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「#幼馴染」のBL小説を読む
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前髪のしたから見る世界

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前を歩く彼女の背中は迷いが無い。
どの途が、目的の場所に最短で辿り着くのかを知っているようだ。
けれど、「ここは知ってる場所?」と訪ねると、彼女は少し考えるように瞳をくるりと游がせ、それから首を振った。
「ううん。知らない場所」
でも、たぶんこっちで大丈夫。と。
にこにこと笑って手を引いた。
何が大丈夫なのかはわからなかったけれど、彼女が言うのならそうなのかな、と、そんな気分になる。
彼女はそういう人だった。
正確には、人、ではないけど。
前を歩く小柄な背中。
こつこつとコンクリートに踵を鳴らして、繋がれた手が同じリズムで揺れている。
「…子供みたいだ」
握り直せば隠せてしまう、自分のものより小さな手。
「──うん?理界君、何か言った?」
「何でもないよ、琥珀」


0番隊の隊長が外出する時。それは周囲への注意が必要になる。
佐々木琲世と同様に、平子丈もまた重要指名手配犯として世間に面が割れているためだ。
「寒い時期はいろいろ着込めるし、変装しやすいかも」
「値札取ったよ」
「ありがとう」
といっても当の本人は、変装というほどの事をするつもりもなく、したとしても、帽子を被る程度だった。
「眼鏡はやっぱり基本で……あとあとっ、コートも首元までしっかり留めてね──…」
そのため、午前中に理界を伴って外出した琥珀は、楽しくアイテムを買ってきたわけだが。
「わあ!タケさん、なんか違う!」
「…ちょっとカッコイイっぽい」
「すごいね琥珀。サイズもぴったりだ」
「うん…良かった。……(どうしようもふもふでものすごく丈さんが可愛いの………)」
「………。」
隊員たちの好き勝手な感想の中、普段とは別バージョンの丈に琥珀がときめく。
反対に楽しまれた丈は、着付けられる自身と昔話の「傘地蔵」を重ねていた。
が、気づいた者はもちろんいない。
「琥珀、………暑い」
「え?…あっ、あっ、だめっ!まだ見てたいのにっ」
「…。」
丈の手がファスナーを下ろそうとするも、琥珀が慌てて遮る。
襟元にファーの付いたダウンジャケットが丈の顎を再びもふもふと温め、やや太縁のスクエアフレームの眼鏡も掛け直された。
大体において丈は、動きやすさと楽さを第一に考えるために(そして本人の興味が薄いため)、装飾も小物の類いも好まない。
そのため、この程度の違いでも…何というか…
「…タケさんじゃないと思う」
フローリングに胡座をかく夕乍が顔をあげた。
「ねっ。これならタケさんの前の班の人に会ってもばれないんじゃない?」
隣で体育座りをする士皇も同じように丈を見上げる。
「…そこまではどうかな」
「じゃあ夕乍、賭ける?」
「…負けたら0番隊的にアウトだよ」
顔を見合わせるこの二人もラフな格好をしていた。
午前中、琥珀と理界は買い物に、丈は用事のために外へ出ていたが、その間、士皇と夕乍は喫茶店で待機をしていたのだ。
「いいなぁ。僕も行きたかったなぁー」
「…どっちに?」
「どっちでも!」
丈を追う捜査官たちには、同じく離反した隊員の資料も渡されているはずだ。
丈ほどではないにしろ、彼らもまた、外を歩く際には気を遣う立場にあった。
しかし窮屈な隠遁生活は、年頃の好奇心を持つ彼らにとっては退屈だ。部屋に籠りがちの日々に厭きる気持ちもあるだろう。
丈が、その事についてだが、と口を開く。
「先日、"黒山羊"の顔合わせを行った講堂を覚えているか」
「講堂?」
「…ほら、白スーツが絡んできた」
「あー」
士皇と夕乍が顔を合わせる。
先日、カネキケンを中心に喰種たちが集まった。
主なメンバーは、過去に"あんていく"と呼ばれた喫茶店に集っていた喰種と、"アオギリの樹"を構成していた喰種グループの首領が数名。
そしてコクリアから逃れた喰種たち。
カネキが彼らのリーダーとなり、新たな組織"黒山羊"を設立した。
「あの施設はカネキの仲間の月山が管理をしている。今後は、あの場所を訓練場として使う」
「っていうことは?」
