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(4)

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寝て。起きて。殺して。喰べて。
昼とも夜ともつかない薄暗い建物の間で生きてきた。
はじめは親や兄弟がいて、彼らが死んでからは独りだったり、年の近い喰種と行動を共にしたりした。
死はいつだってすぐ傍にあった。
喰べるために殺した人間。
餌場を争って殺した喰種。
自分だっていつ殺されるかもわからない。
「──ここまで逃げれば平気かなぁ…」
自分も戦えばそれなりに強い喰種だと思っていたけれど、世の中案外甘くない。
膝から崩れるようにコンクリートに倒れ込み、自分と連れ、二人分の重さから解放される。
頬が砂に汚れるままに顔を動かして視線を巡らせる。
全身は凍えるように寒かったが、身体中にはしる大小の傷は鋭く深く裂くように熱を放つ。
喰種の強みである治癒も始まる気配はない。
このままだと死んじゃいそうだと他人事のように思った。
「──…このままだと、ぼくたち本当に死んじゃうかもね」
頭の中に浮かんだ言葉を唇にのせる。
しかし返事は無かった。
いくら耳をすませても聴こえるのは自分の呼吸だけ。
「………」
しばらく冷たいコンクリートに触れ続けて、それから何十秒、何百秒とかけて、芋虫のように身を捩って身体を起きあがらせる。
隣には喰種が倒れている。
その身体にも目につく限りの至る箇所に傷を負い、服なのか皮膚なのか、襤褸布のような酷い有り様だ。
ついさっきまで、何十分か前まで肩を貸して一緒に逃げてきた。
「…死んじゃったんだ」
亡骸は触れるとまだあたたかい。
さらに時間をかけて身体をずらして、動かない頭を膝に乗せた。
この喰種の死は誰にも知られることなく過ぎ去るだろう。自分が先に死んでも、もちろん同じように忘れられるだろう。
腕の中の体温も直に失われて、身体も腐りゆく肉塊となる。
生きていなければ。
心臓が鼓動しなければ。
彼という喰種は無だ。
ぱらぱらと砂を落とす上半身を抱き寄せて、首に喰らいく。
邪魔な襟を引き下ろし、口内に溢れ出る血液を啜り、あたたかな肉を噛み千切る。
空腹に急いて喉へ流し込んだ塊が、詰まりそうになりながらゆっくりと食道を落ちてゆく。
呼吸と嚥下を交互に行いながら、ぐちゃぐちゃと咀嚼音を辺りに響かせて、顎の付近と首の回り、腹の一部と臓腑を胃に納めた。
食欲を満たして息を吐く頃、冷えきっていた体温は戻り、全身の傷は皮膚を蠢かせて塞がった。
冴え冴えとした夜の空気が肌を撫でる。
「あぁ………あったかいや──」


隣接する建物があるにも関わらず、この部屋には窓から陽光が射し込んでいた。
日溜まりの中でローテーブルを拭く琥珀は伏し目がちに腕を動かす。
体勢を戻してから細い指で丁寧に布巾を裏返し、同じようにきっちりと畳んだ。仕事の成果を見渡して薄桃色の唇が満足そうに弧を描く。
見つからないようにしたつもりはないが、静かにドアを閉めて傍に立ち眺めていると、顔をあげた琥珀は小さく声をあげた。
驚きに瞳を見開く。
おかえりなさいと微笑んだ。
「やだ、もう……びっくりしちゃった。声かけてくれたらいいのに」
言葉よりも、頬に手を添えることで返事をする。
琥珀はぴくりと反応したが、それからくすぐったそうに相貌を崩した。
はじめて触れる頬は思い描いていた通りにやわらかい。手のひらといわず、灯った微熱はじわりと身体に伝播する。
琥珀は甘えて頬を擦り寄せ、くすくすと声を零した。
"彼"と二人きりだからだろうか。
