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想いの距離

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戦いの疲労で誰もが口を噤んだまま、俺たちは地下から這い出た。
何を行うにも身体は休養を欲しており、まずはそのための場所を探した。
赫子の襲撃により持ち主不在となった車を拝借して、隠れ家として使っていた部屋を目指した。
街の惨状と静寂。か細い雨の垂れる、白みはじめた空が異変の日の終わりの光景だった。
窓際に座ってカーテンの隙間から外を眺めていると背後で動く気配がした。
「──…寝ないの?」
続いて衣擦れの音がする。
「…一時間程寝た」
「そんなに短いの、寝たとはいえません」
くすりと笑う声。
眠ることが好きな琥珀からすれば足りないだろう。
琥珀こそ今は眠って身体を休めるべきだと思い俺が振り返ると、琥珀は静かに微笑みを浮かべた。
「となり…いってもいい?」
「ああ」
身体に掛けていた毛布ごと、俺の隣へやってくる。
単身者用の部屋のために広くはない。
居間の真ん中とその奥では郡と夕乍が寝息をたてている。
隅には、以前用意してそのまま置いていった荷物類が寄せてある。俺と琥珀、隊の…三人の持ち物だ。
「……外はどう?」
「さっきまでヘリが飛んでいた。今は様子見だな…」
「…そう……」
訊ねながらも、琥珀はさほどの興味はなかったのか、カーテンの隙間からこぼれる光を見ているようだ。
光を帯びる薄曇りの空。
静かになっちゃたね、と吐息と共に言葉が消える。
室内でも空気は冷ややかで、毛布を合わせながら指を暖める。
頼りない背中に腕を回すと琥珀は僅かに身を引き、それからおずおずと身体を寄せる。
どこか緊張しているようだ。
「どうした…?」
「ぁ……、うん…」
後ろで二人が眠っているからかとも思ったが、そちらへ目をやった俺に琥珀は首を振る。
共にしばらく、口を閉ざす。
何かをじっと考え瞬く琥珀の睫毛。
見下ろしていると、ぽつり、ぽつりと、言葉を紡ぎはじめた。
「丈さんに…また、抱きしめてもらうの……うれしくて、でも、…緊張してて…」
考えながら、言葉を繋げる。
「…地下で、喰べたでしょう?私。……人の身体に噛みついて…。今までずっと……避けて…きたけど……」
それを行えば、人間を、または喰種を、"食べるもの"として認識してしまいそうで怖かったと琥珀は言う。
「どう説明したら…伝わるか…わからないけど……」
人の命を奪うことに加えての、喰べることへの罪の意識。命を落とした者からすれば、どちらだろうが変わりない。
有り体に言えば、それを──捕食を行った者の捉え方次第だ。
喰べることを選択に入れていなかった以前。
喰べることを行えると自覚した今。
「…今ね、こうしていても丈さんは…良い匂いなの…。あの時……地下ではじめて…人の皮膚を喰い破った感触…私、まだ覚えてる……」
触れ合う身体に指を添わせ、迷いを現すように胸を押す。
離れることを望む琥珀を俺は逃さないように抱く。
「…今も…丈さんの首に…噛みついたら、って。……絶対にしたくないことが浮かぶの…」
「…噛みついても構わない」
「そんなの…いや…」
「少しくらい喰べられても大丈夫だ。数日経てば治る」
「…そういうのは大丈夫っていわないの」
「治るなら平気だろう」
「平気じゃない…っ」
「琥珀…」
今の状況で、喰べる、喰べないは、あくまで仮定に過ぎない。にもかかわらず琥珀は拒否をし続ける。
だって、やだ、と首を振る琥珀を掴まえたまま、気持ちが落ち着くまで待つ。
仕方ないことだと割り切ってしまえば楽になる。
そう思う反面、それが出来ない不器用さも、琥珀の一部だ。
「琥珀」
「………。」
少しして、むくれて黙り込んだ頭に語りかける。
「…他のやつは喰べるのに、俺を喰べてはくれないのか」
やっとこちらを向いた瞳は、様々な感情が綯交ぜになって涙の膜を張っていた。
明るい薄曇りの優しい光に瞬く。
「それとも実は不味そうなのか」
