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願わくは連理の枝となれ

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壁に掛けられたコートが並ぶ様は、まだ冬の支度を引きずっている。
しかし店内の空気は熱気と活気に満ちていた。
ざわめきの隙間に酒とつまみの注文が飛び、座敷の長テーブルには大小の皿と、明らかに参加人数よりも多いグラスが並ぶ。
暖色の照明に照らされる同僚たちの赤ら顔の中、平子丈は視線を落とす。
脱いだ上着に入れたままの携帯電話。
手洗いにでも立つついでに確認したいところだが、丈は実行できずにいた。
左肩に宇井の頭が乗っているためだ。
「郡」
「………」
どちらかといえば酒にも弱い宇井は早い段階から潰れていた。日頃の疲れもあるのだろう。
酒宴がはじまり二時間弱。
そろそろ帰宅する者も出てくるかと思いきや、皆、鬱憤を溜め込んでいるのか、席の移動はあれどコートに手を伸ばす者はいない。
「…。寝るなら帰って寝たほうがいいぞ」
「………たけ…、しぇんぱい…」
「…?」
「…わたしはぁ〜…、ねてま〜……」
「…」
「…しぇん」
「……そうか」
それは悪かったと動かないでいると、頬に当たるおかっぱ頭がむにゃむにゃ答えた。
丈が有馬の班から離れて数年。
あの頃には班の新人だった宇井も、今では丈の階級を追い越して若手の期待を背負う存在になっていた。
仕事に加えての見えない重荷を、もしかしたら今は下ろせているのかもしれない。
そう考えると無下に押し退けるのも可哀相に思えてこの様だ。
「(…そろそろ痺れてきたな…)」
しかし気持ちと身体の状態はいまいち一致しなかった。
どちらをとるべきかを考えながら、丈は形ばかり、グラスにビールを注ぐ。
その手元が影に包まれる。
「仲良しじゃねェかぁ、平子よォ」
丈が顔をあげると、ビール瓶とグラスを手にした丸手が立っていた。
「んなコトしてっと君塚が妬くぞー」
「…相手は郡ですが」
「アイツのお前バカは沼レベルだろが」
「沼?」
「お前以外はなァ、み〜んなご存知なんだよ」
知らねェの〜?と歌うようににやにやして、宇井とは反対側の隣に腰を下ろす。
砕けた口調から具合良く出来上がっていることがわかる。
丈のグラスを見て「減ってんなァ、もっと飲みやがれ」と持ってきた瓶の中身を追加した。
さきほど丈が注いだ六割から、九割九分まで嵩を増やす白い泡。
溢れるギリギリで止まったそれに、丈は待ち構えていたおしぼりをテーブルに戻し、丸手は「ザマミロ」と鼻で笑った。
注がれたからには飲まねばならない。
丸手が自分のグラスを煽り、丈も仕方なくビールを喉に流す。
「君塚は来てねェのか」
「……。琥珀を良く思わない方もいらっしゃるでしょう。それに、顔を出しても食べられませんので」
「親しいヤツらとのには顔出すって聞いてんぜ」
「…それも、たまにですが」
「お前がすっぽかしてコッチに来たせいで、今は独りぼっちなんだろ。で?一人寂しく帰ったのか?」
「…そのまま、映画を観に」
「じゃあナンパもされてるかもなァ。ふわふわしてっから、逃げんのも下手クソだろ、アイツ」
「………」
丸手はグラスの大半を飲み干して次を注ぐ。
丈と琥珀に予定があったのを知っていたくせに聞くのだから、酔っ払っても口の悪さは変わらないらしい。
──飲み会のお誘いなら仕方ないね、と。
琥珀は小さく手を振っていた。
再び六割に減らしたグラスを、丈はテーブルへ戻す。
「ま、今日くらいは付き合え。昇進決まったヤツらの前祝いみたいなもんだ」
丈の所属する班と、今この場に集まった同僚たちとの深い繋りはない。
元々、参加する予定でもなかった飲み会だ。それに欠員が出たからと、帰り際の丈が目に運悪く捕まった。
有馬の元で力をつけ、地味ながらに功績を重ねてきた丈は、本人の出世への意欲とは反比例して上官からの認知度は高い。
「………」
「んなツラすんじゃねェよ景気悪ィ」
「普段通りです」
「じゃあもっと愛想良くしろ。お前にだってなァ、お呼びの声は常に掛かってんだぜ。呑みの話じゃねぇぞ」
「……」
「それを片っ端から蹴りやがって。誰かさんの真似でもしてんのか。アァ?」
「…。真戸上等には明確な目的があったのでは」
「テメェは違うってのかよ」
「…自分は今の地位で相応と思っています」
「はっ。相応か」
「丸手特等」
「ア"?」
「これは審問でしょうか」
「違ェよ。部下の相談に乗ってやってんだ」
丈は、宇井を肩に寄り掛からせたまま、視線を丸手からテーブルへと戻す。
「…。」
「チッ…」
丸手はテーブルの皿から焼き鳥を取った。
