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ナイトメア side-c

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「準備できた?」
玄関からリビングに向けて問うと、もう少し待って、と慌てる声が帰ってきた。
待っていると、上着の袖に手を通しながら彼女がやって来る。
襟を整えてはにかんだ。
「──お待たせしました」
弾む声は急いだからだろう。
狭い玄関の、隣に並んで靴を履く肩。横顔が近い。
流れて落ちる髪を耳にかけやると、照れたように可愛らしく微笑んだ。
「ありがとう、倉元さん」
「ん。じゃ、行こっか、」
琥珀ちゃん──

がばっ──!
勢い良く布団を跳ね上げ、伊東倉元は起きあがった。
「──っ…、」
自室はまだ夜の暗さに包まれている。
数ヵ月前、CCGに敵対行動を取った元・上司の平子丈。彼と共に姿を消した君塚琥珀。
その琥珀が夢に、いた。
しかも、
「………なんで同棲──…?」
してんだ俺は、と頭を抱える。
見慣れた玄関に馴染んだ彼女の姿は、きっと自身の記憶を切り貼りして作られたのだ。
周りから糸目と揶揄される目を閉じれば、淡い夢を、未だに鮮やかに描くことができた。
倉元を見て、にこりとやわらぐ瞳。
心地好く、相手をふわりと包み込むような空気を彼女は纏っていた。
近頃では仕事場も、それ以外の場所すらも、常に陰鬱な息苦しさに包まれている。
その原因こそ、数ヵ月前の出来事に他ならない。
コクリアの襲撃、有馬特等の殉職、平子上等と佐々木琲世の裏切り…。
はぁーーー。と。
強く息を吐いた。
全部を吐ききって、けれどチラつくのは彼女の微笑みだ。
夢の中でも、小柄な身体は上着を羽織ってなお、華奢だとわかった。
流れる髪を避けてやって現れた白い頬はふっくらとしていて柔らかそうだった。
琥珀は元上司の恋人で、自分の同僚で。友人だと思っている。
気安く冗談を言い合える、可愛らしい友人だ。
「…くそー………。めっちゃ近かった……」
静かな部屋に大きく響く時計の音。
針は早朝である数字を示している。
「──…」
倉元はもぞとぞと温い布団にもぐった。
出局はまだ数時間先だっつーのと、頭の中で眠り直す言い訳をしながら。

「…馬っ鹿だねぇ、…オトコって…」
午後の捜査を控えてざわつくオフィスの一角。
伊東班──自身の班のデスクで倉元は、大きなあくびをして誰にともなく呟いた。
「倉元さん…?」
「──ん?ああ、いや、こっちの話」
ひとりごと。
耳聡く聞き留めた武臣に軽く手を振って答える。
結果からいえば、夢の続きなどは見られなかった。
もちろん狙った夢を見られるとも思ってはいなかったが…、ちょっとだけ期待はしていた。
「そろそろ時間か?」
「はい」
「………っし。行くか」
気は進まないけどな、と内心に付け加えて、ギシッと椅子を軋ませて立つ。
班の面々も立ち上がる。
「…今日の任務は "けー班"のサポートだ。彼らが炙り出す喰種の囲い込み、及び駆逐を──…俺たちは行う」
気を抜くなと言葉を締めると、部下たちの低い声が返される。
かつての丈と自分たちのように。

