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「#エロ」のBL小説を読む
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un take.

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喫茶店──「:re」。
そこに集うのはコーヒーを求める客ばかりではない。
軽食を口に運ぶ人間。
情報の交換に訪れた喰種。
彼らをもてなす喰種。
または仮の住まいとする──…

「トーカちゃん。何か手伝えることはある?」
昼時の店番をベテラン組に任せたトーカが在庫の確認をしていると、掃除を終えた琥珀が顔を覗かせた。
隊の皆が、情報収集や訓練、隊で用意した他所の拠点とを行き来する間、琥珀はカネキやトーカたちの手伝いをして過ごしていた。
主な仕事は喫茶店の雑用や建物各階の掃除など。
店の部分は古間が、他のフロアはトーカが一通り教えた。
にこにこ、ふわふわと笑んで説明に耳を傾ける琥珀の姿は、年上であることをトーカの頭から忘れさせる。
「だから、良いんだってば。琥珀さんはここで待機しててくれれば」
「でも──」
「掃除して備品の整頓して買出しも行ってくれて、ずっと働いてるじゃん」
わりとこき使ってると思う。
「それは生活の一部だし…」
「上の部屋も人に貸すことあったけど、今が一番綺麗な状態なんだって」
店を切り盛りする中で、カネキがこちら側へと戻り、仲間となった喰種も増えた。
彼らとも連絡を取り合うことになり慌ただしい今、手の届かない部分を埋める琥珀の存在はトーカにとっても有り難かった。
琥珀自身も外へ出たついでに、アキラの見舞いや他の喰種の元へ顔を出しているらしい。
「だから遠慮とかしなくていーの」
ぐいぐいと倉庫から追い立てるようにしながら、トーカは持ち出した包みの一つを琥珀に押し付ける。
「あとコレ、今回の食事ね。あんま量なくて悪いんだけど」
「そんな…私、この前貰ったばっかり──」
「いいから、昨日だって手伝ってもらったじゃん。それにいざってときに空腹で動けなかったらアタシらも困る」
「あ……」
ありがとう、とおずおずと受け取る琥珀に、トーカは満足気に笑う。
喰種であり元・捜査官。
人間の祖父に育てられたため喰種の流儀も知らない。
はじめて食事を渡したときも、ぱちりと瞬きをしていた。
少し、昔のカネキに似ていた。
「(アイツみたいにビビったりはしなかったけど)」
包みをちょこんと手に乗せた琥珀は、芳村が食糧を渡していた喰種たちを思い出させる。
「そうだ。平子さん、午後になったら戻るって四方さんから連絡きた。だから部屋にいなよ」
喫茶店に続く扉を開けてトーカは振り返る。
店に射す真昼の陽光を採り込んで、一瞬だけ廊下が明るく照らされた。
「丈さんが──?」
琥珀の表情も、光と共にふわりと彩りを増した。
丈の名前を口にすると零れるあたたかな微笑みを、本人は知っているだろうか。
それじゃあねと扉を閉めて、つられるようにトーカの表情も自然と笑む。
主人として、この場所が、この店が、誰かの役に立っているという実感は中々悪くない。
「(…後でコーヒーでも──)」
運んでやろうかとトーカは思ったが、二人の時間に割り込むのも野暮かと取り止めた。

廊下が薄暗さを取り戻し、琥珀は弛んでしまった頬を押さえた。
皆が忙しい中で一人はしゃいではと自制する。
それに、帰ってくるとは聞いたけれど、またすぐに丈は出掛けてしまうかもしれない。
ほんの少しだけ、しゅんとする気持ちを抱えながら琥珀は階段を上がった。
お邪魔します、と休憩室の扉を開ける。
喫茶店のスタッフが利用する休憩室には給湯用のガス台がある。
今は無人だが、丈や隊の者がいる時はここで食事を用意することもあった。
「(これは…そのままで喰べちゃうけど…)」
狭い調理台で、密閉された包みを剥がしてゆく。
冷蔵保存されていた肉の塊はひんやり冷たい。
はじめてこれをトーカから渡された琥珀は驚いた。
これまでに喰種の仲間を持ったこともなく、食べ物を分けて貰ったこともなかった。
戸棚から出した皿に乗せ、コップに水を注ぐ。
ナイフとフォークもテーブルに配置してソファーに座る。
「いただきます──」
一人きりの部屋に声が溶けた。
局ではない場所で、こうして一人きりの食事をしていると子供の頃に戻ったようだ。
静かであることも。
食事が、スープ状ではない"塊"であることも。
飲み込んでぽつりと洩れる。
「…。丈さんが帰ってきちゃう」
丈が帰ってくるのは嬉しい。
けれど、血の滴る食事風景は見せたくない。
