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愛しの雛鳥

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「…たけにい……丈兄、……、」
切れ込みのような細い視界に色が満ちる。
大丈夫?と届く琥珀の声に安堵が混じる。
「ああ、よかった…ごめんね。私また…、折っちゃった」
軋む身体をゆっくりと起こせば、丈の胸に手を置く琥珀も身を引いた。
琥珀自身も慌てていたのだろう。心配の色を宿す瞳をほっと和らげて「丈兄…良かった…」と丈の頬に手を添える。
片側をあたためる温度につい気を抜きたくなるが、丈の頭にはなにかが引っ掛かった。
琥珀の反対側の手は力無くコンクリートに擦れている。
そのさらに後ろでは駆逐された喰種と、作戦の終了を報告する捜査官の姿が見える。琥珀は、あの喰種の攻撃から丈を庇ったのだ。
「……折った…?」
少しずつはっきりしてくる意識の中、丈から見えないように隠される琥珀の片腕を視線で問う。
「ち、違うの……私、その……平子一等を守ろうとして、クインケを折っちゃって…」
戸惑う瞳が近くに転がるクインケに向けられる。
確かに刀身の半ばから折れて二つに別たれていた。
「…ま、またラボに持ってかなきゃ…」
知行博士に怒られちゃうかもと、ぎくしゃくとした微笑みを作る。
微笑んで立ち上がろうとしたため、丈は手を掴んだ。
「お前の腕は?」
「え?…う、うで…?」
「…琥珀」
「…」
静かに問い詰めると琥珀は観念した。
片側を庇うために、どこか不自然な動きで腰を下ろす。
途切れる言葉も額にぽつぽつと浮かぶ汗も、痛みを我慢しているためだろう。
小柄な身体をさらに縮こまらせて丈の反応を待つ姿は、叱られる直前の子供のようだ。
額を拭ってやるとびくりと肩を震わせた。
丈の手も戦いの中で負った擦過傷や砂埃が付いている。
整えてやったつもりで反対に汚してしまった白い額に、丈は言葉をのみ込む。
「……すぐに医療班を呼んでくる」
立ち上がる丈を琥珀の瞳が縋るように追った。
数分後、すでに呼ばれていた医療班の者を丈が連れて戻ると、琥珀の腕が支えられた。
癒着しかけている患部を正しい位置へとずらすのだ。
個体によって差はあるものの、喰種は治癒力が高い。深い傷も怪我もたちまちに治してしまう。
しかし痛覚は人間と何ら変わりない。
医療班が確認を取って琥珀が顔を背ける。
「…!!」
琥珀は痛みに漏れそうになる声を堪え、丈は琥珀の治癒が終わるまでその場に留まった。


絆創膏と包帯に包まれた丈の手が撫でられている。
背後から琥珀の背を抱いてテレビを眺める丈からは、その表情は窺えない。
琥珀は労るように指を絡めると、剥がれかけた絆創膏の端っこをくっつけるように擦った。
「薬のにおい…。丈兄、痛い?」
「いや」
手の傷はどれも軽く、どちらかというと庇われた際に打った背中の痣の方が疼いている。
しかしその程度の怪我で済んだのだから、今日の任務はついていたといえるだろう。
琥珀の方も昼間の戦いで負った怪我はすべて癒えた。
傷ひとつない、普段と変わらない姿だ。
あの折れた片腕も含めて──。
「琥珀」
「うん?」
「クインケを変える気はないのか」
丈の言葉に琥珀の頭が小さく揺れる。
「…。私は、いいよ…」
「クインケが耐えていれば、お前が腕を折ることもなかったかもしれない」
琥珀が使うクインケは喰種捜査官が最初に与えられる基本的なタイプのものだ。
扱い易いことが特徴の最たるで、クインケに慣れてきた捜査官は次に、自身の戦い方に合わせたものを探す。
自身が駆逐した喰種の、或いはラボに保管してある赫包から製作を依頼することもあるし、既存のクインケを譲り受けることもある。
何にせよ、捜査に慣れてくれば実力に伴ったクインケを持つことは自然な流れだ。