囲い込み──。
とはいうものの、それが必要のないことは過去数回の任務で思い知っていた。
「(予想してなかった…わけでもないだろ──…)」
マンションの駐車場に追い込まれた喰種の断片で、その一角は赤く染まっていた。
キャハハッと享楽的な声をあげる同僚らを前に、倉元は表情を殺す。
「ってワケで、ボクらは駆逐に大成功でありますっ」
「ハハッ、何だよそれ。けーかん?警察官なの?」
血の匂いが漂う現場に似つかわしくない子供たちが敬礼を真似、はしゃいでいる。
"オッガイ"と呼ばれるQsの増設部隊だ。
新局長の肝煎りで編成された次世代のQsは、性能も、倫理観も、規格外だった。
「…バラバラ、だな」
「は?顔はハンベツできるから別にいいじゃん」
それにどうせ、雑魚だよ。
其処此処に転がる喰種の骸は、人形の組み立てパーツのようにカットされている。
興味を失った班長が、班員のもとへ行く。
「イトー班になんか言われたん?」
「バラバラ加工にクレームついたしムカつく」
「えー?運びやすくしてあげただけじゃん」
わざと倉元にも聞こえるように話ながら、黒い制服の子供たちは次の遊びを考えはじめる。
処理班の要請を終えた武臣が物言いたげに倉元を見る。
「………。」
「腐んなよ……これも仕事だ」
俺も同じ気分なんだからと、視線だけで倉元は答えた。
最近の任務では、ほとんどいつも味わう、砂を噛むような胸の悪さだ。
喰種への人権は認められていないが、このようなやり方は…良心のある者ならば目を逸らさずにはいられない。
「(見せつけてるって、部分もあるな…)」
黒い制服に身を包んだ彼らは、赫眼を隠すために目隠しのようなマスクを着けている。
初代Qsよりも人員を増やし、それに伴い任務も増加。よって高頻度で一般市民の目に触れるために、一応の配慮ではあるらしいが。
喰種駆逐数の上昇率、駆逐した喰種の骸の山、血生臭い任務風景すら、市民に晒すことを厭わない。
「(…CCGは変わった)」
自分も、上司であった丈も、多くの喰種を駆逐してきた。
行っていることは同じであるはずなのに。気分の悪さは増すばかりだ。
喰種に人権はない。
法律によってそう定められてはいるものの、これ迄のCCGは、人としての良識によって動いてきた。
しかしそれを取り払って、旧多は喰種を狩りに出た。
過激とされる動きは、しかし秘密主義を通してきたCCGに飽いた市民の関心を見事に引き込んだ。
破竹の勢いと鮮烈な成果は、"ピエロ襲撃"で混ぜ込まれた人間を殺したという捜査官たちの罪悪感も、興奮と高揚で塗り潰した。
だからといって、
「(ここまでするか──)」
赫包が馴染みやすいという理由から、増設部隊に使われたのはアカデミーの子供たちだ。
彼らは戯れ事の延長のように喰種を殺す。
捕縛などは念頭に無く、発見次第即駆逐。
残るは喰種の骸だけ。男も女も、子供すらも関係ない。
どちらが人殺しか。
もしそのように問われれば自分が何と答えるか、倉元もわからなくなる。
そんな時に、ふわりと微笑む琥珀を思い出す。
声をあげて笑う姿も、少し寂しそうに瞳を伏せる姿も。
──喰種は人間を喰べるのだから──
──怖れられるのは仕方がないことです──
時折、諦めたような表情を見せた彼女は今、一体どこにいるのだろう。
こうなることを予期して、丈と琥珀は姿を消したのだろうか。
琥珀の片親は人間だというが、喰種の特性を強く受け継いだ琥珀の扱いは、やはり喰種だった。
有馬が所有権を有していたが、それもクインケとしてであり、琥珀の命を保証するものでもなかった。
──私はまだ、戦えます──
任務のいかなる時も、どれほど傷ついても、琥珀はそう答えた。自分はまだ戦えると。
CCGに於いて、自身の価値を証明し続けなければ赦されない、そういう命だった。
「(なら…消える理由は十分だよな…。けど…)」
丈も琥珀も互いを大切に想っていた。
常に平静な丈が、琥珀にだけは然り気無く過保護になっていた姿を思い出す。
ただ、それを考えれば考えるほどに倉元が抱える違和感も増した。
有馬を殺害したとされる琲世。
その琲世──"隻眼の王"に付き従うように、丈と、丈の率いる0番隊もCCGを裏切った。
琲世の動機や経緯は不明だ。(先日、処刑された"隻眼の王"も、琲世ではないとの見解が信用できる仲間内で固まった)
頭を過るのは、琥珀の微笑みだ。
「(──そうであってほしいって、願望でもあるんだ)」
あんな風に笑う琥珀や、琥珀を想う丈が。
果たして有馬の死を願ってまでも、それを行うだろうか──。

喰種の能力を初代の彼らよりも濃く馴染ませた"オッガイ"は、鼻が利く。
従来の捜査は"調べること"を多く必要とするものだったが、彼らは文字通り"匂い"で喰種を嗅ぎ当てる。
「んー、近いねこれ。本命じゃないけど」
「"いー班"が、今日は王さま関係のアジト潰すって言ってたから」
「あー、それだよソレ。それで逃げる喰種だよ」
一つ目の現場を処理班に任せて、次の目的地へやって来た時、彼らの動きが止まった。
時折、轟、と強く吹く風に顔を向ける。
彼らの口にした"いー班"にも確かに任務は下っていた。少し離れた区画だったはずだが。
地図を頭に描く倉元へ、明るい髪色の班員が向き直る。
「ってことで僕たちもそれ、参加するから。ちょうどこっちに近づいて来るし」
「近づいて…?」
「…大人って鈍いな…ほら──」
言うが早いか、路地の奥から声が近付いてくる。
「お先にぃ」
他の子供らも了承もそこそこに走り出す。
赫子を持つ彼らには絶対的な自信があるのだろう。経験の浅さなどは考えもしない。
倉元は舌打ちをすると指示を出す。
「──、本部に通信、逃走中の喰種を発見と伝えろ。武臣もここに残って警戒」
「倉元さん…!」
「式までは怪我できない身だろーが。後から来い。──他は"けー班"のフォローに入る、行くぞ…!」

