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食べられたかったのはどっち?

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繁華街にある建物の地下──。
一見したところクラブ風の装いの店内を見回す。
ショーの類いの演出をしていた店だったようで空間を広く取っている。
そのため上司もクインケを振るい易かったように思う。(それでも終盤はストレスだったのか、転がっていた鉄パイプで殴っていた)
事後処理に取り掛かる捜査官が出入りする中、丈はヘルメットから繋がるマイクを調節していた。
丈の脳裡にも記録用のカメラ映像にもクリアに残されている。
「(…剣閃………いや、剣ではないな…)」
──鉄パイプ…閃…?
丈はしばし考え込む。
足元に散る破片が音を立て、丈の意識も戻る。
すぐ脇を、白いタオルを手にした後輩の宇井が通り過ぎる。突入直前までは満たされていただろうグラスの残骸を踏み砕いて。
しかし絨毯を赤黒く汚す液体はワインなどではない。
「(宇井はどこへ……いや、それより…) 」
床に転がるのは、リストにあった多数の駆逐対象も同様だ。丈は自分の役割を思い出す。
駆逐率は100%、任務は終了したのだ。
「──店内の制圧完了。負傷者が若干名出たものの、いずれも軽傷。人数など詳細は後日提出の本作戦の資料に記載する──」
最後の状況報告をマイクに告げながら、丈は一先ず息を吐いた。
見た限りだが重傷者は出ていない。この一言に尽きる。
外で作戦の指揮を執っていた丸手も満面のドヤ顔であることだろう。
丈は思い浮かべてヘルメットのベルトを弛める。が。
じーーーーっ…
気がつくと、至近距離から丈をまっすぐに見つめる焦げ茶と赤黒い瞳が──いる。
「………」
「………」
「……琥珀、どうした」
周囲では捜査官らが動き回っている。
しかし琥珀は動かない。
いつから居たのだろうか。瞬きもしない大きな瞳が、薄暗い店内にも関わらず煌めく。
丈に気づいてもらえたことが嬉しいのか、丈の防護ベストの胸元を、くいっと引っ張って笑顔になった。
「…このカメラってー…いまも、映ってるの?」
やっと口を開いたかと思えば、そのまま顎をくっつけて丈に凭れ掛かった。
にこにこにこにこ。
とても愛想が良く、控えめに言って可愛らしい。
よじ登りたいとでも言うように、両手を丈の胸に乗っけて背伸びもした。
「………琥珀」
にこにこにこ。
無言の笑みが返ってくる。
こんな場所でさえなければ、丈とて琥珀の背中に手を回したくなる。の、だが。
しかしまだ仕事中だ。二人きりでもない。だから今は構ってやれない。琥珀もわかっているだろうに。
「………。」
「うふふふふふふ。たけにーってば、なんともいえないお顔して〜」
大きな瞳がとろんと潤み、舌っ足らずな言葉を紡ぐ。
ぺろりと唇を舐めると、再び「ふふふっ」とご機嫌な声を漏らす。
丈の首にぶら下がりながら、物珍しいものを見つけた猫の如くカメラを見つめた。
琥珀とは幼い頃からの長い付き合いだ。しかし。
じわり上昇する体温。
立場的にも性格的にも人目を気にする琥珀が、こんなに積極的に絡んでくることなど初めてだ。
戸惑いと、問い質さねばという思いと、若干の喜びと。
無表情ながらも丈の中では色々あった。
自然と上を向いた唇が「カメラっ」だとか「たけに〜」だとか、ばらばらな単語を歌うように口ずさむ。
戯れる琥珀のそれが丈の顎に触れそうになった。
結果。
丈は周囲を見回した。
助けを求めて。
「………琥珀、離れろ」
「どうしよう、かなー…ふふふっ。たけにーのにおい、だいすき……」
琥珀の唇を回避はしたものの、甘く締めつけられる首と琥珀の香りが、この場にそぐわない感覚を呼び起こす。
このままだと絶対にお持ち帰ってしまう。
誰か止めてくれと丈は願った。
「あっ!琥珀!やっと見つけましたよっ…!」
「あっ!こーりさんだ!えへへ、見つかっちゃいましたぁ〜」
「………。」
琥珀をぶら下げたまま動けないでいる丈の元へ、宇井が走ってくる。
「………郡」
とりあえず困っていると無言で訴える丈の視線に、宇井がびくりと肩を揺らす。
「…何があった」
「あ、ええと…さっきの戦いでちょっと──」
「ちょっとぉ、のんじゃいましたっ」
琥珀が丈から片手を離して敬礼をした。
「…飲んだ?」
「血がねぇ、たけにー。血がぁ、ちょお〜っとかかっちゃったの」
ほんのちょっとだけっ!
