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(6)

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士皇と理界はハジメを追って行ってしまった。
丈は宇井と戦っている。
夕乍も何人もの捜査官を相手に立ち回っている。
それなのに…自分はずっと、なにも出来ないでいる。
もし、
「(…この…掴んでいる、手を……)」
この捜査官を喰べることができたなら。
少しでも自分は動けるようになるだろうか?
手首を掴む先。夕乍と戦う同僚を見つめる黒い制服の捜査官を、琥珀は窺う。
コクリ──…
静かに喉を鳴らした。
人間のかたちを保った人間を琥珀は喰べたことが無い。
抑制剤の効いている身体で、人間の肉を喰い千切れるかもわからない。
これまで散々喰種を殺め、人間すらも殺めたくせに。今さら喰らいつくことを畏れて怯えているなんてお笑い草だ。
けれど今。自分が生きるため、この捜査官を殺す。
丈や0番隊の子供たちのために、この捜査官を喰らう。
…切り分けられていない"それ"は…固いだろうか。肉を噛み、裂いて、歯が骨に当たるかもしれない。皮膚を破って溢れる血は温かいだろう。傷つけるために、攻撃をするためにではない。喰らいつき咀嚼して、たべるのだ。
丈や自分と同じ、生きて、血の通ったヒトの手を──。
震える心を叱咤して琥珀は顔をあげた。
先ほどまで戦いへ向いていた捜査官。…けれどその、目が。
琥珀を見下ろしていた。
「ひっ──…」
黒々とした眼差しで琥珀の手首を強く引っ張り上げる。
いつから気づかれていた、と頭に過ると同時に、薬品のような匂いが近くなる。
黒い制服の捜査官たちは皆が同じ匂いを纏っている。琥珀の不安を掻き立てるような…そんな匂いだ。
感情に乏しい顔立ちも、不自然さを伴うもののどこかで見たような気がしていた。
「(局内の…どこかで……?)」
琥珀の記憶が資料を捲るように移ってゆく中、乱雑に吊し上げられ、容赦無く手首が圧迫され、そして、
ぽきり
鳴った。
「ああぁっ…!あ、っぅ、──っ…!」
手首から奔る痛みが、琥珀の悲鳴を掠れ声に変える。
「琥珀………!」
異変に気がついた丈が荒々しく宇井を押し退けた。
琥珀の元へ、捜査官たちへと丈は目標を変更する。追おうとした宇井の前には夕乍が立ち塞がる。
「──っ、……君で、私が抑えられると思うのか」
「………。琥珀を…助けたいだけです」
表情を歪ませる宇井を夕乍に任せた丈は、捜査官を斬り伏せた。
一人、二人と反撃を躱し、相手によっては致命傷に成り得る一刀を滑らせた。しかし怯む者はいない。
よろめき膝を付いても、またゆらりと立ち上がって丈に向かってくる。
人形を相手にしているような気味の悪さだ。
「(………それなら…)」
捜査官のクインケごと押し斬るように丈は"ナゴミ"を振り下ろす。
膝下から脛へ、斜めに滑り込んだ刃が足を切断。
崩れ落ちる捜査官には見向きもせずに一歩前進。琥珀へ届くまで、何度でも、斬り崩す。
「………退け──…!」
無造作に手を吊り上げられた琥珀の顔が歪んでいる。
いつか、"人殺し"だとハジメに言われた。しかしその通りだと丈は肯定する。人間でありながら喰種に肩入れをし、自分は今、捜査官に刃を向けているのだから。
それでも構わないと、"ナゴミ"を振り抜く。
人間も喰種も境界は曖昧で、ただ、琥珀を護ることと有馬の願いに従って動いている。
自分の望みに繋がるのは──琥珀と共にいられる道は、この道だと信じる。
足元で追い縋る捜査官の手首を斬り捨て、丈は反動のように柄を握り直す。
琥珀の唇が苦しげにひゅうと息を吸う。
泣いている琥珀を、彼女を助けるのは自分の役目だ。
「たけ、さ──…」
「琥珀──」
あと少し。
琥珀を掴むその一人を殺せば届くという時。丈を見る琥珀の瞳が止まった。
正確には、丈の背後にある"何か"を見て。
瞳を見開いた琥珀は、捕まえられたまま反対の手を必死に丈へと伸ばした。
ミシリ…と、どこかに亀裂が入る音がした。
丈の首裏がざわりと感触を伝える。
言葉にするなら──嫌な予感だ。
攻撃も身を守ることも捨てて前へ跳ぶ。
丈が琥珀の身体を抱き寄せるように掴まえた瞬間、空間を充たす轟音と共に、隣にいた捜査官が圧し潰された。
一体何に──?
