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4833(しばみみ!)

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くすくすとひそめた笑い声が聞こえる。
自分を呼ぶ、甘やかな琥珀の声だ。
もやが晴れるように眠気が消えてゆき、はっきりとした意識をもって目蓋を開く。
「おきて、丈兄。朝だよー」
カーテンを開けた琥珀がベッドの脇に座る。
こちらを覗き込むように首をかしげると、さらりと髪が流れた。
今は髪をまとめていない。局外での任務があると聞いていたので、まだ結ぶ前なのだろう──…
「………んっ?」
「んっ?」
耳が。
………けものの耳が生えている。
琥珀のふわりとした髪の…中から。
「どうしたの?」
かしげる小首に合わせて耳も動く。
フードは被れるのだろうか…とか浮かんだがそういう話では、ない。茶色くてバランスの良い三角形。柴犬?しば犬なのか、それは。短い毛足で深い密度。小刻みに向きを調整しているのは、まさか音を拾っているためか。ふわふわだ。触らせてほしい。いや触りたい。
…やけにリアルだ。
「………本物…か…?」
「丈兄、へんな顔。本物の私よ?」
夢でもみてたんでしょ。
琥珀はくすりと笑うと、俺の手が三角形のそれに届く前に立ち上がる。
「ね…。お仕事、遅れちゃうから」
伸ばした俺の手に指を絡めて逃れると、琥珀は「朝ごはんも。できてるからね」と部屋を出た。
…最近、ふと思う。可愛らしさもある反面、琥珀には時々、意識を離せなくなる香りが宿るように感じる。
華奢な指先にも。その視線にも。
琥珀の背中を見送っても残り香のように漂う空気は、くらりと甘い。
俺は身体を起こして、落ち着けと顔に手をあてた。
「………尻尾は無かった」
それが良いことなのかどうか、よくわからない。

琥珀が泊まりに来た日でも二人で揃って出局することはない。
琥珀が一度、部屋に戻るため、いつも途中で別れるのが定番となっていた。
しかし今日は琥珀の部屋について行き、それから共に出局した。
気になったからだ。
「(なぜ誰も言わないのだろう)」
柔らかそうな琥珀の耳は、同僚と挨拶を交わすたびに、ぴくぴくと向きを変えている。
到着したエレベーターの音が鳴ると、片方は正面に、もう片方は真横と、器用に動く。
「…平子上等、乗らないんですか?」
「………。いや…」
琥珀が先にエレベーターに乗り、それに続く。
隣で様子を見ていても、誰一人として琥珀の耳に目を向けなかった。至って普段通りだ。
そこから考えると、
@皆に犬耳は見えておらず、自分だけ幻を見ている。
A皆も犬耳は見えていて、自分は担がれている。
B琥珀の耳は実は以前から犬耳だった。
C不明。
「(……C。だが…)」
琥珀が窺うようにこちらを見ており、俺が目を向けると慌てて逸らした。
同じくらい──いや、それよりも顕著に動くふさふさの耳が、琥珀の視線が逸れた今も、こちらを意識していることを教えてくれる。
俺の衣擦れの音を拾うだけでも、ぴくんと反応する。
「(犬耳………)」
「──…。今日の平子上等、なんかへん」
茶一色と思っていたが黒も混じっている。
「朝から…なんだか、落ち着かないっていうか…」
内側は白く、外側よりも密度は減るが、毛足は長い。
「部屋にも…一緒に来るし…。わ、私のこと…よく見てるっていうか……」
髪との境目はどうなっているのだろうかと、目がいってしまうのも仕方がない…ことだと思う。
琥珀の言葉を聞きながら、つい、じっと見おろしてしまう。
幸いなことに今のエレベーター内は二人きり。
身体を一歩近づけると、うつ向いていた琥珀も、はっと顔をあげた。
大きな瞳を見開いて、耳もぴんと立つ。
「わっ……あの、えとっ…」
「………」
「その……違うの、やっぱり忘れてっ。…私、今日は自意識過剰みたい…」
やや横へと下がり気味になる犬耳に目を奪われる。
その下では頬を染めた琥珀が、本当にもう忘れて、と強調する。
そこでまた違和感を覚えた。
いつもなら頬と一緒に赤く染まる(ヒトの)耳はどうなった?
思わず、琥珀の頬のあたりから髪に手を差し込む。
互いの上着が擦れる距離から、さらによく見えるように顔を近づける。
「……!!」
──。
同時にエレベーターが目的階に到着した。
真っ赤になった琥珀が「ま、まっ、また後でねっ…!」と、俺の胸を押して先に降りる。
耳の位置に、耳はなかった。
「………。まあ…当たり前か」
エレベーターから降りる。
ロッカーに向かう途中、理由はわからないが、すれ違った丸手さんにからかわれた。
それから時間も過ぎて、一日も終わろうとする頃。
ロビーで再び琥珀と顔を合わせた。
不思議と、あの耳があるものだとして顔を見ると、それが当然のように思えてくる。
「平子上等、お疲れ様ですっ」
犬耳の琥珀が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「琥珀、今日は──…怪我はなかったか」
「心配しすぎ、丈兄。…見てのとおり大丈夫」
琥珀は自分のコートを見おろして、あらためて、傷も、ほつれもないことを見せる。
喰種の琥珀は傷もすぐに治癒してしまう。
任務中に怪我をしても、心配をかけまいとして「してない」と誤魔化すこともあるために、注意が必要だ。
もういい?と見あげる琥珀に頷いて答える。
ほっとするついでに、その頬に手を伸ばしかけて、ここが局であることを思い出す。
気がついた琥珀が照れたように瞳を細めた。
耳が生えていようと、生えてなかろうと、琥珀は変わらない存在で…一日を無事終えたことに安堵する。
「……心配、…してくれてありがとう、ね?」
「…ああ」
嬉しげに唇を結ぶ琥珀の頭で、耳も動く。
「今日もね。有馬さんについてくの、大変だったよ。それに、フードを被るとやっぱり落ち着かなくって」
「戦いづらいか?」
「うーん…」
フードは有馬さんの班の倣いではあるが、視界は確かに狭くなる。
琥珀がフードを途中まで引っぱり上げた。
「だって耳に当たっちゃうんだもん」
そうっと被せても頭に生えた耳をつぶしてしまい、しかめつらになる。
………。
耳──?
「琥珀…、耳と言ったか…?」
「え?うん。だって。穴がないとむずむずするし、不便でしょ?」
「………だろうな」
「そうそう。ほら、丈兄だって」
「?」
琥珀の言っている意味がわからずに言葉が止まる。
しかし琥珀は傍に来て、背伸びをしながら手を伸ばす。
「フードを被るとつぶれちゃう」
フードを持つ琥珀の手に、重ねた俺の手に…なにかが当たる。
夕闇に沈んだロビーのガラスに映る、室内の影。
俺と琥珀だ。
いつの間にか俺は白いコートを羽織っていて、フードを被せようとする琥珀も見える。
互いの手の隙間から覗くのは、三角の、茶色い耳。
俺の頭から耳が。
「………………………」
「戦うときも、ガサガサ音が気になって。有馬さんも不便って思ってないかなぁ…」
「有馬さん…も?」
「特等捜査官からのお願いだったら、穴の空いたデザインに変更してもらえたりして」
「琥珀…待て……」
「だって、これじゃあ捜査官全員が困っちゃう」
捜査官、全員?
言い知れない予感に見舞われて辺りを見る。
するとどうだろう。
エントランスを行き交うスーツの人々。彼らの頭には、総じて耳が生えている。
多種も、多様な。
「──二人とも、今から帰り?」
「あ、有馬さんっ。お疲れ様です」
「どうした、タケ?俺の頭を凝視して、何かついてる?」
「………はい、…立派な………」
タヌキの耳が。
黒に近い焦げ茶をしており、柴犬よりも毛深く、かどがやや丸っこい。
それもまた、よそから呼ばれる声にぴくりと反応する。
「よお、お前ら帰りか──って、平子、君塚、お前ら行きも帰りもイチャつきやがって」
「丸手さん」
「い、イチャついてなんかないですっ…!」
「ウソつけ。茹でダコみてーな顔してエレベーターから出てきたろが」
ケッ!と琥珀に絡む丸手特等の頭からは、灰色と茶色の混ざる、長い、うさぎの耳が──。
一体何がどうなっているのだろう。
丸手特等も足を止め、顔を会わせた三人が話をしている。
しかし声はあまり聞こえず、代わりに、がさがさと雑音が入る。
耳のせいか?
見ている光景とは合わない音。
クゥンと啼いた。
顔のくすぐったさで目が覚める──。

