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待つ人

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ラストオーダーも過ぎて最後の客が店を出た。
急ぐわけではなかったが、トーカは早めに店の外の看板を仕舞い、ドアに掛かるプレートを"close"へと返した。
こうすれば降りてこられるだろう。
少し間を置いて、店の奥のドアが開く。
僅かに頭を下げて入ってきた丈にトーカが応えた。
「どーぞ。あの子ら、荷物、取りに行ってんだっけ?」
「ああ」
「渋滞するような時間でもないけど。少し掛かってるね」
「…羽を伸ばしているのかもしれない」
「まあ、寄り道も良いかもね。四方さんもさ、あんなだけど、子供は嫌いじゃないみたいだし」
丈は、そうかと一言返すとカウンター席に座る。
トーカは肩を竦めた。
無口は四方で慣れている。
丈の部下である0番隊の面々は今、隊で用意しておいた隠れ家に荷物を取りに行っているところだ。
カネキや、他の喰種の協力者たちとも連絡を取り合うために、しばらくはこの喫茶店に身を寄せることになった。
人の出入りが多いことにも、トーカは慣れている。
芳村が店を回していた時は自分も世話になっていたから。
人間──しかも"白鳩"の世話をすることになるとは、まさか考えもしなかったが。
調理台を拭き終えて、トーカは首をポキリと鳴らした。
「何か飲む?」
「いや…」
「ただ待ってるのもヒマでしょ。てゆうかアタシもヒマなの。店は閉めたけど、住人が返ってくるまではさ、外の灯りも、点けておいてあげたいし」
丈の返事を聞く前に、珈琲を淹れる支度をはじめる。
いらないと言われても押し付けようと思った。
間を置いて、やはり一言、頼む、と返ってきた。
トーカは視線を手元に落した。
──"白鳩"と二人きり。
この状況は、やはり緊張するものだ。
幼い頃から彼らを敵として認識してきた。全ての捜査官を憎み、殺したいと思ったことすらある。
けれども、それを行ったところで何も変わらないと気がついた。
「──…。」
豆を挽きはじめて、ふわりと香る。
捜査官への憎しみ。
それは今も完璧に消えたわけではない。
心の何処かには存在するのだと思う。
しかしそれよりも、大切にしたいものの、心の占める割合が増えたのだ。
妹のように思ってきたヒナミを見て。
弟のアヤトの広くなった背中を見て。
弱くて強くて、折れそうなカネキを遠くから見ていて。
少しずつ。
少しずつ。
湯がじわりと珈琲豆に浸透してゆくように、心もまた容れ物の中で変化する。
強く漂っていた濃い香りが、円みを帯びるように。
トーカの慣れた手つきは時を迷わず順をこなす。
考え事をしていても、感覚をすでに覚えている。
考え事をしているのか、珈琲を淹れているのか、どちらが自分の主なのだろうかと、トーカの頭に第三の考えが涌いて出る。
そんな雑念が涌いたところで、トーカの手元を丈がじっと見ていることに気がついた。
「捜査官のあなたに、聞きたいんだけど」
「…」
「喰種のあの人──…、琥珀さんが同僚になるって知ったとき、どんな気持ちだった?」
丈の視線がトーカに移る。
丈たち0番隊と共にこの店に身を置く琥珀は、喰種だ。
コクリアで戦う姿はトーカも目にしていた。
「憎しみは?怖くなかった?敵のはずの喰種が、隣で一緒に戦うのは」
詳しい経緯は知らないが、彼女は有馬貴将の部下であり、0番隊に所属していたのだという。
「…同僚となったのならば、協力して仕事に当たるのが妥当だ」
「へぇ…割りきってんの」
捜査官といっても色々なタイプがいる。
正義を振りかざす者。復讐に燃える者。…仕事だからと無感情に殺せる者もいる。
「仕事なら…殺しもできるし、仲間にもなるの?」
喰種に最も畏れられていた捜査官、有馬貴将。琥珀と同じくその部下だったこの男は、有馬の指示で隊を継ぎ、カネキに付いたと言っていた。
トーカの中の燻りも消えてなどいない。
ただ、大切なものを失わないために、この力を使いたいと決めた。
「上司に言われたから。ここに居んの?」
「………」
この男がどのような人間であれ、連れてきたのはカネキだ。
カネキが必要とするのなら──…。
相手を試すつもりの言葉は、しかしトーカ自身の声と心を固くした。
少し落ち着かせようと手を止める。
ポタポタと落ちる雫が器を満たすまでは、まだ時間がかかる。
急いでも、得られないものもある。
「…。聞かせてよ…あなたにはどんな"理由"があるの?」
カウンター越しに座る丈はトーカの手元に視線を戻している。
四方より幾つか年下だろう。
捜査官としての経歴は?
