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夜を游ぐ

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喰種にとって人間とは。
餌以外の何物でもない。
一人目の首はへし折って二人目の首は掴んで潰した。
「(…もう一人いたか?)」
視界の隅にもう一人仲間がいたような気がしたが…向かって来ようともしないで逃げたらしい。
タタラとエトの仕切る"アオギリの樹"──。
今ではそれなりの規模となった組織を、"組織"足らしめるためには、資金や協力者が必要だ。
タタラも"アオギリ"の幹部として、非合法な運営を行う会社とも親密な付き合いをしている。
兄と同胞たちの復讐を目的とするタタラにとっては面倒な作業この上ないが、多くの"白鳩"を屠り、仇を殺すためならば仕方が無いと出向いている。
そんな役目の帰りだった。
一々喧しい白スーツらに頭痛を覚えて一人になりたいと街を通り抜ければ、今度はチンピラに絡まれた。
二人は殺した。逃がした一人もノロが喰ったのかと期待をしたのだが…生憎、気配は近くにないようだ。
タタラの附属品のように傍にいるノロだが、気紛れに姿を消す。
「置いてくぞ」
居るともなしに呟きを残し、タタラは掴んでいた二人目をコンクリートに落とした。
路地裏を後にする。
繁華街に出ると夜を昼とも見紛わせる雑多な灯りに包まれた。人混みの喧騒に加え、大音量を垂れ流すステレオとモニターが鼓膜と網膜を押し潰す。
雑踏は、路地裏から現れたタタラも受け入れて流れてゆく。
マスクを外した口許を癖のように埋める。
今、羽織っているのは白い上着ではなく、落ち着いた色のコートだ。
しかし体格の良い長身に白髪はやはり目立つ。
好奇の視線を寄越す者を、タタラは無視して歩を進めた。
人間の耳にはまだ聴こえないだろうが、遠くからサイレンの音も近づいてくる。
逃げた一人が通報したのかもしれない。
「(…あぁ…五月蝿いな………)」
勿論、早々にこの場を離れるつもりではあるが…、ではどうするかと視線を廻らせる。
すると、信号を待つ人の背の中に小柄な女の姿を見つけた。
こんな時分に、このような場所で。
滅多にない偶然だが、目の前に現れた機会は都合良く利用する性質だ。
信号待ちに混み合う人垣を強引にすり抜ける。
不満を漏らす人間は赤い瞳で睨み黙させた。
女は警戒感というものを持ち合わせていないのか、タタラが接近しても気がつく様子もない。
「──今日は非番か?似非捜査官」
「え──…、…!!?」
突然腕を掴まれた琥珀は、まず困惑。それから、タタラを瞳に映して驚愕し、「すごくヤな人に出会った」という表情に変化する。
「っ…、なんでここに──」
「お前の非番に付き合ってやるよ。来い」
「…!??」
なんで非番に付き合われてしまうのか。
付き合うといったくせに来いと引っ張られるのか。
文脈のよくわからない文句に琥珀が混乱している内に、タタラは通り掛かったタクシーを停めさせ、後部座席に琥珀を押し込んだ。
適当に車を走らせろと、遥かな高み目線で運転手に告げ、タクシーが走り出す。
琥珀は騒いでも無意味と思ったのか口をつぐむ。
ただ、僅かにでも抵抗の意を示して、タタラとは反対の窓にくっつくように座った。
添えた左指と後悔の横顔がガラスに映る。
以前、顔を会わせた際には蛇蝎の如く危険視をされたことを思えば、イヤな顔程度で済んでいるのは進歩かもしれない。
「…私…お休みなんだけど」
「私服だから見てわかる」
「…っ、あなたとも一切関係無い立場なんですけど」
「これだけ意識してて無関係って思ってるの」
「…〜!これから私っ、行くところがあるのっ…!」
「だから付き合ってやるってさっき言った」
「〜っ!!」
話聞けばとでも言いたげなタタラの目が面倒くさそうに窓の外へ移り、言い返したくても言い返せない琥珀が怒りの表情で口をぱくぱくさせ、ミラー越しに運転手が訊ねた。
「…で、お客さん、どちらまで?」

