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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -



恋は水色

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見下ろす地上を行き来するのは、スーツの人間、普通車、そして大小の搬送車。
どれほど熱い視線を送ろうとも、どれほどにこやかに手を振ろうとも、彼らが自分に気づくことは決して無い。
「ふもう…」
CCG本部の高層階にある資料室に、窓辺に椅子を運んで窓ガラスに寄りかかる少女が一人。
喰種特別捜査官の琥珀だ。
お目付けである篠原は特等会議へ、真戸はラボへクインケの調整に。
すると琥珀は、「ちょっと待っててね」の一言と共に資料室にどんぶらこっこと置いてきぼられ、
「不毛、ふもうふもうふもうふもうふ……毛布…」
部屋の棚一面に並ぶ資料。先ほど一冊、試しに手に取ってはみたが、調べ物もない新人の自分に必要とは思えなかった。
篠原も真戸も帰ってこない。
かといって自分一人で部屋を出るわけにもいかない。
くすんっ。
琥珀はついにふて寝した。


平子丈は有馬貴将の首を押さえ(あくまで比喩だ)、特等会議に送り出した。
そして思う。これで今日一番の仕事の山は越えたと。
有馬はふらっと会議をさぼるため、有馬が消えた後にお小言を食らうのはパートナーの丈である。
前回と前々回は酷い目にあった。
「(上官への監督不行届きとは初耳だ)」
その経験と、釈然としない気持ちをバネに、気合いを入れ、成果が出た。
「(今日は成功したな)」
綿密な張り込み計画と、前日に用意しておいた会議資料。我ながら良く出来ていたと思う。
「(次も入念な下調べをして挑めば………いや待て、そもそもこれは俺の仕事じゃない……)」
次回の特等会議と有馬対策を考えはじめた丈は、根本的なことに気がついた。
先のことを考えるのは止そう、今の自分の仕事をしよう、と遠い目をした。
対策課のオフィスに戻った丈は、同僚と言葉を交わしながらデスクの椅子を引く。
有馬が戻るまでに資料の読み込みと、まとめを。有馬が戻ったら、その時間次第で次の動きを決めれば良い。
近くの同僚に声をかける。
「資料室は空いてるか?」
「あ?資料室?今は中にアレが──…あー いや、お前なら平気か」
歯切れの悪い言葉に加え、どこか引っ掛かる態度が返ってくる。
その同僚は、丈の言葉を聞いて顔を上げた他の者と目配せをする。
「どういう意味だ」
「さぁ?見ればわかるさ」
もう話は終わりと言わんばかりに言葉を放り、自分の仕事へ目を戻した。その声色に混ざる僅かな嘲り。
丈もそれ以上は聞こうとはせず、無言で資料室のドアへ向かった。
その背中に同僚の言葉が投げ掛けられる。
「喰われるなよ」