ぼかんとして、琥珀はぷっと吹き出す。
「…そんなこと、ない…っ」
「……笑っている」
「…丈さんは……ちゃんと、私の好みだもの……ふふ」
こちらの様子を見てはまた頬を弛める琥珀に黙然となる。
やっと落ち着いたのか、微かに上気した頬を指先で冷やしながら「…本当よ?」と眉を下げて微笑う。
「…とっても美味しそう……だから…、私も丈さんのぜんぶが欲しくなっちゃう──…」
指が俺の唇を優しくなぞる。
どちらともなく鼻先を近づけて、触れるばかりのキスをした。
いつか琥珀は言ったことがある。
俺が怪我をした時。早く治るように。
もし俺が喰種だったなら、私をあげるのに、と。
同じ思いがある。
琥珀の為なら身体のどこかを与えられる。
或いは、全て、喰べられても──
「…キスで誤魔化して…」
「するのは嫌いか」
「…好き」
「なら問題はない」
「ひどい。…こうして抱き合ってても…不安なんだから。…もしも、その…」
「…行為の最中に気持ち良くなって喰べてしまうかもしれない、と?」
「こっ…!………ぁぅ、…ええと………ん…」
はっきりと口にしてやると、琥珀は頬も耳も染めて俯いた。そこまでは言ってない、とごにょごにょと零しながら。
「で、でもっ……今は、したいとかじゃ…なくってっ…」
「…。わかっている」
後ろで眠っている二人がいるために、やり取りは小声でしている。
琥珀が伝えたいのは、知ってしまった故に昔よりも触れ合うことが怖くなったということだ。
ぱくぱくと、羞恥で真っ赤になって訴える様子が可愛らしいが、これ以上からかうことは踏み留まる。だだ、
「してみないと分からないのだろう…?」
あからさまな物言いをすれば、琥珀がぴくりと震える。
「……うん…」
「…だが、そうなるかもしれないからしない、というのであれば…俺の方が我慢できない」
半ば唇を触れさせながら耳元で教え込むと、琥珀は小さく啼いて身体を縮こまらせる。
そうすれば抱き寄せやすくなるのも予想通りで、琥珀が慌てて見あげた。
「っ………お、起こしちゃう……っ」
「まだ眠っている──」
俺は更に鼻先を髪に埋める。
その時、背後でどちらかが身動ぎをする気配がした。
琥珀の細い両手が俺の肩をぐぐっと掴んで離す。
「あっ、あっ…朝ごはんのっ…!仕度をします…!」
「………。そうか」
「う、うん…」
「俺は寝る」
「えっ、また寝るの?」
「…他にすることもない」
琥珀は恨めしげな顔をした。俺とは反対に琥珀の眠気は完全に醒めてしまったのだろう。
「…なら、二人が起きる前にシャワーでも浴びてきたら?」
提案されて、そういえばと思い出す。
今朝方にここへ辿り着いて、倒れるように眠りについた。
よれた顔でもしているだろうかと、ややざらつきはじめた顎に触れる。琥珀の指が間にするりと入り込み、代わりに撫でた。
また…この距離にいられることが嬉しいと伝えるように。
「お前が先でも良い」
「ううん。…ご飯、用意して待ってる」
準備が必要なのも珈琲くらいだけど…。
そう言って立ち上がり、郡と夕乍を踏まないように、そっと足を運びながら台所へ向かう。
途中で、琥珀の視線が壁際の荷物に留まった。
ぜんぶ。と呟く。
以前に分けて置いていった。俺と琥珀と、理解、夕乍、士皇の所持品たち。
喫茶店にもそれぞれの私物が残っている。
彼らの声を鮮やかに思い出すことができる。
其処にはまだ彼らの体温が宿っているような気がする。
「………。ううん、なんでもない」
薬缶を取り出して火にかける準備をする琥珀を横目に俺も立ちあがる。
全部が、終わったら──…
そう聞こえたような気がした。
失った哀しみの大きさも、深さも、目には見えず、自分以外の誰にも知ることはできない。
薄れるまでには時間が必要で、しかし今は哀しみに浸っている余裕はない。後悔も、思い出している時間も。
ただ…忘れはしない。
「(全部が終わったら──…)」
心の中で琥珀の言葉を繰り返した。


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