20分ほどタクシーは走り、サイレンの音も聞こえなくなった。
殺した二人に関しては加減をした。すぐには喰種の仕業と結び付かないだろうが…警察とやらもお飾りではない。
違和感を嗅ぎ取ればすぐに"白鳩"を呼ぶはずだ。
「(しっかり殺しておけば良かったか)」
逃がした一人をタタラが思い浮かべていると、視界の隅で琥珀の頭がぐらついた。
「……。何してる」
「わわっ…、きゃぅ──っ」
靴の試着の途中で、よろよろ倒れそうになる腕を掴む。
掴んだ腕とは反対側の、琥珀の肩に掛けた大きな紙袋がガサガサと音を立てる。
明らかに邪魔そうだ。
「袋置けば」
「床に置くのはだめ」
ファッションビルの中階層にある靴屋で、琥珀の瞳がキッとタタラを見あげて睨む。
大事そうに抱える紙袋には男物の服が入っている。
琥珀の用事とは、取り寄せを頼んでおいた品を取りに来ることだったらしい。
本当なら恋人と来る予定だったそうだが、相手は急な仕事で来られなくなった。
そして今は琥珀が自身の買い物と称して靴を見ている。
「………チッ」
タタラの舌打ちに、琥珀がじろっとまた睨む。
無視をして毛先ほどにも興味の涌かない店内へと目を向ければ、仕事帰りに買い物を楽しむ客の姿が多く目に入る。
チンピラ二人の首を折ってきた身として、場違いという言葉が浮かぶ。
そうしてまた琥珀がふらつく。
「…袋置け」
「…平気」
「見てて鬱陶しい」
「なら見ないで」
「……。貸せ」
「あっ…!」
よろよろ、ガサガサと不器用な琥珀の肩からタタラは紙袋を奪い、取り返そうとする手も掴む。
「履かせてやらないと履けないか」
「…………。きらい」
「ガキ」
見おろすタタラからでも、その膨れっ面がわかった。
不本意極まりないという様子だが、客が多くて試着に使える椅子も埋まっている。
タタラに支えられて、琥珀は片足ずつゆっくりとパンプスに足先を入れた。
緊張した琥珀の指がタタラの手の中で震える。
明るすぎる煌びやかな照明は足元に影を落とす。
店内放送はフロア案内と音楽とを交互に続けている。
──ねぇ、知ってる?さっき新宿で通り魔が──
通り掛かった客の話し声を耳に拾う。
──殺されたの、ヤバい人らだったんでしょ──
そんな事件よりもさぁと、早くも次の話題を唇に乗せて、女連れはブランド物の紙袋を片手に通りすぎてゆく。
「………」
誰かが殺されようとも自分には関係無いと嘯く女。
喰種など知らない世界の存在だと目を背ける人間。
"其れ"が此処に居ると知ったらどのような顔をするのか。簡単に浮かぶ。
そして、誰も知らない暗い路で後を付けてあの女を殺すことも、同じくらいに簡単だ。
それを行って捕まらない自信もある。
ただ、通りすがりの餌に一々腹を立てて怒っているほど暇でも無い。
「…うーん……」
また琥珀の頭が傾いだ。
「買うの」
「──…、ちょっと…違ったみたい」
散々待たせて違うって何だ。

その後もフロアを移動して化粧品だの小物だの。
軽く一時間以上を過ごした後、タタラを連れて琥珀は屋上へ続くガラス扉を押し開けた。
風圧で髪がふわりとなびく。
ビルの閉館も近くなった時刻、人影は少ない。
「この辺りなら──」
屋上端の手摺りに手を掛けて琥珀が振り返った。
「余裕で逃げられる?」
タタラはゆっくりとした足取りで隣に並ぶと、遥か下の地上を行き来する人々を赤い瞳で眺める。
「ここじゃなくても。はじめから余裕」
「そう。…なら、わざわざ人を保険に使わないでほしいんですけど」
「いつから気付いてた」
湿気を含んだ夜の空気が鼻腔を抜ける。
「…。信号待ちの時にサイレンが聴こえたから。せっかくのお休みなのに…嫌な顔にもなるでしょう?」
緩やかに流れる夜風のように琥珀は軽いため息を吐く。
タタラに腕を掴まれた時から、このまま事態が流れることを望んでいたようだ。これ以上の問題さえ起こさなければ良いと。
ほとんど諦めモードと言っていい。
「不良捜査官」
「あなたを捕まえたいって言ったら…絶対に周りの人、巻き込むでしょ」
「かなり派手にね」
「…ほら」
「その憂さ晴らしでヒトを荷物持ちにして散財したんだからおあいこ」
気がつけばタタラが持たされるのは、はじめの大きな紙袋の他に、中サイズの紙袋が一つ。小さい袋が一つ。
そして立ち寄ったのみで品物を買わずに出た店の数も、軽くその倍以上であることを考えると、虚と実のバランスも云うまでもなく悪い。
「そっ、それはっ………だって…」
「だって?」
「…言わないでいたら持っててくれたから…このままで良いかなぁって…」
「棄てていい?」
「ダメーっ!」
訊ねつつもほとんど屋上から落とすつもりで荷物に手をかけると、慌てて琥珀が飛びついた。
タタラのコートを掴みながら、真っ先に大きな紙袋を守ろうとしたのは誉めてやっても良いかもしれない。
タタラとしてもお使いの一つも満足に出来ない部下は嫌いだし要らない。そのラインギリギリにいるのが白スーツだろうか。
「仮にもアオギリの偉いヤツ扱き使ったんだから、お前もちょっとぐらい有り難がるべきだよね」
「うぅ……」
荷物を肩へ戻したタタラへ、俯き気味の琥珀が非常に悔しそうな小声を絞り出す。
…ありがとう…、と確かに聞き届けて溜飲を下げた。
琥珀に「付き合ってやる」と告げてタクシーに放り込んだが、荷物持ちなんてオプションは予定していなかった。
適当に撒いて姿を眩ませているはずだった。
「…」
間も無く閉館を告げるアナウンスが屋上に響き、思い思いに時間を過ごしていた客たちが建物内へ足を向ける。
「……荷物、持つから返して」
「やだ」
「偉いのに荷物持ちするのヤなんでしょ、返して──」
「送ってやるよ。1区で良いの?」
「話聞いてってば!」