資料室といっても簡易的なもので、そう広くはない。
正面にまっすぐ通路が伸び、右手に狭い間隔で置かれた棚が何列か続く。
部屋の一番奥の開けたスペースに、広めのテーブルと椅子が数脚置いてあった。
その一番奥までやってきて、丈は嘆息した。
明るい窓辺に椅子を寄せ、体を小さく丸めて寄りかかる少女の姿があった。
膝を抱えて目を閉じている。…いや、眠っているようだった。
スーツに身を包んではいるが、幼さの残る顔立ちと椅子の上で丸まった姿から、この場所がオフィスではなく、学校であるような錯覚をする。
彼女がいたから対策課の局員はあの様な態度だったのだ。
彼女が捜査官となったのは上の判断だというのに。
あまりにもあからさまだった同僚の様子を思い出し、丈は不快感に眉根を寄せた。
彼女がここへやって来た時も…いや、恐らく今日だけではないだろう。彼女はずっとあの視線にさらされている。
「琥珀…起きろ」
幼馴染みであり、喰種である少女──琥珀の前に立って丈は呼び掛ける。
声に反応して琥珀はむずがるように身動ぎをした。
「(…昔からよく寝るヤツだったが…ここへ来ても変わらないな)」
幼い頃から琥珀は丈の家に通っていた。丈の祖父母と話をしたり、犬と遊んだり、昼寝をしたり。
日当たりの良い畳の間が特に好きなのだと言っていた。
「(こうして起こすのは久しぶりだ… )」
自分の家にも畳の部屋はあったというのに、わざわざ丈の家に来て寝ていた。
「琥珀、起きろ。一応勤務中だ」
「…ぅ…ん……」
すみませんと、殆ど言葉になっていない声を漏らして、ぼんやりと目を開く。
余程深い眠りだったらしく、中々、丈の姿に焦点が合わない。…この様子だと起こした人物が丈であることも、まだ認識していないだろう。
「琥珀、分かるか?」
「ん…?ぅん……丈、兄…?」
「ああ。篠原特等は…会議か。…真戸上等は一緒じゃないのか?」
「…ラボに…いっちゃって…私はおるすばん…」
「それで居眠りか」
「あ…うそ……丈兄だ──…」
「さっきから俺だ」
仕方の無いやつだなと琥珀の額に手を当てる。
やっと視線が定まった琥珀は、しばし呆然と丈を見上げていた。
しかしどうしたことかその大きな瞳に、じわ、と涙が溜まっていく。
「…どうした」
「へ…?あ、あれ……っなんで……」
「………………対策課の奴らか…」
すぐにでも隣へ行こうとする丈を琥珀が慌てて引き止める。
「ち、ちが…ごめ、なさっ、」
琥珀が動いたため、溜まった涙がぽろぽろと頬を転がり落ちた。
「何が違う。あいつらに何を言われた」
「あ、あいつら?私、なにも言われてないよ──」
「ならどうして泣いているんだ」
「う、ううん、違うの、ちがう──」
丈を掴む琥珀のスーツに零れた涙が水玉を作って滲んだ。
琥珀は寝起きと涙とで混乱している。
しかし丈の袖を掴んだ手を離そうとしないため、丈は諦めてポケットからハンカチを出した。
琥珀の涙を拭うと、それを持たせて、近くの椅子を引き寄せて座る。
琥珀が鼻をすすったりしながら気持ちを落ち着けるのを黙って待った。
「………あまり目を擦るな、痛くなるぞ」
「ん…」
「……………」
「…丈兄、だったから……」
「?」
「…久しぶりに、丈兄に…会ったから……」
ぽつぽつと話す琥珀の頭が俯いていく。
比例して小さくなっていく琥珀の声。
ほっとしちゃって、という呟きは、静かな資料室だから聞き取れたぐらいだ。
「二週間位か……」
「うん。……対策課の人…私のこと何か言ってた?」
「……………いや、」
「ふふ、そっか…。いいよ、いつもあんな感じだから」
早く馴れたいなぁ、と零す。
「お話も…あんまり出来なくて。私は全然…したいんだけど……やっぱり、やだよね…喰種だし…」
顔を上げたと思っても、琥珀はまたすぐに俯いてしまう。
丈は口の重たい自分を恨んだ。少しでも琥珀の気持ちを軽くしてやる言葉を言えれば、と。
二週間と丈は言ったが、まともな会話ができたのはそれ以上ぶりだろう。
琥珀が局に捕縛された後、幾度もの審議や検査を経て、ようやく捜査官としての仮釈放の様な立場に漕ぎ着けた。
家族や丈との面会の機会もあるにはあったが、これまでの琥珀の生活とは全てが変わった。
「(少し痩せたな…)」
混乱も落ち着いてきた琥珀は今、スーツに落ちた涙を気にしている。その横顔は、前よりも細くなった気がした。
濡れて色の変わった部分を、染みにならないかなぁ、とハンカチで叩いている。
「あまり気にするな」
「うん、でも…ずっとこのままだったらやだし」
「お前が目立つ存在だから、やっかんでいるんだろう」
「ん?」
「…染みの話じゃない」
「染みの話かと思った」
紛らわしいんだもん、と口を尖らせる琥珀の額を小突いて、丈は立ち上がった。
「丈兄…戻るの…?」
「いや。仕事を持ってくる」
「ここで…?お仕事するの?」
「邪魔か?」
ぽかんと丈を見上げた琥珀は、慌てて「そ、そんなことないっ」と身を乗り出して、椅子から落ちそうになる。
ガタガタ揺れながらもバランスは取れたらしい琥珀だったが、言いたいことが纏まらないのか、ぱくぱくと口を動かす。
「…そこにいろ。あと暴れるなよ」
「た、丈兄──っ」
椅子の上に正座をする形で納まった琥珀は、今度は落ちないように椅子の淵を掴む。
振り返った丈に、呼吸を整えて、今度は瞳を逸らさずに、大きく息を吸った。
「嬉しいっ」
またしても、琥珀の目元にはうっすらと膜が浮かんでいたが、今度は丈も口許を緩めた。
やっと笑ったな、と。


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