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夜行花

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──必要なものを。
とだけ局員に頼んでおいた部屋にはベッドがひとつ。
それだけだった。
もともとは物置として使われていた部屋だった。
予備の椅子や折り畳みのテーブルを別の部屋に押し込んで、もともと配置されていた資料棚も廊下へ出して、そのあたりで局員も力尽きたのだろう。
簡単に掃除された部屋に用意されたのはベッドがひとつだけだった。
突き当たりの壁にある、部屋で唯一の小窓は建物の裏手に面している。明かり取りなのだろうが生憎と今は夜更けで、鬱蒼とした木々のみが見えた。
昨日まで彼女が拘束されていた部屋と比べて何が変わったかといえば、トイレと洗面台がないくらいか。
「前の部屋と何か変わった?」
彼女の立場は、捕縛された喰種から捜査に協力する喰種になった。
精神的な変化も含めての問いのつもりだったが、
「トイレと洗面台がない…くらいです」
同じことを考えていたらしい──


会議が終わって椅子を引く音が連なる。
幾つもの足音が部屋の外へと出ていく中、手元の資料をもう一度眺めていると影が射した。
「貴将、調子はどうかな」
「いつも通りですよ」
「そうか…、それは何よりだ」
「聞きたかったのは俺の調子ですか、局長」
「ああ──いや、お前の様子も気にしているよ。だが彼女の方も、今はどんな様子かなと思ってね」
それなら最初から言ってもらえればと目を向けると、和修吉時局長は言葉を選ぶように顎髭を撫でた。
彼女──"君塚琥珀"という喰種への、検査も調査もすべて終わっている。
現在は篠原特等と真戸上等に指導を任せ、捜査官としての基礎を学ばせている。
住居も拘留目的ではない別の部屋へと移動した。
本人の意思ひとつで逃げ出せる状態でもあるが、…局長が気にしているのはその事だろうか。
「彼女は逃げませんよ」
「そうだろうな。尋問の際にも、家族に迷惑をかけることを強く気にかけていた」
質問の意図は別にあるようだ。
報告に上げるほどの会話を彼女とは行っていないため、局長が口を開くのを待つ。
少し間を置いて局長は息を吸い込んだ。
「彼女の父親について調べてみたんだが、何も判らなかった」
「そうですか」
「おいおい、あっさりしているな」
「彼女の父親が他の喰種と繋がっていれば過去の資料から繋がりを見出だせたかもしれませんが。俺が調べた限りでは手懸かりはありませんでした。であれば、只のはぐれ者でしょう」
「なんだ、貴将。お前も調べたのなら言ってくれれば良かったろうに」
「俺よりも局長方のほうが調べは厳重でしょうから」
否定はしないが、と局長は調べを行った部下たちへ思考を一時だけ向ける。
食糧を狩る力のない喰種は生きるために繋がりを持つ。
力を持つ喰種と、そこから利を得ようとする喰種という関係もある。
だがそれらに添わず生きる喰種もいる。
琥珀の父親はそういう喰種だったのだろう。
「しかし彼女の母親は人間だ。喰種と子まで成した。一体どんな経緯でそうなったのか、お前は興味は湧かないのか」
「さあ」
「自分には関係無いという顔だな」
「実際そうでしょう」
「………」
手元の資料を纏めて腕時計に視線を向けた。
照明を反射する文字盤の針は11時を過ぎている。もう半時間もすれば日付が変わる。
「和修に残る古い文献には鬼の子を成したと半狂乱になった女もいたと記されていたが」
「覚悟もなく産めばそうなるでしょうね」
産まれた我が子の眼が赤黒ければ、母親は気が動転するだろう。触れたとしても不思議はない。
「覚悟を持った女に、望まれて産まれた幼子か」
俺は椅子を引いて立ちあがる。
「そうして望まれた幼子は愛情を注がれ育てられた」
局長の独白は俺の耳をただ通過することはせず、もう一度頭の中で廻るように反芻した。
愛情とは何かと、ふと考える。
褒めてやること。肯定すること。甘やかすこと。
世界に馴染めるように育てること。世界を教えてやること。世界の檻に閉じ込めること。
「ただし、この世界は喰種を赦さない世界だ」
世界に見つからないように暮らすこと。
琥珀が家族と呼ぶ祖父と叔父は、彼女が生きるために必要なことを揃えてやった。
家に迎え、食事を用意し、学校に通わせた。
琥珀が喰種でさえなければ。あるいは喰種であることが世に知られなければ。そのまま生きていけたはずだ。
言葉を返すつもりは無かったが、俺は口を開いていた。
「喰種を赦す世界だったら?」
幼少の頃に見あげていた局長の、柔和な光を宿す目を俺は対等の高さで見返す。
「…。CCGは喰種を殺すための組織だろう?貴将」
顔の細やかな部分には重ねた年齢を示すように皺が刻まれている。穏やかな声音で、CCGの、和修の御題目を告げる。
「──そうですね」
「お前が捜査官になって何年経ったかな。何れ程の喰種を駆逐したろう」
「全て記録に残されていますよ」
「…そうだったな」
苦笑をすれば目尻の皺が深まった。
「明日も早いので失礼します。局長」
「ああ」
話の途切れたついでに退室する。
会議室の扉が閉まる寸前に「貴将──」と名を呼ばれる。
ご苦労とねぎらう言葉を切り取って、誰もいない廊下を静寂が包む。
「………」
バフッ──
布を小さなこぶしで叩くような。
そんな幻聴が脳裏に響いた。