有馬に隊を任されたのなら、腕はあるはずだ。
…上級の捜査官に見られる威圧感や、濃さとは無縁な、至って汎用な風貌だが。
四方が意外と熱くなる性質を持つように、無感動で無表情なこの男の中にも、譲れない何かがあるのだろうか。
これで「仕事の流れでこうなった」とか口にしたなら、一発殴ってやろうと思う。
ただの公務員野郎か否か。湯気の立つ珈琲と共に、トーカが密かに拳も温めはじめた時、丈が口を開いた。
彼女を、と。
「……琥珀を、失わないためだ」
「…は?」
どうしてここで琥珀の名前が出てくるのだろう。
予想していなかった言葉のせいでトーカの思考は止まった。
「…それ、どういうこと?」
「………」
今度は考え込むように黙る丈に、これだから無口はと呆れる。
急かしたところで早急な返事もくれないだろう。
長期戦だとトーカが諦める。
その時、店の入り口の扉が音を立てて開いた。
「ばんは。今日の報告に来たぜ…って、トーカだけかよ」
店に入るなり、眼鏡の青年──西尾錦があからさまに溜め息を吐く。
トーカたちはコクリアから、錦たちはル島から帰還して数日が経っていた。
それぞれが新たな協力者を得ることとなり、錦はその連絡役を引き受けている。
「報告し甲斐のねーこった」
「ちょっと。今、大事な話してたとこなんだけど。空気壊さないでよ」
「大事な話?カネキが寝てる間に密会でもしてたのか」
「バカじゃないの」
「そんなことより、俺にも珈琲ひとつ」
「自分で淹れな」
「チッ」
諦めた錦はカウンターの中に入ると、蛇口を捻ってコップに水を注ぐ。
自分で用意する気はないらしい。
一人分の珈琲を淹れ終えたトーカが丈の前にカップを置いた。
「──カネキの様子は?」
「昨日とおんなじよ。寝て、たまに起きる」
「へー。…気が向いたら降りてくんじゃねーの。……ん?」
「……」
ひと口、ふた口と水を含んだ後に丈を見つける。
「誰かと思ったら。薄くて一瞬わかんなかったわ」
「……」
「どーもお久し振りで。平子上等捜査官」
「アンタ最初から気づいてたでしょ。ていうか、知り合いなわけ?」
「お前が優雅に珈琲淹れてる間にも、こっちはアオギリ追っかけたり、捜査官に追っかけられたり、色々あったんだよ」
「へー」
コップを煽り、水を飲み干した錦はコップを洗う。
うろんな眼差しを錦へ向けていたトーカは、そうなんだ?と丈に訊ねた。
丈は珈琲を口に運び、少し間を置く。
それから錦を見ながら「悪いが…」と。
感慨のない顔で答えた。(つまり、あまり悪いと思っていない顔だ)
「…どちら様だ?」
錦のコップが水道の水を浴び続け、その横でトーカが、ぶっ、と吹いた。
「ダサっ!ニシキ超ダサ!久し振りとか余裕かましといてどちら様!?」
「っるせーぞクソトーカ!つか覚えてねーのかよっ!こっちはアンタのそのうっすいツラ忘れてねーぞ!」
「薄い顔なのに忘れないとか執念深いしウケる…!」