「あれは…私が力任せに振ったから…。落ち着いてれば…もっと上手くできたはずだから──」
だから新しいのは要らないと琥珀の頭が俯く。
「…私には赫子もあるし。…それにクインケの扱いもまだ下手だし……」
丈とは視線を合わせずに一言ひとことを並べていく。
「良いクインケは他の人が使った方が……いいよ…」
「………」
これまでも新しいクインケを勧める声はあった。しかし琥珀は首を縦に振ろうとはしなかった。
CCGに保護される身として、琥珀の中には役に立たなれけばという思いと同時に、力を求めることへの自制が存在しているようだった。
「…そうか」
本人が乗り気でないなら無理強いはできない。
それ以上の言及を諦めると、琥珀の肩からほっとしたように緊張が解ける。
話題を変えて、クインケの使い難さや窮屈さを感じることはないかと丈は訊ねた。
その気遣いに合わせた琥珀も、「丈兄、なんだか先輩みたい」と、くすりと声を和らげた。
ふたたび後ろへ振り返るようにして笑顔を見せる。
「有馬さんに訓練してもらってたときから、ずっと使ってるから。本当に平気。あのクインケが馴染んじゃったみたい」
「その一本を酷使していると言えるもと思うが」
「えっ、あ…。……そ、そうかなぁ…?」
使いすぎかな…と。
ひとりごとのように呟いて琥珀は考え込んでしまう。
「………」
喰種である琥珀にとって、クインケを簡単に持ち換えることには抵抗があるのかもしれない。
クインケに対する考えも、局から離れた今だからこそ自然に零れたのではないだろうか。
同種への憐れみか、あるいは罪悪感か。
ただ、琥珀の頭があまりにも深く考え込んだため、丈は自分で話を振ったながらも助け船を出す。
「もっと上手く扱えるようになるんだろう?…それなら問題はない」
「…そう?…でも、……うん…」
人間を殺して喰らう喰種。
喰種から"クインケ"を造り出す人間。
死に抗い、死を利用する。
底無しの螺旋を歩んでいるような、心にわだかまるもやを簡単に晴らすことはできない。
しかしすり寄る眠気も負けてはいなかったらしく、琥珀は手を口許に添えて小さくあくびを噛んだ。
移ったように丈もあくびを堪え、二人は話を終わりにして寝室に移動した。
電気を消して一緒の布団にもぐり込むと、琥珀は暖を求めて丈に身体を寄せる。
暗闇の中、吐息を零した。
「…どうした?」
「丈兄のにおいがするなぁって。……こっちの方が落ち着くし…好き」
丈の首元で琥珀の頭がもぞもぞと動く。
「ぎゅってしていい…?」と訊ねられ、丈は頷いた。
迎えるように持ち上げた腕の隙間に琥珀がぴったりと入り込む。
体温と同時に伝わる柔らかな感触も、甘やかな匂いも、丈には抗い難い心地好さだ。
円みを帯びた腰に手を添える。
それは抱き合うよりも深い行為を連想させる。
「…。落ち着かれるのも複雑だが」
「…うん?…そう……?」
返事は吐息のように形をくずし、琥珀は間もなく寝息をたてはじめた。


「それで、そのまま引き下がったの」
ガチャッとロッカーを開けた有馬が横目で丈を見る。
「強く勧めた方が良かったでしょうか」
「前にも何回か折ってるから。でも本人が上手くやるっていうのなら、好きにさせておいたら」
出局後、ロッカールームで顔を合わせた有馬に前日のやり取りを端折って話したところ、有馬も丈と同じ意見のようだった。
しかし有馬とは反対隣にいた宇井からは、えっ、と声があがった。
「えっ、あれ?そっちの話なんですか」
「そっちっていうか、他に何かあった?郡」
「あ、いえ、何でもないです……」
「気になるのなら聞いておいた方が良いと思うけど。ねえ、タケ?」
「………。」
「っいいえ!本当に…!」
全身で「何でもないです」オーラを滲ませる宇井と分かっていない有馬に挟まれて、丈は着替えの手を止めた。
いくらか無理矢理っぽいと思いながら、丈は話題を別の方向へ逸らす。
