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(1)

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地下にも風の流れが存在する。
地上から吹き込んだ風がかき混ぜられて、押し流されて、地下の奥深く、狭い通路に匂いを運ぶ。
塵の、埃の、生き物たちの気配の匂い。
そこに交じる…別の匂い。
「…?……血の匂い──?」
「大正解」
独り言だったはずの呟きに答えた子供の声に、琥珀は瞬時に振り返る。
同時に視界が揺れ、後ろ手に拘束された。
髪ごと首の根を掴まれて地面に膝を着かされる。
こめかみを打たれた衝撃は強く、ぐらぐらと目玉の裏を掻き回すような気持ちの悪さが続く。
「ぁ……な………捕虜…、の──…?」
「飽きたから捕虜はヤメた。これからは"オッガイのハジメくん"って呼んでよオネーさん」
覗き込む顔が意地悪く笑う。
彼は0番隊に捕らえられた少年だ。
Qsの増設部隊で赫子を使う。隔離されて見張りも付けられていたはずだ──。
「つか、さっきの奴らより打たれ弱くね?ホントに赫者さんですかぁー?」
「……っ、…府河さんたちに……なにを…」
「オネーさんにはシゲキが強いと思うけど。聞きたい?」
「……遊ぶなハジメ。戦略性で言えば彼女の能力は間違いなくSS〜だ」
「あ。宇井特等ー。マジ早ですね。僕たちに手柄取られるとか焦りました?もしかして?」
眩暈で安定しない焦点を、それでも声のする方へと琥珀は向ける。
久しぶりに聞く声だ。
黒い前髪が相変わらず真っ直ぐ切り揃えられている。
「……ひどい顔…してますよ……郡さん…」
「…ここの空気が悪いせいだ」
「それね!ホントそれですよー。どっかで人間の干物でも作ってんのかってくらいマジゲロで。僕も捕虜中吐きそうで吐きそうで」
「…少し黙っていろ」
「えー」
注意されたことが気に障ったのか、ハジメの手に力が篭る。
強く掴まれる痛みに琥珀は眉を寄せるが、近付いた宇井の手が頬を押さえ、視線を外すことを許さない。
「……琥珀、先輩は。0番隊は何処にいる…?」
やっと琥珀の眩暈は治まったが、見えるものに変わりはなかった。
背後に部下を伴う、黒い制服姿の宇井。
「………」
「…言わないなら君を殺す」
濃い隈に縁取られて、充血した眼が見下ろす。
「……郡さん…何があったんですか…」
「…それはこっちが訊きたい。CCGを裏切って0番隊は何をしている」
「………。託された役目を…」
「誰から?」
「………」
「殺します?」
「黙れと言った」
琥珀の後でハジメがチッと舌打ちをする。
口調は軽いが拘束する力は弛む様子はない。琥珀が赫子を解放したとしても、その瞬間に首を刎ねられるだろう。
「…君はこのまま連れていく。…暴れれば手足を落とす」
琥珀の考えを読み取ったように宇井は釘を刺す。
何か別のことが気になっているのか、神経質そうな視線に落ち着きはない。優れない顔色も、疲れ果てたような眼差しも、これまで見たことの無い姿だ。
皮肉屋だが部下の前では常に理智的であった宇井らしくない。
CCGは、有馬や丸手、何人もの捜査官を失った。
旧多が実権を握り、局も大きく変化した。しかし宇井の心を削るように憔悴させた理由は、それだけではないのかもしれない。
見上げる琥珀の腕を掴んだまま、ハジメが「ハイっ」と空気を割って挙手をする。
「特等ー。抑制剤はー、使わないんですかぁー」
「…今……使うところだ」
催促をされた形になり、今度は宇井が不快そうに眉を寄せる。
簡易包装された注射器を取り出して、身を捩る琥珀の顎を強く掴む。
「…や、…ぅっ」
注射針が口腔の粘膜を破って薬が体内に入り込んだ。
「特等優しぃー。目玉刺しちまえばいいのに」
