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生きて

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そこはおよそ、怪我人が治療を受けるには漠然としすぎた小部屋だ。
寝台と、横たわる女。
椅子と、座る男。
何も置かれていない小さなテーブルが一つ。
二人を繋ぐ赫子がトクリ、トクリと脈を打つ。
男は集中しているらしく、琥珀が入ってきたことも気がつかない様子で赫子の制御に意識を向けている。
少し迷い、それから琥珀は、こんばんは、と声をかけた。
男が振り返った。
顎ひげを十字に整えた、厳つい体躯の男だ。
名前は確か、
「万丈さん」
「アンタ、この前の──…」
「君塚琥珀といいます。…アキラちゃんの様子が気になって……お見舞いに来ました」
「見舞い──…。そういや、元・捜査官って言ってたよな。じゃあこの人とは同僚ってヤツか?」
「はい」
万丈は驚きと警戒心の混ざった様子だったが、琥珀が預かってきたポットを渡すと、嬉しそうに顔をほころばせる。
中身はトーカが淹れた珈琲だ。
万丈が珈琲を飲む間、琥珀はアキラの様子を窺う。
熱があるようで額にも身体にも汗をかいている。呼吸もやや荒い。運ばれてきて数日が経ったが、容態は回復に向かっているのだろうか…。
「怪我は…だいぶマシになってきたが…安定するにはまだ時間がかかりそうだ」
琥珀の心に答えるように万丈が言う。
「そう…ですか」
「…なあ、君塚…さんよ。店の、カネキは大丈夫か?」
「琲世君…カネキ君も…まだ本調子ではないみたいです」
「そうか…。みんな、消耗してたからよ。…この場所のことは、ねーさんから聞いたのか」
「はい。ル島から助けられた捜査官の治療をあなたが行っていると聞いて…」
琥珀がコクリアの丈の元へ向かう頃、CCGはアオギリの掃討作戦を行っていた。
アオギリが本拠としたル島。
そこに、カネキの仲間だった喰種も上陸していたのだと、琥珀は店で聞かされた。
そこでの偶然が繋がってアキラはここへ運ばれた。
そうでなければ命を落としていただろう。
結果的にCCGは勝利を納めたが、話を聞いた限り、アキラの所属していたチームは全滅したのだ。
ル島のアオギリを統率していたタタラと対峙し、…そのタタラも死んだという。
「…。」
「月山なんかは、ル島よりコクリアに来たがってたみてーだけどな。けど、アオギリにはカネキと関係のある医者が匿われてるからって──あっ」
「…どうかしましたか?」
赫子を操りながら、珈琲を喉に流し込みながら。琥珀と言葉を交わしていた万丈の動きが不意に固まる。
しかし赫子の制御だけは止めてはならないと、おろおろし、「あっ」とか、「うおっ」とか、声を出しながら、赫子の安定を図る。
琥珀も落ち着かせるよう、万丈の背中に手を添えた。
繋がる赫子はアキラの命綱なのだ。
万丈が落ち着くと、再び赫子は穏やかに脈を打ちはじめる。
二人は同時にほっと息を吐く。
「アンタにも…どこまで説明したらいいのかって思ったら…動揺しちまったぜ…」
「ごめんなさい……。私がいたら邪魔ですね。もう…帰ります──」
「え?あ、いや、」
「彼女をお願いします。…捜査官を助けてほしいなんてお願いするのは…虫が良すぎるかもしれないけれど……」
「いや、待ってくれっ、俺も…っ、思ったんだ…!」
「…?」
「虫が良いってトコじゃなくて…!アンタは喰種だけど、人間と肩並べて戦って──、捜査官してたカネキとも仲が良かったんだろ?聞いたんだ、本人に」