「いつでも戦えるよう、準備を整えておけ」
「本当?やった!」
丈の言葉に士皇が歓声をあげた。
ここに閉じ込められているより、多少でも外へ出たいという気持ちが勝るのだ。
訓練の先に待つものが戦いであっても。
夕乍も静かに目を輝かせた。
「…タケさん。午後…、そこに行ってもいい…?」
「ああ。ただ外へ出るなら必ず二人以上で行動しろ」
「はい」
「夕乍は訓練よりも散歩したいんでしょ」
「……」
「長時間でなければ構わない。…気をつけて行け」
「……うん…」
考えを見通された夕乍はぽそりと小さく頷いた。
白日庭出身の彼らは世間と接することが少ないままに育ってきた。それゆえに、同年代が過ごす"日常"の経験も少なかった。
"庭"やCCG、任務で訪れる場所ではない、それ以外の街中は0番隊の子供たちにとって平穏で平凡で、そして目新しい。
「理界も行くでしょ?午後」
士皇に話を振られて、後片付けをしていた理界が手を止める。
「僕は、そうだな──」
用事を割り振られた時以外の時間を、三人は一緒に過ごすことが多い。
仲間意識というのもあるが、年長の理界は、活発な士皇とマイペースな夕乍をまとめる役でもある。
「うん。一緒に行こうか」
静かな"庭"を不満に思うことはなかった。
それ以外の物事を知る機会が限られていた。
しかし雑多な音と色に満ちた外の世界を知って、もっと触れてみたいと感じた。
外の日常というものに関心を持っているのは他の二人と同じだ。
綺麗に長さの揃えられた前髪を揺らして理界は、ねぇ、と琥珀を見た。
「琥珀も一緒に行こうよ」
丈と午後の予定を話していた琥珀の瞳が瞬く。
「私も?」

午前中は紙袋で塞がれていた小さな手。
今は士皇の手が繋がったり、離れたり。
琥珀の手は人気が高い。
「お昼なのに。人、多いね。学校は休みなのかなぁ?」
「三学期だからかな。ひまなのかも」
士皇に答えつつ、時々立ち止まる夕乍にも振り返りながら、琥珀はゆったりと歩く。
「…三学期って年度末みたいなやつ?」
「…ちょっと言い方が違うけど。そんな感じ」
別々の方向へと動く二人。
彼らの質問は取り留めがなく、興味の惹かれたものへ飛んでいく。
平日の、どこか間延びした空気の中。駅前の大通りを通過するあいだにも二人は、学生っぽいグループや、雑居ビルの狭い入り口すらにもコメントを添える。
飲食店の看板の手書きのメニューを「お揃いだね」と通りすぎて、今度は明るい店内を見透せるガラスの大窓を覗き込んだ。
こっちはヘアサロンのようだ。
「…髪切ってもらってる人って…」
てるてる坊主みたいだよね、と夕乍がと呟くと、士皇が軽い足取りで戻ってきた。
「僕もねー、理界に昨日切ってもらったんだ。夕乍もそろそろ切ってもらったら?」
「…まだいいよ」
「だって、くるくるじゃん」
「………。お互いにね」
むっとしたように言い返す頭が追い付くのを待って、琥珀は、「二人ともふわふわだよ」と笑った。
琥珀の髪も、揺れる。
明るい色のかつらを着け、一見すると…
「(別人みたいだ)」
けれど、ふわふわしている琥珀の雰囲気は変わらない。
会話を聞きながら理界が三人の後ろを歩いていると、振り返った瞳とぴたりと視線が合う。
「理界君の前髪。いっつも揃ってるなぁって思ったら、自分でやってたんだね」
「少し…整えるくらいならね」
すごいねという素直な称賛が何だか落ち着かなく、視線を外す。
逃げるように顔を背けても琥珀は気にせずに話す。
「昔ね、前髪は自分で整えちゃうって友達がいて。私も試しにざくって切ってみたら…切りすぎて…ひどくなっちゃって」
くるくると、かつらの前髪を弄る指先。
それ見たかったなぁ。と士皇が笑う。
「またやってよ琥珀っ」
「えー、やらないよっ。伸びるまですっごく恥ずかしかったもの」
「…そんなに切りすぎたんだ」
「ゆ、夕乍君もそんなに見ないのっ、想像しちゃだめっ」
額を隠しながら、琥珀は反対の手で夕乍の目も隠す。
理界も何となく、前髪に興味を示した士皇の目隠しをした。
士皇からは「ずるい!」と不満の声。
琥珀からは「そのままでいてね」と賛成の声があがる。
今の前髪を隠しても意味はないと理界は思ったが、何となく、手伝うようなつもりで手が出た。
琥珀は雰囲気につられやすいというか、乗せられやすい性格をしているように思う。
それに加えて、
「琥珀って、たまに大雑把だね」
「えっ──…あぅ、……ええと、その………はい…」
