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一番ほしかったもの(前)

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中空に、揺らめいて溶ける煙を見ていた。
「──被害者は一人暮らしの女。オートロック完備のマンション上層階…つっても喰種には関係無いか」
「近隣アパートでも同様に、一人暮らしの…こちらも女性被害者ですね。捕食と遺体損傷の状況から、同一個体による犯行と見られるものが1件」
「立て続けだな。保存食でも作ってんのか…」
長い呼吸と共に、富良が煙草の煙を吐き出した。
同調するように宇井も短く煙を吐く。
二人分の煙がそれぞれの流れに沿って虚空に溶ける。ひとときとして同じ形には留まらない。
半透明の薄ぼんやりしたもやを、琥珀の瞳も追いかけた。
手元の資料には遺体の損傷箇所の写真と説明。
捲られた布団とシーツは黒く変色した血で汚れ、そこに横たわる、くすんだ肌をした遺体。
精神を落ち込ませるそれらの写真を目にするよりも、健康を害するとされる自由な煙を眺める方が、よほど平和に思えて瞬きをする。
「損傷の特徴の、左腕の持ち去り。…以前にもそんな事例、ありませんでしたか?」
琥珀の視線につられて煙に目をやった宇井も、言われてふと考える。
「左腕…どうだったかな。後で調べてみよう」
富良も記憶を辿るように視線を流す。
「大抵の遺体は荒れてるからな。今回みたいな連続でもない限り、ただの捕食による損壊と判断される。が…」
ここは局内の喫煙所だ。
透明なガラスで隔離された廊下の僅かなスペースは、肩身の狭い愛煙家に残された最後の楽園かもしれない。
まず富良が、捜査の思案と息抜きの名目で訪れた。
次に通りがかった班長の宇井が一服の誘惑に負けて中へ入り、さらに有馬の使いで宇井を探していた琥珀もやって来た。
琥珀まで中に入る必要はなかったのだが、こんな場所でも頭を寄せて捜査の検討をする富良と宇井の様子に興味を引かれた。
しかし被害写真の観察は得意ではなく、早々と伏せて富良へ返す。
「──女の左腕か…。言われると気になるな」
右腕ではなく左の理由。
食糧としての嗜好なら右でも左でも構わないはずだ。
煙草を味わう富良の横で琥珀は自分の腕を持ち上げる。
女ばかり狙うということは男の喰種だろうか…。
「単なる腕フェチの喰種かもしれませんけど。二の腕なら、お肉も柔らかいですし」
ブラウスの半袖から伸びる腕をぷにとつまんで困り顔をすると、富良も別の意味で呆れた。
「婦女子があんまり見せびらかすものじゃないぞ」
「富良さん、もしかして当てはまります?」
「男はみんなやわいのが好きなんだよ。平子も。宇井特等も」
「…私に振らないでくださいよ」
琥珀の白い二の腕をちらと見て、宇井が居心地悪そうに顔をしかめた。
外へ出る時も基本的にはスーツを羽織る。
しかし気温の高い季節は服装の調節も小まめに必要だ。
かくいう宇井も富良も、今は上着を脱いでデスクに置いてきている。
琥珀が観察するに、二人の腕は適度に引き締まっており、もしも喰べるならどちらが好みだろうかと、その気持ちになって考えてみた。
…しかしすぐに気が逸れて、丈の姿が浮かんでしまい慌てて振り払う。
「前から思ってたんだが。君塚、その腕に筋肉はついてんのか?」
「あっ……えっと、筋肉量は人並みだと思います…ただ、その…基本的な筋力が強いらしいので。普通の喰種より力持ちですよ」
富良がイメージしやすいように、クインケだって軽々ですもん、と身振りをする。
「なるほど。そのせいで騙される男も多そうだ」
またしても含みのある笑みを向ける富良に、宇井は、ごほん、と咳払いをした。
「私はそもそも騙されてません」
「特等が仰るのなら、そういうことにしときましょうかね」
「全くです。富良上等、勘違いは正しておいてください」
年若い上司の小さな憤慨に富良は「はいはい」と軽く答えておく。
「郡さん。そろそろ…」
「ん?ああ。有馬さんのところだっけ」
琥珀に促されて、宇井は短くなってきた煙草を灰皿に押し付けて火を消す。
「すみません、郡さん。富良さんも。捜査のお話し中に」
「休憩中だし気にするな。それに宇井特等も、お嬢さんからのお誘いだから、こう見えて喜んでるぞ」
「…そのお誘いの後ろにいるのは有馬さんですが?」
「大人気じゃないか、班長」
「はぁ…。こっちの捜査も始まったばっかりなのに。何を頼まれるんだろう…」
尊敬する有馬に頼られるのは嬉しいが、タイミングというものもある。
上着を脱いで身軽なはずの肩を落とす宇井に、琥珀は苦笑した。
苦笑をしながら、先ほど目にした捜査資料を思い出す。
凄惨な現場も、その写真も。いつまで経っても慣れることはない。
慣れることができないから、文面で触れる資料はせめて深く読み込む癖がついた。
"左腕"と限定せずに"手"も含めれば、他にも事例はあったはずだ。
手がかりの少ない段階で結びつけて考えるのは危険だが、もしそれらの事件が全て繋がるというのなら、犯人はよほど偏執的な執着を持っているともいえる。
喫煙所から出てエレベーターへ向かう。
琥珀が自身の左側を気にしていると、今度は宇井が口を開いた。
「琥珀。煙草の匂い、気になる?」
「え?…あ、いえ…」
「数分で済むんだから外で待ってれば良かったのにさ。まぁ、君の行動がよくわからないのはいつものことだけど」
「郡さんも富良さんも。息抜きなのに浮かない顔してるんですもん。気持ちの入れ換えになればと思ったんです」
「そりゃどうも」
喰種の活動はこちらの捜査の如何に関わらず行われる。
餓えれば食糧が必要となり、食糧は人間。
喰種が生きるためには人間の犠牲が必ず出る。ゆえに捜査官の仕事に終わりもない。
「(生きるため…)」
根本にあったのは、生きるために殺す喰種と、それに対抗する人間という関係。
しかし互いの思惑や感情が混ざり、溶け、白とも黒ともつかない気持ちと状況を与える。
軽い電子音が鳴ってエレベーターが到着する。
降りる者がいなかったため、宇井と琥珀が乗り込むと、すでに数名を乗せているエレベーター内の密度が上がった。
宇井が少し詰めつつ、琥珀の腕を引く。
「(…左腕……本当にただの備蓄として…?)」
他の部位ではだめだったのか。左腕に固執する理由は?それともやはり偶然か。持ち去り易かっただけだろうか?折れば鞄にも入るし、脚よりは軽い──。
他の捜査官たちが会話を行う中、琥珀が黙り混み思考していると、後ろの宇井が小さく呟いた。
「…少し移ったかも……」
呼吸が耳元に触れる。
「──はい?郡さん、何か?」
「あっ、いや…」
何でもない、と宇井は首を振った。


