×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



水面に憧れて

.
部屋は閉め切り、冷房は効きすぎるほどに効いている。
姿見の前に立った琥珀は髪をまとめてクリップで留め、首裏の蝶結びを整えた。
蝶々はそのままストラップとなって胸元へ繋り、水着を華やがせるポイントになる。
友人たちと比べるとやや寂しい大きさではあるものの、ウエストの落差を計算に入れれば幼児体型ではない。
はず…。
「…もうちょっと、なぁ〜…」
フリルのついた胸元をそろりと指でなぞる。
ひらひらとやわらかい印象の水着は、いわゆる色っぽい感じではないけれど、琥珀は一目で気に入った。
夏休みを目前に控えた昨日、気の早い友人に引きずられるようにして学校帰りに買いに行ったのだ。
自分が楽しむためであって、これはべつに…誰かに見せるわけでもない…。
けれど自然と丈の姿が頭に浮かぶ。
「………。丈兄のお休み…きいてみようかな…」
プールに誘うなら丈も水着を買わなくてはならないし。
そもそも幼馴染みの相手なんて子守りの延長みたいなものと面倒くさがられてしまうかもしれない…。
「………。」
そしてまた、起伏(主にでっぱり)の乏しい我が身を見おろす。
一人きりの部屋の中。
琥珀は今一度、こっそり胸を寄せた。

昼近くまで眠ってしまった──…。
用事があって久しぶりに戻った実家は居心地が良く、仕事を終えて深夜に来訪した丈が目を覚ました時には、太陽はすでに真上にあった。
眠りすぎて重たい目蓋を押さえて、丈は「お邪魔します」と君塚家の玄関を開けた。
出てきた琥珀の叔父に、祖母から持たされた煮物のお裾分けを手渡す。
招かれて久しぶりに上がった琥珀の家は懐かしい匂いがする。
丈はふと視線をめぐらせた。
仕事の関係上、休日も定期的にとはいかない。
家を出て、琥珀と顔を会わせる機会もだいぶ減った。
幼い頃から表情の変化の乏しい丈だが、しかし琥珀の叔父は聡く気づくと、「部屋にいるから顔を見てけよ」と声をかけた。
丈はぺこりと言葉に甘えて二階へあがる。
床の軋みも記憶の通りだ。
夏の気候に開け放たれた部屋をいくつか通り過ぎ、ただひとつ、閉じるドアの前に立つ。
屋外の生活の音に混じって空調の音が聴こえる。
やや強めの稼動音に、それほど今日は暑いだろうかと思いながら丈はドアをノックをした。
「琥珀、いるか」
「はぁい──…んっ…?あれっ…もしかして丈兄っ?」
久しく聞く声は相変わらず元気そうで、丈はドアの向こうの表情を思い浮かべた。
しかし、いつもならすぐ飛び出てくるはずの琥珀が、一向にドアを開く気配がない。
動揺した声で、なんで、と漏れ聞こえた。
「昨晩戻って、今は祖母のお使いだ。…開けて良いか」
「そっかおばあちゃんの……うん…?あっ…!きゃぁっ!…やだっダメっ!まって、待って──…!」
何をそんなに慌てているのか。
納得しかけた声に続いて、がたんがたんと中から物がぶつかる音が響く。
少しして静かになり、ドアが小さく軋む。
室内の冷気がひやりと流れ、赤い顔をした琥珀が隙間からそおっと丈を見あげた。
大きめのパーカーを羽織っており足元は裸足だ。
季節的にはわかる。が。
…白い太腿がほとんど…全部見えている。
「………」
「あっ、あの、ね…昨日友だちと水着を買ってきて…。もうすぐ夏休みだから…プールに行く予定も、してて…」
肩を小さくしてパーカーの併せ目を細い指が押さえる。
琥珀はドアの外に顔を出して周りをきょろきょろと窺うと、丈の袖を取って急いで部屋の中へ引っ張った。
珍しく強引な様子に丈もつい口を閉ざす。
「ええと…ですね…」
琥珀は耳まで赤く染めている。
迷いながら顔を背ければ、首筋のおくれ毛が揺れた。
言葉が詰まり、丈は今さらながら琥珀の髪がまとめられていることに気がついた。
落ち着かない…というのだろうか、この場にいて良いのか戸惑う気持ちになり、ふわりと──あるいは、くらりとさせる仄かな予感に見舞われる。
水着、とさっき聞こえたが気のせいか?
「…えっと、その……こ、こんな…感じの…で………」
琥珀の指がパーカーを開く。
丈の目に飛び込んできたのは鎖骨の窪み。
その下の膨らみを隠す淡い色のたっぷりとした布地。
細い腰は震えて、呼吸で動く腹部はやわらかそうだ。
ボリュームのある上に比べると同系色が隠す下の方はやけに無防備で、ついへそやら腹やらを隠してやりたくなるのは保護者的な習性かもしれないが…それをすれば触ってしまいそうだというかむしろ触りたい──
丈の頭の中を静かに駆け巡った瞬間、琥珀の手がそれは素早くパーカーを閉じた。
「こ、こういう見せ方すると何だかわたし変質者みたいっ…!?か、感想っ!丈兄、何かないっ?コメントいって…!」
わたし、へんじゃない?だいじょうぶっ?
縋るように訊ねる琥珀の顔は涼しい室内でも真っ赤だ。
冷風にそよそよと吹かれて、丈もぽそりと口を開いた。
「………。悪くない、と…思うぞ…」
「ほ、本当っ?わたし、平らじゃないっ…?」
「…ああ……、やわらかそうで良いんじゃないか…」
「わ、私、みんなと比べると…でこぼこが全然ないから…心配で」
「…そう…なのか。俺は特に…問題はないと思うが…」
「………」
「………」
「い、以上です…っ」
「…ああ」
どちらともなく退出を感じさせる空気が流れる。
丈は速やかに部屋を出て、琥珀は静かにドアを閉めた。
「………。」
廊下に出ると途端にあたたかい気温が肌を包む。
一体…なんだったのだろう。
まるで夢から現実に放り出されたような空間体験を経て、丈はまた、ぬるま湯に似た空気を漕いで居間へ下りる。

