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(3)

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コンクリートが割れて壁が崩れる音がした。
少しの静寂があり、言葉が交わされ、走り去る複数の足音も。
その場に残った気配も幾つか存在する。
「…ちゃんと見つけたみたいだな…」
誰が。誰を。
訊ねずとも理解した。
理解したゆえに進ませたくなかった。
引き摺られるように動かしていた足を、少しでも抵抗して動かすことをやめる。
宇井は一瞥して琥珀の腕を抱えるように引いた。
「…戦わずに…済む方法は──…」
「……。これが私に任せられた役目だよ」
目的の場所よりも遠い位置で手を離す。
壁に寄り掛かって床に崩れた琥珀は、解放された理由がわからず、緩慢な動きで顔をあげた。
「…どうして…」
「……君がタケさんを置いて逃げるわけがない」
「だれかを……呼びに行くかも…」
「……やってみたらいい」
縋るように黒服の裾へ伸びる琥珀の手を、宇井は掴まえて下に降ろす。細い肩はぐらつき、手を添えただけで制することができた。
郡さん、と唇を震わせる琥珀に背中を向ける。
「…君だって…恋人がぼろぼろになる姿なんて見たくないだろう……」
やめてと言ったのか、それとも名を呼んだのか。短く浅く繰り返す呼吸に掠れた声が打ち消される。
宇井は自嘲気味に口を結んだ。
どちらにせよ、今さら止まることなど出来はしない。


──同意見ですよ…、先輩──
頭がおかしいと嘲るハジメの声に乗せて宇井は一撃を放った。
顔を狙ったその一撃は、弾いて避けたものの、丈の頬を薄く切り裂いた。
ぴりりと伝わる熱を感じながら、丈は宇井と、その背後に控える捜査官たちへ視線を遣る。
局にいた頃に見た顔もある。だが、敵と遭遇したというのに一切変化の無い表情に違和感を覚えた。
一目した限りでは人間。
けれどハジメやQsの例もある。
「──僕一人で十分なのに。宇井特等ってば」
横槍に不満を表したハジメがせせら嗤う。
「驕るな……。それほど0番隊は甘くない──」
応える宇井の声には静かな苛立ちが滲む。顔付きもやつれ、血色が良いとは言い難い。
「笑い。0番隊出身者がそれ言います?」
しかし丈にとって一番の情報は、彼らの黒い姿の間に琥珀はいないということだ。
彼らとは遭遇せずに、ここではない別の場所にいる…そうであるよう、願うことしかできない。
そんな丈の思いが滲み出たわけでもないだろうが、ぽつりと夕乍が呟いた。
「…ここで少し…時間取るかも」
士皇が小さく笑う。
何でもないことのように。
「それってつまり。みんなで片付けて、みんなで探しに行けるってことでしょ?」
今度は理界が嘆息した。
「じゃんけんの意味が無くなったね」
「…せっかく勝ったのに」
「──三人とも…」
気を抜きすぎるな、と丈が0番隊を制する。
同じように、油断するなと宇井がハジメに釘を刺し、戦いが始まった。
まず宇井が動き、士皇がクインケで弾いて前へ出る。
丈の指示により士皇と理界はハジメへ攻撃を仕掛ける。
丈と夕乍は宇井と捜査官の牽制に入った。
元・0番隊、そして現・特等捜査官を相手に夕乍をぶつけるのは荷が勝つかもしれない。
しかし敵の数と質を考えて、割り振りはこれが最大限だ。
丈も黒服の捜査官を捌きつつ三人に注意を向ける。
夕乍は宇井の一撃を避けて懐に詰めた。たが初撃は容易く見切られ蹴り返される。
「…特等相手に、その詰め方は無いよ。夕乍」
冷たく見下ろす宇井へ、夕乍の瞳が静かに燃える。
宇井の持つ"タルヒ"には槍斧の形状にギミックが施されている。しかし扱いの難しさをものにした宇井自身こそが曲者だろう。
「夕乍、間合いに入るな」
重心の変化する長物を操る技術は、感覚の良さと優れた体術に裏打ちされる。
意識の切り換えを促す丈の言葉に夕乍が頷く。
クインケの特性のみに気を取られていれば負ける。
「…修正します」
「そんな暇は与えない」
出来る限り短時間でこの場を切り抜けたいところだが、全力以下で抜けるほど、特等捜査官は甘くない…。
夕乍の焦燥を感じ取った宇井が深く斬り込んでくる。
一つ、二つ。クインケで防ぐ攻撃は鋭く重い。
僅かな反撃の隙も取り零してはならないと、夕乍は静かに集中して攻撃を受け続ける。
丈や士皇たちが戦う音と、自らの戦いの音とがくっきりと別れて意識に伝わる。
「さっきから、他所を気にしてるみたいだけど」
その中で宇井の声が鮮明に響いた。
「──彼女のことだろう?」
集中が途切れ、夕乍がぴくりと反応する。
その一瞬に滑り込んだ刃をかろうじて避ける。──避けた先に、もう一撃。
肩を滑る刃をスローモーションのように感知して、次の瞬間には距離を取る。
肩が熱い。
痛みに気持ちが持っていかれそうになるのを堪えて、宇井を見据えた。
痛みだけではなく思い出してしまった姿に眉を寄せる。
早く戦いを終わらせなければと宇井を睨んだ時、庇うように丈の背中が遮った。
「…交代だ」
少ない言葉も、その背も有無を言わせない。
気持ちを鎮めろと夕乍を諫める。
「──…、はい……」
宇井と捜査官たち、それらを牽制する丈から、今度は夕乍が捜査官たちを引き受ける。
白いコートの背中しか見えないため、夕乍には丈の表情は窺えなかった。ただ、この場から押されるような威圧感を受けてに後ろへ下がる。
宇井は相手が交代することにもさして気も留めずに丈を眺めていた。
「……さっき、琥珀に会いましたよ。先輩」
「………どこにいる」
「…。殺しました」
下からの刃を抜き様に、一太刀。
丈の"ナゴミ"による一撃を、首を刎ねる寸前で宇井の"タルヒ"が防いだ。
「って言ったら──…、どうしますか…」
「………。」
ギリギリと鍔迫り合い震える刃を境界に睨み合う。
互いの全身に力が籠り、宇井の首筋から血の線が滲む。
「…趣味の悪い冗談は旧多譲りか」
「…やめてくださいよ」
苛立ちか嫌悪か、宇井の顔が歪む。
反撃と防御を読み合いながら、相手を弾くように二人は身を退く。
「本当に…」