陽溜まりが、いつしか夕暮れの薄暗さへ。
知らぬ間に闇へと色を変化させていたように。
気がついたときには、空気に稀釈する煙のように、ふわりと存在を消してしまうのではないか。
そんな漠然とした不安を覚える。
ギシッ──…
琥珀の唇に自身のものを重ねながら、丈はその身体を抱き寄せた。
横になる二人の重さに、暗闇の中でベッドが軋む。
静けさに音が響くことにも構わず琥珀のキャミソールの中に手を入れ、かたちを確かめるように素肌の背に手のひらを滑らせた。
「…んっ、…ん………ふふっ…」
ぴくりと藻掻く腰の曲線を撫でてまた抱き締めれば、すぐ鼻先でくすぐったそうに琥珀は笑った。
「…私のこと、いっぱい触ってる」
「苦しいか?」
「ううん」
互いの額を合わせながら琥珀が口を開きかけて迷う。
「…もっと、触って…?」
言葉にしながら、しかし先に実行したのは琥珀だった。
付かず離れずの加減で唇がふれ合い、声が伝わる。
「私も……丈兄を感じていたいから…」
胸元に添えられていた指が丈のTシャツを捲って、素肌を優しく撫で上げる。口づけを愉しみながら指は下へ下へ、腹を伝って臍の溝をくるりと遊んだ。
琥珀の指は、丈の下腹部の肌や腰骨を行ったり来たりと丁寧になぞる。
けれどそれよりも下へと進まない。
焦れた丈は指を掴まえた。
足りないと言わんばかりに琥珀が唇を尖らせる。
「ゃ……、丈兄ってば…。まだ触りたいのに──…」
「…早く続きがしたい」
それの意味がわからないはずもなく、琥珀の視線が恥ずかしげに揺らぐ。
「……続きなんて…どこまで…?」
「最後まで」
唇を噛んで瞳を游がせる様子が可愛らしく、琥珀の反論ごと唇を塞いだ丈は、組敷くように琥珀に覆い被さった。
布団が持ち上がり、室内の空気が入り込む。
久しぶりの行為に余裕があるかはわからなかったが、「強くしちゃいや」と懇願する琥珀に、丈は「大丈夫だ」と答えた。
嘘を吐くつもりはない。
だが自信も…確かではない。
夜着を捲りながら額に口づけを落とせば、シャンプーの香りが鼻をくすぐる。
丈と同じものを使ったはずだが、琥珀からその香が漂うと殊更に甘く、そして心地好く感じる。
それが他者からの移り香を掻き消したのなら、なおのこと。
「…匂いは…取れたな…」
「…うん?」
不思議そうな表情を浮かべる琥珀の耳朶を噛む。
仕事を終えた丈が琥珀を迎えた時、薄らと香ったのは煙草の匂いだ。
それとなく訊ねてみると、宇井と富良と話した時に移ったのかもと返ってきた。
彼らに親しみを持つ琥珀のことだ。長々と話をしていたのだろう。
「………」
丈は、すぅ、と、やわらかい髪の奥まで確認するように鼻先を埋めた。
戯れを続けると大抵の場合、琥珀はくすぐったがって声を漏らしてしまう。
けれどこの時はそうはならず、琥珀は髪を撫で上げる丈の左手に指を絡め、ゆるゆると触り続ける。
「…。捜査のことが気になるか」
「ん…?」
琥珀の唇からは、気持ちの一部をどこかに置いてきたような声色が零れる。
沈黙ののち、もし、と琥珀は丈に問う。
「…もしも丈兄が…喰種で……女の人を殺して…。でも…遺体の片腕だけを持って帰るのは…どうして?」
「…腕をか」
「……」
丈に触れる琥珀の指は優しい。
丈もまた琥珀の左手を取り、手首から肘へ、二の腕を撫でる。筋肉の少ない、すべすべと柔らかい内側を揉む。
「…美味そうだ」
「ふふ…。私のここ、丈兄もすき…?」
「…」
一体誰と並べているのか。
琥珀は今度こそくすぐったがって身を捩る。
丈は琥珀を逃がさぬよう胸元に口づけを落としながら、腰から臀部へを力強く掴まえた。
太腿をやや強引に開かせる。
「此処だけではなく、今は全部欲しい」
「──…」
暗闇でもわかる、恥じらいと了承の琥珀の瞳。
懇願に伸ばされる白い腕を受け入れて、丈は琥珀の夜着も下着も取り払い、肌を重ねた。


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