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all you need is…

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休日の夕方。
橙色の陽射しに瞳を細め、琥珀は歩道をゆったりと歩いていた。
たちまちに陽を落としていた夕暮れ時もだいぶ長くなり、季節は冬から春へと移ろうとしている。
マフラーをしてこなかった首元もすっきりと軽い。
腕の中に抱いた袋を持ち直して、道行く人とすれ違う。
今日はやけに人出が多い。
陽が延びたせいだろうと単純に考えて琥珀は上機嫌に微笑む。
トーカに頼まれた買い物も果たし、店に戻ったら次は夕食の支度を、と考えながら。
隊の皆が戻るのは遅くなるだろうから急ぐことはないけれど。
しかし店の前に差しかかると、人が多いのは道だけではないことを知った。
「(すごい混雑…)」
珍しく満員に近い店内。
入口には、店内を見て諦める客もいれば、並んで待とうかと決めた客の姿も。
店のガラス窓の前で琥珀が思わず立ち尽くしていると、店内から視線が突き刺さる。
「(…トーカちゃん?)」
すごい形相で何かを訴えている。
顎で、満席の店内を指し示し、切羽詰まった黒い瞳が琥珀とを往復する。
どうやら"手伝え"と言いたいようだ。
琥珀もぱくぱくと答えた。
「(ト、トーカちゃん、私がお店のお手伝いしたら…迷惑になっちゃう…)」
カネキや丈のように報道されはしなかったが、0番隊も琥珀も、局に追われる身だ。
店の裏方を手伝うことはあっても、ホールに出ることは少ない。
しかし今はトーカも引かない。
「(──カツラ被ってるから平気だって。バレないっ)」
琥珀の立つガラス窓の目の前の席にやって来た。
空いたテーブルを拭きながら、ジェスチャーを繰り返し、その合間に珈琲カップをトレーに乗せる。
「(でも私っ…、バイトとか…したことないしっ……)」
「(客の経験はあるでしょ、そん時の店員を思い出せばいいからっ)」
「(そんな、むり…っ)」
ドンッ、とガラス窓にトーカが手を着いた。
「──いいから来る…!!!」
「ハイッ!」
琥珀の真正面には鬼がいた。

ガラス越しの威圧に負けた琥珀がエプロンを装備し、見よう見まねで活動をすること、三時間──。
「つ、疲れました………」
ぐったりとテーブルに崩れたいところだったが、
「エプロンを着けている間は、アナタも店のスタッフだからね?」
にっこり、やんわり。
入見に背筋を伸ばされて、琥珀は傾きながら胸に抱いたトレーに縋った。
「…入見さん、私…こんなにハードだなんて思いませんでした……」
ぼやいた直後に席を立った客へ、琥珀は条件反射のように小首を傾げて会釈をする。
ショーウィンドウのマネキンのように「アリガトウゴザイマシタ」と笑顔を作る。
「はじめは皆そうよ」
「入見さんもですか…?」
「さあ?どうだったかしら」
注文を受け、お代わりも注ぎ、注文の品を運びながら空いた席の整頓を。そうして新たなお客をご案内…。
琥珀はくるくるとよく働いた。
それから暫く時間が経ち、その表情が笑顔で凝固した頃、客足もようやく落ち着いてきた。
店内の顔がちらほらと常連の姿に塗り替えられて、トーカが大きく息を吐く。
「商店街のイベントがさ。いつもは向こうの通り?なんだけど、今回はこっちでやったらしくて。客も流れてきたみたい」
「それなら……売り上げとしては良かったのかな…?」
「こんなにクソ混まなくて良いんだよ。ほどほどで」
琥珀に答えた錦が、カウンターの向う側で流れるように皿を洗ってゆく。
「むしろ暇な時に分散して来いっての。ウチは珈琲屋だってのに、一体どんだけサンドイッチ作らされたんだよ。俺」