夜の新橋のサラリーマンを彷彿とさせる緩急のある喋りで丈に絡む。
室内の照明がやや暗いため気がつかなかったが、よく見ると確かに口許から首へと流れた赤い跡がある。
宇井が白いタオルを持って彷徨っていたのは、これを拭くためだったらしい。
丈は琥珀を剥がしてひっくり返すと宇井に向けた。
「郡、頼む」
「えっ」
「こーりさんっ、たのみますっ」
「…琥珀は黙っててください」
本当なら丈がタオルを受け取って拭けばいいのだが、先程までの空気に充てられて、忍耐力が削られた。
宇井の目が、無言の丈と、ふにゃふにゃ笑う琥珀とを往復する。
まったくもう、と腹を括ると琥珀に手を伸ばした。
まず顎を拭って、
「ふ、ひゃっ…」
首元に手を宛てる。
「きゃあっ!……ふふふっ…」
「──…、琥珀。拭きづらいから…声」
「だって、くすぐったいんですもんー…ふぁっ、きゃっ」
「………。タケさん」
「………悪いと思っている」
悪い酒を飲んだ身内の面倒を看させているような申し訳なさを丈は感じた。
「……?…血を飲んだと言ったか?」
「あ、はい。少し口に入ったくらいですが。敵が赫子で吹き飛ばしたものが運悪く当たって」
「血で…酔っ払うものなのか?」
「どうなんでしょう…?」
「喰種は血酒とか呼んでいる」
二人に答えたのは、他班の元へ出向いていた有馬だ。
ヘルメットはもう被っておらず、ゆったりと琥珀に目を移す。
「…有馬さん。血酒というのは…」
「血を発酵させて作る、喰種たちの飲むワインのようなものらしい。…楽しそうだな、琥珀」
血酒の製作過程を想像した宇井が顔しかめ、琥珀がふにゃりとした笑顔を有馬に向ける。
「琥珀は薬も効きやすい体質だから、そのせいじゃないか」
「…。いつ抜けますかね」
「さあ。人と同じだと思うけど。タケ、心配?」
「琥珀のこういう状態を…目にしたのは初めてなもので」
「まだ未成年だし?」
「まあ確かに──…いや、それはあまり関係ないのでは…」
有馬と丈が言葉を交わす間、宇井が琥珀をちらりと見て気まずそうに目を逸らした。
ふにゃふにゃ、にっこり。カメラにも飽きてしまった琥珀は、次の興味の向け処を探している。
「ここでの仕事は終わった。局へ戻るぞ」
「あっ、私はタオルを返してきます」
タオルは医療班あたりから借りてきたのかもしれない。宇井が三人から離れる。
丈と琥珀、そして有馬は先に階段を上り外へ出た。
建物の入り口近くには何台もの車が停まっている。
移送車や、無音の警告灯が明滅する車両の間に丸手の姿も見えた。
周囲ではまだ捜査官が動き回っていたが、地下はひどく空気が籠っていたため、身体が解放された気分になる。
「よるの空気、おいしー…」
「…そうだな」
答える丈も、有馬も、反応がいまいち乏しかったために琥珀は「ほんとにおもってる〜?」と絡んだ。
今度は有馬を見る。
「わたし、今日、しっぱいしなかったですか。ありまさん?」
やや、有馬が考える。
「一回、俺を喰おうとした以外は」
「……琥珀」
「そんなこと〜。………えへへ…あったかも……?」
「すみません」
「あの時にはもう、琥珀は酔ってたと思うよ」
有馬の口振りからすると、喰われかけたことは特に気に留めていないらしい。
喰種である琥珀は、味方捜査官を傷付けるようなことがあれば処分という処置をとる、と。規則ではそう決定されているため、丈にも琥珀にとっても、有り難いことではあるが。
しかし、琥珀に背中を狙われても平然とできるのは有馬ぐらいだと、琥珀を支えながら丈は思った。
「たけにーは〜、知らないだけ、だもん」
「…何がだ」
琥珀は足元が覚束無いため、丈に寄りかかっている。
それでもまたずり落ちるので、そのたびに丈は琥珀を抱え直す。
「だって、ありまさんって──…ふふふっ」
「だって、何?」
有馬が訊ねる。
とろんとした眼差しで琥珀の指が口許に触れる。
「……ありまさん。とくべつに、おいしそうな匂い…するんだもん──」
