×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



(5)

.
からだの片側が、ずるりと床を擦る。
のどから出せるのは呼吸だけだった。
片方の手をうえから引っ張られているらしい、自分。
目をむけようと動くと、手首をつかむ力が強くなった。
いたい。
痛い。
なんで──…、
「(私、──?)」
かっと全身に広がる痛みを切っ掛けに、霞んでいた意識がクリアになる。
身体に廻る薬の効果で這うことしかできなかったことを思い出す。それでも前へと進もうと藻掻いていたことを。
意識を失う前に声を聞いた。
士皇と理界、夕乍、そして丈の声を。
だから進まなければと思った。砂埃に頬を擦って、冷たく固い床を這って僅かにでも前へ。進まなくては。
けれどすぐに大きな影が落ちてきた。
宇井が戻ってきたのかと思ったが、そうではなかった。
こちらを見下ろす捜査官の目は感情の見えない虚。
手を掴まれ、やめてと呻いたら酷い勢いで壁に叩きつけられた。
今、その捜査官に捕まっている。
「(…傷が…治らない………)」
額を伝う、ぬるい感触は血だろうか。
目に入るそれを拭おうと少しでも動けば、それだけ掴む力は強くなる。
半ば転がされている状態から、琥珀は視線を上げた。
手を掴む捜査官以外にも、何人もの捜査官が前に立っていた。
黒服の脚の間からは宇井とハジメ、丈と夕乍の姿が見える。そして──
「あとで迎えに来るからっ」
「あとでね」
士皇と理界が琥珀にそう、伝えた。


「君らどーする?」
ハジメの声が返答を促すと、士皇はふんと笑った。
「そんなの決まってるよ」
この場を離れる選択を下した士皇と理界は、丈と夕乍へ合図を送る。
さっさと終わらせて戻ってくる。
いつもの"仕事"と何ら変わらない。
0番隊の仲間がいて、隊長の丈がいて、琥珀がいる。
自分たちの帰る場所。
本当は迎えに行くはずだった琥珀は怪我をしているみたいで、いつもの彼女ほどの元気は無さそうたけれど。
それなら、今度は自分たちが迎えてあげないと。
探してたんだよ。
迎えに来たんだ。
おかえりなさいと、言ってあげないと。
捜査官の人垣の間から見え隠れする琥珀の瞳が、ぼんやりと開く。
抑制剤が効いていて、状態は決して良くはないだろう。額から流れる赤は彼女の命が染み出しているようで怖くなる。それでも、琥珀の瞳はこちらに向いた。
士皇は心からほっとしたように微笑む。
これまでに、琥珀のあんな姿は見たことがない。
傷はすぐに癒えてしまう。実戦経験だって自分たちよりも余程多い。
有馬と丈の計らいで遠くへ避難させられても、勝手に追いかけてきてしまう根性の持ち主で、迷った時も、琥珀は前へ進むことを止めないで刃を振り抜いてきた。
たから今度は。
戦えない彼女を助けることができる。
こんな時でなければ、優位に立てないことに内心、少しだけ、…悔しいような気もしたけれど。
士皇が隣の理界へも視線を遣れば、彼も琥珀の様子に気がついていたようだ。
静かに微笑む。
移動するハジメを追う前に、士皇は琥珀に向かって、あとでっ、と声を張った。
「あとで迎えに来るからっ!待っててね、琥珀っ」
攻撃を受けて腫れた頬で士皇は笑う。
「またあとでね」
理界もまた、やや乱れた前髪を揺らして声をかけた。
ただ、役目を果たす。
そうして此処へ戻ってくる。
それだけのこと。


三人が離脱したのちに戦いは静かに再開された。
夕乍は琥珀の元へ近づくチャンスを窺い、自身の部下である補佐隊員がそれを阻む。
こちらも目の前の相手に油断する余裕は無く、迫る"ナゴミ"の刃を防御し、反撃。
戦いの最中の一呼吸。
三人の立ち去った通路が視界に入り、宇井は丈に向かって口を開いた。
「──あとでなんて…本当にあると思ってるんですか…」
丈の太刀筋に熱が籠ったのは一度きり。
琥珀の姿を目にした瞬間だけだ。
それ以降は、定石のようでありながら呼吸をずらす、癖の読めない攻撃が続く。
「…。先を考えて行動をとることは可笑しいか」
ハジメの言った通り琥珀を人質にすることも、可能ではあった。
しかしそれを、宇井は行えなかった。
琥珀のあの様な姿を前にしても、自分よりも冷静にいられる丈に、感嘆を通り越して呆れすら浮かんでいるところだ。
いや。単純に今、優先すべきことを丈は行っているだけなのかもしれない。
気持ちを抑えること。状況の優劣の判断。戦術の可否。
目的を達するために優先するべき手順と順位。
そうして、丈の中には琥珀を守るということが、同じように、差異無く、常に在り続けるのだろう。
丈とて0番隊──有馬の元で戦っていた人間だ。
「…先輩は…見た目よりずっと器用な人ですね…。──だから私は」
連れていってもらえなかったんですか──…
声には成らなかった言葉が融ける。
有馬が死んだことにも、0番隊がCCGを裏切ったことにも、何故?という疑問しか浮かばない。
有馬に似た境遇を持つ子供たちが抜けたこと。
有馬の所有物であった琥珀が逃げられたこと。
彼らの手を引いているのが丈であるということは、丈と有馬の間には、誰も知り得ない言葉が交わされていたのだろう。
有馬が死んでCCGは狂ってしまった。
…そうではなく、宇井が知らないだけできっと、彼が生きていた頃から狂っていたのだろう。
CCGに身を置いて喰種を駆逐するために戦ってきた。宇井自身もそう思っていた。
しかし今、双方の背後に視えるものは何だ?
CCGはいつからか、人間と喰種を掛け合わせたものたちを造り出した。
CCGを離反した0番隊は、これまでに散々に殺してきた喰種を守るために戦っている。
どちらが正義だ?
そもそも、正義なんて存在するのか。
歪みにだって気がついている。
それでも、止まるわけにはいかなかった。
歪みを目の当たりにした宇井に差し出されたハイルの死に顔。それは、ハイルが"もう死んでいる"ということを宇井に忘れさせた。
唯一、取り戻せると思った幸福な過去だった。
埃混じりの空気は重たく、呼吸を何度繰り返しても胸が透くことはない。
地下だろうが地上だろうが、そんな想いが透くことはないだろう。
「先輩は、旧多の狙いを御存じですか…」
「………」
向かい合う黒い制服と白い上着には血が滲む。
互いに負わせた、大小の怪我の具合いは似たり寄ったりだ。
その中で、無感動な丈から訝しげな表情を少しでも引き出せたことに薄く笑う。
「…この襲撃は佐々木琲世を生かして捕らえるため。地下の喰種は総て駆逐される。24区もいずれ埋めて潰されるでしょう」
「…。それを、教えても良いのか」
「…構いませんよ…」
戦いが終わった時に、この世界に"正しいこと"など残っているのだろうか。
「私たちも0番隊を潰すのだから」
すべて潰れてしまえいい。
そうしたらきっと、苦しみだって残らない。


180313
[ 156/225 ]
[もどる]