こんなにも彼女が無防備なのは。
「…他のメンバーは」
「まだ帰ってきてないけど…丈さん、一緒じゃなかったの?」
「……。ああ」
別行動だと伝えると琥珀は深く訊ねなかった。
彼らが一旦外出をすれば数時間は戻らないことは前もって調べてある。
今、"平子丈"と0番隊は隣接区にある別の拠点にいる。彼らが出掛ける際にしばらく尾けて会話を聴いたため、間違いはない。
「──…。ね、丈さん…?そんなに…触られると…」
「……」
無意識にふにふにと頬を撫で続けて、たまに親指で唇のラインをゆっくりとなぞる。
彼女に"触れられる存在であること"を愉しむ余り、本来の目的を忘れていた──。
"ウタ"は浮かびそうになる笑みを抑えて目を合わせる。
"彼"は、お世辞にも表情筋豊かな人間じゃない。
「……照れるか?」
「…ん…」
訊ねながらも手は離さず、耳朶を悪戯に指に挟む。
髪を避けて露になった耳元に顔を寄せて低く囁けば、琥珀は気持ちを隠せず肌を染めた。…表情筋が絶望的な男でも、恋人とこの程度の戯れは行っているらしい。
もう少し深く踏み込んでもまだ見破られないかと見当をつけて、鼻先を髪に埋める。
「琥珀」
「…っ、…ん……な、なぁに…?」
身体中を緊張させながらも、近付きすぎたウタの胸へおずおずと添える指が可愛いと思った。
「キスをしても…?」
「!?」
"ピエロマスク"のメンバーとして捜査官を翻弄したウタに付けられた識別名は"ノーフェイス"だ。
"顔を持たない"という皮肉は自身でも気に入っている。
喰種が正体を隠すマスクを破壊して現れた"貌"が、喩えば親しい者の"顔"であったなら。偽物だとわかっていても一瞬の躊躇いを生じさせる。
ウタが創り出す赫子の精巧さは、これまでに多くの捜査官の疑心を煽った。あるいは──、
「急に…帰ってきたり……そんなこと、突然…。どうしちゃったの、丈さん…?」
「俺がこんなことをするのはおかしいか?」
「…おかしいっていうか……不思議…」
戸惑いで上塗りはされているものの、やはり行動の奇妙さを感じるのか、琥珀は恥じらいと困惑の視線を游がせる。
ここで冷静に辻褄を訊ねられては都合が悪い。
「…琥珀。わざわざ誰もいない時間に戻ってきたのは何故だと思う?」
「……」
思考をゆっくりと絡め取り、望みの答えを誘い出す。
案の定というべきか、素直な琥珀は赤くなった顔を伏せて隠した。
名前を呼んで目を合わせるように促すと、むずがって小さく「…いじわる」と呟く。
ならどんなキスをしたら機嫌を直してくれるのか──具体的にたくさん聞いて苛めてみたい気持ちに駆られたが我慢した。
代わりに琥珀を抱き寄せて、あやすように背を撫でる。
琥珀と丈は幼馴染みなのだと聞かされた。
兄のように慕い、そして自分でも覚えていない幼い頃から好きだった人なのだと。琥珀は夢をみるようなとろりとした眼差しでウタに話した。
布越しに鼓動がトクトクと響き、手のひらや身体に優しく伝わる。
「──…。機嫌は直ったか?」
「もぅ……知りません」
つんとした声で答えながらも琥珀の指は上着の端を掴んでいる。
この甘ったるい時間をもう少しだけ続けていたいとも思ったが、いつまでも浸ってはいられない。
企みが上手く進めばいくらでも続けることができる。
どのように彼女を連れ出そう──。
考えを廻らせるウタの胸元で、琥珀が何かに気がついたようにふと顔を離す。
「──…、」
「どうした?」
「丈さん……、なんだか…血の匂いが──…」
「………。」
"食事"の残り香を感じ取ったのかもしれない。
ウタは「…聞いてほしい」と琥珀から身体を離す。
「ここへ戻る途中で少しいざこざに巻き込まれた」