そっとドアを閉じた琥珀は、離れてゆく丈の足音を聞き届けてぺたりと床に座り込んだ。
私、なにしちゃったんだろう…と。
丈に向かって、ばっと開いて、ばばっと閉じた。
…痴女?
途端にかぁっと全身が熱くなり、あわてて扇風機のスイッチを押す。
汗をかかないために冷房をフル稼働させたのに。
肩からずり落ちるパーカーもそのままに、強風を身体のすべてで浴びた。
でも。
胸元で水着の布地が涼しげに揺れる。
「やわらかい…感じ…。この水着にしてよかったぁ…」


翌日。
出局した丈は先輩方に捕まり、筋トレと格闘訓練に駆り出されていた。
しかし頭にチラつくのは琥珀の水着姿と白いお腹。
周りには筋トレを行う女性捜査官もおり、引き締まった身体にでこぼこと割れた腹筋が眩しい。
…このような場所では琥珀のようなやわらかそうな腹には到底お目にかかれないだろう。(女性捜査官の方々にも、琥珀にも、丈は心の中で深く詫びた)
「腹のでこぼこは…あった方が良いんでしょうか」
有馬さん。
と、丈は投げ飛ばされた仰向けの状態から、投げ飛ばした有馬に訊ねる。
床の感触は冷たく、頭を冷やすには丁度良い塩梅だ。
「でこぼこ具合は人それぞれだと思うけど。それよりタケはもう少し筋肉をつけた方がいい」
「有馬ボーイの言う通りだねェ、一等ボーイ。そんな腹筋ではマイエンジェルのエスコートにはまだまだ足りんぞぅ?」
「…自分にはギミックなしの普通のクインケで十分かと」
向上心のいまいち見られない丈に、田中丸が「ンノォォオ!」と大袈裟に嘆く。
丈や他の新人たちを訓練に連れてきた張本人、田中丸特等は近々任務を控えているらしく、やる気いっぱいだ。
「なんか暑いな」
有馬が空調の温度を下げに行ってしまうと、田中丸は「今度は私が相手をしようかね?ンン?」と意気込んで丈を立たせた。
丈は慎んで辞退しようと思った。
が、周囲でトレーニングを行う者たちはそそくさと機具の調整をはじめ、格闘訓練を行う者たちは相手との再試合の礼をする。
間違って目があっては堪らないと言わんばかりに。
「特等捜査官の私自ら訓練をつけるのだ。有り難く思いたまえッ」
「良かったね、タケ」
「………」
丈は夏休みがほしいと思った。


180726
[ 6/225 ]
[もどる]