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(過去-3)

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ぬるい雨は糸のように細い。
けれどしつこく降り続いていた。
渇いた喉を潤すように、空に向かって口を開く。
喉に入るよりも頬や唇にぶつかる水滴をより感じた。
建物に囲まれた路地で琥珀は有馬を待っていた。
約一時間前。
ここよりも雨雲に近い屋上で、一方的に切られた通信に琥珀が顔を顰めていると、一呼吸も置かずにまた繋がった。
──合流地点の確認。
ただそれだけを伝えると有馬からの通信は今度こそ終了した。
琥珀は脱ぎ捨てた上着を羽織り、今は遠く長細い空を仰ぐ。
有馬が指定した路地は待ち合わせをするというよりも、むしろ身を潜めるのに適している。
「(頼みたいことって何だろう)」
唇の一番高い部分を雨が打つ。
作戦が開始されてから既に数時間が経過している。
戦いはまだ続いているが、この場所は静かなものだ。
"一体目の梟"の包囲が完了した後、彼の仲間の喰種たちが加勢した。
混戦はしかし、予定内だ。
作戦の本命である"隻眼の梟"もさきほど姿を現した。
一体でも脅威である"梟"を二体も誘き寄せるなど悪夢以外の何物でもないが、決めたのは上の者。
どれほどの犠牲を伴おうと、それを行うと。
「(…早く帰りたい…)」
封鎖されたこの区のどこかで丈も戦っているはずだ。
「(…早く…会いたい……)」
気を抜くと張り詰めていたもの全てが漏れ出てしまいそうになる。
戦いは本意ではない。
それを行わないで済むのなら…大切な人と平穏に過ごせるのなら、他の何を諦めたって構わない。
「(丈兄…平穏な生活。…望みが二つでも多すぎるのね)」
そもそも…喰種が何かを望める世の中ではない──。
閉じた目蓋や鼻先や頬をぽつぽつと打つ雨の感触に意識を戻す。
コンクリートを打つ音。それに混じって、何かを引き摺るような音が空気を揺らした。
「……誰?」
奥の暗がりから白い影のように有馬の姿が現れる。
「…待たせた」
「有馬さん──…、」
敵ではないことにほっと息を吐いた琥珀だったが、しかし有馬の手元に目をやり口を閉ざした。
引き摺る音の正体は…、人だ。
「──これを本部へ」
引き摺ったまま傍までやってくると、掴んだ襟首を持ち上げ琥珀へ託す。
黒い襤褸のような体躯を慌てて支えれば、白髪の頭が力無くついてくる。
「死なないとは思うが、琥珀、面倒を見ておけ」
腕に凭れた鼓動は弱く、横顔から伺う眼窩に本来あるべき眼球は無い。落ち窪んだ血溜りとなっている。
支える身体の指先に感じる腹部のへこみも、服に隠れているが、孔が空いているのかもしれない。
こんな状態で死なないなど…
「彼は…喰種?………誰ですか…?」
有馬も持ち場である地下で戦ってきたのだろうに、疲れを見せない足取りで通り過ぎる。
「…。カネキケン」
「…カネキ…?」
琥珀の真白いコートに雨と血とが擦れて滲む。
「"ムカデ"とも"隻眼"とも──…ああ、報告書でもまだ統一されていないな…」
独り言のように呟く。
琥珀が困惑した表情のままでいると、有馬は気がついたように戻ってきて、ずり落ちそうな襟首を掴む。
「…。持てるか?」
"カネキケン"は長身な人物ではないが、琥珀が支えるにはどうしても背丈が余ってしまう。
「あ……、はいっ。ちゃんと…、お預かりします──」
怪我を気遣いながら落ちないように抱き抱え、背中にも腕を回して力を込めた。
「………」
「……その、有馬さん…。面倒を見るというのは…彼を治療しても…?」
「………。いや…」
カネキは瀕死に近い状態だが、しかし有馬は首を振る。
「治癒力は高い。本当に死にそうになってからでいい」
「そう…ですか…」
難しい依頼に琥珀はたじろぎながら頷いた。
「…それは見た目よりも"大喰い"だ。油断してるとお前も喰われるかもしれないから、気を付けろ」


