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木洩れ日に蜜

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昇任式を控えた午前中、局内はそわそわと落ち着かない空気に包まれている。
昇任を果たす者、誉れの言葉を受ける者、あるいは彼らを見守る者。
春のうららかな陽射しの元、軽やかな気持ちと幾らかの緊張の手先で、皆が業務を終らせつつあった。
「こんなに早く抜けてきちゃって…平気だった?」
「早い方が他の局員もいない」
「………」
「…。今日は大した仕事もできない」
更衣室から出てきた丈が琥珀を見下ろす。
目立つ上着はまだ羽織らずに、腕に抱えている。
「行くぞ」
「うん…」
まだ遠慮の抜けない琥珀の背中に手を添えた。
琥珀は小さく驚いて肩を揺らす。それから、おずおずと丈のシャツを掴んだ。
式典が始まるまで、もうしばらく時間がある。

「…お前が式に出ても問題は無いんだろう?」
無人の廊下に二人の足音が響く。
「問題はないけど。これは、私の…気持ち的なことだから…」
ゆったりとした丈の足音と、それよりも間隔の短い琥珀の足音。
昼休みの時間帯となり、本局別棟の窓口は閑散としていた。その前をするりと通過して、二人は琥珀に宛がわれている部屋へ向かう。
陽射しの強くなってきた外とは一転して、屋内にはひやりとした空気が溜まっている。
どちらが先だろうか、いつからか繋がれた互いの手が歩みに合わせて揺れる。
今日の昇任式に限らず、琥珀は局の行事にはほとんど出席しない。
琥珀の立場は微妙であり、肯定的に見る者もいれば、そうでない者もいる。
混ざる体温を見下ろしながら、気にしなくていい、という言葉を丈が呑み込んだ時、折良く部屋にたどり着いた。
琥珀が鍵を開けて、まず部屋に入る。
続いて入ろうとした丈を琥珀が止めた。
「あっ、……ちょっと待ってね」
「…散らかっているのか」
「違いますっ…!」
そういうんじゃないのっ、と何故か怒られて、丈はドアの外で待つ。
目の前で閉じられたドアと見詰め合うこと十数秒。
ガチャリと硬い音を立ててドアが開き、琥珀がそろりと顔を出した。
「えっと……お待たせ…しました」
どうぞ、と、緊張と照れの混ざった表情で丈を迎える。
琥珀の居住する部屋に物は少ない。
本人もそれを気にしてか、あまり他人を呼びたがらない。
それこそ、気にしなくていいと丈は思うのだが、琥珀本人にとっては…そうではないらしい。
先を思い、枷を付けること。
いずれ遠くはない日に手放すことになるのならと、琥珀は必要なものしか持たずに生活をしている。
琥珀の部屋に丈が入ったことは過去に数回しかない。
しかし記憶ははっきりと残っていて、記憶と目の前の室内とは、寸分も違わない。
スーツと私服の掛かったラックと、下には収納ケースが幾つか置かれている。
ベッドがあり、椅子がある。一人用のテーブルには栞の挟まった文庫が置かれている。
小型の冷蔵庫には水とコーヒーが入っているのだろう。
「…。」
「パジャマを仕舞い忘れてただけで…。丈兄が来るから、ちゃんと掃除はしてたもの…」
そんな言い訳をこぼす頭に手を置けば、琥珀は機嫌を直して、ちょこんとベッドに座った。
さあどうぞ、と。
琥珀の言わんとすることを受け止めて、丈が息を吐く。
式には出席しない琥珀が丈の礼服姿を一目見たいとお願いをした。
そのために丈は早めに着替えを済ませたのだ。
上着に袖を通して、襟を整える。
久し振りに着る礼服は少々きつく感じた。
何故だろうと理由を考えて動きを止めていると、ほぅ…と感嘆のため息が聞こえた。
顔を上げると、琥珀が「かっこいい…」と、ゆるむ頬を押さえていた。
「…そう変化もないだろう」
「そんなことないっ…!スーツの丈兄も好きだけど…式典用の特別感っ」
静かに興奮した目差しを向けられて、丈は照れから来る居心地の悪さを感じた。