「アンタは珈琲よりサンドイッチ作るのが向いてるから今日がシフトでちょうど良かったじゃん。──コレ、洗いもん追加ね」
トーカがガシャンと皿の山を積み、錦のこめかみがピクリと動く。
「…そーだよなぁ。お前が作るのはクソにしかなんねぇからなぁ。今日の客はクソを喰わされなくてラッキーだ」
「…だから、クソクソ連発すんなっつってんの」
「じゃあ次は"お"を付けて丁寧に言ってやるよ。大体お前も何年目だ?そろそろシャバシャバしてねーサンドイッチ作ってみろ」
「キャベツ洗ったら水っぽくなっちゃうんだから仕方ないでしょっ。アタシはサンド以外担当!」
「洗ったら水切りすんのが常識なんだよ!あとあれはキャベツじゃなくてレタスだ!」
「畑の葉っぱだろ!」
「てめぇ農家に謝ってこい!」
トーカと錦、どちらに言葉をかけたものか。
琥珀がおろおろしていると、すらりとした入見の手が、琥珀の肩をフロアに向けた。
「はい、じゃあ琥珀さんはこっちでお仕事を続けて頂戴ね?」
「入見さん…二人共、だいぶ熱くなってますけど…」
「手は動いているから問題ないわ」
「………」
不適切な用語の混ざった口喧嘩だが、仕事をしていれば目を瞑るようだ。
それくらい今日は忙しかったということかもしれない。
入見に促されて琥珀もテーブルを拭く。
時間が経つにつれ常連の姿も減ってゆき、レジを打つ入見が最後の客と話す声が聞こえた。
今日は混んでいたねと笑う客に応えながら店の外に送り出す。
完全に陽は落ちた。
客の姿が離れてから、入り口ドアのプレートを"close"へと返す。
入見が店仕舞いの支度に取りかかるのを確認して、琥珀も店内のブラインドを端から下ろしてゆく。
「あら、カネキ君──」
お帰りなさい、と入見の声がした。
店の外に置いてあるスタンドを運び入れながらカネキが入ってくる。
その後に士皇と夕乍、理界と丈が続く。
お帰り、ただいまと飛び交う中、琥珀にもほっとしたような、ほわっと心踊るような表情が浮かぶ。
カネキが錦とトーカから今日の忙しさを伝えられる中、丈も琥珀を目に留めた。
やや意外そうな顔になる。
しかし、より早く、大きく反応したのは士皇だった。
「琥珀、エプロンしてる!もしかしてお店に出てた?」
士皇と夕乍は席の合間を通って近くまで来ると、まじまじと眺める。
理界もやって来てテーブル席の椅子を引いた。
「可愛いね」
「えっ?……あ、ありがとう…」
ストレートに褒められて、つい照れてしまう。
…ではなく、琥珀は何かを忘れている気がした。
「…。あっ!晩ごはん!」
「えっ──…もしかして、ないとか…?」
皆まで言うもなく、士皇が素早く言い当てる。阿吽の呼吸か、それとも単に食べ盛りで敏感なのか。
神妙に、こくりと頷いた琥珀に、ショックだと言わんばかりに凭れ掛かる。
その様子に気がついたカネキが声をかけた。
「琥珀さん。良かったら…僕が何か作りましょうか?」
「え、そんな──…」
「晩ごはん作れるの、ハイセ…!」
士皇が期待に瞳を輝かせる。
カネキが料理が得意であることは琥珀ももちろん知っている。
けれど、感謝の気持ちと、自分と同じく疲れているはずのカネキへの申し訳なさと…ちょっとだけ、女としてのプライドとが混ざる。
複雑な呻きとなって漏れた。
「じゃあ…メインをお願いします。つけ合わせは作るから」
眉を下げる琥珀に、カネキが嬉しそうに返事をした。
「そういうわけで…ごめんね。丈さん…」
準備のこと、すっかり忘れていました…と琥珀は丈に向いて、こちらにもしおしおと項垂れる。
本当は、疲れて帰ってくる皆に温かい晩ごはんを作っておいてあげたかった。
「待っている。気にするな」
「ありがと…」
「…何か手伝うか?」