立ち去る琥珀を止めようとして、しかし今度は、アキラと繋がる赫子を忘れなかったために、身動きが取れない。
万丈は、ベッドのアキラと琥珀とを交互に見ながら、必死に伝えようとする。
「でも今は俺らの側に来てる。アンタだったら喰種とか、人間とか、関係なしで話聞いてくれんのかなって思って…」
「…。」
琥珀が身体を向けたことにほっとして、万丈の言葉もだんだんと落ち着いてくる。
「だからもっと話も聞かせてほしいって言うか──…、ああくそ…悪ィ、ワケわかんねぇな俺……」
「……まとめると、私はここに居ても大丈夫…ってことですか?」
「お、おう。……つっても、椅子もねえ部屋だけど」
「…ありがとう」
纏っていた遠慮と戸惑いがやわらいだ琥珀に、万丈も胸を撫で下ろす。
強く握ったために歪んでしまったポットを見た。
「げっ…!ねーさんに殴られるなこりゃ…」
「えっ…怒られるかもですけど…さすがに殴りは…」
「いやぁ…店の備品ぽいしな…」
万丈は、やっちまったぜと、ひとしきり落ち込んで、後悔を押し流すようにぐびっと珈琲を煽った。
大柄な身体に似合わず気弱な様子の万丈に、琥珀は口許を緩ませる。
付きっきりで治療を行うのは体力を使うのだろう。
珈琲は喰種にとっても嗜好品であり、空腹を紛らわせる効果しかないが、ポットの傾きはもうだいぶ大きい。
「ありがとう…本当に……」
アキラの治療を引き受けてくれたことといい、この様子といい、万丈は人が好いのだろうと琥珀は思った。
すべてを飲み終えた万丈がポットの蓋を閉める。
「確かに、この人を助けてくれって言われた時には驚いたけどな……。必死だったからよ…運んできたヤツが」
琥珀は小さく声を漏らした。
「運んできたのは…あなたたちの仲間ではないの…?」
「いや。でもこの人の知り合いらしいぜ。もしかして捜査官だったアンタも知ってるんじゃないのか?」
「知り合い…?」
カタン──、
部屋のすぐ外で音が鳴った。
「あ…戻ってきてたのか?タキザワ──」
万丈の言葉もそこそこに琥珀は部屋から飛び出した。
音の主の気配も離れていく。
背後で慌てる万丈の声が聞こえたが、遠ざかる気配を追いかけて走る。
蛍光灯の並ぶ薄暗い通路から地上への階段を駆け上り、外へ出た。
ひやりとした夜の空気が頬を撫でる。
感覚を研ぎ澄ませ、足音を探った。
──…。
強く地面を蹴る音を聴き取り、琥珀も追った。
塀を蹴り、二階建てのアパートの屋上に着地すると、闇夜の中にチラつく影を見つける。
待って──という言葉は、どうしてか琥珀の喉に張り付いてしまい発せなかった。
家々の屋根を翔び、建物を越える背中を、無言で琥珀は追いかけた。
向こうも追われることに気がついていた。
時折、琥珀がついてきているのを確かめるようにフードを持ち上げて窺った。
真夜中の、音のない十数分の鬼事。
数区画を通り過ぎて、貸し倉庫として使われるコンテナの並ぶ場所でタキザワはやっと足を止めた。
寂しく、人の気配も無い。
離れた間隔で灯る、切れかかった外灯。
頼りなく瞬き、淡い闇が二人を包む。
琥珀は、迷っていた。何をどう、伝えたらいいのだろうか。
「…あなたと、また会えて良かった……って、言ったら…。あなたは嫌がる…?」
「………。こんな姿に、会えて嬉しいのかよ」
乾いて、少ししわがれた声。
この声を耳にした時、アキラはどのように感じたのだろうと、琥珀は口を閉ざす。
胸の鼓動が重い。
ならばアキラが感じたものは、もっとずっと、苦しかったに違いない。
「……」
「…仲間だった捜査官にはよ、殺意とクインケを向けられたぜ。飼われてた半端者のアンタからは…憐れみだな」
夜の下、駆け抜けてきた足元は裸足だろうか、サンダルのような軽装の爪先が見えた。
