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「#幼馴染」のBL小説を読む
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白鳩の止まり木

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この数日という時間を、どのように振り返ったらいいだろう。
多くのことが変貌し、
多くのものが崩壊し、
多くのいのちが喪われた。
当たり前のように言葉を交わしていた人々が消え去って、見あげていたはずの地下の天井は、再び青空となった。
深緑色のテントの張られたCCG本部前には、捜査官たちと、マスクを捨てた喰種たちとが行き交う。
カネキを保護して、街に顕れた赫子は一部を崩壊させたものの、大部分は依然として姿を留めている。
赫子から産まれる"敵"も少数例ながら目撃され、襲撃は完全には途絶えていない。
警戒区域から戻った喰種が、夜通し続けた監視の報告を行い、情報を得た捜査官が労いの言葉をかける。
人間と、喰種。
彼らの間に警戒の表情はない。
大きな目的を──言葉のとおり"巨大"な問題を前に、垣根を一時的に取り払うと決定した。
午前中の炊き出しや食料の配給がはじまる中、入れ替わるように別の調査隊が出発する。
敷地の入り口付近に待機した数台の護送車両へ、捜査官と喰種が入り交じったグループが乗り込む。
その内のひとり、糸目の捜査官がこちらに気づく。
ひらひらと手を振ったので、琥珀も同じように手を振り返した。
異変の日から降り続けた雨は止んだ。
澄み渡った空はどこまでも高く、広い。
皆が自分にできることを果たすために動いている。
心を落ち着かせるように大きく息を吸って、忙しなく行き交う彼らの中へ、琥珀も足を踏み出した。


平子捜査官。
あるいは平子上等、と。
そう呼ばれることを丈が黙認したのは、CCGに戻って一日目の、何回かの訂正を行った後だ。
一時は重要指名手配者として追う立場であった丈に対して、元・同僚である捜査官たちは扱いに迷ったのだろう。
結局、以前の肩書きを流用することで落ち着いたらしい。
数日が経った今は、親しかった部下がちくちくと嫌味を込めて呼ぶ以外に違和感は消えた。
「──オイコラ、聞いてっか、平子」
目の前にいるこの丸手(元・特等)に関しては、最初から気を遣う必要がないので助かる。
そう思っていたところに濁声が割り込んだ。
「質問が無けりゃ話は以上だ。部下への声かけも済ませてある。後はお前が纏めろ」
地図と報告書代わりのメモを見比べていた視線が、いつの間にか丈を睨んでいる。
「…。内容に質問はありません」
本部前に設置されたテントの下は、午後の陽射しを遮って丁度よく薄暗い。
「そいつは結構」
「ただ…纏め役が自分では適さないのでは」
丸手から丈へ出された指示は現場への復帰だ。
所属も肩書きも適当で構わないから、とにかく捜査官たちを動かせ、と丈に伝えた。
丈としては動かされる側で良いと言ったのだが…。
「人手が足りねぇって昔っからしつこく言ってんだろーが。出し惜しみしてんじゃねェ」
相変わらずの口の悪さで跳ね退けられた。
「CCGから抜けたって言い訳なら話は聞かねぇぞ。コッチは天に召された扱いにされたからな。ここにいる限りは働け」
"働く"という部分に関しては、そのつもりでいる丈は口を閉ざす。
自殺した(とされていた)丸手と丈では周囲に与える印象はまるで違う。しかし今は、殺し合っていた捜査官と喰種とが肩を並べる状況にある。
「死人が生き返ろうが、裏切り者が出戻ろうが、気にする余裕のあるヤツなんて今はいねぇよ」
丸手は鼻で笑った。
「宇井も白々しい言い訳までして、壁をブチ破る理由を煽らせたんだ。旧多の極秘作戦に乗った鈴屋も"責任"なんて言葉を使いやがった。あの什造がだぞ?──ここへ顔出したんなら、お前も最後まで付き合ってけ」
「………わかりました」
