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(8)end.

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丈と琥珀は暗闇の中を走る。
乱れる息遣いが重なり合う。琥珀はそれでも苦しいとは思わなかった。
埃に淀んでいた空気がだんだん冷たく澄んでいく。
前を走っていた丈がふと、黒いコートを琥珀に渡した。
「出る前に羽織っておけ」
逃げる際に拾ってきたのだろう。琥珀の纏うスーツは、赫子を派手に操ったせいでぼろぼろに破れていた。
ありがとうと受け取りながら琥珀は息を吐く。
「喰種って本当に不便…」
丈がちらと視線を寄越す。
「その能力のお陰で無事に会えた」
声はすぐに慌ただしい足音に紛れてしまった。
しかし琥珀の耳にはちゃんと届いた。
「…それなら……、少しくらいは不便でも、いい、かも」
それでもやはり、あの姿を鏡でまじまじ見たいとは思えないけれど。
丈にそう言ってもらえるのなら、琥珀は少しだけ見方を変えられるような気がした。
我ながら単純だと思いながらコートに袖を通す。
その様子を横目に、丈はぼそりと続けた。
「…目の毒だがな」
「うん?」
「………」
「?」
コートを羽織りはしたが、下からは冷気が入り込み、琥珀の剥き出しの肌を冷やす。
「………。…!!」
渡される前の状態を思い出した琥珀は、頬を染めると、批難を込めて丈の手を引っ張る。
丈はしれっとスルーした。
暗く長かった排水路の終わりが、ぽっかりと口を開けて近づいてくる。
隅に二つの影があった。
カネキの姿と0番隊員のコートが見え、フードの下で、長さの揃った前髪が揺れる。
二人と合流を果たして丈と琥珀はコクリアの壁を目指す。
敷地内ではまだ戦いが続いているようだった。
建物の合間を縫うように移動する喰種が、丈の目に留まる。
「彼らは?」
「万丈さん──ガスマスクの仲間です。陽動を行って、頃合いを見て退くように伝えてあるらしいので、僕たちは先に壁を越えましょう」
答えるカネキの声に重なって、離れた場所からの破壊音が響く。
「理界、怪我人は?」
「士皇が腕をやられただけで、他は問題ありません」
「そうか。──琥珀、頼む」
「はい」
四人が壁に近づくと、カネキを待っていた喰種たちが顔をあげた。
カネキの姿を確認すると、ショートカットの女性の表情がほっと息を吐く。ずっと心配していたのだろう。
四方も怪我人らしい青年を背負い頷いた。
待機していた他の喰種も立ち上がると、壁に赫子を突き立てて、あるいは付近の建物に飛び上がり、次々と壁を越える。
仲間たちの姿を見上げていた万丈にカネキが訊ねる。
「じゃあ、万丈さんはお姫様抱っこで良いですか?」
「オイッ!久しぶりに会ってそれかよ!」
親しい間柄だったのだろうか。カネキはスミマセンととりあえず謝る。そして万丈を背負うと、赫子を使って軽々と飛び上がった。
壁の天辺に着地すると、同じように琥珀も隣に着地した。
「平子さんたちも──」
運びますかと問うカネキに、琥珀がにこりと笑う。
カシャン──と金属音と共に鉤の付いたワイヤーが足元に掛かる。0番隊の面々が壁に飛び上がり越えていく。
腕を負傷した士皇には、琥珀が赫子を伸ばして軽々と引き上げた。
「だって、僕たち0番隊だよ?」
つつがない移動に驚きを見せた琲世に、士皇が少し得意気に答えた。