外套から覗く手首は細く骨が浮く。
「元・上司ぶっ殺して、同期の首絞めて……そんなオツムのネジ飛んだ失敗ヤローになっちまった」
倉庫の上で琥珀と向かい合い、タキザワは乾いた嗤いを浮かべた。
誰が、どんな言葉を口にしても、事実は変わらない。
タキザワは半喰種になったのだ。
周囲の者が変わりない日々を送っている間に。
「会えて…嬉しいって……本気で言ってるのかよ」
「………」
いつか琥珀は同僚に訪ねたことがある。
捜査官の遺体が、あるいは生きたままで、拐われる事がある。食糧としてではないなら、なぜ?と。
技術の進歩には"識る"ことが必要だ。
その副産物が治療技術に繋がり、喰種への対抗手段の開発に繋がった。
CCGはQsを。
アオギリは半喰種を造り出した。
「育ちの良い喰種ちゃんは優しいねぇ。優しいついでに俺が喰わせろっつったら…アンタは喰わせてくれんのかよ。ぶっ壊れて、欠落した俺に」
同情をすれば彼は癒されるのだろうか。
詫びの言葉を口にすれば、彼の生活は戻るのだろうか。
答えは否、だ。
何も戻らないし、何も癒されない。
「…いいよ」
琥珀はタキザワに答えた。
「足りないのなら、ひと口くらい食べさせてあげる。それで、あなたの足りないものが埋まるなら。でも私を憎んで殺したいって言うのなら、…私も死ねないから」
「…俺を殺すってか?」
「殺さない。…けど、半分くらいそうして、あなたが落ち着くのを待つ、かな」
「…半分くらいそうするとか、半殺しだろ、それ。……少しは慰めるとか、しろよ」
「悩みとか、愚痴とかなら聞いてあげる」
「役に立たねぇな」
「だって……あなたに起こった出来事が大きすぎて、頭の整理に困ってるの」
眉をハの字にした琥珀が言葉通りの表情を浮かべると、タキザワはやっと溜飲が下りたとでもいうように、ふん、と笑った。
青白いおもてに皮肉と愉快さが浮かび、かつての面影が過る。
記憶の中の滝澤政道は、まるで高校生がそのままスーツに着替えたような青年だった。
尊敬する先輩の姿を見逃さないように追いかけて、言葉のひとつひとつに一喜一憂する、そんな青年だった。
別に、とタキザワは呟く。
「腹は減ってねぇし。さっき…適当なのを喰った」
「…そう」
「…お前も、今は殺して喰ってんのかよ…」
「私は、お世話になってる場所で貰ってるから」
「…お前、ホントに箱入りだな。……。」
「なに?」
「喰種に、なってみて分かったけどよ…。分けてもらうだけで量足りんのか。今、新鮮な目玉持ってっけど、やろうか?」
「え……ううん。私は平気…」
「んだよ。遠慮してんな」
「遠慮じゃなくて…その……形がそのままなのは、私、ちょっと…」
「はあーー?今更かよっ」
「あ、あなただって、受け付けない形の食べ物くらいあるでしょっ。イナゴとか、蜂の子とかっ」
「何で喰種のクセに詳しいんだよ。つーかあんなの食い物じゃねぇし!虫だろ!」
「それだって目玉のカタチすぎ!こっち見てるみたいで怖いもの!」
人間だったタキザワが人間の食物を否定して、喰種の琥珀が喰種の嗜好に異議を唱える。
いつの間にか逆転したセリフに二人は口をつぐむ。
同時に漂う既視感。
アキラと滝澤が騒がしく言い合いをしていた光景が甦る。亜門は呆れて、琥珀は苦笑していた。
ほんの数年前の記憶だ。
滝澤と琥珀は初めて言葉を交わした。
あの時に二人の間にあった遠慮は、皮肉にも、似た位置に立つことによって縮まった。
喰種という己を持つことで。
二人の間を夜風が抜ける。
タキザワの指先が力無く揺れた。
「……あん時は、ちっとも思わなかったんだ………こんな…先なんて…」