「ケッ。ガキが駄々捏ねやがって」
ひとこと一言に余計な悪態が混ざるが、丸手が浮かべる表情は悪いものではない。
丸手自身も一連の騒動で同僚も…部下も失っている。それでも瓦解しかけた対策局を支え、頭となって指示を出し続けている。
部下を鼓舞し、尻を叩き、敵である喰種とすら、CCG職員に手を組む腹を決めさせた。
丸手は什造を引き合いに出したが、若い什造だけでは、局をまとめるにはまだ足りなかっただろう。
次々と変化する事態に対応するため、手を尽くそうとしている。
その姿に皆もついて行く。
「渋い顔してんじゃねー。それとも何だ、実は裏切ったこと気にしてんのか」
「いえ」
「………。だろうな」
丸手は呆れた表情で丈を見る。
丈が有馬からの言葉に従って局を離れたことは、局側の者からすれば裏切りであることに違いない。
だが如何様に呼ばれようと、丈が自分で選んだ道だ。
カネキに力添えをするためでもあり、そしてまた、有馬を失った後のCCGの、旧多の影響下に留まるわけにはいかなかった。
旧多は和修の邪魔者を消し、"V"は旧多に付いた。
結果的に手を引くことが出来たのは琥珀と、夕乍だけだったが。
「──今後はしばらく、育ち過ぎた赫子の解体方法を探すことになるが……他に思うところがあるって顔だな。平子」
「……。これまでとは…対応する状況が大分異なります」
「腰が引けたか」
「…。かもしれません」
「…心にも無ぇ言葉吐きやがって」
丸手と丈が話をする間も、捜査官や喰種がテントを出入りしている。
目的を一つとした今、スーツなら捜査官だろう、私服なら喰種かもしれない、程度の見分けだ。
「──…、手を組むことになるとはなぁ…」
丸手の口からぼそりと漏れる。
この場で誰よりも捜査官として経験の長い丸手こそ、喰種への思いも強いはずだ。
「…俺たちより、若いお前らの方が順応も早いだろ」
自分の言葉に皮肉混じりに笑い、思考を切り換える。
丈の後ろへ移された視線が、こちらの話が終わるのを退屈そうに眺める夕乍へと向かう。
丈と共に行動するのは0番隊の夕乍と、もう一人。
「──そういや、君塚の姿を見かけねぇな」


夕刻には早いが、そろそろ傾いてきた陽射しに目を細める。
自分では細めているつもり。
でもまぁきっと他人には判らないだろうなぁと思いながら、倉元は歩道橋の手摺に凭れて街並みを眺めた。
屹立するビルの直線を邪魔する赫子の曲線。
そこから視線をさらに下ろして、見下ろす道路を通過するのはCCGの輸送車や軍用車輌だ。
こちらは一転して角張った車の列。
深緑の地味な色も相まって、堅苦しいの一言に尽きる。
「──そこからだと、何か見える?」
投げ掛けられた言葉に振り返ると宇井が立っていた。
ポケットから煙草を取り出し、一本を咥えて火を点ける。
特等捜査官も連日の出勤の息抜きに来たらしい。
「あれ。宇井さん、いつもと種類違くないっすか?」
宇井の手元にある箱の配色がいつもの物と微妙に違う。
流れてくる匂いも。
「貰ったんだよ。いつものを含めて4種類。カートンで」
倉元も煙草を吸っていた時期があったが、今は止めて久しく、それゆえに漂う紫煙は懐かしい。
「よん…。湿気らないっすか」
何となく吸っていただけで拘りがあったわけではない。
憧れた上司が吸わない人間だったため、一緒に行動するうちに、それに思考が寄ったのかもしれない。
「吸わない人らに詫びの品として貰ったから。まあ、そんなものだよなって諦めた」
「なるほど。吸わない人ら、っていうのはもしかして?」
「元・重要指名手配者とその恋人」
「あはは」
宇井が溜め息と煙を吐き、倉元も気の抜けた笑いを零した。
やはり根に持っているのは自分だけではないようで、正直なところ、倉元はほっとした。
"彼"は。口数はかなり少なくて、ほとんど、常に、大抵の場合は無表情な人間で、反応もよくわからない時がある人だが…自分のことは信頼してくれていると思っていた。