「ううん…平気」
エプロンの裾を整えるように弄った。
ほんの数時間だけ借りたエプロンにはまだアイロンが効いている。自分のものではないエプロンというのも、どこか気恥ずかしさを感じさせた。
その指先を無言の丈の視線がなぞり、気がついた琥珀の頬がほわりと染まる。
「あ〜…クソ、なんか甘ったるい空気流れてんぞ」
「人の恋路を邪魔すると蹴られるらしいわよ?」
運悪く気がついてしまった錦が疲れた顔をし、入見がさらりと流す。
「俺は蹴る方専門なんで」
関わるのもヤメたとばかりに皿洗いを切り上げた。
「ちょっとニシキっ、残ってる皿は!?」
「カネキ、ついでに頼んだ。俺休憩」
晩ごはんを任されたカネキが苦笑しながら、腕捲りをしてカウンターに入った。
士皇が訊ねる。
「ハイセ、何を作るの?パン?」
「う〜ん…パンは今からだと時間がかかるから。別の…何かを作ろうかな」
「何かって?」
「みんな育ち盛りだから、肉がいいよね。ええと…冷蔵庫にあるかな……メインで使える肉、肉……挽き肉とか何か…うーん…」
冷蔵庫を覗き込むカネキの背中を、カウンター席に移動してきた夕乍が眺める。
無意識なのだろうが、肉を連呼して身を屈めるカネキの後ろ姿から、つい不穏なものを連想してしまう。
「…。」
「やっぱりたんぱく質がいいよね、…あ、何か言った?」
夕乍はふるふると首を振った。
「トーカちゃん、使っていい肉ってあるかな?」
「ウチらにそれを聞くか」
地下にならあるよと顎で指す。
慌ててカウンターに入った琥珀が話を繋げる。
「あっカネキ君──。お肉なら、さっき買ってきて冷蔵庫に入れさせてもらったのがあるから使って」
「じゃあ、ありがたく…。買ってきてここに放り込まれるなんて…店、よっぽど忙しかったんですね」
琥珀は苦笑だけを返し、カネキも自分が働いていた経験を思い出した。
同じような表情を浮かべる。
「お前も王様に飽きたらバイト手伝って良いんだからな」
一番離れた席から錦がにやりと笑う。
「サンドイッチ担当が足りてねーんだよ」
「サンドイッチ?」
「…うるさい」
それ以上の質問はトーカがギロリと睨んで終わらせた。
カウンターの内側では食事の仕度がはじめられ、外側では片付けが進む。
一端の時間を置いたら、今日もまた、来客の予定がある。
「今日は?何人集まるって?」
「さあ。白スーツのお兄さんは、なんだかんだ言いつつも来るらしいわよ」
「寂しがりか」
店内の空気は「:re」から"黒山羊"へと変化しつつある。
それは昼間とは違うものの、別の親しさが滲む。

0番隊の食事が終わった頃に最初のドアベルが鳴り、ナキを先頭に承正とホオグロが現れた。
全ての片付けが済んだ頃には月山やアヤトも到着した。
会合には士皇も参加したがったが、丈は首を振った。
「タケさん、なんで」
「理界一人で足りる」
士皇は頬を膨らませたが、夕乍に無言でじっと見られて諦めた。
追いやられるように廊下に出されて、年の差別だ、と最後に口を尖らせる。
「…士皇、先に風呂入っていいよ」
「わ、わっ!……〜夕乍っ!」
廊下の冷たい空気を混ぜるように二人は階段を駆け上がる。
「琥珀」
「ふふ…。はい」
まるで子守りでも頼むような丈の視線に、琥珀も笑みを零した。
その背後から漏れる明るさに瞳を細めながら。
彼らの輪に丈は戻るのだ。
ひっそりと想いを閉じ込めるように琥珀はドアに手をかける。
しかしその時、丈が動いた。
「え──…?」
琥珀を廊下へと軽く押す。
二人は共に廊下に出ることになり、やや明度の低い照明の中で、琥珀は丈を見あげた。
尋ねる間もなく、丈の腕が抱き締めるように腰にまわる。
琥珀の身体が驚きで固まった。
ぱくぱくと唇を動かしながら丈を呼ぶ。
返ってきた言葉は耳許で低く「待て…」と一言。