閉じれば自然と笑みを形作る唇を、ふぁ…と、あくびに開かせて、丈に頭を押しつけた。
「……ねむくなっちゃった………」
ほとんどが寝言のような曖昧な言葉を囁く。
喰種の感覚は人間とは違う。
あの地下の密室で、丈をはじめ他の捜査官が感じたものは、鉄を含んだ血の匂いや、切り開かれた肉の臭気だ。
食欲に結び付くようなものは欠片もない。
ただ喰種の琥珀にとっては、あの地下空間に澱んでいた匂いこそが食欲をそそる匂いなのだろう。
喰種が好む人間の。
その中でも、有馬は特に良い匂いだと、琥珀は言う。
「琥珀」
「はぁ…い…」
ひそめた声で有馬が名を呼び、琥珀の傍へと寄る。
丈は無意識に力の籠ってしまった腕を弛め、代わりに辺りの人気を窺った。
「…必要の無い獲物は追いかけるな」
有馬はゆっくりと、一つ一つの言葉を言い含めるように語りかける。
周囲を動き回る捜査官たちは、皆、己の仕事に忙しく、仕事を終えている丈たちには見向きもしない。
「ひつ、ようの…??」
「CCGに敵対する者だけを見ていればいい。今は──」
「う…ん……?」
琥珀の返事は酔いと眠気で要領を得ない。
有馬は少し考え、効果的な言葉を探す。
「それがお前の為になる。…タケのためにも」
「…たけ…にいの……ため……」
反応を示した琥珀の瞳を覗き込み、言葉を重ねた。
「そう。タケのために。お前は任務を成功させることだけを考えれば良い。──わかったな」
琥珀の思考に蓋をするように、有馬の声が静かに終わる。
「琥珀を連れて先に車に戻れ。班員を呼んでくる」
「…わかりました」
本当なら丈が呼びに行くべきところなのだが、琥珀がいるために、それも儘ならない。
「赫子のコントロール。精度が上がったと思ってたところだけど。酔って襲われるとは思わなかった」
「…。有馬さんを狙ったのは…一度きりだったんでしょうか」
「そこは安心していい。誰も見ていない」
「………」
「琥珀は自己規制の意識が強いから、このままで問題はない。他の匂いも、お前のためならもう"気づかない"」
有馬は班員を呼ぶために背中を向けた。
「──でも、琥珀につまみ喰いされそうになったのは、少し面白かった」
離れていく有馬に丈は一礼する。
琥珀が一体どの程度に有馬を喰おうとしたのか、丈は目にしていないので定かではない。
しかし有馬は冗談を言う性格でもないので恐らく、言葉の通り…なのだろう。
どっと疲れに見舞われて、丈は重たく下を向く。
琥珀がどろりと寄りかかっている。
「…歩けるか?」
「ん……ありまさん…、は……?」
「皆を呼びに行った」
頭が頷いたようにも見えたが、それ以上の返事もない。
丈は抱えるようしてに琥珀を車まで歩かせる。
「琥珀」
「…」
「琥珀」
「…」
「……。そんなに……美味そうなのか。有馬さんは…」
答えを期待していた訳ではない。琥珀はもうほとんど眠っているし、問う丈の声もぼそりと小さい。
ただ、落ち着かないような気持ちがあって。
そのために訊ねてみただけだ。
喰種として考えたとき、食欲をそそる匂いを、有馬は持っている。
ただの人間よりも。
隣にいる幼馴染みの恋人よりも。
生き物として──惹かれる匂い。
「…たけ……ぃ…」
「…?」
搬送車の後部ドアを開く音に紛れて声がした。
車には乗り込んだが、琥珀を抱いた状態からでは閉じることができない。
ステップを上がった丈は目隠し程度までドアを引く。
「………丈兄、も…よ……?」
酩酊の現実から夢の水面へ、落ちてゆく琥珀の声が空気に溶ける。
「……わたし、が………の、は──…」
──。
暗い車内に射し込む外光。
安らかな寝息と引き替えに琥珀は沈黙した。
閉じていても自然と笑みの形となるその唇に、丈は指を添わせた。


title.にやり様
20170723
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