「あっ、もうっ、こんなところに入り込んで──。丈兄を起こしてくれたの──…?」
鼻先に冷たいものがあたって目蓋を開く。
黒い鼻とヒゲが視界を占領している。…毛深い、本物の、うちの柴犬だ。
「丈兄、おはよ。先に起こされちゃった」
「………」
「な、なに…?」
つい耳が生えていないかと琥珀を凝視してしまう。
結んでいない髪型は夢と同様だが、しかしその頭に耳は生えていない。
ベッドから起きつつ、慣れ親しんだ実家の部屋を見回す。
昨日までの正しい記憶を思い出して、今日は買い物に行きたいと琥珀が言っていたことも思い出した。
そうか、あれは夢で、今日は、
「今日はどこへ行くんだ…?」
「駅の方までっ」
部屋を自由に散策していた犬を抱えながら、琥珀が答える。

土日と重なった休日に、琥珀の足取りは軽やかだ。
人出は多いが、賑わっているのもまた楽しいと言う。
駅ビルのフロアを二人で見て回っていると、琥珀が足を止めた。
「あっ、ハロウィンのコーナーがあるよ」
オレンジと黒の飾りを手に振り返る。
肩越しに覗き込むと、食器や装飾品など、ハロウィンを意識した売り場が作られている。
琥珀が手にしたのは食卓の飾りで、その周囲には魔女のとんがり帽子やら、コスプレのグッズも置かれている。
食器類と髪留めを一緒に配置するのは如何なものかと、ふと考えてしまうが色々と事情もあるのだろう。
その内の一つを手に取る。
「…。」
琥珀の頭に装着した。
「ひゃっ…!?…なっ、なにっ?……耳??」
黒猫の耳が付いたヘアバンドを、琥珀の指がおそるおそる確認する。
「…あの…えっと……」
夢の中と同じように戸惑う瞳。
「に、…似合…う、かなぁ……?」
「………。違和感はないぞ」
「ほ、ほんと?」
「ああ。だが…」
「だが?」
「犬の耳はないのか」
「それは……。ちょっとマイナーだと思う」
犬の耳もかわいいけど、と琥珀は猫耳を指で動かす。
その手と頬の間に俺が手を差し込む。
あの場所では触れたくても触れられなかったが、今なら叶う。
琥珀の手触りがした。


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