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白いこどもたち

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大きくはためいたシーツが視界いっぱいに広がった。
鼓膜を押し潰すような強い風音が意識を埋める。
乱れた髪に邪魔をされて、伸ばしたその手はシーツを掴み損ねた。
背後から伸びた別の手が掴む。
逞しい腕。
捲られた袖。
振り返ると、思わぬ距離に接近した顎のライン。
「──」
何かの言葉を言われて前へ向く。
その拍子に揺れた肩と背を、その人は包み支える。
背中が熱い。
風を孕んで膨れたシーツは自由を失い萎んでゆく。
白い目隠しが取り払われて、広がるのはただ一色。
それは嘘のような、
つくり物のような、
加減を知らない子供が絵の具を塗りたくったような、
鮮やかすぎる ターコイズブルー の 空 ──

──て、…琥珀──!

手を。
伸ばしていた、幻を見た。
瓦礫に叩き付けられた背中の痛みと熱が蘇る。
琥珀の前に立ちはだかって赫子を振りかざした喰種の首が、跳んだ。
薄闇に血の糸を引き地面に転がる。
瞬時に反撃の体勢に入っていた琥珀の赫子が出番を失って揺らいだ。
薄暗く、広大な空間の、その一部で行われた戦闘。
片隅で、ちっぽけに転がる自分と、いくつもの骸。
「…大丈夫?」
薙刀に似た形状のクインケを下げた理界が、琥珀の傍らに立つ。
「…あ……りがと………私は、もう大丈夫…」
「──…。そう」
素っ気なく答えるとすぐに顔を背けた。
離れようとする理界に琥珀は、待って、と声をかける。
しかし後の言葉が続かない。
未だにちらつく白と青の影が邪魔をする。
これは白昼夢ではない。
喰種を追いかけて降りた24区。
春先に配属されたメンバーとの任務。
「…。」
真っ直ぐに整った前髪の下で静かに言葉を待つ瞳。
他所の班への応援が多い琥珀にとって、有馬と同じ白日庭出身である彼らと共に任務に就くのは初めてだった。
「………、格好悪いところ、見せちゃった…ね…」
同僚と認識されているかはともかく、不甲斐ない姿を晒してしまったことに琥珀は消沈する。
今更、喰種である身がどのような視線を向けられても傷つくようなことはない。ただ、
「(届かなかった──)」
0番隊に配属されたという事実は彼らの矜持だ。
力を認められた、それ故に有馬の率いる班に呼ばれた、と。
確かにそうだ。呼ばれた者は同輩に比べて優秀で、将来性も高い者ばかり。
だからこそ、はやる気持ちを抑えられない者もいる。
ほとんどの捜査官には上を目指す意思があり、手柄を立てたいと望んでいる。有馬の元へ呼ばれた彼らなら、その思いもより強い。
今し方──。
倒れた喰種の向こうにもひとつ、遺体があった。
白いコートを着た。
十数秒前までは共に戦っていた。
「………」
「彼──…自分から前に出たんだ。…自分の中では、確信があったんだろうね」
無意識に視線を向けていた琥珀に平らな声が降る。
琥珀の見る風景に数分前の出来事が朧に重なる。
灯りも乏しく薄暗い、廃墟のようなこの広間。
捜査官たちと喰種たちの攻防は激しかった。元々朽ちていた床も壁も柱も、さらに砕けて破片を撒き散らした。
クインケと赫子の打ち合う音。怒声。指示の声。すべてが交ざり飽和していた。
琥珀は、下がった位置で赫子を使い掩護を行っていた。
敵を逃がさないために攻撃の手は緩められず、深追いすれば集中的に潰される。
しかしそんな中で、一人突出した者がいた。
「前へ──…気持ちが急いていたことに……私は気がついてた…」
後ろに着いていたのは琥珀だった。
呼び止める琥珀の声にも応えず、瞬く間に敵に迫っていた。
敵もそれを狙っていた。
「………。」
脳裡に繰り返された死の瞬間を終えて、琥珀の意識は静かな空間へと戻る。
気持ちを押し込むように額を押さえて目を閉じる。
新たに顔を会わせた者たちに、自分を信用してほしいと、本当は言いたかった。
けれど琥珀は喰種だ。
肩を並べて戦おうとも人間にはなれない。
言ってすぐに返事を得たところで、それは言葉の応酬でしかない。
信用を得られるだけの事をしなければ
「(だめなの──)」
蘇る疑念の眼差しを打ち消すために、真っ暗な目蓋を強く瞑る。
痛みと光が小さな閃光となって奔る。
琥珀が瞳を開くと、理界はまだ去らずにいた。
「………」
考えているのか、観察しているのか。共に過ごす時間もまだ短いために、この沈黙が何を意味するのかもわからない。
長い間を置いて。
唇を開いて、また閉じて、伝えるための浅い呼吸が整えられる。
「本人の…判断だったんだ………貴女が背負うことじゃない…」
抑えられた声量で言葉が紡がれ薄闇に溶ける。
「…初めて組むメンバーに合わせられる…。それだけで……貴女は十分強いと思う。だから……、」
その先の言葉が迷う理由は、琥珀が自分で気がついた。
瞬きをすれば溢れてしまうことがわかっていた。
だから、さっきからずっと我慢していた。
常に眼を覆うこの水分が、ただ溢れそうになるだけなのに。どうしてこんなにも熱く、こんなにも瞳を痛めるのか、未だにわからない。
「こんなに暗いのに、わかる…?」
滲む焦げ茶の左眼と赤黒い右眼。
人間とは異なる琥珀の瞳を、理界は見つめ続けている。
「目は良いんだ、僕たち」
「そっか…」
「それに………」
「………それに…?」
「…。いや、何でもない」
「そう…」
「うん。………大丈夫…?」
「…大丈夫よ。少ししたら…ちゃんと…自分で立てるから」
琥珀が口を結んで頷くと、理界も小さく返した。
「──…彼のために…ありがとう、琥珀」
声は空気の振動だ。
言葉も振動の連続でしかないはずなのに。
見えないそれの、琥珀の奥深くを揺さぶった余韻はあまりにも強い。
ぱたぱたと、溢れて落ちて、色を変えた地面を琥珀は擦って消した。
立ち去る背中に気づかれないように。
濡れた頬も手の甲で強く拭った。

