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高く高く舞い上がる羽根

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一階の喫茶店から珈琲の匂いに混じって、ホットサンドの香ばしい匂いが漂いはじめた頃。
3階の廊下に軽い足音が響く。
「──琥珀、今日のお昼どうするの……って、あれ?」
勢い良くドアを開けたものの、しかし士皇を迎えたのは理界と夕乍。目的の人物だけ姿がない。
琥珀は?と思わず呟く。
「…アキラ上等のところに行ってるよ」
夕乍が答えると士皇は、「えーっ、また?」と口を尖らせた。
微苦笑した理界が「お見舞いだからね」と嗜める。
数日前に目を覚ました真戸暁上等捜査官は、琥珀の友人らしい。現在はアジトの一つで療養中だ。
──できるだけ、空いた時間には会いに行きたいなって思って──
琥珀は時間を見つけては、たびたびアキラの元へ足を運ぶ。
「もう少ししたら帰ってくるよ」
理界の言葉を聞きながら、士皇は「ちぇー」とベッドに転がった。
「…アキラ上等かぁ」
0番隊は他の捜査官との交流が少なかった。
しかし目深に被ったフードの下から、アキラを見たことはある。減り張りの利いた変わった話し方をする美人だ。
「どうするんだろうね?元気になってもCCGには帰れないし。どっちかっていうとお尋ね者」
有馬や丈、琥珀が彼女を名前で呼ぶため、三人もそちらで馴れてしまった。
士皇は頭の下から枕を引っ張り出して、天井すれすれに放っては受け止める。
投げるごとに埃が舞い、顔をしかめた夕乍が横から枕を掠め取ると、士皇は待ってましたと言わんばかりに跳ね起きた。隣のベッドから新たな枕を引き寄せる。
間合いを測る二人はじゃれあう猫のようだ。
理界は埃と二人に巻き込まれる前に壁際へ移動した。
士皇はアキラをお尋ね者と言い表したが、自らの意思でCCGを離れた0番隊と彼女とでは根本が違う。
「…。だから琥珀は、積極的に顔を見に行くんだろうね」


コンクリートが剥き出しの簡素な部屋だ。
廊下から部屋に近づく足音が聞こえて顔をあげる。
ああ、彼女がやって来たのだろうか。
読みかけの本をシーツに置くと、寝場所が狭まった愛猫が不満げな目を私へ向けた。
「──おはよう。アキラちゃん、起きてる?」
「…退屈すぎてマリスステラよりも先に私が死にそうだ」
私の返す皮肉に、琥珀は今日も嬉しそうに笑う。
ル島の作戦からしばらくの時間が過ぎた。
眠っていた私はすべてが終わった今更になって、ル島から連れてこられたことを知り、琲世が有馬特等を手にかけたことを知った。
もう…死んだものとして諦めていた亜門上等が、私の部屋の窓を割ってマリスステラを保護していたことも。
眠っていた間の出来事のすべてがのし掛かり、怒れば良いのか、それとも泣けば良いのかもわからなかった。
見舞いにやって来た琥珀へも。
「──必要なものがあったら言ってね。しばらくは不便だと思うけど」
「…。しばらく、というのはいつまでだ」
「うーん…アキラちゃんの体力が戻るまで、かな」
「戻れば…」
「うん?」
「何か事態が変化するのか」
「……」
「確かに…体力が戻れば、喰種に肩入れをした元・捜査官も、CCGから逃げられるかもしれないな」
今の私に必要なものなど誰にも用意できない。
「…喰種のお前はCCGから離れられて清々しているのだろうな。……人間の私には分からない気持ちだ…」
私は大層可愛い気のない挙げ足取りをした。
…子供じみた癇癪だ。
ベッドの上で膝を抱えた私は、それ以上の会話を拒絶した。
彼女が部屋を出て行って、早くも自己嫌悪が心を満たした。…あんなことを言い放てばさすがに琥珀も嫌気が差すだろう。
もうここへ来ないかもしれないという不安が膨らむ。
しかし翌日も琥珀はやって来た。
その翌日にも。
「暇潰しになると思って」
と文庫を置き、
「こっちはお見舞いの果物。と、貰った猫缶」
と洋菓子屋の袋と缶詰めを取り出した。
昨日の私の言葉に何を言い返すでもなく、丸椅子に座る。
衣類を整えながら、今日の天気だとか、来る途中に見た街の様子だとかを勝手に話した。
話の内容は平凡で、ありふれていて、まるで私が只の風邪をひいた病人であり、琥珀はその見舞いに訪れた只の同僚であるように、平穏だった。
話の途切れ目で私は溜め息を吐いた。
「…真綿で首を絞められる気分だ…」
そう感じてしまうのは、私が勝手に抱いた罪悪感のせいなのに。この期に及んで憎まれ口を洩らす。
琥珀は軽やかに嘆息した。
「こわい喩え。何かあった?」
「…こちらが訊きたい。…一昨日、私が言った事は…口にしたところで仕方のない事だ……」
自分の選択が故にこうなったことも解っている。
それでも、納得のいかない心をどう扱ったら良いのか分からない。
…自分の思いすら分からず八つ当たりをする人間を相手にするなど、物好きとしか云いようがない。
「……どうして、…来てくれるんだ、琥珀…」
歯切れの悪い小声は、自分で聞いていても心地が悪い。
私はいつからこんなに物が言えなくなってしまったのだろうと、視線すらも琥珀を避けて手元へ落ちる。
シーツの上で丸くなるマリスステラが、泰然とした瞳で私を見あげる。
「………」
沈黙を破る勇気もなく口を閉ざしていると、視界に琥珀の手が横切って、マリスステラへ伸ばされた。
「…一人ぼっちで、ベッドで悩んでるとね、世界がそれだけしかないように感じてしまうの」
猫特有の低い鼻が、琥珀の指を気にして近づく。
遊ばせる指先は優しい。