俯いて、掠れた声が空気に溶けた。
「なあ…俺、何か間違えたのか………?」
凍える空気に晒される襤褸を纏った姿が揺れる。
「………何を…、なんで──…」
闇夜に消えてしまいそうだった。
洩れ出す黒い後悔を抑えるように、骨の浮いた手がフードの下の顔を覆う。
捜査官になりたかった。過去から抱き続けたそれは、他愛もない、将来への希望と夢だ。
有馬貴将という捜査官がいた。
幾度もの特進をして、CCGのトップに駆け上がった捜査官。
亜門鋼太朗という先輩がいた。
誰にも負けない信念と実力を持った、尊敬する先輩だった。
法寺項介という上司がいた。
若くして多くの経験を積み、多くのものを見てきた彼は、滝澤を導いてくれる人だった。
彼らのようになりたかった。
人の役に立ちたかった──。
滝澤政道が亜門を助けに走ったのも夜だった。
雨の中、ぬるく湿った空気が絡みついて重かった。
亜門を想うアキラの声は、前に進もうとする滝澤の身体も重たくした。けれど。
振り切って。
振り絞った。
震える身体が軽くなった時。
しかし左肩はもう無かった。
必死の形相の亜門が自分に向かって叫んだ。
足りない部分を補うように、今度は鮮明な声が重なる。
次こそ、ちゃんと逃げてくれと。
タキザワの喉の奥で、血と雨と、砂と埃が混じった。
記憶の中の光景と、音と、感触と、全部がごちゃ混ぜに再生される。
何度でも考えてしまうよ、と。
アキラの声が落ちてきた。
何滴もの涙も落ちてきて、ひび割れた唇に沁みてぴりぴりと痛んだ。
あの時、私が止めてれば──。
亜門もアキラも後悔を抱えていた。
滝澤を助けられなかった後悔を。
「……俺、は………」
アイツが死んだら、と、亜門さん、と。途切れ途切れに言葉が漏れる。
滝澤政道は死んでしまった。
死んで。壊れて。タキザワになった。
しゃがみこんでいたタキザワが尻をつく。
夜風が肌を刺すように冷たい。
顔を覆う指先も、剥き出しの足先も冷えきっていた。
喰種になってから痛みや温度の感覚は、ほとんどどうでもいい、不要なものだった。
傷はすぐに癒える。
暑さや寒さも死ぬような問題じゃない。
満たしても満たしてもすぐに空虚を感じさせる餓え。餓えを満たすこと、それこそが一番だった。
しかし今、そタキザワの身体は震えていた。
「(…寒ぃ……)」
こんな風に感じたのはいつ振りだろうか。
乾燥した喉の奥がひゅうと鳴った。
そういえば琥珀が近くにいたことを思い出したタキザワは、しかし決まりが悪くて顔を上げる気にならなかった。
無言でいれば、そのうち立ち去るだろう。
いなくなる音を聴いたら自分もどこかへ行こうと思った。
アキラの容態が気がかりだから、遠くへ行くつもりはない。けれど、こんな状態で万丈の元へ戻る気分にもなれない。
衣擦れの音がした。
「………」
外套の隙間から吹き込んでいた風が僅かに弛んだ。
たとえタキザワが喰種ではなくても、この距離だったらわかっただろう。
時々、外灯が明滅する暗闇の中、コンテナの上に二つの陰が並ぶ。
どちらの陰も動かないまま。
暫くの間そうしていた。


捜査官を、殺したんだ。
………。
後輩も、上司も。喰っちまったヤツもいる。
…私もだよ。
………。
喰種を殺して。お前も喰種なのに自分たちを殺すのか、って。言われて。
………。
捜査官も、友達になってくれた人たちも敵に回して。
………。
それでも、生きてるの。…それでも自分は、望みを叶えるために生きたいなんて

勝手だよね──


170616
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