《12月20日/時刻──》
真冬の深夜の逃走は、予想よりも早く落ち着いた。
壁を越えてばらばらに逃れた後、再び集まったのは区内某所の喫茶店。
琲世が、金木研が、いつでも帰ってこられるようにと、仲間たちが用意していた店だという。
当面の拠点として、0番隊も此処へ招かれた。
局を離反したという精神的な疲労もあり、隊員らは与えられた部屋の存在に安堵し、表情を緩めた。
(事前に用意しておいた隊の隠れ家もあったが、事が落ち着くまではここを使わせてもらうことにした)
コクリアを逃れた者たちが次々に店に集まり、しばらくの間、賑やかに言葉が交わされていた。
だがそのうちにショートカットの女性が、「明日も店は通常営業なんだからね! さっさと寝ろ!」と言ってその場を解散させた。
彼女がカネキにとってどのような存在なのか、丈たちには分からなかったが、知る機会は今後も十分にあるだろう。
皆が寝静まり、明け方まで数時間という時刻。
丈は隣室のドアが開く音を聞いてベッドから起き上がった。
静かに廊下へ出ると、壁に背中を預けて座る琥珀を見つけた。
「丈兄、寝ないの?」
「……いつもなら報告書を書いている頃だ」
「…書かなくて良くなっちゃったもんね」
琥珀は静かに笑い、私も置いてきちゃった、と続ける。
「私もね……0番隊のコート、置いてきちゃった。……有馬さんのコートと一緒に」
琥珀は立ち上がると丈の手を引いた。
女性だからという理由で用意してもらった個室に、身を滑り込ませてドアを閉めた。
ベッドに丈を座らせて琥珀も隣に座ると、瞳を向ける。
電気も消えたままの室内で、ブラインド越しの月明かりを頼りに琥珀の姿が浮かんだ。
僅かな光源で瞳が瞬き、呼吸が聞こえる。
「…有馬さんにね、さよならって言われたの」
繋がる手が震えた。
「…丈兄は……、お別れを言った…?」
「……ああ」
「………。そっか」
闇の中で微細な表情は読み取れない。
ただ、呼吸をするごとに細かく震える指だけが、感情を伝える。
「…さびしくなっちゃった」
「………」
「丈兄は、泣いた?」
「泣かない悲しみ方もある」
「まあ、そうなんだけど」
違う揺れが伝わって、琥珀が小さく笑ったことがわかる。
見えなくても思い浮かべることができた。
長い、とても長い、幼い頃からの付き合いだ。
どのような時に笑って、どのような事で泣くか。
どのように涙を堪えるのか。考える前にその顔が浮かんでしまう。
琥珀が捕まったその時から、丈は琥珀を生かす事を望みとしてきた。
どんな命も、いつかは尽きるものだと知っている。
丈も。琥珀も。
それでも、琥珀を死なせたくないと願った。
丈の望みを有馬も知っていた。
だから手を回してくれたのだ。
琥珀が捕まったその時から。
いや、本当はそれよりも、幾らか前から。
──琥珀の傍は居心地が良い──
静かな声が甦る。
淡々と、戦うことばかりを行ってきた有馬が見せた、穏やかな表情。
琥珀には何も言わず、終いにしたのだろう。
ただ、琥珀を解放することだけを伝えて。
「さようならも言ってないのに」
琥珀の言葉が、ぽつりと零れる。
もう会えないなんて、嘘みたい。と。
「私、泣いちゃった。待ってる間に、泣いたの。だから今度は丈兄の番」
琥珀の手が丈の頬に添わされて、ゆっくりと頭を抱き寄せる。
「私は単純だから。…私がこれだけ寂しいのなら、有馬さんと、色んなことをたくさん共有してた丈兄は、もっと寂しいんじゃないかなって」
その胸に包み込むように、外の世界の何者からも守るように、やわらかく丈を抱き締める。
額を預けた肩は小さく華奢で、けれど、想いをやさしく誘い出すように、あたたかかった。
「有馬さんには秘密にしておいてあげる」
琥珀の声が揺らいだ。
抱き締められる丈の頬を、ぱたりと滴が濡らす。
「だから、いつか教えてね…?私…有馬さんに、たくさん助けてもらったけれど……、私は有馬さんに、なにも返せなかった──」
ぱたぱたと、幾つもの音が重なる。
遠慮がちに鼻をすすった。
抱かれているせいで、暗闇のせいで何も見えない。
それでも琥珀は丈の頭を離さなかった。
「(俺の番だと言っていたのにな)」
琥珀はきっと、目を赤くして涙を堪えているのだろう。
丈は気づかない振りをして、震える背中に腕を回した。

明け方。
ブラインドの隙間から仄かな明るさが入る頃。
琥珀は、うっすらと目を開けた。
丈が琥珀の額に手を置く。
他の者にばれたら面倒だ、と。
琥珀にふたたびの眠りを促して、丈は部屋へと戻った。


《12月20日/時刻8:00──》
結局自分だけ泣いた気がする。
階下にある喫茶店に顔を出し、カネキや、その他の喰種たちに挨拶を済ませた琥珀は、軽やかな足取りで階段を上る。
昨晩、丈が訪ねてきたことは0番隊の子供たちにはばれなかったらしい。
そして眠気よりも空腹が勝った彼らは、今は早くも起き出して下で朝食を摂っている。
「………。」
丈の分も用意したのだが、わざわざ起こすのは気が引けた。
控え目に声をかけて、琥珀はドアをゆっくりと開ける。
毛布にうずもれて寝顔が見えた。
ゆっくりとドアを閉めてベッド脇の床に座ると、しかし丈は敏感に目を覚ました。
「起こしちゃった」
「……いや──…半分くらいは…おきていた」
眠気の残る様子で、丈は大きく息を吐く。
眠りから抜けきれない微睡みの時間も、温かな布団に包まれる心地好さも、琥珀は誰よりも好きだ。
だからその幸福な時間を丈にも存分に味わってほしいと思った。
布団から抜け出したら、また日々がはじまる。
身を置く環境も、共に過ごす顔ぶれも、すべてが新しく変わってしまった。
もちろん変わらないものもある。
まだ、少しだけ眠そうな丈が琥珀に手を伸ばして。
その手を取った琥珀が、嬉しそうに頬を擦り寄せられることなど。
「…あの三人はどうした…?」
「おなかが空いたからって先に起きて、今は朝ごはんを食べてるところ」
「………、元気だな──…」
丈は枕に顔を埋めた。
琥珀がくすくすと笑う。
「朝ごはんのメニューは、カフェオレと、美味しいパンで作ったサンドイッチです」
「……美味しいパンか…」
「うん。士皇君、そのパンがお気に入りになったんだって。それでね──…」
丈が身体を起こす。
ベッドから足を下ろした。
「──丈さんの分も、用意してあるから食べてね…?」
心許なさと、少しの恥ずかしさを滲ませて。
顔を仄かに染めて琥珀が言った。
眠気の覚めた丈は一呼吸か二呼吸、琥珀を見つめた。
その頬に手を添える。
ゆっくりと、顔を上へ向かせる。
もし、一呼吸も置かなければできていたのに。
朝食を終えた彼らの足音が響いて、部屋のドアが開く。


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