる」
「…僕の…帰りを…?」
「そう。君の帰りを待ってるよ。ね?……琲世君、私のこと、わかるかな…?」
「……はい。琥珀、さん」

鼻と鼻がぶつかりそうな至近距離に、彼女はいた。
僕が名前を呼ぶと、琥珀さんの大きな瞳が笑みに細まり、僕は嬉しくなった。
訓練を始めたのが17:25。今の時刻は17:54。
琥珀さんの後ろの壁掛け時計の長針がカシャンと進んだ。僕は訓練を思い出そうと──…
…思い出す?
この、たった数十分を?
僕の背中を撫でる琥珀さんの、手。
僕の手は琥珀さんの腰に。
じゃあ、この…感触は──?
「琲世君、落ち着いて」
視線を下へ向ける。
琥珀さんの脇腹を貫く赫子。僕の解放した赫子が彼女を貫いて、彼女のシャツをじわじわと赤く染め尽くして染め尽くした血液はぽたぽたと僕の解放した赫子を伝ってぽたぽたと足元に血溜まりを──
「琲世君、私を見て」
「あ、あぁ、……琥珀…さ、…こんな……こんな……っ!!」
「琲世君、聞いて…。私は喰種。君も知っているでしょう?」
喉が、熱かった。カラカラに渇いていた。
恐怖で。後悔で。
琥珀さんを貫く赫子が喜んでいる。違う、僕だ!
血を欲してドクドクと脈打つ。頭がぐらぐらする。視界が滲んでいる。早く抜かないと、早く、早く──!
「琲世君」
琥珀さんの手が僕の頬に触れた。
「私は大丈夫だから。こんな傷、すぐに治っちゃうんだから…。知っているでしょう、私は喰種。だから、ね?──泣かないで」
琲世君、と、琥珀さんが微笑んだ。
人間の瞳と、喰種の瞳で。
琥珀さんは僕の涙を指で拭うと、もう一度、大丈夫だから、と言って頬を撫でた。
赫子を解く。
途端に噴き出す鮮血。
腹を押さえて膝を折る琥珀さんを支えながら、僕もその手に自身の手を重ねた。
小さな手だ。
真っ赤だ。
琥珀さんの背中を抱えるようにして床に座ると、反動で、とぷり、また溢れる。
訓練を開始して、素手の格闘で敵わず、赫子を出しても容易くいなされて、徐々に頭に血が昇って、それで。
それで僕は……琥珀さんを傷つけたんだ。
「………すみません、琥珀さん…僕は…、僕は──」
「…琲世君、君はアイスコーヒーを淹れられる?」
「はい?」
僕たちの指の間からは、まだ血が滴っている。
コーヒーがドリップされて落ちる一滴も琥珀さんから落ちる一滴も一滴には代わりないんですがどちらも僕にとってはとっても良い匂いとか違う違う違うええとごめんなさいっ、
………コーヒー?
「そう。…琲世君はコーヒー淹れられる?」
「す、すみません!僕、今、声出て──!?」
「ふふふ。私の血が良い匂いっていうのは、誉め言葉として受け取っておくね」
「わああぁあ!本当にごめんなさ──いえ、はい!コーヒー、いえ、アイスコーヒー!淹れられますっ…!」
赤くなった顔を隠したくても両手は塞がっていて、身体はもちろん動かせない。
傷が痛まないはずがないのに、琥珀さんは楽しげに声をあげて笑う。
「琲世君」
「……はい」
「今度、美味しいアイスコーヒーをご馳走して?そうしたら、私は君を赦します」
僕を見上げて。
「だから琲世君はこれ以上謝らないでください」
茶目っ気たっぷりに、年上のお姉さんぶって。ほら後輩君てば返事は?と。
敵わないなぁ…。

初めて琥珀さんと引き合わされた時、てっきり僕は同年代だと思った。捜査官という響きに似合わない、あまりにも柔らかい雰囲気を持っていたから。…その、新人さんかと…。
僕が自己紹介を済ませると琥珀さんは、「そう、君が…」と少し考えるように口を閉じた。
そして、私にも後輩ができるなんてと眉を下げた。
「後輩なんてそんな。他の捜査官もたくさんいるじゃないですか」
「いいえ、違うの。…ごめんなさい。私と一緒にされるのは君にとって不本意かもしれないけれど」
瞳を伏せたのは一瞬。
打ち消すように、琥珀さんは明るい声で言った。
「あのね佐々木君、私、アイスコーヒーが好きなの。良かったら佐々木君の好みも教えてほしいな」
濃いめに淹れたものが好きなのだと。
それしか自分は口にできないのだけれど。と。
あぁそうか、彼女が──…
すぐに察することのできなかった自分を、僕は脳内で殴った。
けど、これで謝ったらまた彼女に気を使わせてしまう。
「君塚先輩」
「はい。なんですか、佐々木君?」
「僕のこと…佐々木じゃなくて、琲世って呼んでください」
彼女は少し驚いて、それからにっこりと。
「じゃあ私のことも──」
名前で呼んで。

「とびきり…美味しいアイスコーヒーをご馳走します。約束です」
しばらくすると出血は止まり、冷たかった琥珀さんの指に温度が戻ってくる。
白かった頬にも次第に赤みがさしてきた。
「今度、シャトーに遊びに来てください、琥珀さん。佐々木の本気──佐々気を以て、渾身のアイスコーヒーを淹れます」
「佐々、気…?ふふふっ、なんだか凄そう…っ」
楽しみにしてるね、と、鈴を転がすように琥珀さんは笑った。
たいして大きくない僕の手にも収まる、華奢なその手に祈る。
僕はもう、間違えませんから…
僕は僕を離しませんから…
どうか──


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