親を喰種に殺された。
だから同じように殺してやるのだ。
同じことをしてるだけ。それのなにが悪い?
「…ほんっとムカツク」
喰種も。喰種を殺せない無能な大人も。
焦った様子で路地から飛び出してきた喰種を串刺しにする。
何か言いたそうに口をぱくぱくさせて血を吐いて、癇に障ったから首を刎ねた。
「首だけ?余裕ないなあー」
「うっさいな──ッ」
「ハハッ、こわー」
自分と同じ、趣味の悪いマスクを着ける仲間の言葉を振り払う。
なにが捜査官だ。親を助けられなかったくせに。
なにが喰種だ。人間を殺して生きているくせに。
赫包がむずむずする。
耳が良くなり音がうるさい。
鼻が良くなり血のにおいばかりを感じる。
喰種を貫くこの瞬間。母親の顔がみえて、喰種の死に顔がゆがんで重なる。赫子がどくんと震える。苦しそうなのはお母さン?それとも喰種?
嫌いだ。嫌いだ。ゼんぶ、大嫌いだ。
あたたかい血と、冷たい罪のきもちとが混ざる。
死んだ。
死んでいく。
お母さんが死んで。
お父さんも死んで。
喰種が死んで。
ふと気がついたとき、仲間たちの笑い声が消えていた。
回りには殺した喰種が落ちていて。
けれども仲間も地面に落ちていた。
呻いているから死んではいない。──誰がやった?
良い匂いが鼻のおくをくすぐった。
甘いお菓子のような、懐かしい家のような、その匂いに振り返ると、女がいた。
少し哀しそうな顔をして、少し怒ったような顔をして見下ろしている。
腹部ニ振動──。
「ぁ………?」
身体が途端に重くなり、固い地面に倒れていた。
学校からの帰りみち、友達と走って、転んで頬を擦りむいたことを思い出した。絆創膏を貼らないとねって。お母 さん が、 おと う さ
目の前が真っ暗に

駆けつけた時に聞こえてきたのは呻き声とすすり泣きだった。
痛みと、母親を呼ぶ子供たちの声。
「倉元班長──」
「……、怪我人が先。追うのは後」
「了解です」
辺りの警戒を行いながら、怪我人の確保と救護を部下に指示する。
逃げ去る喰種を迎え討とうとしたが失敗した。喰種の目的は逃走らしく、"オッガイ"は捨て置かれた──、そういうことだろうか。
「(幸運といえば幸運……か?)」
カタンと物音がして、裏路地から跳び去る数体の喰種を倉元は目にした。
"オッガイ"ならば匂いで即座に見つけ出したろうが、生憎、人間の捜査官にその鋭さはない。
若干の歯痒さを感じながらも、また、喰種とて"生きること"こそが第一なのだと頭に過る。
好き好んで殺しを行う生きものは、生きものとして何かが欠落している。
屋根へと翔び移った数体の喰種が倉元らを窺い、立ち去った。
マスクやフードで顔を隠した異端の者たち。
その中にCCGの白いコートと、小柄な黒いコートの姿を見た。
今の立場上、その名を親しく呼ぶ訳にはいかなかった。
──人間を食べて生きているくせに、その喰種は殺しをしない──
倉元の心臓が跳ねた。
はじめて会ったときもこうだった。
立ち去る彼女の後ろ姿。
あの薄暗い病院のロビーで、自分は彼女と言葉を交わしたいと思ったのだ。
「なぁ………っ、…あんた──」
振り返る彼女が記憶の中の少女と重なる。
声をかけられるとは思っていなかったのか、やや驚いたように身動ぎをした。
それからフードの下の桜色の唇に人差し指を当てる。
優しげな双眸が細まって、困ったような微笑みを浮かべる。
赫子のマスクは着けていなかった。

「…敵わないよなぁ」
本部への報告を済ませ、駆けつけた救護班とのやり取りを終えると、入れ替わりに武臣が声をかけてきた。
「0番隊と…君塚捜査官でしたか…」
無口な性格の後輩だが、丈を信頼していたのは倉元と同様だ。
琥珀が0番隊と行動を共にしているのならば、つまり丈もどこかで動いているのだろう。
「報告するか?」
「…。自分は無口な性質ですので」
倉元は静かに笑った。


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