"喰種"である琥珀が"喰種"の保護を求めること。
作戦は終局へ移行しつつあったが、怪我人と被害報告の絶えない本部では、そんなものを歓迎してくれる捜査官など皆無に等しい。
追い払われるように指示をされ、今は空となっている護送車に乗り込んだ。
座席にカネキを寝かせて、傍らに置いた資材の箱に琥珀も座る。
不思議とカネキへの警戒心は湧かなかった。
扱いは雑だが、有馬が連れてきたせいかもしれない。
「……あなたも、有馬さんの訓練を受けたみたいね…?」
損なった箇所の多すぎる身体は、生きていることが不思議なくらいにぼろぼろだ。
子供に振り回されて壊れてしまった人形のように。
カネキは"隻眼"とも呼ばれているようだが、彼も片眼は人間なのだろうか。
だとしても、潰れてしまった両眼からは、どちらが"そう"であったのかも判別はできないが。
先ほど飛び去った"梟"も、"隻眼"と称されていたことが琥珀の脳裏にふと浮かぶ。
…彼女は父親に会えたのだろうか、と。
………か…あ………、…さ──…
乾いた唇から隙間風のように音が漏れ聞こえる。
「…。あなたも…誰かに会いたいの…?」
琥珀は少し迷い、手を強く握り締めた。
爪が皮膚を破って手の中に血が溜まる。
微かな匂いにカネキの鼻が反応し、琥珀は薄く開いた口に溜まった血を落とす。
与えられる栄養に反応して身体が痙攣したために、琥珀はカネキの胸に手を添えた。
動かないでね、と呟く。
有馬が喰種を生かすことはほとんど無い。
琥珀が生かされたのは丈のお陰だろうが、そこにどの様なやり取りがあったのかも聞かされてはいない。
この"カネキケン"にも何か理由があるのだろう。
それともまさか、"死神"が気紛れに情でも見せたのだろうか。
"隻眼"という半端な存在に同情を示して、命を延ばしてみたのだろうか。
呼吸の欠片のようなものを、途切れ途切れに、静かに繰り返すカネキの額を撫でる。
「……いつか会えるといいね…」
たとえ命の時間が延びたとしても、喰種が望みを叶えることは難しい。
喰種という存在であるかぎり。
…けれど、いつか、叶うだろうか?
喰種という存在であっても…。
せめて生きることを赦してほしいと願うのは卑屈に過ぎるだろうかと、琥珀は自嘲を浮かべる。
そしてすぐに思いを払うように首を振った。
この先、カネキが求める者にまみえることが出来るようにと瞳を伏せる。
少なくとも、自分たちはまだ生きているのだから。
──ぁ…、あ……ぃ
「…うん…?」
漏れ聞こえる呼吸。
しかしそれを掻き消し、車外から歓声が聞こえてきた。
さざめきのように広がって二人が息を密める車を包む。
作戦終了──と。
もうすぐ有馬が戻ってくるだろう。
丈にも…やっと会える。
そして、
「──…おやすみなさい…カネキ君」
落ち窪んだ眼窩に手を添える。
これ迄に居た場所とはまったく違う場所で、カネキは目を覚ますことになる。
救いの道筋が、この眼に見えることを琥珀は願った。



──現在──


それは大きな"眼"だった。

人間の身長も悠に越える直径を持つ"眼"。
24区の地下空間を前進する、巨大な赫子の半ばに幾つも点在していた。
全貌が窺えないほど巨大な体躯からは、ヒトの型を摸倣した赫子が餌を求めて這い出る。
襲ってくる赫子へ反撃を加えれば、攻撃が掠めた"眼"が脆くも裂けて破れた。
溶液と共に無数のヒトの身体がどろりとこぼれる。
捜査官。喰種。
大人。子供。
何人も。何体も。
両目が溶け、身体も半ば融けかかった其れらが地面に転がる。
傍から伸びた赫子が喰い寄せながら巨大な"それ"は進み続ける。
前へ。
上へ。
地上へ。


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