育ての親であり、医師であった祖父と叔父にはある意味の"慣れ"があった。
琥珀のために食事を調達し、さらには「旨いか?」と感想を訊ねるような、突き抜けた感覚すら持っていた。
いや──、
「(私が安心できるように…、)」
言葉をかけてくれたのだ。
喰種も人間も、どんな生き物も、食べなければ生きてゆけないと。
「──…」
止まってしまったフォークを動かして、琥珀は最後の一口を運ぶ。
コップの水を一気に飲み干し「ごちそうさまです」と食器をまとめた。
その時、扉を叩く音がした。
「丈さん──…?」
反射的に振り返ってソファーから立ち上がる。
静かに急いで扉を開けると、予感の的中に思わず声が弾む。
「──おかえりなさい」
「ただいま、琥珀」
コート姿の丈は、上着の襟で口許まで深く埋まっている。
今は顔を隠す役割も果たしているのだろうが、もふもふと暖かいその格好に琥珀は思わず微笑む。
「早かったのね…。午後は?またお出かけ?」
「ああ。…お前を呼びに来た。午後は一緒に来てほしい」
「私も?」
どこか気の乗らない声の丈に、「入って」と勧める。
琥珀は以前、丈の手伝いをしたいと伝えていた。
丈もそれには理解をしてくれたが、けれど"黒山羊"の活動に琥珀が参加することは本意ではないらしい。
たまに不満そうな雰囲気が滲む。
「他のみんなは?」
「今は別行動だ。向こうで落ち合う」
少しずつ譲り合い、共にゆく。…丈の方が、琥珀の我が儘を聞く部分が多いかもしれないが、今はそれで落ち着いているように思う。
「えっ……あの子たちだけで…大丈夫?」
「"気を使ってあげる"だそうだ。…お菓子で手を打つと言っていたぞ」
コクリアの一件で放り出された不安を、琥珀は今も覚えている。
大切に想われて。
大切に守られて。
大事に大事に、遠い場所に仕舞われて。
けれど、自分一人が無事であっても意味がない。
外に出た時、待っていてくれる人がいなくては意味がないのだ。
「少し待ってて。片付けをしたら、すぐ支度するから」
だから、ついて行く。
足手まといにならないように。
局から離れようと、いや、何処へ逃げようと、自分一人に出来ることなどたかが知れている。
喰種という、人間しか口にできない不便な存在だ。
その食事すら、この店の世話になっている。
いつかは…自分で解決しなければならない。
そんな琥珀の考えが伝わったかのように、丈が、ああ、とテーブルに目をやった。
「──食事中だったのか」
邪魔をしたと言いながら、手を伸ばす。食器に。
やや赤い跡を残す、その皿に。
「洗っておく。琥珀、お前は支度をし──」
「!!」
てていいぞ、という丈の親切は、琥珀がソファーから掴んで押しつけたクッションで潰れた。
ボフン──ッ…
天日干しされた匂いが丈の顔を包む。
「………」
丈の顔面を押さえたまま琥珀は視線をはしらせる。
すっかり忘れていた。
どうしたらいい?
丈を廊下に追い出す。
このまま?後ろ歩きで?
とにかくこれ以上見られてはだめ。
血の着いた食器を。
極少だがスプラッタの痕跡を。
フル回転する琥珀の思考を止めたのは丈の声だった。
クッション越しの籠った声で、琥珀、と。
「…一体なんだ」
「…えっと、…あの……自分で片すから……その…」
「…それでこれか」
「そ、そと…、出てて………?」
「………」
噛み合わない会話に何となく怒らせたような雰囲気。そう思った時にはもう遅く、琥珀は捕まっていた。
丈の腕が腰を抱き寄せ、驚いた拍子にクッションも落とした。
「琥珀」
「…きゃ、…や──っ…、みちゃだめ…っ」
「何をだ」
「………ぉ、お皿…」
静かな溜め息が落ちてくる。
お皿を見ないでとは言ったものの、琥珀には丈を見返す勇気も湧かない。
皿の上にある食事の痕跡は紛れもなく血液の赤だ。
琥珀、と。また呼ばれる。
「…お前の思っているような気持ちは…たぶんない」
「どうして…」
「…生肉だと思っている」
「そんなの………無理…ありすぎ」
丈らしい淡々とした物言いに、少しだけほっとする。
しかし情けなくて、抱き寄せる胸に、琥珀は額をつける。
どうしても、生理的に受け付けないものが誰にでもある。その最たるものこそ共喰いであり、喰種が忌み嫌われる理由だ。
丈は、喰種である琥珀を受け入れてくれる。けれど、すべてを見る必要もないし、…わざわざ目にする必要も…ないと思う。
握り締めた手の中で丈のコートがしわを作った。
「喰種も、食べなければ生きて行けない。…それは人も同じだ」
かけられた言葉に琥珀が思わず顔をあげると、丈の手のひらが包み込むように頭を撫でた。
頭のかたちに添って、ゆっくりと動く。
「霧島から貰ったのか」
優しげな声色に思わずコクリと頷いた。