戦闘が終わり、多くの跡を残して辺りには静寂が戻りつつあった。
仲間の一人が倒されたことも、戦いの最中に、遠目に確認していた。
「………」
あまり話したことのない隊員だった。
"庭"で顔を合わせたことはあったけれど。
…また、"庭"の者が死んでしまった。
少し離れた場所で、理界が琥珀と言葉を交わしている。
「何、話してるんだろ……」
クインケを手に下げたまま士皇が呟く。
隣に立つ丈が視線を向けると士皇は、はっとして瞳を開いた。
無意識に声が出ていたようだ。
「──二人は怪我してなさそうだね」
「…。ああ」
「琥珀も、敵の攻撃はガードしたみたいだし」
「…そうだな」
「お人形みたいに綺麗だよね、琥珀。睫毛が長くて、鼻が小さくて、ほっぺたもつるってしてて」
「……」
「この間も局で昼寝してたから、じっと見てたんだー」
薄闇に浮かぶ二人と丈へ、視線を行き来させる。
「起きた時のビックリした顔が面白くって。目をまんまるくして、それから赤くなって。起きたら全然、お人形じゃ、ないんだけど──…」
「………」
丈が無口だということは有馬から聞いていた。
冷たい人間ではないことも、共に戦ってわかった。
今の士皇の言葉がうわべを滑るだけだと、丈が気がついていることも、この無言の間の重たさで…以下省略。
有馬に次いで0番隊を纏めるこの男は、話題を合わせることも、取りなすこともしない大人だ。
(その部分に関しては有馬に通じるものがある)
「…。」
「……。気になるのなら、行ってきたらどうだ。士皇」
「……。何、それ。別に琥珀のこと、気になってなんかないよ」
「理界の事もか」
「…なんで」
そんなこと言うわけ、と頬をふくらませて丈を見上げる。
丈の代わりに答えたのは夕乍だった。
どこか気だるそうな黒瞳が士皇を捉える。
「…理界、有馬さんとか僕ら以外とはあんまり話さないから」
「それで僕が気にしてるっていうの?」
「…じゃあ、してないの?」
「………してる」
その物言いは静かだったが、言い当てられて士皇は頬から空気を抜いた。
0番隊に所属する者は白日庭出身者も多い。
中でも同時期に呼ばれた僧頭理界と有馬夕乍、そして伊丙士皇の三人は一緒に行動することが多かった。
夕乍の言葉の通り、理界は口数が少ない。
その理界がこちらに戻らずに琥珀の元に留まって長く言葉を交わしている。
「嘘だよ。……理界も琥珀も、どっちも…気になってる」
理界が自分たち以外に気を向けるのも落ち着かない気持ちがする。しかし、
「任務の前とか…局の雰囲気がぴりぴりしてる時も、琥珀は話の相手、してくれるから……」
周囲の捜査官たちと新人の士皇たちの間にはどうしても、年齢と経験とが温度差となって現れる。
上手く混ざり合えない互いの空気を、琥珀は気にかけてくれていた。
他班へ出向くことが多い琥珀とは局で顔を合わせても話ができる時間はあまりない。
だから今、もっと話をしたい。
「…じゃあ行ってきなよ」
「でも…、今行ったら二人の邪魔しちゃうじゃん」
「…めんど」
「〜っ!!」
しってるよ!と士皇はまたむくれた。
自分なりに気を使っているのだ。
鬱陶しがられないかという、まだ慣れない琥珀への遠慮と不安もある。
「理界が戻ってきたぞ」
「えっ」
丈の声で士皇も我に返った。
何でもない様子で「…おかえり」と迎える夕乍に羨ましさを覚えた。
「…長かったね。琥珀と何か話した?」
「!」
「ああ。少し」
「…っ、どんな話したのっ」
「大したことじゃないよ」
「…。士皇がさ…二人のこと気にして仕方ないんだ」
「!!」
抱いていたもやもやは結局、筒抜けになってしまった。
士皇は顔を赤くして声にならない悲鳴をあげる。
再び言い合いになる士皇と夕乍を前に、理界もまた困っていた。
落ち込んでいた琥珀に声をかけただけで、会話というほどの会話でもなかったと思う。
…泣いてたことも、他の者には話してほしくはないだろう。
士皇の興味を上手く流してしまえないか、この場で唯一の大人に助けを求めた。
求められた丈はしかし、仲裁に入る様子もなく黙したままだ。