来た時と同じように、タタラは琥珀をタクシーに押し込んだ。
見送りなんて結構とか言っていたようだが無視した。
片側四車線の広い通りに入り、夜の闇のもと、白く細く光る街灯と丁寧に丈を整えられた街路樹が窓の外を流れてゆく。
「…本当にここまで来るなんて…。あまり近づきたい場所じゃないんでしょう…?」
琥珀が身を寄せるCCGの本局は1区にある。
本局があるため、1区は他区に比べて喰種が引き起こす事件も少なく、また目撃例も少ない。
「……。ね、聞いてます?」
琥珀はタタラに返答を求めたが、タタラはというと外を眺めたままだ。
放っておくと琥珀はむすっと口を閉ざした。
不満を隠せない琥珀へ、タタラは一瞬視線を遣り、また戻した。
サイドミラー越しに数台後方に着ける車を確認する。
黒塗りとは、如何にも其れらしい。
「──停めろ」
「え?」
驚いた琥珀が視線で答えを求めてくるが、強引にその場でタクシーを停めさせると、運転手に紙幣を渡して外へ出る。
通りはビルが並んでいたが、途中から木々の繁った区画がはじまる。恐らく公園だろう。
昼間であれば往来もあるはずの小路がぼんやりと暗闇に浮かびあがる。
人気のないその中へタタラは入っていき、少し迷った琥珀も仕方なく続いた。
すぐに、後方からタクシーの発車音が響く。
別の車のブレーキ音が重なる。
「…余裕で逃げられるんじゃなかったの」
「失敗」
「…可愛く肩を竦めてられも困ります」
「面白かった?」
「こわい…」
「ハハ。ついでに今からもっと面白いものがはじまるよ。観てくか?」
「まさか」
タタラは肩に掛けた紙袋を下ろす。
背後からついてくる複数の靴音は重たく堅い。仕事から解放されたサラリーマンではないのは明らかだ。
音の聴こえてくる小路を振り返り、袋を琥珀に押し付ける。
「勝手に帰れ。巻き込まれたくないんだろ」
「ここからね…。別の出入り口はあるの?」
「さあ。無ければ柵よじ登れば?」
「………」
柵に張りつく自分の姿を想像したのか、琥珀は受け取った紙袋ごと肩を落とす。
「…あんな人たち喰べて……お腹を壊せば良いんだわ」
「餌には差別しない主義」
「………。公園を出たら通報するから」
咎める視線を向けて、しかし猶予を与えた琥珀に、タタラは赤い目を細めた。

追いかけてきた顔触れの中に、先ほど見逃した一人を見つけたタタラは、それから先に片付けようと決めた。
元はといえばあれを逃したことからの寄り道だ。
五人ほどの、およそ堅気には見えない男たちに囲まれ、一緒にいた女はどうしたと訊かれる。
答えずにいると向こうは苛立ちを見せたが、タタラは別のことを考えていた。
タタラも大概気紛れな性質だが、その点に関してはエトも"彼"も、似た者同士だ。
木々の生い茂る合間から、仮面を被った黒い影がのそりと姿を現す。
「お前、まさか餌が増えるの待ってたの」
仮面の人物──ノロは答えない代わりに、琥珀が立ち去った方向を振り返る。
エトと同じ匂いを持つあれが意識の何処かに引っ掛かるのかもしれない。
…まぁ。
「帰りの車が手に入ったから良いか」
ぐちゃっと水分を含んだ彼らが潰れる音が響く。
悲鳴はない。
膨張し、伸縮したノロの身体がしなり、五人の上半身の悉くを一浚いに喰らった。
残された脚が倒れ、あるいはオブジェのように立ち尽くす。
今では元のサイズに戻ろうとするノロの腹部の"隙間"から、溢れ出た体液がぴゅっと漏れる。
「ちゃんと閉じて喰べなよ」
「………」
「俺?俺は要らないな。腹は減ってない」
「……」
黒衣に包まれたノロの袖が、タタラの上着のポケットを指す。
「…。ああ、これ──」
タタラが探ると透明の密閉袋が出てきた。
剥き出しで入っているのは数粒の錠剤。市販の薬ではなさそうだ。
袋には付箋が付いており"喰種用…栄養補助!"と書かれている。いつの間にか仕込まれたらしい。
これなら腹を壊さないとでも言いたいのか。
こんなもので誤魔化そうと、結局は喰うのだろうに。
「不味そうだな」
「………、」
不自由な生き方を続ける琥珀の気持ちなどタタラには理解できない。
くしゃりとポケットに戻すと、ノロを伴って小路を戻る。
「…。気が向いたら喰べてやるよ」
持たされていた袋を直す仕種をしかけて、もう無いことに気がついた。
眉間に皺を寄せる。
遠くから、またサイレンの音がする。


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