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(7)end.

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(ほんとうは、もっとはやく)

地下を揺らし、赫子は流れるように動いてゆく。
しかし全てが地上を目指すばかりでもないようだ。
侵攻を続ける赫子を余所に、この場に留まった支流が何体もの子供の姿をつくりはじめる。
「…執念深いパーツもあるみたいですね……」
宇井の呟きに反応するように、眼球の無い相貌が向けられる。
知性も思考も窺えない。
本能に従い、在るものを襲う。
琥珀の傍へと下がってきた丈は再編を促す。夕乍と、そして宇井へ。
「…私もですか」
宇井は戸惑いに眉を寄せるが、丈は構わずに琥珀の背を支えながら赫子を警戒する。
「人手が足りない」
「……。それには異論ありません…」
「なら問題は無いな。夕乍、怪我の程度は」
「…特等に蹴られた箇所以外は別に」
「そうか」
「……こっちにも執念深いのがいるじゃないか」
ぽそりと恨み言を吐く夕乍を軽く睨み返して、宇井も配置に着く。
本体の侵攻はなお続き、振動が止むことはない。
しかし目の前の赫子を排除しない限りは逃げることもできない…。
呼吸を整える丈の袖を、丈さん、と琥珀が引いた。
「その頭数に、…私もいれて」
袖に縋る琥珀を見下ろす。
琥珀の視線は子供に向けられたままだ。
血と埃に汚れているせいか、それとも別の理由か、その横顔は泣きそうに歪んで見えた。
丈が口を開く前に気がついた琥珀は薄く頬笑む。
反対の手は不自然に腫れ上がり、揺れている。
「…。まだ薬の効果が残っている」
「…うん。…でもね……多分──」
喰べればだいじょうぶだから──…
琥珀の唇が動いた時、赫子もまた動いた。
宇井が子供の腕を弾き、体勢を崩したところを夕乍が仕留める。
丈も襲ってきた一体の攻撃を防いで斬り捨てる。
次の赫子と斬り結びながら、その合間に琥珀への疑問が浮かぶ。
琥珀なら…普段の琥珀なら、赫子を使って喰べることもできるだろう。養分を得るように、琥珀の赫子は共喰いを行える。
しかし今は抑制剤が効いている。赫子は使えない。
喰らいつくということだろうか。弱ったその体で。
戦いの合間に丈が振り返ると、考えていることが伝わったのか、琥珀は困ったように小さく首を振り、笑う。
戦いの輪からぽつりと残された場所で、答えを教えるように視線が他所へと向く。
宇井と夕乍の手により、早くも数体の敵が屠られた。
今もまた、斬り落とされた赫子の子供が瓦礫の上を弾んで捜査官の遺体に重なる。
「私、…ずっと与えられてきた…」
一番近い、手前に転がっているそれは、琥珀の手を折った捜査官だろうか。
「……ずっと………怖かった……」
片側の半身が潰れて瓦礫に埋まっている。
自らの手で殺して喰べることをせず生きてこられたのは幸運だ。
「ヒトの…かたちをしたままで喰べるのは…はじめて」
肺を震わせて息を吐き、声も同じように震える。
箱入り娘だとよく呆れられたと、琥珀は昔から口にしていた。
「喰べてるとき、こっち見ないでね…」
「…ああ」
「あとね…、あと──…私のこと、怖がらないで──」
やり取りを聞いていた夕乍はちらと目を向け、そのまま赫子と戦い続ける。
宇井もまた、無言だった。
「…怖がるものか」
丈が斬り捨てるのは喰種の赫子だ。
琥珀は喰種で、喰種は人間を喰べて生きる。
死んだ人間は今そこらじゅうに転がっていて、その中には人間である丈が殺したものもいる。
何を殺すことが正しくて、正しくないかなど、誰にももう、わからない。
赫子の子供を次々に屠り、激しい戦いの息遣いと、侵攻する赫子が地下を崩し続ける音の中。
ありがとう。
ごめんね。と聞こえた。