もう脱ぎたいと目で訴えると、琥珀は「もう少しだけっ…」と首を振る。
琥珀の感情はいつもまっすぐだ。
自身の想いも、他の者への想いを語ることも、惜しまない。
それが丈に向いている時は心地好く、余所へ向けられれば嫉妬も覚える。
心が狭いと、丈も自分に呆れを感じるが、そればかりはいつになっても抑えられない。
取り留めのない考えだが、もし他の…例えば有馬のこの姿を目にしたら。琥珀はどんな言葉をかけるのだろうか──…。
やはりどうにも落ち着かず、上着の襟元に手をかけると、琥珀が、あっ、と声を上げた。
「丈兄、待って──」
ベッドから立ち上がって丈の前にやってくる。
「袖口、ほつれてる」
丈の手を取ると、縫い目から出てきてしまった糸を、軽く指で引っ張った。
「鋏って…あったっけ?」
「俺に聞かれてもな」
「ね」
二人で部屋を見渡して、琥珀が困ったように首を傾げた。
大きな瞳が袖口へと戻る。
丈は後で何とかすると言いかけたが、何を思ったのか琥珀は、丈に袖を上げさせると、顔を傾け、ぴんと張った糸に唇を寄せた。
桃色の唇が薄く開き、白い歯がちらと見えた。
艶やかに濡れた唇。
一瞬、赤い舌が覗く。
琥珀の小さな八重歯が糸を捉えた。
形の良い眉がしかめられて、きり…、と。
糸を噛み切った。
「──お化粧、袖に着いてないよね?」
そう、訊ねる声で丈は我に返る。
近すぎる距離に琥珀がいる。
角度を変えて袖を確かめるたびに、つむじが動き、顔を上げて心配そうに声をかけてきた唇は、丈が少し顔を下げれば簡単に届きそうだった。
「──、」
思った時には、もう触れていた。
驚いて見開く瞳を眺めながら、ふっくらとやわらかな唇に自身のものを押し当てる。
藻掻く頭を手で押さえ、反対の手で腰を抱き寄せた。
戸惑う琥珀の舌を絡めとり、苦しげな呼吸も喰らうように、深く、深く口づけた。
どちらのものともつかない程に交ざり合った唾液は、頭の奥を痺れさせるように甘い。
舌を逃してやって、今度はぬるりと歯列をなぞる。
先ほどの八重歯はどれだろうかと探りはじめたところで、丈は胸を叩かれた。
身体を離せば、真っ赤になった琥珀がいた。
まだ味わいたい気持ちもあったが、夢中になってしまったことを丈はほんの少しだけ反省した。
「……丈兄の…、礼服姿を見たいって…お願いしたのに……」
「…そうだったな」
琥珀が俯く。
「…近すぎて…これじゃ見えない……」
そう言いながらも丈の胸元に手を添える。
「…離れた方がいいか?」
今度は丈が訊ねると、諦めたように頭を預けた。
「もう…いいもん…。ぎゅって…してもらう心地を堪能するから…」
「いつもと違うか?」
「…うん…」
拗ねているようで、顔は見せずに丈に答える。
「…生地が硬いの」
「そうか…」
「うん──。…あとね、」
腕の中から顔を上げると、琥珀は丈の頬を手で包んだ。
背伸びをして、触れるばかりの口づけを返す。
乞うように。
せがむように丈を求めた。
背伸びの足りない分は丈が腰を抱き寄せ支えてやって、二人はゆっくりと口づけを味わう。
照れながら零れる笑みも優しく食んで。
少しずつ時間をかけて、それから身体を離した。
この場には二人しかいないのに、音を立てることを恥ずかしがるように声を小さくする。
「──いけないこと、してるみたい…」
逢瀬を行うには窓の外は明るすぎる。
皆は今頃、やっと昼食を食べ終わる時間だろう。
式に参列する支度を忙しなくはじめる。
「…ばれないうちに、丈兄は戻らなきゃ」
けれど言葉とは裏腹に、琥珀の頬が丈にの胸にくっつけられる。離れたくない心のままに。
丈も琥珀の頭に顎を乗せた。
背中に回される弱い腕の力を感じながら、しっかりと、小さな背を包む。
時計の音が小さく聞こえる中、もう少しだけ抱き合った。


170920
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