赫子のような、太い──…
「タケさん──…!」
倒れ込んだ床から、夕乍の声で身体を起こす。
ぱらぱらと破片の落ち続ける音が響く。
何処か遠くで、未だに続く破壊の微弱な揺れが空気を震わせる。
景色は変わっていた。
古びたコンクリートを突き破り、太く、巨大な赫子が室内を横断して、埋め尽くす。
大型車両も軽く越える大きさの"これ"が、果たして赫子と呼べるものなのかも判らないが。
"これ"の質感は赫子そのものだ。
蟲の腹を思わせる緩慢なうねりの、途中途中に張り付いた赤い円の存在が異様さに拍車をかけている。
「………」
それは大きな"眼"だった。
人間の身長も悠に越える直径を持つ"眼"は、まるで瞬きを行うように、時折、薄い膜を往復させる。
浅く呼吸する琥珀の肩をしっかりと掴んで、丈は顔をあげた。
「──夕乍、怪我は」
「ありません、……琥珀は…」
異変から逃れた夕乍も丈の横に膝をつき、琥珀を覗き込む。
「だいじょう…ぶ……」
血と埃に汚れてはいるものの、意識もはっきりしている様子に静かにほぅと息を吐いた。
丈は辺りに目を向ける。
周囲の状況は酷いものだが、赫子を避けた捜査官もいる。宇井も同様だ。
先ほどの赫子の動きは身動ぎのような偶然か、それとも狙っての動きか。
…狙ったのならば、人間をか、無差別か。
生き残った者たちの視線を受ける中、赤い眼が蠢いた。
同じように考えていたのだろう、宇井が口を開く。
「"これ"は……先輩方のお仲間ですか…」
「………」
丈は肯定も否定もしない。
ただ、ドクリドクリと胎動する巨大な"それ"への刺激は避けるべきだと本能が告げる。
赫子の表面がボコリと不自然に膨張する。
その傍で、砂利を踏んで立ち上がった捜査官の腹を、膨張した箇所から伸びた赫子が串刺しにした。
ゴポッと吐き出された血が床を汚す。
その攻撃を皮切りに、クインケを構える捜査官が狙われ、丈や夕乍、宇井も標的となる。
「チッ…!応戦しろ…!」
即座に宇井は指示を出すが、反応の遅れた者が次々と赫子の攻撃に倒れる。
「夕乍、守りながら戦う。出過ぎるな…!」
「了解──…!」
琥珀を下ろした丈は夕乍を伴い前へ出る。
敵はあまりにも限界の見えない赫子だ。
殲滅をするにも、赫子の規模がまず判らない。本体となる個体の見当もつかない。
退路を確保しようにも、道を塞ぐように赫子が横たわっている。
しかし隙間を縫ってでも、囲まれたこの場より外へと抜けなければならない。
「(…こちらの体力が尽きれば……)」
床にへたり込んだ状態の琥珀を窺う。
抑制剤の効いている間は、琥珀を一人で逃がしたところで行き着く結果は同じだ──。
本体から分岐した錐状の赫子を防ぎながら、丈もまた、舌打ちを堪えた。
その背後で、床に座らされた琥珀も顔をあげる。
巨大な赫子の動きは緩慢だが、時に鋭い。
その速さに反応できない捜査官が次々と倒されていく。
そして赫子の本体も、伸縮だけではなく、本体表面にいくつもの瘤のような塊を作りはじめた。
静かに膨らんだ凹凸が微弱に動く。
「(…?……なに…)」
丈も宇井も、眼前の戦いの最中で気がつかない。
琥珀が注視する間にも、瘤の形はあらわになる。
まるで人間の頭と肩──子供の上半身に似た瘤が赫子の表面より生まれつつある。
お………か……、
声のような、空気の掠れが琥珀の耳に届く。
はっとして振り返った琥珀の肩を小さな手が掴んでいる。
本体から伸びた、子供のかたちをした、何か。
「──…ぁ…」
眼球の無い目の窪み、小さな鼻梁。
壊れた人形を思わせる、虚ろで空っぽの面。
ぽっかりと黒い口が何かを求めるようにひらく。
ぺたりと琥珀の頬に手が触れて──切断された。
声無き悲鳴をあげて仰け反る赫子の子供を、鞭のようにしなったニ撃目が打ち据える。
離れた場所から"タルヒ"を操った宇井が形状を戻した。
「…ここは囲まれた……安全な場所なんてない…」
捜査官は宇井を除いて全滅した。
立っているのは、丈と夕乍を含めて三人のみ。
「──タケさん!後ろからも……!」
枝分かれをして背後を狙った赫子を斬りつけた夕乍が丈を呼ぶ。
琥珀の前で動きを停止した赫子の子供が床に落ちる。
空虚な顔を琥珀へ向けたまま、ずるずると本体に戻っていく。
ピシリと甲高い音がして、また周囲一帯が軋んだ。
「今度は何だ……!」
苛立った宇井が赫子を睨み付ける。
巨大な本体が揺れたかと思うと、壁や天井から破片を落としながら大きく動き始める。
赫子の子供や、枝分かれした部分を引き摺って一定の方向に進んでゆく。
本体の動きに引っ張られたために、丈を狙った赫子の攻撃が見当違いの方向に逸れる。
「……上?………外へ向かっているのか……?」
天井を突き破って進む巨大な赫子。
表面に並ぶ幾つもの"眼"も流れるように通過してゆく。
上へ。
地上を目指して。


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