──部屋に連れて来られた琥珀はバッグを抱えたまま、ゆっくりと室内に視線を滑らせていた。
注視するようなものは此れといって何もない。
少々くすんだ白い壁と小窓の起伏がある程度だ。
瞬きをして、右から左へ。往復してから、戸惑いと苦笑の交ざった表情を浮かべた。
同意や同調をこちらに求めているようだったが、目の前の漠然とした部屋が現実なのだから仕方ない。
「あ、の……」
迷った末に、また口ごもり俺を見上げる。
「お風呂、とかは…」
「警備員に伝えてあるから、シャワールームを使えばいい」
「お洗濯とか…」
「コインランドリーかクリーニングか。工夫してもらうしかないな」
暮らすに困らない程度の給与が出ることは言ってある。
必要最低限の外出は必ず事前に申告し、同行者を付けること。それ以外はこの部屋に身を置くこと。
上との協議と交渉を重ねた結果、上等すぎるほどの待遇を取り付けることができた。こういう場合に特等捜査官の肩書きは使える…と、考えていようと琥珀には関係の無い事情だ。
「食事については日を決めて施設へ取りに行く」
食事について…と口にすると同時に、そういえば部屋には冷蔵庫も用意されていないことに気がつく。
喰種が"それ"を毎日摂る必要がないからと云うのかもしれないが。
しかし生き物なのだから水ぐらいは手元に必要だろう。
冷蔵庫も用意した方がいいと言いかけて視線を向けると、琥珀の唇が震えた。
瞬きを抑える睫毛の下にきらきらと光る。
「…ものみたい。わたし」
琥珀から、水分がまた失われそうだった。
だが冷蔵庫という名詞の代わりに俺の口から出てきたのは、「平気か」などという使い勝手の良い常套句だ。
こんな言葉に返される答えも大体決まっている。
「──へいきです」
堅く強張った声を聞いて、俺は何も言わずに、何かが喉に溜まったような気持ちで部屋を出た。
静かに閉じたドアの向こうからは、バフッ…!と布を叩くような音がした。
少し待っていると不器用なしゃっくりが聞こえてきた。
「………」
喉に溜めた塊は、何かを言えれば良かったという後悔だったと、自身の足音を聞きながら知った──


「──泣いてる子を泣き止ませるにはどうしたらいい?」
任務を終えて車で局へ戻る途中でタケに訊ねたところ、何ともいえない顔をされた。
今頃は琥珀も、篠原特等と真戸上等に連れられての仕事を終えているだろう。
ハンドルを握るタケは、唐突に投げ掛けられた質問に、普段よりやや長い沈黙を置いて答えを出した。
「安心を…させる言葉をかけてみては」
「安心させる言葉か。例えば?」
相手が誰とも言わずに続けると、今度はさすがに困惑した様子で黙る。
「……自分は口が達者な性質ではないので」
元々、気持ちをはっきりと表に出す性質ではない。
「そうだな。なら一般論じゃなくてタケだったらどうする?」
こちらの引かない質問の意図を感じ取り、視線が動く。
「これは──…琥珀の話ですか」
「だとしたら?」
そんなタケの感情の変化をより感じられるのは彼女の話題を振った時だ。
「…傍にいてやるぐらいです。あとは………」
言いにくい何事かを考えたのか、言葉が中途半端に途切れた。この沈黙もタケの普段のそれではない。
運転と、どう返答したら良いかと静かに悩む横顔を眺める。
長く長く考えた末にタケはぼそりと零した。
「………。有馬さんが行っても効果はないかと」
「正直に答えたな」
「…すみません」
「言わせたのは俺だし」
「………」
平子丈という人間は、大体の物事に執着をせず、流されるに似た体で仕事を熟す。自身を凡人とか言い分けをするが、言い渡した任務は確かに果たす。
出来の善し悪しはともかく、その茫洋とした性質は俺と似ていると思った。
「タケの意見は参考にならなかったから、普通に接することにする」
「………」
だからそれが、たった一人の少女の様子如何に静かに動揺する姿は面白く感じた。
取り乱すわけでもなく、自棄になるわけでもなく、彼女のために何ができるかを考えた。恐らく今も。
表面には出てこない部分でだいぶ悩んでいる。
悩む姿を見ていたら気持ちが緩んだ。
本局駐車場へ入る手前で車がゆっくりと減速する。
「──ところで有馬さん、明日は会議があると仰っていましたよね」
「ん…?ああ──…」
そんなものもあったかと面倒くさい現実に引き戻された。ついでに「資料も用意してあります」と間髪開けずに釘を刺される。
局長や、その側近とも顔を会わせたばかりだというのに、間を置かずにとなると厭きも感じるところだが。
明日は特等会議だという。
それなら篠原特等も同席するな。
「タケ」
「はい」
「明日は"急な用事"もないから心配しなくていいよ」
車はスロープを静かに下りる。
地下駐車場のスペースを確認してからタケは無感動に答えた。
「…時間にはお呼びに窺います」
「信用してないな」
面白いものを見せてもらった礼だと告げると、タケはまた微妙な顔をした。

人間と喰種が寄り添い幸福に暮らしたという結末を残念ながら俺は知らない。
だからこそ、期待しているのかもしれない。


181014
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