「………。そういうわけで、琥珀はラボに寄るために少し遅れるそうです」
「そう。まぁ、午前中はトレーニングの予定だし」
「…うわー…もー……なんかすみません……」
午前中の訓練用に着替えを済ませた有馬がロッカーに寄り掛かって二人を待つ。
宇井はやや赤くなった顔で後悔の念を呟き、ロッカーに頭をごんごんぶつけながらスーツを脱ぎはじめる。
器用だなと横目にしつつ丈もインナーを脱いだ。
「タケ、それって昨日の痣?」
凄いことになってるという有馬の声につられて、顔をあげた宇井も、うわ…と声を出す。
「琥珀が庇ってタケさんが倒れて…ってやつですよね」
二人に背中をじっくりと見られ、丈もそんなに酷いのだろうかと腰を捩ってみるが、やはり見えない。
「痛みはそうでもないんだが」
「あ、じゃあいっそ見ない方が…。怪我って傷を見ると痛みが増す気がしません?」
「タケ、ロッカーの鏡取れたよ」
「…。お借りします」
「有馬さん…容赦なさすぎです…」
借りた鏡とロッカーに備え付けてある鏡を合わせて覗き込む。
任務の翌日ともなれば、有馬や宇井も大なり小なりの手当ての痕があり、医療テープを貼っていたりもする。
しかし派手さで云うなら丈の肩甲骨一帯に広がる赤紫の斑点が一等だ。
確かに患部を目にすると痛みが増したような気がして、丈は早く忘れるためトレーニングウェアを被った。
訓練室に移動した三人は、先に顔を出していた班のメンバーと挨拶を交わす。
唐突に宇井が「やっぱり」と口を開いた。
「琥珀には頑丈なクインケを持たせましょう。じゃないとタケさんの身体が持ちません」
ロッカールームからずっと考えていたらしい。
「その言い方だといかがわしく聞こえるね」
「…郡、お前の心配は有り難いが…」
「二人のテンションだと本気か冗談かわからないんで止めてもらえますか」
私は真面目に言ってるんです…!と宇井は語気を強める。
たとえ琥珀が自身の赫子を主戦力にするとしても、昨日のように、いつまた敵の攻撃を見誤るとも限らない。
そもそもクインケが壊れなければ怪我人も出なかったと続けた。
「ガツンと伝えた方が良いと思います」
「ガツンとか」
丈は宇井の言葉を反復する。しかしそこにガツン的な気概は感じられず、宇井は早々に諦めて有馬に目を向けた。
有馬は特に止めるつもりもないらしく、伝えてみたら?と一応の賛成の意を見せる。
「ただ、郡は肝心なとこは触れていないね」
「なんですか、肝心なとこって」
「………」
宇井が眉をあげたその時、入り口から琥珀の声が聞こえてきた。
丁度良いとばかりに宇井が口を開きかけるが、三人の姿を見つけた琥珀が「遅れてすみませんっ」と声を弾ませる。
小走りにやって来ると、ラボの研究員たちと話し込んでしまったと詫びた。
「最近よく顔を出すから今度は珈琲を用意しておくよ、って好みを聞かれたので…。つい真剣に答えてきちゃいました──」
行くのが楽しみになっちゃいますとにこにこ話すために、それじゃだめだろう、とは誰も言い出せなかった。
タイミングを逸した宇井の代わりに丈が口を開く。
「琥珀、腕の調子はどうだ」
昨日と同じ問いをする丈に琥珀は首を傾げる。
宇井もまた、なんで今さら腕の話をという疑問の目を向けた。
「昨日のうちにちゃんと治りましたよ?今日のお仕事にも支障はありません」
「そうだったな…」
「はい。えっと、じゃあ──」
会話もそこそこに琥珀は着替えに向かおうとしたが、丈が「待て」と掴まえて、その両耳をすっぽりと手で塞いだ。
「ガツンとされるのは一先ず俺が引き受ける。…郡、もう少し琥珀に時間をやってはくれないか」
「…。見守れってことですか。琥珀の怪我は治るから」
「そうじゃない。捜査官のうち、クインケの持ち換えを強く希望する者もいるが、誰しもがそうとは限らない」
持ち換えを希望しない者。
