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詣でて初に悟る事

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抱き抱えた柴犬の首に鼻を寄せる。
先ほどからずっとそうだ。
あたたかな陽射しに照らされる明るい色の毛並みに頬を寄せて、匂いをかいでは満足そうに。
琥珀は顔を離した。
「丈兄に洗ってもらって良かったね。…ふふふ、とってもふかふか〜」
当の柴犬は諦めたようだ。
大人しく抱かれ、どこか達観した眼差しで参道を眺めている。
この神社には数日前に祖父母と共に来たらしい。
「…」
一度だけ首をこちらに巡らせる。
毛に埋もれた首輪の金具が小さく鳴る。
早く済ませろという、彼の溜め息にも聞こえた。
「…行くぞ。琥珀」
「はぁい」
並んで石段を登る。
琥珀は彼を抱えているために足元は見えていないだろう。
丈もまた、嘆息とも微苦笑もととれない呼吸をした。
危なっかしい幼馴染みを支えるのは、昔から自分だけの仕事だ。

琥珀は"洗う"と大雑把に表したが、午前中、確かに平子家の飼い柴は、丈の手によりシャンプーをされた。
そして丈が洗っている最中に、冬の気温では濡れた毛も乾かないだろうと悩んだ琥珀は、こっそりとドライヤーを用意した。
(見慣れない美容器機に興味を覚えて近づいた彼は、いとも容易く捕まったらしい)
その後、風呂場を片付けた丈が新しいタオルを持って戻ると、かつて無いほどのふわふわの毛並みとなった柴犬が丈を出迎えた。
「…よく乾いたな」
「私の髪より時間かかったかも」
「………」
抜け毛にまみれながらも、琥珀の顔は達成感に満ちていた。

だからといって甘やかしすぎではないだろうか──。
丈は、琥珀の腕の中に大人しく収まる柴犬を見る。
家の玄関から、彼女と一匹はずっとこの状態だ。
洗いたての毛が汚れちゃうからと惜しんで。
「…疲れないのか」
大きな毛玉を抱えたまま、琥珀は身体ごとに反り返る。
コートの腕の間から茶色い毛並みがはみ出している。
「ん?疲れる?」
「腕」
「ううん。だってそんなに重くないもん。平気」
「………。そうか」
13sを軽くオーバーした立派な雄犬だが。
丈が沈黙する間にも、琥珀はくるり軽々と、その場で回ってみせた。
彼を抱えているという責任感からか、ふらつくような不安定さは見せない。喰種である琥珀の腕力なら問題ではないらしい。
小石の乗った石畳をジャリジャリと歩く。
空はすっきりと晴れ渡り、どこまでも高い。
三が日を過ぎているために神社の境内はまばらな人出だ。
それでも1月半ばの今は普段よりも多いのだろう。
以前の丈は祖父母に倣い、初詣も三が日中に済ませていた。
しかしそれも、捜査官という仕事に着いてからはこだわらなくなっていた。
「丈兄、お願いしてもいい──?」
過去を振り返る思考から、琥珀の声が丈を掬いあげた。
目を向けれると賽銭箱の前で琥珀が丈を呼んでいる。
「お願いならこれから神様にするぞ」
「その前に、神様にはできないこと」
「?」
琥珀はコートのポケットを突き出すような動きをする。
面白いのでもう少しやらせておいたら、拗ねて体当たりをされた。
やっと丈が手を入れると5円玉と10円玉が出てくる。
「15円?」
琥珀はにこにこと頷く。
「じゅう、の、ごえん。御縁が重なりますようにー」
柴犬の前足を操って琥珀は招いてみせた。