やや冷めた肉は固く串に刺さり、噛りながら引っこ抜く。
有馬同様に、彼が育てた平子丈という人間にも読めない部分がある。
多かれ少なかれ、誰にでも出世欲はあるものだ。上官からの好評価が積み重なれば、自然と階級も上げやすくなる。
頭の出来云々よりも、喰種捜査官にとって実戦での功績は別格の得点だ。
有馬の元で経験を積んだ丈は、形式的な試験をクリアすれば、それこそすぐにでも昇進できるだろう。
しかしそれを丈は知らぬ体でいる。
本人曰く、「自分では力不足ですので」と。
「(どのツラ下げて言いやがる)」
並の准特よりも動ける人間が、しれっと断り続けているのだ。
「(君塚か、有馬か)」
または、どちらもの理由が絡んで丈は上等捜査官に留まっている。
琥珀の所有権は有馬が有している。
所有権の譲渡も可能ではあるが、クインケを渡すような簡単な話ではない。
「(君塚は特等の有馬が"管理"してる"喰種"だ。上等の持ち物にしちゃ釣り合わねぇ…)」
だとすれば丈は階級を上げることが琥珀を所有するための道となる。
「(准特…としても、簡単には貰えねェだろうが)」
准特の更に上となる、特等捜査官の肩書きは伊達ではない。
そこに目を瞑らせて、琥珀に手を伸ばす強みと成り得るものが、築いてきた信用のはずだが。
「…てめェも真戸も、そんなに上等がお気に入りかよ…」
丸手の脳裏にかつての友の姿が浮かぶ。
真戸は、幼かった娘のアキラを優先させて出世を全てふいにした。
妻の微を殺した"梟"も諦めてはいなかったが、捜索からは遠い立場となった。
──先日、"梟"が再び現れた。
真戸が死んだのは、それよりたった数ヵ月前だ。
若手と組んで別の喰種の捜査に当たっていた。
そんなところで死んでんじゃねェよ、と丸手は思う。
「…とろとろしてっと、大事な時に届かねェぞ…」
何を優先させるかは本人次第だ。
だが、大事なものを優先させた挙げ句、本人の手が滑り落ちてゆく。
そんな様を見せられる周りの身にもなってみろ、と八つ当たりを腹に納めてビールを煽った。
「………」
水の如く流し込む丸手に比べて、丈のグラスは注がれた分を飲んで以来、減っていない。
嫌がらせにまた注いでやろうかと丸手が思った時、視界の端に席を立つ有馬を見つけた。
「おい有馬──!てめえェも釈明ぐらいしやがれっ」
鍛えられたその声は作戦中であっても良く通る。
部屋の端だろうが嫌でも聞こえる濁声の指名に、仕方の無い大人を見るような目で有馬は答えた。
「そんなに大声を出さなくても聞こえますよ」
「お前は聞こえててもシカトするからな。周知させてんだよ」
丸手の言った通り、周りの酔っ払いに「丸手さんに呼ばれてるぞ」だの「有馬、久し振りにお説教食らうのか」だのと囃される。
「反抗期ではないので、今はそこまではしませんが」
「そこまで、の手前まではするってことじゃねェか」
ひどい言われようですねと小さく苦笑しつつ、有馬が丈の背後に腰を下ろした。
丸手と同じように、丈に凭れる頭に気がつく。
「郡と仲良しだな、タケ。琥珀に妬かれるよ」
「………」
ほれみろと丸手がまたにやけた。
鼻で笑いながら、今度は有馬に言葉を放る。
「で?有馬。テメェはいつになったら平子を上げるつもりだ」
その質問を予想していた訳でもないだろうが、有馬は聞き返すこともなく丸手に返答する。
「タケの希望次第でしょう」
「本人は力不足だとか言いやがってな」
「なら、そうなのでは」
「周りはそうは思ってねェ」
「無理強いさせるものでもありませんよ」
「部下は育てるもんだ。CCGはいつだって人手不足で教育係も足りてねーんだよ」
「上等捜査官でも部下の指導は可能です」
「限度がある」
周囲が宴の活気に包まれている只中、この場所だけで交わされる平静な声。
酒が入っているために双方共に血色の良い顔色だが、かち合う視線は至って冷静だ。
眼鏡の奥の凪のような有馬の瞳と、鋭い観察と苛立ちを漂わせる丸手の眼。
けれども今は酒宴の席だ。特等捜査官であるこの二人が揉めては周囲にも影響するのだから、どうか、
自分の事で争わないでほしい──…。
「(とか口にしたら、丸手さんに殴られて首を絞められるだろうな)」
有馬は気にしなさそうだが。
熱気とアルコールに充てられつつ、二人の間で丈は黙していた。
ずり落ちる宇井の頭を身動ぎで器用に直しながら。
「有馬ァ、テメェ似合わねェ過保護なんぞしやがって。そんなに平子を可愛がりてェのか」
「別に深い理由もないですよ。そもそもタケですから。そんなに可愛いものでもない」
「………。」
酔いのせいか、さらに焦点もずれてディスられている気がしないでもない。