何かあれば頼りにしてくれると思っていたし、自分もあの人の為なら、多少の無理は出来るつもりでいた。
だから突然、ル島の作戦から戻って「辞めた」と聞かされた時は頭の理解が追いつかなかった。
喰種である"彼女"のこともあったから、彼も先の見えない心配は常に抱いていたと思う。
有馬が命を落とした後、結果的に旧多が実権を握り、喰種への捜査も厳しくなった。
──様々な事情や思惑が重なって、あの時に辞表を出した──
数日前、倉元はCCGへ出戻ってきた本人の口から聞き出した。コクリアでの出来事も詳しく問い詰めながら。
「辞表置いた瞬間に物理的に首が飛ぶとか思わなかったんすか」
田中丸特等と安浦特等を前にして。
と倉元が訊ねると、
「……。それは考えていなかった」
本当に考えていなかった様子で返された。
思わず出かかった「ばかですか」という言葉を倉元は飲み込んだ。…言っとけば良かったと、今になって少しだけ後悔している。
「…馬鹿っすよねぇ。ほんとに…」
「うん?」
下の道路にこっそり灰を落としながら煙草を楽しむ宇井を横目に、倉元は手摺りに凭れ掛かる。
なかば溶けるように、だらりとした態勢で。
「作戦中に空気読まないで辞表を突きつける上司…と」
「と?」
「そんな上司なのに、戻ってきてめっちゃ喜んでる部下」
「元カノかな」
「いやいやいやいや、」
違う。カノジョ違う。でも戻ってきてくれて嬉しい。無感動で無表情な丈ゆえに、険悪な空気にもならないで合流できたことがありがたい。
と、同時に少し悔しい気もする。
「…宇井さんは、タケさんが戻ってきて嬉しくないっすか?」
「…。嬉しいよ」
「ですよね!」
「酔っぱらいみたいだよ、伊東くん」
呑んでいないのに絡み酒のような起伏の大きいテンションだが、宇井はやや呆れた顔をしただけで聞いている。
単純に、嬉しかったのだ。
周囲はこんな状況になってしまって、見たことのない規模の赫子に街は占拠されている。
しかしそれでも、信じていた上司がとった行動には理由があったと知ることができて──、
そしてまた、共に戦えることが嬉しかった。(でも何も言わずに置いていかれた恨みはある)
丈が姿を消してから顔を会わせることはなかった。
けれど一度だけ、倉元は琥珀の姿を見た。
どう声をかければ良いかわからず、その時の倉元はぎこちなく慌てて呼び止めた。
気がついた琥珀は、少し驚いた表情をして、それから以前と変わらないまま微笑んだ。
立ち去る彼女の帰る場所には丈がいる。
それなら琥珀も、ちゃんと幸せなのだなと安心した。
「一緒にいるあの二人を見てて、良かったなぁ…なんて思ったりして。俺ってバカ」
「惚れた弱みだ。君も諦めなよ」
「ですよねぇ………。ん?…きみも?」
「………」


夕刻。対策本部に最も近い講堂には夕食となる配給品が運び込まれていた。
建物内は多くの捜査官が出入りし、めいめいに床に座り込んで食事を摂っている。
その混雑を縫うようにして、琥珀が業務用のトレーを運んでいる。おにぎりやパン、お茶を山のように乗せて。
「なにやってたんだ、お前」
言葉をかけられ、琥珀の瞳が探す。
声の主である丸手を見つけて和らいだ。
「今は配給係です。丸手さんもどうぞ」
「今は…ねぇ」
割烹着と頭巾は無かったのかと皮肉ると、給食のお当番ですか、と笑った。
「昼間は喰種の支援に行ってたんだってな」
平子から聞いた、と丸手は続ける。
「…食べないと戦えないのは、喰種も同じですから」
「区内、区外を問わず、各研究所から可能な限り"食糧"を持ってこさせるように──、提案を上げたのはお前か」
「丸手さんに届いて良かったです」
「まどろっこしいんだよ。直接言いに来い」
「……ありがとうございます。でも"食糧"の問題に関しては……どこまでを頼っても良いのか…わからなくて…」
「…。必要がある。だから、そうしたんだろ」
琥珀の持ったトレーからお握りを二つ取り、ひとつの包装を破る。
喰種が"糧"にできる人間の遺体は、今の状況なら探せばすぐに見つかる。