反省したような、恥じ入ったような、もじもじと居心地の悪そうな様子で唇を結ぶ。
大雑把でありながら、反対に、敏感だったりもする。
たとえば、髪を梳かしながらドライヤーで丁寧に乾かしている指先であったり。
すこし背伸びをして、丈のネクタイを嬉しそうに整えている横顔だったり。
「(…女の子だ、って思うんだ…)」
そんなことを考えていると、目隠しの手から逃れた士皇が、くるりと理界へ振り返る。
「理界だって見たくないのー?琥珀のぱっつん前髪」
「あっ、士皇君っ」
「──…。」
ぱっつんというか、額の見える状態なら、理界も思い浮かべることができた。
風呂上がりとか朝などに、たまに全開だったりする、つるりとしたおでこ──…。
「…。さらに甘く見られるだろうね。いろんな人に」
「そ……なっ…、さらにって……!?」
反論が上手くできずに琥珀の顔が赤くなる。
「………琥珀。僕もそろそろいい…?」
その隣の夕乍が、目隠しをされたままの格好で琥珀に聞く。
自分でも手を外すことはできるのに、それをしないのは夕乍も琥珀と遊ぶのが好きだからだ。
「〜っ、……みんなしてっ…すぐにからかうんだから…」
拗ねる琥珀とは対照的に、士皇があっけらかんと笑う。
「だって、琥珀で遊ぶの楽しいんだもん」
「…琥珀と、って言ってあげなよ」
「あれっ。そうそう」
たとえば、学舎からの課題もない間延びした平日の昼日中。
あるいは、放課後から夕暮れまでの商店雑踏の無為な回遊。
穏やかゆえに無関心で通りすぎてゆく人々の中、理界も、皆も、その一部となって流れていく。
「(…これを平和っていうのかな。または、日常…とか……)」
白日庭に住まう者たちの成長の段階の間には、脇目を振る猶予など無かった。
ふらふらと路地を覗きに行く士皇と夕乍の後ろ姿を見ていると、確かに平和なのかもしれないと、理界は感じることができた。
「ねぇ、理界君」
「…何?琥珀」
「…みんなが育った白日庭って、どんなところだったの?」
「別に。普通のところだよ」
ふつう…と、琥珀の唇がすぼまって閉じる。
少し尖らせた唇を指で触りながら、考えるように黙り込む。
通りすがりに聴こえる、理界たちと同年代くらいの彼らの話し声。
人気の動画の話だったり、週末に遊びに行きたい場所の話だったり、気になる異性の話だったり。
とてもカラフルだ。
「そこで暮らしてたの?じゃあ…寮みたいなの、かな?」
「琥珀の想像する寮がどんな感じかはわからないけど。それで良いよ」
「そう…なの…?」
「うん」
それでいい、と理界は微笑む。
琥珀は知らなくていい。
"白日庭"を。
自身や、夕乍や士皇、有馬の育った場所を。
白くて。
静謐で。
いびつに歪んだ美しい庭。
自分たちの生まれはすこし複雑で。
けれど自分たちにはそれが普通で。
琥珀は知らない。
白日庭に育った者たちがどんな存在なのかを。
いつかは知ることになるかもしれないけれど。
でも。
でも、もしも。知ることになったら琥珀は──
「(琥珀は、泣いてくれるだろうか)」
反射した光が色を変化させるように、多くの感情を表す琥珀の顔は、とても鮮やかで綺麗だ。
士皇も、夕乍も、そんな琥珀を気に入っている。
白くて静かで美しいあの庭も悪くはなかった。
それ以外の世界を自分たちは知らなかったから。
有馬さんに教えてもらったから。
「琥珀」
「なぁに?」
「ここ、琥珀は知ってる道?」
「ううん。でも、駅はあっちで、こう歩いてきたから、あっちがたぶん目的地」
「……。」
たまに…いや、わりと、あの丈が不自然に黙る理由が理界にもわかった気がした。
「大雑把だね」
もう一度さっきと同じ言葉を言う。
すると琥珀は観念したのか、すっきりと笑った。
「知らないから、覚えるの。世の中のほとんどは知らない場所だもん」
だからいいのと、子供みたいに開き直る。
心に同調したようにスカートの裾も楽しげに揺れた。
「知ってる道は通らないの?」
「知らない道も楽しいくない?」
「少し、」
「うん」
「ドキドキするね」
その表情で、返事をした琥珀が理界の手を引く。
もうかなり離れてしまった二人の背に追いつくために。
理界も琥珀の歩幅に合わせて歩みを進めた。
残りの時間を、彼らと、この景色で埋めていくために。


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