「…片眼を潰して倒れられても困る。抵抗しないならば極力は自分で歩いてもらう方がこちらの手間も無い」
「へー。ふーん」
腕を離された琥珀には二人の声が響くように聴こえていた。
全身から血の気が引いていく眩暈も、呼吸の不確かさも、嬉しくない懐かしさだ。
どうすれば彼らから逃げられるか、仲間の元に伝えに走れるか、考えようにも思考が纏まらない。
丈に伝えなければ──…と。
ハジメが引き金になり宇井を呼んだのならば、彼ら以外のチームももう地下に浸入したはずだ。
「…。ハジメ、君は捜索に向かえ。見つけたら足止めをしろ」
「足止め?殲滅じゃなくて?」
自信と嘲笑とを混ぜた声でハジメが聞き返す。
彼は0番隊の士皇よりも更に年下だろう。しかし戦いへの畏れも怯えも見せず、遊びのような立ち振る舞いだ。
そしてこれから、また殺しに行く。
言い付けに渋々従う子供、そんな様子で立ち去るハジメを、琥珀の瞳が緩慢に追う。
「…旧多の玩具だよ……あれも、…私たちも」
宇井は自身の部下にもハジメの後を追わせた。
血の匂いが薄くなり、漂わせていたのはハジメだったのだろうと琥珀は思った。
今は口内に漏れた抑制剤のせいで気分が酷い。
意識を失わずに済んだのがせめてもの幸運かもしれない。そう考えて上体も倒れそうになり、宇井に肩を支えられる。
「…研究施設で君の資料を読み込んだ。…薬の適正量も…変わっていなくて良かった」
丁度良く動けない量だろう?と、耳許で宇井が呟く。
「……最悪の…気分です…」
「そう…。私は作戦が終わった時から…ずっと最悪だ」
ル島での作戦が終わり、多くの捜査官が死に、姿を消した。
宇井が頼れる者はいなかったのだろうか。
隣に立つ者は…誰もいなかったのだろうか。
けれど特等捜査官とは、指示を行い、指揮を執る者だ。同じ目線で語れる者は多くない。
ぼやける琥珀の思考を薬の効果が散漫に塗り潰していく。
「…研究施設なんて……捜査官のあなたが…なんの用…」
「…局長…旧多との打ち合わせで何度か。…男との密会なんて楽しくもなかったけど…」
宇井にとって旧多とは。はじめは下の階級で、いつの間にか並び、ついには局長となった。
宇井は彼に従った。
確かな素性は知れずとも、和修の家系であるというあの男は目的を明確に示した。
徹底的な喰種の排除。
それは歪んでいたが強い光だ。
「…ハイルのために…必要だった……」
「……ハイル、ちゃん……?」
「琥珀──…。有馬さんはどうやって死んだんだ。…タケさんは…どうして佐々木についていったんだ…」
否定できる強さは残っていなかった。
「……。ぜんぶ…話したら、信じてくれますか…」
弱った心には歪んだ希望が流し込まれ、もう他に容れられる余裕なんか無くなった。
「…君に何を明かされたって…もう戻れない……」
歪んだ希望に突き動かされて戦ってきたが、真っ暗で何も見えなくなってしまった。
間違った道だと気がついた時には、帰る道すら見えなかった。
支えていたはずの琥珀の肩に、いつしか、項垂れる宇井の額が静かに乗る。
「……もどらなくたって平気です…郡さん……。進むさきを…変えることは……いつだってできます…」
「──…」
ひとつ。
幽かな光を見つけたって、今更手を伸ばすことなんて出来ない。
周りは動き出している。
物言わぬ部下も。
迷わない鈴屋も。
容器に漂うハイルの死に顔が頭から離れない。
どこで間違えたんだろうと無価値な言葉が思考を分ける。
暗く、息の詰まりそうなこの地下だからこそだろうか。
皮肉屋の脳裡にはまったく反対の光景が浮かぶ。
そこは明るく
陽当たりが良く
有馬がいて
ハイルがいて
休憩中だろうデスクには親しかった人たちが揃っている。

──間違えようとしたあの時
もし、君がいてくれたら──


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