「てめ、ツボってんじゃねー!」
「…。」
トーカと錦はぎゃんぎゃん騒いでいる。
マイペースに珈琲を味わっていた丈は何かを探すように視線を動かす。しかしふと、止まった。
「………。」
「あ。ごめん、砂糖とミルク入れるんだった?」
「いや……」
「先に出しとけよ雑トーカ。気が利かねぇな」
「うっさいな。アンタのキメ顔で忘れたんだよドヤ錦」
「…顔、か」
「あ?」
「喰種は面が割れないようにマスクを着けるだろう」
「…あー…、確かにそうだよな。……俺はアンタがカネキの暴走を止めるのを見てたけど、アンタらにとっちゃ、俺は単なる喰種狩りの喰種だわな」
「……オロチか」
「ご名答。──そっちは"平子班"じゃなくなったらしいけどな」
身を隠すためのマスクは、両者の間にはもう必要がない。
追いかけられた捜査官を前にして。
追いかけた喰種を前にして。
二人には、特別な感動もないようだ。
錦が強かで計算高い性格であることはトーカも知っている。
こちら側に付いた丈に自分の正体を明かすことで、反対に、捜査官であった丈の存在も認知していると伝えたのだ。
部下も、人間関係も。すぐに洗える。
「降格したんだか昇進したんだか、天下の有馬班に異動したと思えば、今や喰種のオトモダチってか。見た目に反して浮き沈みが激しい人生だな。同情するぜ」
皮肉に笑う錦が、砂糖とミルクを丈の珈琲に添える。
「………」
「でもさ。ほんとに動揺とかしないよね」
一対一で向かい合うよりも、やはり感じ方が軽くなったことに、トーカは心の中だけで錦に感謝した。
絶対に言わないが。
「捜査官として追っかけてた喰種が、こんな目の前をチラッチラしてて、邪魔とか、ウザいとか、クソウザいとか思わないの?」
「てめぇ、ウザいが被ってんぞ」
「事実でしょ」
カネキが信用した人物でも、すぐには慣れることはできない。
「確かにオロチは…邪魔だったな」
「んだと?」
「やっぱね」
「…喰種としての能力が高い上に頭も切れる。追いかけるのは骨が折れた」
「おら、聞いたかトーカ」
「きっと日が悪かったんだよ。捜査日がさ」
「何だよその大安吉日的な言い訳は」
錦を鼻でフンと笑えば、丈の手元から珈琲が香った。
それもまた、底へと沈みそうになるトーカの心を引き戻す。
温度の下がってしまった心を温め、錦の軽口で、また笑えることを思い出させる。
「まぁ、俺を苦しめた捜査官ってコトで、戦力にはなるぜ。平子上等は」
「軽いアンタに褒められてもね」
薄いやら何やらと散々な言い様の錦だが、確かに、能力に関しての駄目出しは無かった。
"平子班長"とも呼んでいたので、部下をまとめる能力も、恐らくは──…。
「あれ?じゃあ……」
「どーしたよ。トーカ」
トーカの中で、また何か引っ掛かった。
丈は自分の班から有馬の元へ異動したのだという。
ならば琥珀とは、それほど長い付き合いではないのだろうか?