「そんな──…、みんなは無事なの…?」
「対処した後にメンバーとは別行動を取った。だから彼らは、此処へは戻らない」
「……どういうこと…?」
疑問も心配も、仲間を思う琥珀の気持ちは表情にはっきりと映し出され、手に取るように知ることができる。
この世界ではいとも簡単に仲間が裏切り、殺し、奪い争い合う。生きている限りそれは続く。
そんな世界で心を磨耗せず在り続ける琥珀の素直さがウタには眩しい。
「旧多が新たな部隊を作ったと噂を聞いた。Qsの次の世代を造り出したと…相対したのはそれだろう」
期待をし、信じて、崩れてもまた前を見据える。
折れることを、立ち止まることを琥珀は良しとしない。
その穏やかで、けれど強い眼差しが真っ直ぐに自分を映してくれたなら。
「以前のQsよりも喰種に近い厄介な相手だ。"黒山羊"が喰種として生かせる戦いの面での強みも消える」
それはきっと鼓動を強く揺さぶるだろう。
先ほど添えた手のあたたかさのように、抱き寄せた身体がもたらした満足感のように。
惰性で世界に在り続けるウタという喰種に幾らかの"かたち"を与えてくれる気がした。
「この戦いに勝ち目はない──」
終わりとも言える言葉を放つと、琥珀は静かな衝撃を受けてウタを見つめた。
降って湧いたような事態と言葉を浸透させて、ゆっくり整理をしながら迷う瞳を瞬かせる。
それなら…どうするの、と茫然と唇が動いた。
「勝ち目がないから…諦めるの…?」
これはまだ"黒山羊"の総意ではないでしょう?と縋るように首を振る。
「有馬さんの願いは…?丈さんが…隊がカネキくんから離れるわけには…」
「彼の願いは叶えたかった。…だがそれよりも、お前を危険に晒したくない 」
「──…、」
言葉を詰まらせる琥珀へ畳み掛ける。
「一緒に来てくれ、琥珀。…隊の者たちには話してある。あとはお前が答えれば俺たちは動ける」
乞い願う声は本来のウタのものではない。
琥珀が見ているのは丈の姿だ。
それでいい。
最初のうちは。
ゆっくりと時間をかけて、言葉を重ねて彼女を説き伏せるつもりだった。
丈と"黒山羊"が押し潰されるその時まで。
だから──…
これほど早く嗅ぎつけられるとは思っていなかった。
「──人の"顔"を使って琥珀に触れるな」
「…せっかく忍び足で入ってきたのに。これじゃあ殺気でばれちゃうよ、平子さん」
ウタのジャケットの背を押すのはクインケの切っ先だろうか。
ドアに背中を向けていたことが失敗だったのかもしれない。だが、丈が戻らないはずという読みが外れた時点で計画も失敗だ。
琥珀は視界を遮られているため、来訪者の重なる声色に戸惑いを浮かべている。
降参を示したウタが慎重に身体を引いて、現れた二人目の丈にさらに瞳を見開いた。
「丈…さん……?なんなの…どういう──…?」
「琥珀、どちらが本物だと思う?」
「ふざけるな…"ノーフェイス"」
「あはは、怖いなぁ」
"丈"の顔でゆるりと微笑む。
大人しげに話すことを止めてしまえば、琥珀にとって聞き覚えのあるおっとりとした声が耳を打つ。
「……お前がウタか…」
クインケを手にする丈が硬く低い声で問えば、琥珀と並んだ丈は悪びれもせずに肩を竦めた。
「女の子と二人きりになりたいなら鍵を掛けるべきだった」
失敗したねと片手は上げたまま、もう片方の指を唇に当てる。
道化染みた仕草は明らかに"平子丈"では有り得ない。
思考が止まってしまった琥珀の瞳は零れてしまいそうなほどに大きくて、仔猫みたいで可愛いなぁとウタはまた笑った。


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