×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



雨×喫茶店

.
「ここ、良いかしら?」
良しとも否とも答える前に女は着席していた。
テーブルに片肘をついて、ゆるやかに顎を乗せる。
以前から座っていたかのように、女の姿はそこに馴染む。
少し前まで、彼女──入見は客の要望に応えていた。黒いエプロンをかけたその姿は柔順さを纏う。
同色の瞳が、テーブルに置かれた湯気の立つ珈琲を眺め、こちらに移る。
人間を静かに観察する犬のように。
しかし彼女の主人は彼女自身だ。
数年前に相対した"ブラックドーベル"の狗面を思い出しながら、丈は手元の新聞に目を戻した。
「…」
「素っ気ないじゃない。質問とか雑談とか、何かない?」
「…仕事中ではないのか」
「今居るの、身内ばっかりなんだもの。事実上の休憩みたいなものよ」
入見が肩をすくめる。
窓の外では氷雨が降り、道を行く人影も少ない。
店内には数名の姿があったが、確かに、その休憩に近い空気のお陰で琥珀も店に顔を出していた。
今は古間と店の本棚の整理をしながら談笑をしている。
店主のトーカはカウンターの中で考え事を。
丈を除いて、唯一の客である四方もカウンター席の片隅で静かに珈琲を飲んでいる。
店は暇といえるのだろう。
緩やかな音楽の流れる店内に、しとしとと合わさる雨音は、誰に限らず外出する気を減退させる。
「お尋ね者のアナタにとっては丁度良い日和かもしれないけれど」
数日前、CCGの情報公開により琲世と丈の名が報道された。
それにより二人の顔も一般市民の知るところとなった。
が、そもそも店が閑古鳥ではばれようもない。
申し訳程度の変装である丈の素通し眼鏡をちらりと見て、入見の視線がカウンターへ流れる。
「このままじゃトーカが腐るわね」
先程までは難しい顔をして腕を組みをしていたトーカ。
その前は消耗品をぎゅうぎゅうに詰め込んでいた。
そして今、カウンター内の細かい場所の掃除をしはじめたようだ。
「まぁ、暇っていうことは平和でもあることだし、これはこれで良いのかしらね」
入見が口にする通り、この暇がひとときの余暇であることは皆が感じている。
強く擦れた皮膚が見えない火傷になるように、一見、平和な日常の下に、皆がぴりぴりとした不安と緊張を隠している。
「──ル島で会ったわよ。糸目の部下に」
唐突な話の転換に、紙面を捲る丈の手が止まる。
丈と入見の接点は少ない。しかし、それゆえに簡単に話は絞れた。
「倉元にか」
「そんな呼ばれ方をしていたかもね。無事か知りたい?」
「…その口ぶりなら無事なのだろう」
「…気が利かないわね。少しは会話に乗りなさいよ」
話が終わっちゃったじゃない、と入見が呆れた目つきで丈を見る。
ポツポツと風に吹かれた雨が窓を叩く。
トーカの掃除はカウンター席に移行し、四方がテーブル席に追いやられる姿が見える。
「………」
「懐かしい顔が揃ったような戦いだったわ。…カネキ君やトーカがいなかったのも似ていた理由かもね」
「…」
捜査官にしても喰種にしても、広い世界ではない。
カネキや0番隊のように、捜査官側から喰種側へ立場を変える者は少ないだろうが。身を置く場所を変え、皆が廻るように相対する。生きていれば。
「そういえば大きな作戦だったのに、ハチ公の姿を見かけなかったわね。素行が悪くて降格でもされた?」
ついでにという風情で、因縁の相手を思い出した入見が皮肉っぽく笑みを浮かべた。
「…鉢川准特等は殉職された」
「──…。そう」
「作戦前の、ル島への潜入調査で亡くなられたそうだ」
「……じゃあ、私たちが戦ってた島のどこかに…、アイツの骨が転がっていたのかもね」
「………」
ゆっくりと瞬きをして下げられる視線。
真っ直ぐに落ちる黒髪が揺れた。
死を悼むような同情心ではないだろう。
しかし死者となった鉢川を貶める憎しみも窺えない。
心の何処かが、すとんと抜けて落ちたような、一瞬の停滞。
それもまたすぐに戻る。
「アナタたち捜査官もそうだけど。店長がいた頃と比べて、喰種の面子も様変わりしたわ」
店長がいた頃とは、いつを指すのだろうか。
入見がグループを率いていたのは十数年前。"店長"と呼んだ喰種が表に立った作戦は数年前。
丈が記憶を思い起こし、入見は独り言のように呟いた。
琥珀を眺める。
「…彼女のこと、店長が気にしていた」
入見の指す琥珀とは、捜査官であった琥珀のことか、それとも捜査官となる以前か。
しかし琥珀と喰種との接点は少ない。
店長と繋がるような状況を想像できず、丈の表情は疑念と警戒が混じったものになる。
手の中の新聞が僅かに音を立てた。
「アナタもそんな顔をするのね」
「………」
「喰種を目の前に民間人の保護を優先するようなお役人だって思ってたけど。彼女が絡んだせい?」
「……。店長とは"梟"のことだな」
「そうよ」
「琥珀とは、いつ話を…?」
「はっきりとは覚えていないわ。彼女が制服姿だったってことくらい」
「"梟"は…"隻眼の梟"の血縁なのだろう」
「………」
黒い瞳が細まる。
しとしとと降る雨と音楽が店を包む中、トーカが四方を巻き込んで掃除に勤しむ音が聞こえてくる。
古間が琥珀に、本棚の整理について熱弁を振るう声がする。
「芳村さん──…だから気にしたのね。自分の娘と同じ隻眼の…彼女のこと」
「………」
「私や他のスタッフも、芳村さんの全てを知ってた訳じゃないわ。ただあの──4年前の戦いの時は、私たちの誰もが自分自身のために行動した」
守りたかったもの。
助けたかったもの。
入見や古間は拭えぬ過去への想いに。
芳村は守りたいものの未来のために──…それはトーカであり、カネキであり、店で働いていた者たち。そして"隻眼の梟"だった。
"隻眼の梟"の存在を肩代わりした芳村は、すべてを抱えて戦いに立った。
しかし、20区の作戦でCCGが狙った"梟"は二体──。
「彼女もあの夜、いたのでしょう?」
0番隊に所属していた琥珀も、あの場にいた。
「私も古間君も、有馬貴将以外の0番隊の顔は確認できなかったけど、あの地下道は…厳しかったわね──」
「琥珀は地下には降りていない」
言葉を遮られて入見の唇が閉じる。
丈は続ける。
「作戦には参加していた。…だが有馬特等からの指示で別の場所にいた」
今でこそ、有馬とエトが繋がりを持っていたことが一部の仲間に知らされた。
しかし4年前、あの場ですべてを知っていて動いた者は極僅か。ほとんどの者は知らずに戦った。
有馬もエトも二人が望むもののために動いていた。
予定調和のように互いの仲間の命を削り、殺し合い、庇いながら。
目的以外に気を取られれば、忽ちに失うことになる。
守りたいなら、誰かの手が及ばないように遠くにやってしまうのが一番だ。
有馬もエトも、芳村も。彼らの心の根底にあった想いが何であるか、いなくなってしまった彼ら以外には理解しようもない。
しかし誰もが、譲れないもののために動いていた。
「──アナタとは殺し合った仲だけど。……店長は戻らなかったけど。…それぞれが選んだ選択よ…」
入見はテーブルの珈琲に視線を移した。
彼女に何か言うつもりもないわ、と。
「少し…懐かしくなっただけよ。私は遠くから見ただけだけど……彼女と話した後の店長は、なんだか嬉しそうだったから」
入見の口調から考えて、芳村エトは店には訪れなかったのだろう。
「彼女を見たのは一度きり。店には来なかったわ。…喰べるに困らない喰種には必要のない場所だもの」
それは、懐かしさと共に充足感の織り交ざった微笑だ。
"ブラックドーベル"の活動には空白がある。
"魔猿"と呼ばれる喰種グループにも。
同じ時期に活動していた二つのグループは、これもまた、ほぼ同時期に姿を絶った。
消滅したとも潜伏したとも噂された彼らは、数年後、梟と並び20区に現れた。
「"あんていく"も、この店も、仲間には手を貸すわ。でもね、…ふふ、もちろん無償ではないわよ?」
姿を眩ましていた間、彼らが何をしていたのかは丈の手元にある。
どのような心の変化があったのか、何を想ったのか。他人には知り得ないことがある。
ただ、芳村という店長の元で過ごした月日は、入見にとって心地の良いものであったのだろう。
湯気が消えてもなお、芳ばしく薫りの立つ珈琲が伝える。
「古間君も、無駄話を聞いてくれる後輩を欲しがっていたし──。アナタが見た目に反して凡庸じゃないことは私が十分に知っているし」
「………」
含みを持つような言い回しが、動きにも移り現れる。
入見はからかうように身を乗り出した。
「彼女を苛めるつもりはないの。だからそんなに睨まないで、安心して頂戴。平子君?」
テーブルに乗せた肘に身体を寄せて丈に近づく。
ばさばさばさっ──
床に散乱した本を、琥珀が慌ててしゃがんで拾う姿が見えた。
手伝ってしゃがむ古間に何度も謝る。
「雰囲気に出る子よね。ぴんと耳を立てて、全身でアナタを気にしてるのが良くわかるわ」
「…あまりからかうな」
「少しぐらい良いじゃない。トーカもヒナミも落ち着いてきちゃって、年長組は寂しいのよ」
退屈そうに唇から息を零す。
「それに、暇なの」
粗方の掃除も終えてしまったトーカが、「もういっそ店閉める?」と据わった眼差しで窓を見て、四方が「…まだ早い」と嗜めた。
「あの二人よりも琥珀は年上だが」
「あら、そういえば」
そうだったわね、と顎にほっそりとした指を宛てた。
欠伸を洩らしてしまいそうな余暇を促すように。
しとしとと降り続ける雨はまだ止みそうにない。