覆い被さるように顔も寄せ、触れ合う髪と頬がむずむずする。
丈に"待て"と言われているために身体は動かせない。
けれど琥珀の頭の中は忙しい。
まさかこんな、誰か来てもおかしくない状況で抱き締められるなんて。どうしちゃったの丈さん。大胆。照れる。でも嬉しい、どきどきする。など。
極めて静かにときめいていた。しかし、
「──…。これは、どうやったら脱げる」
「これ…?って、エプロンのこと?」
不器用な手つきで腰をまさぐる。
「やっ…きゃっ、………ひゃんっ…!」
「………」
くすぐったくて思わず漏れた悲鳴を両手で塞ぐ。
赤面した琥珀は、ひとまず丈の動きを止めさせる。
薄暗い中で瞳を彷徨わせながら、自分の手で結び目をほどいた。
琥珀の肩から落ちたエプロンを丈が取り去る。
「霧島に返しておく」
「あ、ありがとう……」
なぜそのようなことをされたのか、琥珀には意図がわからない。
ただ…皆の前では言わなかっただけで、本当は店に出たことを丈は気にしていたのかもしれない。
「………」
「…似合ってなかった、かな…?」
誤魔化すように別のことを訊ねてみる。しかし、自分たちは追われる立場なのだ。
軽卒な行動だったと思い直す。
「ごめんなさい…。お店に出るなんて……もっと注意しないと…だよね」
肩を落とす琥珀に、丈はしかし「いや…」と答える。
「…?」
理由は他にあったのだろうか。ならばそれこそわからない。
琥珀は、どうして?と視線で問う。
「…」
「丈さん?」
照明は薄暗かったが、この距離なら表情もわかる。
丈の目が琥珀を見て逸れたことも、何かを言おうとした口が、すぐに閉じてしまった様子も。
「丈さん──。怒ってる?」
今度は琥珀がこの近すぎる距離を利用した。
丈の胸に手をあてて見あげる。
不安なのか、不満なのか、残念ながら原因がわからない。だから教えてほしい。
不安であれば、琥珀も同じ気持ちになりつつある。
だからもう答えを聞くまでは動かない構えだ。
「…」
迫られた丈は、こちらに向かって傾ぐ琥珀を支えながら、しばらく口を閉ざしていた。
しかし、琥珀がこうなったら納得するまで動かない性格なのは知っている。
何かしら反応しなければ離してはくれないだろう。
丈はひっそりと息を吐くと、まっすぐに見つめてくる琥珀の頬に手を添えた。
琥珀の瞳が小さく驚く。
その頬を包みながら、親指でふっくらとした唇に触れれば、肩もぴくりと震えた。
手のひらから伝わる温度も、じわりと上がってくる。
自分から飛び込んできたくせに。琥珀は今さら照れはじめているのだ。
いつまでも初心なその様子に安心しながら、そんな内心はおくびにも出さないで丈は琥珀の耳許に顔を寄せた。
声どころか、唇が耳に触れるほど近くに。
「お前は──」
琥珀がまた、ぴんと緊張する。
やはり少しもわかっていない。
丈は密やかに囁いた。
「…にぶいんだ」
喰種の耳は良く聴こえる。
特に、想い人に掴まえられて、全身を緊張させて感じている、今の琥珀の耳ならばなおさらだ。
濁音を発する唇が開いて、また閉じる音。
口腔を行き来する舌の、熱の籠った水音。
言葉を発したあとの軽く息を吸い込む音。
紅潮したまま固まっている琥珀の唇に、もう一度優しく触れて、身体を離した。
「先に寝ていろ」
話し合いの内容は明日伝える、と丈は事務的に言い残して背を向けた。
ドアを開けると一瞬だけ店の光が廊下に射し込む。
丈の身体に遮られて、佇む赤面は店の誰にも知られることはなかった。
ドアが閉まり、薄闇に残された琥珀は鼓動の音を感じていた。
トクトクトクと。
未だに速く動き続けている。


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