しかしそれを喰種は行っておらず、人間側も、それを行わずに済むように配慮をしている。
こちら側が喰種たちに提供できる"食糧"は、コクリアや一部の研究所で扱う"スープ"と呼ばれるものが主だ。
材料は云わずもがなだが、凌げる間は…それで凌ぐ。
その問題があるからこそ人間と喰種は長らく対立をしてきたが、今日を生き延びなければ、心配する明日すら消える。
今は何をおいても両者の協力が必要な時だ。
丸手がじとりと押し黙っていると、琥珀がトレーを持ったまま顔を覗き込む。
「どした?」
「…喰種の食事のこと…考えて引いちゃいましたか…?」
心配そうに見あげている。
高レートの喰種として認知され、その後は捜査官として何年も働いてきたというのに、いつまでも貫禄がつかない。
今回の件も誰かが言わなければならなかったことで、決して間違った判断ではない。
逆に、これくらい抜けている方が両者の緩衝役としては丁度良いのかもしれない。
丸手は小馬鹿にしたように笑った。
「俺たちが。いつから。テメェら喰種とお付き合いしてると思っ、てん、だッ。お前らのお食事シーンなんざコッチは見飽きてんだよ」
そんなことでへこむかよと言葉の調子に合わせて額を突いた。
中年のしつこい言い回しに、さすがに琥珀もむっとして眉間にしわを寄せる。
「心配して損しました」
「おー。その心配は別の機会に回してやれ」
「もぅ…」
ぶすっと額を逸らすように顔を背けた。
重たげなトレーを軽々と持ち直す。
「おい君塚。それを運び終わったら平子んとこ戻るんだろ」
琥珀を呼び止めるように丸手は言う。
言葉の通り、他所で働く者たちへの夕食だが、先ほどの仕打ちへの警戒心が残っているために渋い顔は戻らない。
「ちっせぇ有馬と、宇井と…あと伊東か。揃って本部に戻ってきてたぞ」
わざわざ伝える丸手に、琥珀は初め、きょとんとして、それから「どうして思ってることがわかるんですか」という顔になる。
最後は悔しそうに、照れながら笑った。
「──急いで、配達してきます」
「急がなくったって平子は逃げやしねェだろ」
丈の名を出すと途端に表情を変える琥珀に、丸手は苦笑を洩らす。
自分が死んでいる間に、CCGから解放されて落ち着いたかとも思ったが、顔に出やすい性質はやはりどうにもならないらしい。
「あっ、丸手さん」
「んぁ?」
「教えて頂いたお礼に。お茶もサービスです」
「…。そりゃ有り難ェな」
とはいうものの、丸手とて丈の近くに琥珀の姿がないと気になってしまうのだから仕方がない。
額への恨みも忘れて、「お疲れ様ですっ」と声を弾ませる琥珀の背中を丸手は見送った。


対策本部は照明設備によって煌々と照らされている。
局の敷地内は昼間のように明るい。
この日の報告を終えた丈はテントの下を出て、ふと息を吐く。
先に外に出ていた宇井と倉元は話をしており、たまに夕乍に同意を求めては首を振られている。
食事やら手料理などという言葉も聞こえる。
一体何の話をしているのだろうと思いはじめると、ほどなく丈も空腹を感じた。
忙しなさに包まれ、緊張の潜む日々であろうとも、生きている限りは腹が減る。
この時間ならば講堂で食事が配られている頃だ。
「(…それなら……、)」
彼女も戻っているはずだ。
久しく──といっても今朝方からだが、行ってきますと言って、別の場所へと手伝いに向かった琥珀の姿を思い浮かべる。
何事にも真剣になる琥珀のことだ。
立ち止まり、考え、目の前のひとつひとつを丁寧に解いてゆこうとするのだろう。
気にしすぎかもしれないが、やや心配でもある。
そのようなことを思っていると、丈を呼ぶ声が耳に届いた。
視線を巡らせると、こちらが気がついたことに気がついた琥珀が、嬉しそうにぱくぱくと口を動かす。
おかえりなさい──と。
話し込む二人も夕乍もまだ気がついておらず、同じように丈も静かに答えた。
今日の残りの時間を琥珀と共に過ごすために。


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