わだかまる想いは、一つひとつが離れているようで、けれどすべて、繋がっている。
父への想い。
"彼"への想い。
母の復讐のために戦う父を尊敬していた。
強い信念を持つ"彼"の背中に私は惹かれた。
"彼"──亜門上等が生きていてくれて、私は嬉しかった。
何故すぐに会いに来なかったと、責める気持ちも。
だが同時に、彼の姿を間近に目にして、素直に喜んでいいのかと問う自分が押し潰した。
彼は私に会いに来られなかったんじゃないか?
喰種を憎む私だから。
父を尊敬していた私だから。
それでは何故、ル島でタキザワを庇った?
タキザワは喰種になってしまった。
それでも私は助ける選択をした。
タキザワが命を落とす間際になって、私は彼を死なせたくないと願った。
助けたこともへの後悔も…していない。
それなら…
父の行ってきたことを否定するのか?
母の仇を探し求めて、喰種を憎んで、死んだ父を、
父を否定する…

…そんなこと…私は望んでいない。


「──アンタの父親殺したの、私だから」
ラビットは私の憎しみを煽る台詞を事も無げに言い放った。
クインケも持たない病み上がりで、腕の力も入らない私には何も出来ず、憎悪の思いも、すぐに萎んだ。
以前の自分なら考えられない腑抜けぶりだが、戦う術も、それを考えることも私はもう…手離していた。
ラビットを──…彼女をここで殺しても、父も、父と暮らした過去も、何も戻らず、欠けた心が満たされることはないと認めてしまったからかもしれない…。
案内されたのはありふれた公園だった。
喰種の子供たちが遊んでいる。
そしてフエグチ…私の父が追っていた喰種の姿。
殺して。
殺されて。
はじまりの分からない負の連鎖は目には見えず、目の前で戯れる者たちは、誰もが失った者たちだった。
私も。
彼らも。
誰を止めれば大切な人を失わずにすんだのか。
どうすれば…誰も哀しまずに生きられたのか。
ラビットに促されておずおずと身体を寄せた子供たちは小さくて。
戸惑う私を、同じように戸惑い、けれどやわらかく受け止めたフエグチの抱擁は、あたたかかった。
何もわからず、私は泣いた。


