9:不可思議

「熊にやられたんじゃろうな…」
「熊?」

父の件で世話になっていた、医者の嵯峨山じいさんは白い髭をなでながら、可哀想にのぅ。と続けて呟く。

「あぁ、首には鋭い牙による噛み傷。背中は爪による裂傷、殴り飛ばされたのか肋骨は一本折れとる。最近多いんじゃよ。熊による被害がのぅ」

じいさんいわく、一月〜二月程前から熊によると思われる事件が相次いだそうだ。被害者には必ず大きな牙と爪による殺傷痕、身体の一部が喰べられていた事から冬眠出来なかった熊の仕業と推察された。すでに、被害は数人にものぼるそうだ。


「今まで生き残った者はおらん…。この娘は運が良かったんじゃろうな」

布団で静かに寝る女性に視線を移す。身体中包帯だらけだが、顔色はあの時に比べるとだいぶ落ち着いていた。

女性の年の頃は16〜17だろうか。髪は一般的な黒色だが、男性のように髪が短かった。耳横の横髪だけが肩まで長く、後ろ髪は自身の髪より短い。服もなんだか少し変わった形をしている。
熊による傷以外にも、極度の栄養失調と脱水、末端の凍傷があり、嵯峨山じいさんの「訳ありじゃろうな」の台詞に同意をする形で神妙に頷いた。












時は遡り、女性を発見して町に着いた時の事。瀕死の女性を背負い必死で町医者を探す途中、偶然にも隣町に住む嵯峨山じいさんがこの町に診療に訪れていた。急ぎ事情を説明すれば、嵯峨山じいさんは近場にあったこの宿を借て、すぐに治療を開始してくれた。かなりの重症だったらしく治療は丸一日かかったけれど、なんとか峠は越えたようで、無事を聞いた時は安堵のため息がもれた。

嵯峨山じいさんが治療中に女性の家族や家を探すために女性の匂いを辿ったのだが、不思議な事に、《ある場所から女性の匂いが忽然と消えていた》。いや、その表現は正しくないのだろう。《ある場所から、急に女性が現れた》ようだった。
匂いで探すのは難しいと悟り、炭を売りながら、女性を知らないかと聞いてまわった。が、ほぼ全員が知らないの一点張り。一日かけてわかった事は、放浪者ではないかとの噂話と、女性のモノと思われる鞄の二点。鞄はあの匂いが消えた場所にあり、初めて触る感触の生地だった。罪悪感を抱きつつも、女性の身元を調べるためにと鞄の中身を失礼した。何か手掛かりがあればと思ったのだが、逆にこの行動は女性の謎を深める結果となった。
冬毛の兎より柔らかい布と、驚くほどそのままを写す板ガラス。固く薄い懐中時計、重さを感じない綺麗な石。あとは使用方法の分からないものばかりだった。嵯峨山じいさんに聞いても、初めて見ると目を丸めるばかり。
結局、女性の事は何一つ分からなかった。





嵯峨山じいさんは手元の医療器具をまとめ、よっこいしょの掛け声と共に立ち上がる。

「峠は越えた。あとはそのおなご次第じゃ。薬はこれじゃ。夕方まではこの町におる。何かあったらまた呼んどくれ」
「ありがとう」

治療費を渡し、宿から出ていく嵯峨山じいさんを見送る。
さて、これからどうしようかと財布の中を覗くと、あと一泊出来る程度しか残っていない。むむむ、と考えながら眠る女性を見ると、「死にたくない」と言った女性の切望が甦った。

「……」

そうだ。俺はその願いに答えたはずだ。必ず助けると。

「よし!」



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