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(3)

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窓の外を眺めるのが好きだった。
CCGの高層階から見えた街並み。
局内で充てられた部屋の小窓から見あげる空。
祖父の家の自室からは数件先に丈の家があって、そんな丈の部屋に遊びに行けば丁寧に整えられた庭先をよく眺めていた。
一歩を踏み出せば届く窓枠の外。
自由を瞳に映している。
そんなふうに感じて眺めていた。
「(あ……ここ、電線と同じ高さ…)」
階段の掃除をしながら、琥珀はカラカラと開いた窓枠に手を添えて頭を外に覗かせる。
隣接するビルの壁とは数メートルの距離。
表通りのある方向は明るく、その真ん中に黒い電線がたゆんで横切っている。
あと一階ぶんを降りれば掃除は終わる。
終わったら買い物に出ようと琥珀が考えていた矢先だった。
するすると。
または…にょろにょろと。
視界の端っこに紐状の何かが垂れて蠢いている。
「いや、っ、…きゃっ…!?」
虫かと思い出かかった悲鳴を抑えると、どこからか「おーい」と声が聴こえた。
にょろにょろが上へ引いてゆき、琥珀はこわごわ顔を出す。
「いたいた。やっぱり琥珀ちゃんだ」
とどこかおっとりとした声をさせて、屋上から覗き込むウタを見つけた。