一方、その頃。
「フフ。どうやら気が散っているようだね?琥珀ちゃん」
「す、すみません…古間さん…」
「そんな時にはやっぱり掃除が一番さ。眼前の棚が整えば心も整うってね」
「眼前の…」
「まあ見てごらん、前に僕が整えた上段の本棚を──」
「(入見さん…綺麗な人。丈さんのこと…知ってるのかな?…捜査で会ったとか…?)」
「先週整理したんだけどね。それからなんと!ずっと同じ配置のままさ」
「(丈さんはずっと同じ階級で…長い時間をかけて追いかけてる捜査対象も多かったし)」
「やっぱり最初に整えておくと、本を戻す人も丁寧に戻そうって気持ちになるんじゃないかな。うん、やっぱりね」
「(同じ…変わらない…。入見さんってやっぱり美人。"ブラックドーベル"の資料は何年か前だけど…歳も丈さんと同じくらいかも……?)」
「"ノルウェイの掃除"とか、"清掃団長殺し"とか。人気作家の本を読む人は、扱いも丁寧だ」
「そうですね……やっぱり、その本のラインナップが問題なんだと思います。変わらない本棚…実は先週から手に取る人がいなかっただけではないでしょうか」
「うんうん。全く話を聞いてないみたいで鋭いツッコミをするね、琥珀ちゃんは」


171117
[ 129/225 ]
[もどる]