「(…もっと早く、…こうしていたら──…)」

あの二人に 行かないで って言えたのかな──…


迎えに来るから、と。
あとでね、と。
かけられた声が遠くで聞こえた。
時計の針が立てる微かな音で、琥珀は目蓋を開く。
横になった琥珀の顔のすぐ傍に丈の手がある。腕時計の秒針が正確な時を刻んでいる。
示す時刻は真夜中──。
「──…わたし……ねむって…た……?」
琥珀がゆっくりと身体を起こすと、「…よく眠っていた」と丈が答える。
起き抜けの眩暈を覚えながら、ついた手が触れていたのが丈の太腿であることを理解する。枕にしていたらしい。
「まったく…こんな場所でも寝られるんだから。相変わらず君は図太いな…」
近くに腰を下ろした宇井が呆れた声で言った。
「──…まぁ、あれだけ戦った後だし…仕方ないか…」
疲れのせいだけではない、どこか言いづらそうな様子で視線を落とす。
「…琥珀はどこでも寝られるよ」
「…それくらい私だって知ってる」
夕乍の言葉にははっきりと答えながら、宇井が深く息を吐く。
辺りには闇と瓦礫の山が広がっている。
捜査官。
喰種。
子供──。
動かないものばかりが転がる。
あれから"食事"を行った琥珀も戦いに加わった。
本調子までは戻らなかったが、動けるようになった身体でクインケを手に取った。
地上を目指して移動しながら赫子との戦いを続けて、襲撃が止んだタイミングで、丈が皆に休めと声をかけた。
糸が切れたように琥珀は眠りに落ちた。
眠りについたことも覚えていない。
「琥珀…」
「…うん…?」
宇井と夕乍が細かい言い合いをしているのを横目に、丈が琥珀の口許に触れる。
血の跡でも付いていたのかもしれない。
逃れようとする琥珀を「待て…」と押さえて静かに拭う。
「…もう…へいき…?」
「……。大丈夫だ…」
大丈夫だと言いながらも、もう一度、ごしごしと唇を擦る。
琥珀は少しだけ笑った。
束の間だとしても、この休息を有り難く思う。赫子の動きは収まったが、静穏がどれだけ続くかはわからない。
その間に地上を目指さなければならない。
今の地上はどうなっているのか。
地下の他の喰種はどうなってしまったのか。
「(…士皇君、理界君──…)」
倒れている者たちは動かない。捜査官も喰種も関係なく命を奪われた。
ここへ来るまでにも生きている者には会えなかった。
虚無のような暗がりを琥珀は見渡す。
待っていば二人が現れるのではと、根拠のない期待が胸に浮かぶ。
しかし何もない。
あるのは闇と瓦礫だけ。
心が割れてしまいそうだ。
目の前の光景を、全貌の知れない赫子を、進んできた遺体の重なる道を思うと、明るい想像なんてできない。
ハジメと戦っていた、士皇と理界は…。
闇から顔を背けると、こちらを眺めていた宇井と視線が重なる。
「…郡さん…」
質問が口をつく。
「……士皇君と理界君、ハジメ君とでは…どちらが勝ったと思いますか…?」
丈と夕乍が動く気配がした。
無意味な質問だ。けれど訊ねずにはいられなかった。
たとえ二人が勝とうとも、…負けようとも、この惨状に巻き込まれていないはずがない。
宇井は言葉を考えるように視線を落とす。
「…ハジメは…抜きん出ていた。喰種への恨みの強さも。赫子を使いこなす強さへの、執念の強さも」
「…0番隊の…あの二人より…?」
「………」
口にすると縋るような言葉になってしまう。
責めたいわけじゃない。…恨むつもりもない。
誰もが命を懸けて戦い、命を落とすことだって覚悟している。
ただ悲しみの感情だけは、止めることも抑えることもできずに零れてしまう。
これ以上の追求を咎めるように丈が琥珀を止める。
しかし宇井は構いませんと答えた。
「……状況にも依るだろう。…けれど、答えは……あの二人よりも、だよ」
夕乍が拳を握り締め、琥珀は俯いた。
震えて何も答えられずに、二度、三度と頷いた。


その後、出会えた生存者は、無事を喜べるような人物ではなかった。
CCG局長・旧多二福。
破壊と混乱を生き延びた姿はお互いに似たようなもので、瓦礫の中をふらふらと歩いて現れた旧多もまた、疲れ、やつた様子だった。
宇井はくたばれと罵り、旧多は御免なさいと謝った。
"隻眼の王"を材料として、地下を崩落させ、数えきれない死者を出し、制御不能の赫子は地上へと溢れ出た。
地上でも多くの人間が擦り潰されたことだろう。
これほどの混沌を希望的予測で産み出しておいて、ちゃちな謝罪のひとつとは、いかにもこの男らしい。
旧多とは縁も繋がりも薄い。
しかし、旧多の悪意と害意を垣間見た琥珀にとって、誠意などと云うものも、元より期待出来るものではないと思っていた。
丈が宇井に肩を貸して立ちあがる。
夕乍は誰も戻らない闇を静かに見つめる。
有馬の望んだ世界──その延長線上に自分たちは立てているかと夕乍は問い、丈の答えは空虚に漂った。
「……人を嫌いになることはあったけど、死を願ったのははじめてよ」
呼び止めるつもりでもなく只、琥珀が気持ちを吐露すると、しかしそれは届いたらしく立ち去りかけた旧多がゆらりと振り返る。
非道い嫌われようですねと、草臥れた笑いを零す。
「僕を殺すとは言わないんですね」
「…関わりたくないの」
「…愛の真逆が無関心ならば貴女の答えはわりと正しそうだ」
元・CCG局長・旧多二福は、瓦礫を越えて闇に消えた。


地下へ流れて落ちる夜明けの空気は冷たい。
鉄骨の飛び出たコンクリートに縁取られた大穴から上り出ると、ぽつぽつと鼻先を雨に打たれた。
糸のように細い雨の向こう側に、都市が煙る。
白みはじめた空の下、見覚えのある街は黒い赫子の影を引き連れていた。
胴体に点在する巨大な"眼"は薄い膜に覆われている。
時おり薄膜を撫でるようにぐるりと動いた。
眠っているのだろうか。
それならば。
在れは──彼は今、どんな夢を見ているのだろう。


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