立ち上がって砂を払っていると有馬に声をかけられた。
琥珀、怪我は?と。
決まり事のようなやり取りをして、処理班の到着をこの場で待つことを伝えられる。
一度地下へ足を踏み入れれば喰種の領域だ。長く同じ処に留まるには危険が伴う。
隊員の遺体の運び出しまで警戒を行い、処理班と共に0番隊も引き上げとなる。
「(手のひらの痕…まだ残ってる…)」
琥珀の手のひらには治ったばかりの桃色の皮膚が盛り上がっている。掴み損なった指を、よほど強く握っていたらしい。
「(それでも………)」
有馬と共にやって来た隊員により、遺体にはコートが掛けられた。
琥珀の隣に有馬が立つ。
「遺体を回収することが彼の慰めになるかはわからないが──…」
遺体を映す瞳は揺らがない。
その死を静かに見つめている。
「……。死を悼む存在がいることは、きっと幸福だ」
琥珀にはできないことを有馬は静かに続ける。
多くの仲間の死を間近に見てきて、送ってきて。慣れて何も感じなくなってしまったのならば、有馬の声はこんなに優しい声色にはならないはずだ。
「…有馬さんまで、そんなことを言わないでください…」
泣くの我慢してるのに、と琥珀が口を結ぶと、静かに笑う気配がした。
遠くで士皇の声が上がる。
薄闇の中でも、丈と周りに集まる三つの影は仄かな明るさを宿しているように思えた。
「私は──…思い上がっていました。…慰められてしまいました…。みんな…大人なんですね…」
言葉にするそばから、任務中とは思えない明るすぎる雰囲気が伝わってきて、少しばかり口をつぐむ。
けれど、それこそ子供扱いに他ならないと、内心に溜め息を吐いた。
たとえ今、敵が姿を現しても、彼らは直ぐに気持ちを切り替えることができるだろう。
やるべきことを、行える。
「………。」
「?」
しかし琥珀の想像とは反対に有馬は「いや、」と首を傾けた。横顔に浮かぶものはどこか、穏やかだ。
数ヵ月前に、新たな隊員として有馬が連れてきた子供たち。
就任してすぐの任務にも物怖じしなかったと聞いた。
彼らを目にして、有馬も同じ年の頃に捜査官として働いていたことを琥珀は思った。
"白日庭"とはどのような場所なのだろう。
亡くなった彼や0番隊の他のメンバー、有馬や…伊丙ハイル。確かQsの二期生にもいたはずだ。
皆一様に年若く…若すぎる彼らを、捜査官となるべく育てて任務に送り出す"庭"──。
「琥珀」
思考の底の、深い場所への立ち入りから有馬の声が琥珀を掬い上げる。
「相手をしてやってくれ。──彼らも普通の子供の遊びを知らないから」
有馬貴将は、"死神"と畏怖される捜査官だ。
多くの捜査官の憧れの存在で、完璧と言い表す者さえいる。
しかし有馬から零れた"彼らも"という言葉が、隙間を抜ける風のように琥珀の心を撫でる。
「有馬さ──」
「それに、タケじゃ向かないだろうし」
丈の性格では仕方がない、そんな溜め息が琥珀を遮る。
有馬の諦めを証明するように、こちらへ歩いてくる士皇の姿が目に映る。
はじめはのろのろと歩いていたが、後ろからのプレッシャーと有馬と琥珀の注目に堪えられなかったのか、途中からは小走りになってやって来た。
「士皇君?」
どうしたの?と問う琥珀に口ごもる。
「…夕乍と、理界は、教えてくれないし……平子さんは黙ったままで…背中ぽんってして……」
説明が不足していることは士皇自身もわかっているようで、「えっと…」とか、「ちょっと待ってね…」と、大きな瞳が足元を彷徨う。
有馬も琥珀も士皇が落ち着くのを待っている。
しかしきっと、二人が待っていることに焦ってしまうのだろう。
そんな様子になら…琥珀も覚えがある。
「士皇君。私ね──」
自分は、
「(私は、)」
彼らに…何かをしてあげられるだろうか。


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