「店の手伝いも、順調なようだな」
「…みんな、優しくて…色々教えてくれて」
気持ちがほどけた琥珀の表情がやわらぐ。
「昔の…店長さんの頃から、そうだったんだって。仲間同士で助け合ってたって…」
教えてもらった話は、捜査官であった琥珀が見てきたものとはまるで違う。
喰種の眼を通して見た世界の、仲間の繋がり。
生きることが難しい世界の、ほんの一部分。
"あんていく"という小さな喫茶店に満ちていた穏やかな時間に、言葉が詰まる。
「──…。私ね……その店長さんに、一度だけ会ったことがあるの」
「…。」
学生の頃の自分が何も知らずに出会い、そして、捜査官であった自分は何もできずに通りすぎてしまった。
知っていたからといって、何かができたとは思わない。
ちっぽけな自分にそれほどの力は無い。
けれど…、ただ胸が締めつけられる。
「…その店に、また会いに行こうとは思わなかったのか」
「………うん…」
何故、と問う丈の視線に、琥珀は少し時間をかけて考え、それから答えた。
「……普通の生活が、大好きだった。だから…喰種の仲間ができたら……離れちゃうような気がしたの……」
あの頃は、あの暮らしがずっと続けば良いと思っていた。
何事も起こらずに大人になって、丈の幼馴染みとして過ごしていけたらと、ずっと願っていた。
少しして、その生活は変わってしまった。
しかしその変化のお陰で、今はこんなにもすぐ近くに立ち、丈に触れている。
同時に、誰かの哀しみの裏側で得た幸せに後ろめたさを感じてしまう。
けれどこの幸せを手離すことなどできない…。
「…今は頼れば良い。店の者にも、俺にも…」
丈は琥珀の髪に鼻先をうずめた。
抱いた頭を撫でながら視線をテーブルへ移す。
白に擦れた赤い跡。
微かに残る血の匂い。
それらは、捜査官という仕事に就いて見慣れてしまった光景だ。
驚きもせず恐怖も感じない自分は、一般人とはだいぶ感覚がずれてしまったのかもしれないと内心に思う。
…いつの頃かの自分なら、嫌悪も、抱いたかもしれない。
「…。一人での食事は味気ないだろう」
しかし今、丈は受け入れることができている。別のことを気にしてすらいた。
丈の食事には「一緒にいたい」と同席する琥珀が、自分は一人きりで摂っている。
声くらいかけたらどうだ、と。
丈の言いたいことを察した琥珀はくすりと笑う。
「私の食事は刺激が強いから、…丈さんには見せられません。それに、今日はひとりごはんだったけど…お店のみんなとか、万丈さんのところで食べることもあるし」
「………それは初耳だ」
あんなに重たかった気持ちを吹き消すように、丈は些細なことを気にしている。
「だって、喰種の食事の話だもの」
琥珀が手伝いや遣いで外出することは知っているが、そのついでに食事を済ませていたことは伝えていなかった。
「………。」
不満を表すように、丈は琥珀の腰を抱いたまま、反対の手で琥珀の唇に触れる。
ぷくりと柔らかく閉じたそこを弄り、ふに、と押す。
「……もぅ」
それでも食事に丈を同席させることはできない。
答えを求めるように見下ろす丈の指に、秘密です、と琥珀も指をするりと絡めて、そのまま手を繋ぐ。
「…そういえば、お前の実家にも冷蔵庫は二台あったな」
「──丈さん、覚えてるの…?」
「…あの中に保管していたのか」
「うん…」
「……。先生に連れられて初めてお前の家に行ったとき、台所を探して迷った」
「えっ……そうだったの?」
「早く琥珀のところに戻らなくてはと…焦った」
懐かしい家の思い出が誘われて、琥珀の顔が微かにほころぶ。
親を亡くしたばかりで泣いていた琥珀の、目蓋を冷やすために、丈は濡らした布巾を台所から持ってきてくれたのだ。
二人は幼くて、ろくに話もできなかったけれど。
「──片付けはしておく」
「…ん。ありがとう…」
あの頃から丈の優しさは変わらない。
食器を重ねてシンクに運ぶ丈の背中を琥珀は見る。
ほんの数ヵ月前に丈が暮らしていた部屋に重なった。
流れる日々は当たり前のようでいて、前触れもなく消えてしまう。
この店に、この場所に、いつまで留まっていられるか。
そのままでいられる時間がどれほどあるのかもわからない。
それでも、「おかえりなさい」と丈を迎えることが、「ただいま」と丈が戻ってきてくれることが、琥珀の今の最上の幸せだ。
丈が食器を置き、蛇口を捻る。
上着は着たまま洗うようだ。
少し狭いシンクで洗い物をはじめたその背中が、とても愛しく、可愛らしく見えて、琥珀は水音に紛れてそろりと近づいた。
少し勢いをつけて、琥珀はもふっと丈を抱き締めた。


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