その言葉から思いつく例として、自身が手にかけた喰種を使えないという話は聞く。悪い意味での思い入れが強く、平静を保つことが難しいと。
ましてや琥珀は当の本人が喰種だ。
それでかと宇井は居心地の悪い顔になる。
丈は、対照的にきょとんとした表情で視線を動かしていた琥珀の耳から手を外した。
「お前が気にかけてくれていることも有り難く思う。昨日、真っ先に医療班を呼んだのはお前だろう」
驚いた琥珀から、えっ、と声が漏れた。
「…先輩、ここでそれ出すのは卑怯ですよ…」
「悪い」
「いーえ、絶対悪いって思ってない口調ですからそれ」
耳栓のせいで二人の会話に乗りきれていない琥珀には有馬が「作戦のことで少し」と適当に流した。
「郡さん。私の腕、ちゃんとまっすぐ治りましたよ」
「そう。…まっすぐじゃない治り方ってのが私には想像つかないんだけど」
へんな治り方を想像したのか宇井は微妙な顔になる。
つられて琥珀も説明に困ったように眉を寄せた。
「あの…見ます?」
「っいいや、いいっ!…治ったのなら…それでいいよ」
宇井は、改めて感謝を伝える琥珀の裏表のない瞳(年長者らとは違う)から逃れるように頭を掻く。
医療班については、たまたま、丈と琥珀の動きが目に入ったからで別に急いで呼んだわけではない。
丁度。タイミング良く。武器を下ろしたのと重なったから、たまたま素早く呼べただけで…。
「顔色を変えた郡が医療班を呼ぶのを見たよ」
「誇張しないでください有馬さん。色が変わったのはタケさんの背中だけです」
「平子一等のせなか?」
「気にするな琥珀。そのうち治る」
「昨日泊まったのなら君も見たんだろ、あんな派手な背中一面の痣。しばらくは消えないよ」
「痣なんて知らないです、…そんな泊まったからって背中を見るなん──…」
ぺたぺた、ぎゅぅぅと。それなりに抱き合ったりもしたような気がしないでもない記憶が甦る。でも全裸を見るほどの行為には及んでいない。だって眠かったから。…確かにチャンスだったけれども。
琥珀の頬がぽっと染まる。
じわり熱を帯びて。
あぅ…とどもって。
うーっと唸って。
仕舞いに琥珀は「着替えてきますっ…!」と逃げ出した。
途中で一回だけ振り返り「平子一等、私っ、わたっ……ごめんなさい!」と拳をぎゅっとする。
「──郡、今回は照れないね」
有馬が視線を遣ると、その言葉で少しだけ赤くなった宇井が不貞腐れたように答えた。
「本人にあれだけ照れられたんじゃ。こうなるといっそ苛めたくなってきました」
「…ほどほどにな」
「わかってますよ。…琥珀はきっと、タケさんが危ないと思うと他所が見えなくなるんでしょうね」
突き飛ばす加減よりも、クインケの破損よりも。
背中の大痣は、危険な場所から丈を遠ざけることを優先した結果だ。
まぁ、その一所懸命さでいつか壁にめり込む日が来るかもしれない…との心配も丈にはあるので、琥珀の立ち回りも早々に上達するよう密かに応援はしている。
「筋力があることはわかってるんだから、最初から甲赫の厳ついクインケを渡しておけば良かったんじゃないですか。これが新人捜査官の装備だって」
「それで任務に就かせていたら、みんなと違う、可愛くないとショックを受けたかもしれない」
「…そこ気にしますかね」
琥珀が捜査官になって二年ほど経つが、確かに当時はまだ学生といえる年齢だった。
難しいなぁと宇井が眉を寄せる。
黙して聞いていた有馬も口を開く。
「ああ。だから琥珀のクインケは折れる度にこっそり強度を上げるよう頼んではいるんだけど」
まだまだ足りないみたいだから知行博士にもお茶請けが必要になるかもね──、と。
思案するように顎に手を当てた。
「…有馬さん、因みにそれはいつから」
「琥珀が一回目に折った時からかな」

過保護か

二人の心の声が重なる。


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