ニ礼。ニ拍手。また、一礼。

下ろされて暇になった柴犬は琥珀の足元に鼻を寄せている。
鳴らした鈴の音にも彼は驚かず、丈は、偉いな、と頭を撫でた。
これも祖父母と先に済ませた参拝の成果かもしれない。
願い事を終えてしまった丈は琥珀の横顔を見る。
琥珀の"お願い"がゆっくりなのも昔からだ。
それを思うと、三が日の混雑の中ではなく、こんな風にゆったりと待てる時を選んだ方が正解なのかもしれない。
風向きが変わり御焚き上げの煙に瞬きをする。
混ざって薫る香も、冬の空気と共に吸い込んだ。
静かな境内だが、年始めには食べ物を売る露店も賑やかに並んでいた記憶がある。寒空の下に暖かな匂いを漂わせて。
それは、必ずしも良いものではない。
…そんなことを今更になって考えた。
風に衣擦れの音が混じり、琥珀のお願い事が終わる。
「…。お待たせしました」
はにかむ琥珀を急かすように、早くも柴犬がリードが引っ張る。
「ふふ。飽きちゃったのかな」
きみは2回目だもんねと、傍らに琥珀がしゃがみこむ。
「…。単純に、帰りたいだけかもしれないぞ」
散歩から帰れば菓子を貰うのが彼のルールになっている。
運動をさせたのに食べさせるのもどうかと、丈は常々思っている。しかし祖父母も琥珀も、「ちょっとだけだから」と結局菓子を与えている。
「疲れちゃった?」
琥珀が両手を広げると、彼はのそりと近づいた。
「…。お前にはやけに大人しく捕まるな」
「美味しいお菓子をくれる人、好きだもんね?」
結託したその様子が何となく憎たらしく、丈は、毛むくじゃらの頬を伸ばすように撫でた。
「丈兄いじわる〜」
「…撫でているだけだ」
「もぅ。帰ったら、丈兄にもお餅焼いてあげるから」
「いつものか」
「そうそう。おしるこに、お餅はふたつ」
それもまた、初詣の後の習慣のようなものだ。
初詣に出掛けて帰ってくると、参拝のご褒美のように食べていた。
琥珀が好きだと言っていたから丈も同じく汁粉を──
「そうか…。汁粉も、好物ではなかったんだな」
「あっ……」
ついうっかり、丈は独り言を零してしまい、それに反応した琥珀もびくりと肩を揺らした。
抱えた毛玉に隠れるように顔を埋める。
気まずそうに視線を游がせて、困ったように、ごめんなさいと微笑んだ。
「毎年食べてたけど…。本当は苦手だったの……」
「そうか」
「今年からは…丈兄の分だけ作るね」
琥珀の視線がうつむく。
石畳を歩く二人の足音が響く。
「………。俺もひとつ、告白をしないとな」
鳥居をくぐりながら丈も視線を落とした。
先に石段を下まで降りると、後から降りてくる琥珀を待つ。
「実は…汁粉はそれほど得意じゃない」
瞳を瞬かせる琥珀に続ける。
「違う餅を、今年は頼んでもいいか?」
一呼吸。
その間にも琥珀の表情は鮮やかに移り変わる。
驚いて、困って、形容し難い色合いの、微妙な感情を幾つも経て。
それから、知らなかった、と。
華やかに小さく弾けた。
「我慢して…つきあってくれてたの…?」
「我慢というほどでもない」
「…ほんと…?」
「お前とおんなじだ」
琥珀の唇がそっと弧を描く。
柴犬の耳の向こうに覗くふっくらした頬に、丈は指先で触れる。
「じゃあ…。今年からは違うお餅、作るね。何餅が食べたい?」
「…何餅がある?」
「えっ。私に聞くなんてずるい」
「料理はお前の方が得意だ」
「まぁ……そうだけどっ」
満更でもない顔をした琥珀は、腕の中の感触を楽しみながら、磯辺餅、揚げ餅、きなこ餅…と並べていく。
「きみの毛皮の色は、きなこ餅と同じ色だね──あっ」
丈はその琥珀の腕から柴犬を取り上げた。
もったりと重い彼を、コンクリートへゆっくり降ろす。
不満そうな黒い瞳で見つめられるが、家まで歩いてもらうことにする。
首輪から伸びるリードを片手に、もう片方を琥珀の手と繋いで帰路に着く。
家までの十数分の距離。
「知らないことは…まだ沢山あるな」
「そうだね。……ねぇ、丈兄?」
先を行く巻き尾が一定の拍子で揺れている。
「…これからも、もっとたくさん教えてね」
手袋もせずに彼を抱えていた指先は冷たい。
丈は、そうだな、と答えると、手を繋いだまま自身のコートのポケットに突っ込んだ。
少し遠回りして帰ってもいい。
家に着く頃にはきっと暖まるだろう。


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