部屋に戻って支度を整えていると琥珀がやって来た。
少し前まで泣いていた私の顔を見るなり、冷やすものを持ってくるなどと言い出したので、私は彼女を掴まえた。
琥珀の華奢な身体を抱き締めて動かずにいると、溜め息が聴こえ、私の背をあやすように優しく叩いた。
「せっかくの美人が台無しになっちゃうんだから」
こんな台無しな泣き顔でも…。
「琥珀」
「うん?」
「私はここを出るよ。…今、カネキにも伝えてきた」
「……。伝えて、きちゃったんだ」
「ああ…」
「…そっか」
腕の中で、琥珀が手に下げた袋が小さく鳴った。
命を助けられた恩はあっても、それだけですぐに喰種へ歩み寄れるほど、これまでに抱いてきたものは軽くはない。
彼らと共に行き、何かをしたいという気持ちも。
今はない。
何も──。
ただ…
「…琥珀…お前は父のことをどう思っている…?」
「………」
「父は……真戸呉緒は…母の復讐にとらわれた人だった。…私を大切にしてくれたが、最後まで"梟"を捜して…結局…喰種に殺された」
「………」
「…父は──…、」
(愚かだったのか──?)
私の言葉の代わりに、琥珀は私を強く抱き締めた。
真戸上等の生き方は難しいものだったかもしれないね、と。
「…真戸上等は最後まで喰種を憎んでいて、命を落としたけれど…」
腕の中で彼女の頭が天井を向く。
「真戸さんは腕の良い捜査官で、とっても皮肉屋で。私に、死にたくなければ精々強くなれとか、逞しくなれとか言って。アキラはお前より余程しっかり者だなんて、娘自慢とかもしてきて」
私の知らない父の姿を。
言葉の一つひとつを。琥珀は私の背中で指折り数えて並べてゆく。
「人間にしては私のこと、全然怖がらなくて。むしろ意地悪いことばっかり言ってきて、へんな人で──」
俯く私が見る床は水の膜に滲んで揺らいだ。
「ものすごく変わり者で──私は嫌いじゃなかったよ」
「…。そこは好きだと言うところじゃないのか」
「そこまで言うと嘘っぽくなるかなって」
「正直者め」
「私が好きとか言ったら、真戸さん、気持ち悪いって絶対返してくると思うの」
「フフ…そうだな。…父らしい…」
恨み言のような、懐かしさの籠った琥珀の言葉があたたかく染み込む。
私も、父が好きだった。
もっと…一緒にいたかった。
「…アキラちゃんのことを話す時の顔はね、やっぱりお父さんの顔をしてたよ」
「狡いな、お前は。実の娘を差し置いて父と一緒に働いたなんて…」
「ふふふ。…他の人にも聞いてみて。きっと色んな話を教えくれるから」
「…残念だが、対策違法者の私に聞ける相手はいない」
この先、一人になってから何するかも…私は決められていない。
私が答えると琥珀は、そんなことないと笑った。
「…いつもね、マリスステラの缶詰めを買ってきてくれてたの。…彼には、アキラちゃんからありがとうって、伝えてね?」


琥珀の言う"彼"が私の前に姿を見せたのは、外へ出てから間もなくのことだった。
見張っていたのかというタイミングの良さに、つい、いつもの調子で皮肉が口をついて出る。
私に会いに来た時も。
今だって。
こんな事を言いたいんじゃない。
もう少しだけ…素直になりたいものだ。
かける言葉も、抱く気持ちも。
いつだって自分の心を真っ直ぐに伝える、彼女のように──…

──傍で支える──
昔と何一つ変わらない瞳で、彼は真っ直ぐに私を見て言った。私が好きなあの瞳で。
私は…一歩近づいて背伸びをした。
亜門鋼太朗、お前は背が大きすぎるんだ。


喫茶店の階段を軽やかに上がる。
琥珀が休憩室のドアを開くと、仁王立ちの士皇が出迎えた。
「こんなに遅くまで!どこに行ってたの、琥珀!」
「…だから、お見舞いでしょ」
「夕乍。士皇はさっきのドラマの役をやりたいんだよ」
ホームドラマか何かの影響か、士皇は母親のように琥珀を叱っている。
驚いて瞳を瞬かせた琥珀だったが、納得すると口許を緩ませた。
そういえば今日は戻る時間も遅くなってしまった。
彼らの夕食には間に合わなかったようだ。
ただ、それも今日まで。
「みんな、晩ごはんは何を食べたの?」
「タケさんと。屋台のラーメン」
「…美味しかったよ…。こんなだけど、士皇も喜んでたから」
「ふふ…そうなの。ごめんね。でも今日で最後だから 」
上着を脱ぎながら謝る琥珀と、屋台って面白いね、などと話す理界と夕乍の横で、追及し足りない士皇はソファーで寛ぐ丈にも同意を求める。
「タケさんも、琥珀に何か言ってっ」
「…。遅かったな」
「もータケさんってばっ。いっつもそうなんだからっ」
「…微妙にあってる」
「僕らは何役かな」
三人が賑やかなのはいつものことだ。
無関心な父親役を宛てられた丈も、特に気にする様子もない。今、関心があるとすれば、
「琥珀──」
上着を抱えたまま三人を眺めている琥珀へ、心配か、と問いかける。
心配が無いといえば偽りだ。
それでも、彼女を支えたいと願う者がいて、彼女自身が、進む途を見つけられたなら…。
「──二人だから、きっと大丈夫」


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