「──屋上をね、通りかかったらやっぱりいなくて。でも会えないかなあって探してみたら頭が見えたから、」
つい呼んじゃったと屋上の手摺に座ったウタが語ると、琥珀の肩からは力が抜けた。
普段の生活の場で赫子を目にするとは思っておらず、頭上から見ていたウタにもわかるほど見事に驚いていた。
ウタは細く創りだした赫子を指のように動かす。
「こんな呼び方しなくても…お店で伝えてもらえれば私もすぐに会いに来ますよ」
「お店かぁ」
渋るような声色で琥珀に応えながらも、すぐに会いに行くという言葉に気を良くした。
「働いてるみんなも私たちと同じだし。普通のひと…人間のお客さんも来ますけど、とっても居心地の良いお店です」
「うん、そうだね。実は、ぼくもちょっとだけ知ってたんだ。この喫茶店には色んな喰種が出入りしてるって」
「じゃあ──…」
「琥珀ちゃんは?たまにお店でも働いてるんでしょ?」
琥珀の言葉を遮って「他のひとたちとは仲良くなった?」と促す。
琥珀は少し考えてから頷いた。
店長であるトーカは若いのにしっかりしているとか、実は現在の店になる前にも別の場所で喫茶店をしていて、今のメンバーはその店からの仲間だったとか。
「じゃあ、ぼくのほかにも喰種の友だちが増えたんだ」
「ふふ。みんな親切で……楽しいひとばっかり」
「良いことだね。でも、」
なにかを思う言葉の隙間をウタは訊ねる。
「少し戸惑ってる?」
はたと息が静まり、琥珀の微笑みが停滞する。
琥珀が隠し事が不得手だということを、ウタは長い月日をかけて、短い会話を重ねる間に知った。
待ち続けると、琥珀は困っちゃうな…と眉をさげた。
この戸惑いはほんの些細な、棘みたいに小さな日常の欠片だと話す。
「良い人たちばかりだから…みんなと話をしているととても楽しくて──…そう感じると、同時に…自分のしてきたことが影みたいに濃くなっていくような気がして」
「罪悪感?」
「………」
ウタの座る手摺の横に、琥珀も手を添えて身を預けた。
遠くを眺める眼差しは陽の光りを受けて静かな色を湛え、薄桃色の唇はゆるく弧を描く。
穏やかにも淋しげにも見える横顔は、明け方に漂う不確かな薄霧を連想させた。
朝焼けに向かう光の中ではじめて言葉を交わした時、人間の味方をしていると琥珀は語った。
"CCGの死神"有馬貴将に用があったウタにとって、彼に付き従う琥珀のことは当人が思う以上に知っている。
数週間前に、この場所で再会した琥珀の口からCCGを離脱したことを聞かされた時も、彼女よりは上手いと思う演技力で"驚いて"みせた。
「CCGから離れて一緒にここへ来た子たちにも…。私は彼らの力になりたい、なれると思ってた…けど、全然役に立てなくて」
頬の円みは昔よりもやや減って、浮かべる表情も出会った頃より大人びた。
けれど、へたりと下がる眉や、ふわりと溶けるように移り変わる微笑はやはり琥珀のままだ。
絶えることのない想いを宿し続ける。
「……」
「…色々なことが力不足で落ち込んだり」
言葉に同調して、琥珀の視線は人々の行き交う通りへとうつ向く。
さらりと流れた髪が横顔を隠して陽を透かす。
「だから……今は私、回復中なんです──」
そんな沈んだ気持ちに弾みをつけるように琥珀は顔をあげた。
だがしかし、そのとき琥珀の瞳に映ったウタは、手摺に座ったまま上半身を反らして傾いでいた。
見えなくなっていた琥珀の顔を覗くように。
下半身でバランスを取りながら。
…1ミリでも余計な力が入れば落ち…るかも──…
琥珀がそう感じるに十分といえる絶妙なしなり具合で反り返って、赤黒い瞳と結ばれる。
「…ウタ、さ……お、落ち………」
はくはくと浅い呼吸に途切れる言葉。
危険行為をする当人よりも緊張感を抱く琥珀の手のひらが、ゆっくりと握っては開いてを繰り返す。
「元気。出た?」
「…は、はやく、もどってくださっ…、元気でましたっ!出ましたから──…っ!」
「良かった。ぼく、励ましの一発芸とか持ってなくて」
「…そ、それはお構いなく……。だから危なくない座りかたを──…あの、ウタ、さん…?」
しかしウタは微動だにしない。
「なんか戻れなくなっちゃったみたい」
手、貸してもらっていい?
青空を背に斜め45°に仰け反ったウタがお願いをする。
琥珀は詰まるような悲鳴をあげ、その身体に必死にしがみついた。
基礎が古びているために手摺はぐらぐらと揺れる。
琥珀は極力考えないようにして、ウタは「意外と腹筋が必要だった」 などと口にしつつ、そろりそろりと時間をかけて身体を戻す。
「ごめんこめん。ああ、びっくりした」
「わ、私だってびっくりしましたっ…こ、こんな危ないことっ…」
互いに喰種なのだから、冷静に考えれば危険も簡単に回避できるだろうが、琥珀が考えつく様子はない。
未だ治まらない動揺に声を震わせる。
声と一緒に震える手に受け止められたウタは、コンクリートに降り立ち、ごめんねともう一度謝った。
「でもさ、忘れられたでしょ」
「?」
「悩みごと。今の一瞬」
本当に、自分たちは喰種なのだから。放っておいたって誰も困りはしないのに。
琥珀は手を差し伸べる。
些細なことに喜んで、哀しんで、傷つくことにも悩むことにも背を向けない。無謀で真っ直ぐなその性質は少し呆れるけれど微笑ましく思う。
…自分にはないものを感じさせてくれる。
「もう…心臓の鼓動も忘れるかと思いました」
琥珀は咎めるような上目遣いをした。
しかし長くは続かず、すぐにふっと表情を緩める。
「…でも…なんだか元気出ました。ウタさんのおかげ」
「そうかな」
「はい」
たったこれだけの言葉の交換で心から楽しそうに唇を結ぶ。
互いに喰種なのに、生きてきた場所が違うと、こうも違う性質になれるのかとウタは思う。
思いながら、これは彼女だからだとすぐに打ち消した。
表面で微笑もうと、喰種として産まれ、人間のなかで暮らし、孤独を知らないわけがない。
「…良かった」
呼吸のような呟きが零れ出ると、琥珀は少し不思議そうに瞳を瞬かせたが、回復の証というように笑った。
その笑顔が見たかった。
「ぼく、琥珀ちゃんの笑顔、好きだよ」
「はい、…ん?……えっ!?」
思ったことをそのままに伝えれば、面白いように琥珀は赤くなる。
好きといわれたことよりも、照れや恥じらいの気持ちを多く含んだ紅潮だ。
ただ、伝えてみたくなったのだ。
琥珀が美しく笑むのはすべて、琥珀が帰る場所にいる一人の人間のためだと知っていても。
その顔が特に気に入っているのだから仕方ない。
「ぼくはね、にこにこしてる琥珀ちゃんのファンなんだ」
手摺から降りて以来、ウタと琥珀の距離は爪先が合わさるほどに近い。
身長差があるためにウタが首を傾げて覗き込むと、琥珀は野に出た小動物のように身を震わせた。
それは、ありがとうございます…と、ぽそぽそ答えて火照る頬を手のひらで隠す。
「…でも、その……そんなににこにこしてますか…私…」
「うん。それが可愛いんだけど」
「…」
「他のひとにも言われない?」
「さ、さぁ…どうでしょう……」
「琥珀ちゃんの恋人は?言ってくれないの?」
「丈さん──…彼は…訊けば言ってくれるけど…。自分からは…あんまり言うひとじゃないので…」
「…。そうなんだ」
琥珀はじわじわと後ろへ足をずらす。
恥ずかしさから逃れるように、ウタにはばれないように少しずつ。
しかし気づかないほどウタは鈍くはなく、ついでにまだ手を伸ばせば届く圏内だと心の中で思い浮かべる。
…このまま頬に触れたらどうなるだろう、とも。
頬から首の裏へ手を添えて強引にキスをしたら。
彼女はきっと驚きに目を見開いて身を竦ませる。動けない腰を強く掴んで、華奢な身体を閉じ込めてしまえば逃れられない。
琥珀は怒りの表情で睨むだろうか──。
実現可能な白昼夢を視るウタのすぐ目の前で、頬を染めた琥珀が戸惑いながら、また距離を広げる。
「…今日も私のこと、話してばっかり…」
細い指で誤魔化すように髪先を弄る。
「ウタさんは…?私を呼んだのは…何かお話とかがあったんじゃないですか?」
色恋に慣れた者ならば、この緊張と甘やかさを含む互いの距離を愉しみに変えるだろう。
けれど残念ながら琥珀はその手のタイプじゃない。
「ううん。ただ会いたいなって思っただけだよ」
「……またそんなこと言って」
初心ともにぶいともいえる琥珀のもどかしさだが、ウタにとってはくすぐったさと面白さとが半々だ。
指先ひとつが触れるか触れないか。
そんな鼻先に香るような、微かに色づいた空気が楽しかった。


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