宇井の背中を追いかけて伸ばしたと思った手は、床の感触を伝えた。
気持ちばかりが急ぎ、支えられなかった身体が倒れる。
コンクリートに打ち付けた頬がひりひりと痛む。
腕も足も、指先も唇にも、感触はある。
ただ力だけが入らない。身体の全てが重かった。
ゆっくりと上体を起こして視線を前へ向ければ、後からついてくるような時間差と浮遊感に脳が混乱する。
気持ちが悪くなり琥珀は咳き込んだ。
その呼吸にすら消耗してまた、床に臥せる。
宇井は適正量を使ったと言っていたが、琥珀には信じられなかった。
動きを拘束するためには強すぎる。
意識を奪うためには弱すぎる。
──恋人がぼろぼろになる姿なんて見たくないだろう──
「(丈さん………)」
去り際の郡の言葉が甦る。
琥珀に事の始終を見せないための薬の弱さなら、この現実こそが悪夢だ。
彼らの気配はすぐそこにあるのに、何も出来ない。
「(丈さん………丈さん……)」
縋るように、ひたすらに呼び続けた。
声が呼吸に呑まれようとも、眩暈に視界が揺れようとも。
絞り出す名が僅かでも進む糧になるように。
じり、と床を這って前進する。
細かく息を吐いて瞳を閉じる。
丈と、丈に従う理界と夕乍、士皇の姿が目蓋に浮かぶ。
鈍った思考では理論立てて考えることも、最善の行動も思いつかない。
ただただ、琥珀は彼らを求めた。
こんな状態で彼らに追い付けたところで何が出来る、と頭のどこかで微かな理性に反論されても、進まずにはいられない。
「(……丈さん…みんな──…)」
行かないと──…
いかないと──


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