…失いたくないという、丈の言葉を思い出す…。
しかし考える頭を錦が横から小突いてくる。
そのウザさにトーカがキレかかった時、再び、店の扉が音を立てた。
店に戻ってきたのは琥珀だった。
コートの襟を押さえる手に、ドアから離れたもう一方の手を重ねて温めながら、ほうっと息を吐く。
トーカが先んじて「お帰り」と言うと、店内の三人に気づいて瞳を瞬かせ、表情を和らげた。
「遅くなりました…」
席の間を進んで、丈の横で足を止める。
「トーカちゃん。会えました、アキラちゃんに。声だけ…かけてきました」
「…琥珀、アキラの様子は?」
「うん──…」
ル島から救出されて治療中のアキラの元へ、琥珀は足を運んでいた。
この様子では、手放しで喜べるまでの回復にはまだ至っていないのだろう。
「万丈…そういやヒナミも、今はあっちにいんのか」
錦が呟き、琥珀が思い出したように、凹んだポットをトーカに渡した。
「ごめんなさい、万丈さんに持っていったポットなんだけど…」
「──…。アイツ…雑に扱ったな………」
「あ、あのね…私も、急に話しかけちゃったから──…」
「いーよ。今度ちゃんと、話つけとくから」
「トーカ、治療中は殴んなよ」
「わかってるよ」
万丈が治療中の捜査官──真戸暁は、トーカやヒナミにとって因縁を持つ人物でもあり、複雑な思いがトーカにはあった。
…それでも。それが因縁であっても、"縁"なのだろう。
「…あの人も…早く、回復するといいね──…」
万丈の手形に凹んだポットを撫でながら。
「うん──…。ありがとう、トーカちゃん」
トーカは、アキラの回復を願う琥珀の眼差しを正面から受け止めた。
琥珀の瞳もまた、様々な想いを内包した光を宿している。静かで、穏やかな焦げ茶の瞳だ。
「ん…」
照れ隠しのようにトーカは次の話題を探す。
「あ…。そうだ、琥珀さんも飲む?良かったら淹れるけど。珈琲」
「ふふ。実はさっきから気になってたの──…」
丈の手元を覗き込んで琥珀が微笑む。
半分ほどを残すカップを丈が持つと、琥珀が自然に受け取り口元へ運ぶ。
幽かに湯気の立つカップを傾けて、美味しい、と。
「でも…今日は、この一口だけで……。丈さん、みんなの帰りは、まだ…?」
「ああ」
「なら私も…」
「いや──」
琥珀の頬に流れる髪を丈の指が退ける。
外から戻ったばかりで冷えているのかもしれない。琥珀の頬は白かった。
「先に休んでいろ」
「…。うん……じゃあ、そうさせて…もらおうかな。トーカちゃん、お先に失礼します。それから…」
「西尾錦だ。ニシキでいーぜ」
「ニシキさんも。おやすみなさい」
カップから漂う湯気のように、ふわりと頭を下げて琥珀が奥へと引き上げる。
扉が閉まる音がした。
同時に錦が、そういうコトかとニヤニヤした。
「そんじゃ、俺も今日は帰るとするか。急ぎの報告もねーし。明日また寄るわ」
欠伸をしながらカウンターを出る。
「帰んの?少ししたら四方さん、戻るかもよ」
「面白いもん見たお陰で腹一杯。そこんトコも含めて、明日、説明頼むぜ。──なあ?平子上等」
距離を縮めて、トーカに普段そうするように、座る丈を馴れ馴れしく見下ろした。
「……。」
「ニシキ、アンタ何言ってんの?」
「ああ?お前こそ何言ってんの、だ。砂糖とミルクがいらなかった理由、考えろっつーの」
「はあ?そんなの。ブラックじゃなきゃ琥珀さんが飲めないからじゃ──…、え…?」
そーゆうこった、と。
唖然とするトーカを置いて、錦は店のドアを押した。
カラン、コロン。
ベルの音が軽やかに響く。
店内はトーカと丈の二人きりに戻った。
先ほどと、やや相違があるとすれば、トーカの表情から固さが消えたこと。
そして丈の手の中に、ブラックの珈琲が入ったカップが収まっていること。
ソーサーに乗せられた砂糖とミルクにトーカの手が伸びた。
「………」
「………」
「それじゃあ、」
流れの先を丈に求める。
「さっきの続き。──平子さんの"理由"、じっくり聞かせてほしいんだけど」
「………。」
四方と0番隊の面々が戻るまで、しばらくトーカは、丈を質問攻めにした。


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