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ビタミン

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──風邪をひいた──
出局の仕度を整えていた朝の時間。
丈から届いたメールは見事にひと言だけで、他のどのような情報もなかった。
すぐに具合を訊ねるメールを返したものの返事はない。
通話も然り。
本当ならば丈の部屋に泊まる予定だったのだが…
少々心配をひきずりながら出局し、そこで琥珀は倉元から事情を聞くに至った。
「タケさん?なんか風邪ひいたみたいで昨日は休んでたよ。あの様子だと今日もかなー…もしかして琥珀ちゃん、知らなかった?」
仕事を終えた琥珀は、買い物をしてから丈の部屋へ向かった。
インターフォンを押してしばらく待っていると、鍵を回す音がしてドアが開いた。
具合はどう?食事は食べた?他にもかけたい言葉があった。
しかし丈の姿を目にした途端に引っ込んだ。
顔の下半分はマスクに覆われている。
残りの面積の半分も冷えペタが占拠している。
三白眼的な瞳は発熱のためか潤んで虚ろだ。
顔は上気しているが、きっちりと毛布にくるまった丈が、のそりとドアを押し開けている。
「………」
「………」
しばし無言で見つめ合ったあと、琥珀は丈の毛布に取り込まれた。

水の流れる音がする──…
火照った頬を、枕の冷たい部分へとずらしながら、丈は薄らと目を開いた。
寝室は暗く、今が何時なのか見当もつかない。
枕元の時計を見ようと身体を起こすと、剥がれかかった冷えペタが額から落ちた。
ぬるいそれをゴミ箱に捨てつつぼんやりと考える。
先ほどインターフォンの音がして、琥珀を迎えに玄関に行ったような気がした。
琥珀が来たのなら伝染さないようにマスクを着けなければと思いながら。
…あれは夢だったのだろうか?
琥珀の身体の感触が残っているような曖昧なイメージを思い出そうとしていると、部屋の外から今度は食器がぶつかる音が聞こえた。
「……?」
床に素足を下ろして立ち上がる。
隙間から光を零すドアをゆっくりと開く。
暗い寝室から明るいリビングへと目が慣れるまでいくつかの呼吸。
水の音は台所からだった。食器のぶつかる音も。
台所には琥珀がいた。
「おはよ。具合はどう?丈兄」
作業中の手を止めてやって来ると、丈の額に手のひらを宛てて体温を診る。
水仕事をしていたからか琥珀の手は冷たく心地が良い。
自身の手も重ねながら丈は訊ねた。
「…玄関に、お前を迎えに行ったような気がした」
冷たさを求める丈に気がついた琥珀は、もう片方の手も頬へと宛がう。
頬から耳許、首筋をやわらかく包む手のひらは、まるで身体の中の悪いものを鎮めていくようだ。
丈は静かに目を閉じる。
「うん、来てくれたよ。…もしかして覚えてない?」
「……ああ…」
「ぎゅーって、してくれたことも?」
「そこは…少しだけ思い出した」
なら治りかけかな、と琥珀は笑った。
丈が熱を出したのは寒気を感じると思った翌日のことだった。
あまりにも久々の風邪を引くという状態であったため、その感覚をすっかり忘れていた。
熱で朦朧としながら、ひとまず局へ連絡をして、琥珀にも…何かメールを送った記憶はある。
ただ、欠勤も一日だけで、すぐに風邪が治ったならば琥珀には連絡をしないでおこうと…
「…思ったんだが……」
「ふぅん。そうだったの」
唇をつんと尖らせる琥珀は、現在、再び台所に立っていた。
背中には丈が凭れかかっている。
華奢な腰に腕を回して、頭に顎を乗せて。先ほどの玄関での記憶も確かに思い出した。
少しずつ熱も下がり、ぐぅと鳴りはじめた丈の胃を治めるべく、琥珀の手は食事の仕度を行う。
「お休みしてること、倉元さんから聞いて。さっき玄関でお布団かぶった丈兄を見て、驚いちゃった」
くつくつと、小鍋で沸騰する出汁へご飯を投入する。
「誰が見ても、立派な病人だよね」
時刻は深夜に近いが、溜まっていた洗濯や掃除を行いながら、丈が起き出すのを待っていたらしい。
「………悪かった…」
丈が謝ると、琥珀の頭がやや上を向き、また戻る。
怒ってないよと優しく溜め息をついた。
「…私に、心配かけないようにって…心配してくれたのは嬉しい。けど…それで丈兄もつらい思いをするのは、私も…つらいなぁ…」
「………」
なんて、思います。
そんな風に琥珀は照れ隠しをしながら、味見をするために雑炊を混ぜていた手を止めた。
スプーンで一口分を掬う。
ふうふうと冷ます琥珀の頬が丸みを増す。
丈はその琥珀の手を取ると、行き先を変更して自身の口へと運んだ。
出汁を絡めた温かな米粒が簡単な咀嚼で喉を通る。
出来栄えを窺うように見つめてくる大きな瞳に頷く。
「…。うまい」
琥珀の表情がほわりと和らいだ。
次はテーブルに行くのかと訊ねる丈を「ちょっと待ってね」と引き止める。
最後に溶き卵をとろりと鍋に回し入れ、程好くほぐれて固まってから火を止める。
様子を見守っていた丈がスプーンで味見をもう一口。
「どう?」
「…とてもうまい」
コンロ脇に置いておいた器へ、満足気に雑炊をよそう琥珀を、丈はそのままの状態で眺めていた。
今まで琥珀に触れたいと思ったことは数えきれないが、ここまでべったりしたことは恐らく無い…と思う。(琥珀からそうされるのは、もちろん歓迎だ)
「そうだ。スポーツドリンクも買ってきたけど…飲む?」
大の大人がこれでは丸きり甘えている。
「……頼む」
熱が下がった今、丈の記憶も鮮明になった。
久々の風邪で朦朧と過ごす一日は長く、重たい身体で自発的に行えたのは水分を摂ることぐらい。
そんな侘しさの渦中に。簡素なメールの一本ででも、世話を焼きに来てくれた琥珀の存在はどんな薬よりも丈に効いた。
丈が身体を寄せているために、琥珀は手の届く範囲でトレーを引き寄せて器とスプーンを乗せていく。
遠くのコップへは丈が代わりに手を伸ばした。
「ん、ありがと」
「………ありがとう」
「うん?」
二人の手元の雑炊からは穏やかに湯気が立つ。
往き来する"ありがとう"に、琥珀の笑みがふわりと咲いた。


180412
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