しかし、確かに丈は有馬の元で実力を着け、離れた後も成果を出してきた。上官のサポートを行い、多くはないが後輩の指導も同様に行ってきた。
上等捜査官という位置で、安定しているのだ。
本来ならば更に上の階級を目指すべきなのだろうが、丈の使い勝手の良さは、有馬ならずとも、他の上官にも浸透していることだろう。
それでいい。
「丸手特等──」
丸手と有馬の口喧嘩は流れて、今では丈の地味さについて議論をはじめている。
丈は二人の会話に割って入った。
「…ご配慮をありがとうございます。琥珀の件も含めて…。ただ、有馬さんが特等捜査官である限りは、琥珀も捜査官でいられます。当面は、問題ありません」
言葉を濁して逃げることもできた。
酒の席で出た軽い話でしょうと躱すこともできた。
しかしそれを行わない──行えないことこそが、丈の性格でもある。
少しのあいだ沈黙をし、根負けした丸手が息を吐く。
「はっ。……この大馬鹿ヤロウめ…」
丈の昇進への意慾は皆無だ。
半端な地位に、過ぎた能力を持ったままで居座ったところで、居心地は決して良くないだろうに。
「そんな野心のカケラもねえ地味な奴ァ、知らねェな。──…勝手にしろ」
本人が望まないのであればお節介でしかない。
目礼を返す丈を横目に、丸手は、今度は盛大に溜め息を吐いた。
寝息をたてる宇井の頭を顎で指す。
「平子、テメェのヤル気がねえってんなら、せめてそっちのお坊っちゃんに気合い入れさせとけ。…"梟"にしろ"アオギリ"にしろ、でかい作戦が入るからな」
表情が豊か、というよりはコロコロと苛立ちの方向を変更できる丸手に、有馬が涼しげな微笑を浮かべる。
「何だかんだ言っても見てくれてますね」
うっせェよと丸手が苦い顔をしてみせても、付き合いの長い有馬には大した効果もない。
十代で捜査官となった有馬の、その頃からの付き合いと聞いている。
特等捜査官として互いに忙しいこの二人だ。仕事を抜いた私的な話ができるのも、久し振りなのではないだろうか。
この会話から抜ける切っ掛けを見つけられた気がして、丈は上着に入っている携帯電話に視線を遣る。
琥珀が言っていた映画の時刻を頭に浮かべながら。
郡を座敷に寝かせて、「少し失礼します」と気配も稀薄に声をかけた。
けれど途端にばれて、まず有馬に、
「琥珀に電話?」
「………はい、少し…」
次に丸手だ。
「おーおー、行っちまえ行っちまえ。さっきから上着ばっか気にしやがって。お前の挙動くらい最初っからバレてんだからな」
「……」
「知っていて邪魔をするあたりは、昔も今も変わらずねちっこいですね」
「テメェのその、ボケてんだか皮肉ってんだか分からねェのも変わんねェよ」
酒が入っているせいか、丸手に応える有馬もどこか弛んだ雰囲気だ。
有馬は常に考えを巡らせている。
絡み付くしがらみの複雑さも、荷の重さも、整った微笑みの裏に潜めて他者に関わる。
「……失礼します…」
そんな有馬の、少しばかり珍しい姿だ。
多忙と画策を完璧に飼い慣らす上司の人間らしい面。それを久々に見られて、丈も秘かに息を吐いて心を戻す。
丈を見送って振られた琥珀の手。
仕事の付き合いからだと、先に離してしまった。
今頃は映画も終わって帰り道だろう。
上着を手繰り寄せて携帯を取り出すとメール着信のライトが控えめに明滅していた。
「──タケ」
「……はい」
「先に抜けて良いよ。郡は後でタクシーを呼ぶ」
「…ここからだと掛かりそうですが」
「丸手さんの財布ならともかく、郡なら問題無い」
「いちいち突っ掛かりやがって。俺だってお前とおんなじだけ貰ってるわ!」

特等捜査官の給料から昇進の話に繋げられかねない。
有馬にそう促されて丈は先に店の外に出た。
通路ですれ違った、昇進に浮かれる同僚らは見知った顔や後輩だ。
宴の余韻で火照った頬に夜の繁華街の空気が心地好い。コートも抱えたまま歩く。
吐く息は微かに白んだ。
熱と酔いを冷ましがてらに、適当な角で足を止めてメールを開いた。
光る画面もほとんど白い。
一行目にたったひと言。
──電話、してもいい?──
数十分前の着信時刻を流し見ながら、丈は通話を選ぶ。
単調な呼び出し音を聞きつつ、電車にでも乗っていたら出られないなと思い至る。
けれど繋がらなくてもまたかけ直すだろう。
琥珀の声を聞きたかった。
「………」
ぷつりとコールが途切れて、[…丈兄?]と呼ばれる。
互いの姿は見えなくとも声だけは確かに繋がっている。
あのね、と耳許で迷う。
[──…丈兄の声…聞きたくなっちゃった…]
「…俺もだ──」
電話越しに零れる小さな笑いが、思い浮かぶ琥珀の姿を鮮やかにした。


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